第1章 はじまりは樹海から

第1話 出逢い①


『次のニュースです。○○県○○市で昨夜未明、年齢不詳の男性の遺体が発見されました。遺体は激しく損傷しており、警察は今年初めから全国で発生している連続不審死事件と何らかの関係があるとし、模倣犯または組織的な犯行と見て調査を──』



 プツンッ。



 盛岡勇希もりおかゆうきは、手に持っていたリモコンでテレビを消した。


 六月が終わりを迎えようとしている頃、世間はある事件のニュースで持ち切りだった。遺体の一部が欠損、あるいは遺体の一部のみが発見されるといった殺人事件のニュースだ。そんな事件がほぼ毎日、日本各地で起きているらしい。


 しかし、この事件が大きく取り上げられる理由はもう一つあった。

「遺体には化物に食われたような痕がある」とか「殺人現場の近くで巨大な化物の影を見た」とか、事件に関するそんな話がネット中を駆け巡っているのだ。


──でも、どうせ噂に尾ひれがついただけだろ。勇希はそう思っていた。

 それに、今の彼には関係の無い話だ。


「最期に見たテレビが、巷で話題の殺人事件のニュースなんて笑っちまうな……」


 ため息混じりについた彼の呟きは、響くことなく消えた。部屋が静かになると、両親の笑い声が階下から聞こえてくる。


 勇希は一人、自分の部屋で床にあぐらをかいて座っていた。彼の横には、大きなリュックサックがある。これを両親に見られたら「どこか旅行にでも行くのか」と、笑われそうだ。


「……まあ、あながち間違いじゃないけどな」


 リュックサックの中には、運転免許証とスマホが入っている。そして、これらの他にもう二つ、勇希にとっては重要な物が入っていた。


 一つは、脚立。折りたたむと中にすっぽり入るサイズの物だ。

 もう一つは、ロープ。何の変哲も無い、太くて丈夫なロープ。


 勇希は立ち上がると、リュックサックを背負った。それは、驚くほど軽かった。

──そりゃそうか。勇希は苦笑する。

 だって、中にはこの四つしか入っていないのだから。


「じゃ、いこうかな」


 勇希は両親に気づかれないよう、こっそり家を出た。

 机の上に、一通の手紙を残して。


────────────────────


 外に出ると、恨めしいほどの快晴だった。ほんの少し西に傾いた太陽が、あざけるようにケタケタと笑っている。


 家を出てから十数分後、勇希は太陽がほとんど見えないほど鬱蒼うっそうと茂る木々の中を歩いていた。家に程近い場所だったが、来たことは今まで一度も無い。


 なぜなら、ここが昔から自殺の名所と呼ばれている樹海だからだ。


「……ここら辺でいいか」


 樹海の奥深くまで来ると、比較的背の高い木の下に、勇希はリュックサックを下ろした。暗くなる前に終わらせてしまおうと、彼は中からロープと脚立を取り出し、手早くセッティングを始める。


──全てセッティングし終わるのに、そんなに時間はかからなかった。


「こうやって見ると、スゲーちっぽけだな」


 木にぶら下がったロープはあまりにも小さく、頼りなく見えて、これで人が死ぬなんて到底思えなかった。


「……ま、ちっぽけな人間には充分か」


 高ぶる気持ちを落ち着かせるため、勇希は深呼吸をした。確か、木から発せられる物質がリラックス効果を生むのだと、昔テレビでやっていた。


 しかし、ここの空気は異様に重く、粘着質な何かを含んでいるようで、リラックス効果など微塵みじんも無かった。


 勇希はせわしなく動く胸を押さえ、脚立を登った。目の前に現れたロープが、誘っているかのように、ゆらゆらと揺れ動いている。


 ロープをつかんで、勇希は自分の首にかけた。冷たい。ロープに体温を吸い取られ、次第に感覚が鈍くなっていくような気がした。


「……大丈夫。後は、蹴るだけだ」


 深く息を吸って、吐く。勇希はその動作を何度も繰り返した。気持ちの整理はとっくの昔についていたはずだったが、いざとなると、身体が動かない。


「弱い人間だな、俺は」


 勇希は声に出さず、呟いた。それと同時に、手足の震えが止まる。

──そして、遂に勇希は足場を蹴った。十九年間の人生に、ピリオドを打つために。


 首に全体重がかかる直前、勇希の目の前に影が現れた。真っ黒で、巨大な人の影。


「……ああ、お前が死神か。なら、さっさと連れていけよ」


 薄れていく意識の中で、勇希は影に言った。


 近づいてきていた影が、ゆらりと揺れる。そして、目の前から消えた。

……そう思った、次の瞬間。



 勇希の腹に、衝撃が走った。



「ぐはぁ!?」


 突如ぐらついた視界の中、一瞬だけ、勇希の鳩尾みぞおちを打ち抜く拳が見えた。しかし、すぐにグニャリと歪んで見えなくなる。


 殴られた衝撃で吹き飛んだ勇希は、後ろの木に背中を打ちつけた。


「うぅ……」


 猛烈な吐き気が勇希を襲う。腹と背中にダブルパンチを受けた身体は、ピクピク痙攣けいれんするばかりで力が入らない。


 不意に、勇希の視界が暗くなった。誰かが近づいてきたらしい。動けない勇希は、目線だけを上に向けた。


 そこには、あの黒い影がいた。


……いや、違う。勇希が影だと思っていたのは、黒いロングコートを着た男だった。


 男は勇希を見下したまま、何の感情もこもっていない声で、こう言った。




「俺の死に場所、勝手に取らないでくれる?」




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