第2章 対策局へようこそ!

第9話 決意と旅立ち

 勇希が決意を決めた日から一週間後。


「じゃあ、いってくる」


 ソバと出会った日に背負っていた大きなリュックサックを肩に掛け、勇希は玄関に立っていた。


「持っていかなきゃいけないものは全部詰めたの?」

「ああ、ちゃんとこの中に入ってる」


 勇希はパンパンになっているリュックサックを叩く。


「部屋の片付けはしたのか? 卑猥ひわいなものがあったら、お父さんが全部自分のものにしちゃうぞ?」

「……父さん。それは自分も地雷を踏んでるからな?」


 母親が横目で父親を睨んでいた。父親は冷や汗をかきながら、「ハハハ……」と乾いた笑いを浮かべる。


「二人とも心配しなくても大丈夫だから。俺、もう子供じゃないんだし」

「私達にとってはいつまで経っても子供なのよ」

「そうだぞ、勇希。子供が何歳になっても心配してしまうのが親心ってもんだ」


 ウンウンと頷く両親に、勇希は照れくさそうに笑った。


「……ありがとう。いってきます」


 勇希は両親に手を振って、玄関の扉を開けた。


「ゆうちゃん!」


 外へ出た勇希を待ち構えていたのは、エプロン姿の出雲だった。


「出雲……何で息切らしてんの?」

「ハァハァ……ひ、ひどいよ。何で今日行っちゃうこと教えてくれなかったの!?」


 出雲は真っ赤な顔で、勇希を睨みつけた。


「あ、悪い。完全に忘れてた」

「え……」


 みるみるうちに、出雲の目に涙が浮かんだ。


「ゆうちゃんのバカ! 私がどれだけ心配してたと思ってるの!?」

「だから、悪かったって」

「東京にいた時からそう! 幼なじみなのに頼ってくれないし、何も教えてくれないし……」


 出雲の顔が涙でぐしゃぐしゃになっていく。


「……出雲」


 泣きじゃくる出雲の肩に、勇希が手を置いた。出雲は、驚いたように目を見開く。


「ありがとう、心配してくれて」


 勇希は申し訳なさそうな顔をする。


「出雲に迷惑かけたくなくて、今まで何も言わなかったけど……それが逆に出雲を心配させてたんだな。本当にごめん」

「ゆうちゃん……」


 出雲の涙は、いつの間にか止まっていた。


「前の俺はただ、この町から出たくて東京に行った。だから、すぐに戻ってくることになったんだと思う。でも、今回は違う」


 勇希は、ニッと微笑んだ。


「今の俺には目的がある。どんな目的かは言えないけど……その目的を果たすまで、向こうで頑張るって決めたんだ」

「……でも、また辛い思いをするかもしれないよ?」

「大丈夫だって!」


 不安そうな顔をする出雲の手を、勇希は両手で包み込む。


「出雲がここで応援してくれてるなら、俺は何だって乗り越えられるよ」


 そう言って勇希が笑った途端、出雲の顔が赤くなった。


「バ、バカじゃないの! そんな調子の良いこと言ったって許してなんかあげないから!」

「別に許してくれなくていい。ただ、心配しないでくれって言いたいんだ」


 勇希は握っていた出雲の手を離すと、右手の小指を立てて、目の高さまで上げた。


「約束する。目的を達成したら、ここに帰ってくるよ。出雲に会うために」

「……本当に?」

「ああ。だから、指切りしよう」


 最初は戸惑った様子の出雲だったが、しばらくして自分の小指をゆっくりと勇希の小指に絡めた。


「ゆーびきーり、げんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った」


 出雲は頬を赤らめ、恥ずかしそうに下を向く。


「……ゆ、指切りなんて子供の時以来だね」

「言われてみるとそうだな」

「ゆうちゃんは約束を破ることが多かったけど、指切りした時だけは守ってくれたよね」

「え、そうだっけ?」


 顔は俯き加減のまま、出雲が小さく頷いた。

 勇希は頬を掻きながら、「……ごめん。約束、何度も破ってて」と謝った。出雲は「気にしないで」と言う代わりに首を横に振った。


「……ちゃんと、帰ってきてね。絶対だよ」


 上目遣いに勇希を見ながら、出雲が小声で言った。


「当たり前だ。指切りまでしたんだから、破るわけないだろ?」


 そう言って勇希が微笑むと、出雲は目の周りを手で拭きながら、


「……破ったら、本当に針千本飲ませるから」


 と言って、ニッコリ笑った。


「それは勘弁して欲しいな」

「破らなきゃいい話でしょ?」

「ま、そうだな」


 二人は互いにクスクスと笑い合う。

 その時ふと、勇希の頭にある疑問が浮かんだ。


「……そういえば、出雲は何で俺が今日行くことを知ったんだ?」

「え? さっきソバさんが教えてくれたからだけど……」


 そう言って、出雲は「蕎麦処せりざわ」の方を指差した。


「げっ!」


 出雲が指差した先には、ニヤニヤしながら勇希達を見ているソバの姿があった。

 ソバは勇希が見ていることに気付くと、にやついた顔で近づいた。


「やあやあ、勇希君。出雲さんに別れの挨拶は済んだの?」

「……ソバ。お前、いつから見てた?」

「勇希君が家から出てきた時から」

「最初からかよ……」


 深いため息をついて、勇希は頭を抱えた。


「頭抱えてる場合じゃないよ、勇希君。車、待たせてるんだから」


 ソバが指し示した方へ顔を向けると、そこには灰色のライトバンが止まっていた。


「……もう、行っちゃうんだね」


 出雲は、寂しそうに目を伏せた。


「そんなに寂しそうな顔するなよ。また戻ってくるって言っただろ?」

「でも、すぐには戻ってこないでしょ?」


 また泣き出しそうな出雲の頭を、勇希はポンポンと撫でる。


「そんなに心配すんなって! 元気な姿で出雲の所に戻ってくるからさ!」

「……う、うん」


 頭をポンポンされている出雲は、顔から火が出そうなほど赤面していた。


「だからさ、いつも通りの出雲で送り出してくれよ!」


 勇希は、出雲の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


「キャッ! ちょっと、やめてよ!」

「おっと、悪い悪い」


 勇希は出雲の頭から手を離す。


「んもう……ゆうちゃんのバカ!」

「ハハハ!」


 未だ赤い顔をしながらも、頬を膨らませる出雲。それを見て、勇希は満足げに笑った。


「じゃあな、出雲」

「……またね、ゆうちゃん」


 笑顔で手を振る勇希に、出雲も笑って手を振る。

 そんな二人の姿を、ソバは目を細めて見ていた。


「ソバ、待たせて悪い。そろそろ行こう……って、どうした?」


 勇希はソバが目を細めているのを見て、怪訝な顔をする。


「いや……何でもないよ」


 そう言って、ソバは首を横に振った。


「準備が出来たなら行こう。勇希君は後部座席に乗って」

「あ、ああ。わかった」


 勇希は釈然としないまま、ソバに連れられてライトバンへ向かった。

 その後ろ姿を、出雲はいつまでも見つめていた。


********************


 勇希が後部座席に座ると、その隣にソバが乗り込んできた。勇希は目を丸くする。


「ソバが運転するんじゃないのか?」

「俺、運転免許持ってないよ」

「じゃあ、誰が……」


 勇希が運転席の方を見ると、運転手がクルリと振り返った。


「よぉ、あんたが“死にたがり”のハートを射止めた奴か」


 運転手は、驚く勇希のことを頭からつま先まで舐めまわすように見る。


「うーん……どっからどう見ても、普通の男だけどなぁ」


 運転手が首を傾げると、長い金髪がサラリと揺れた。


「えっと……すいません。どちら様ですか?」

「ん? ああ、すまんすまん」

 

 戸惑う勇希に向かって、運転手は歯を見せて笑う。


「オレの名前はまこと。よろしくな!」


 差し出された刺青だらけの左手を、勇希は顔をひきつらせながら握った。


「よ、よろしくお願いします。えっと……ま、誠さん」

「ハッハッハ! そんな緊張すんなよ。それと、オレのことはって呼んでくれ!」


 満面の笑みを浮かべる運転手──誠は、勇希の手を握り返した。


「いっ、痛い痛い痛い!」

「ハッハッハ! 悪いな、青年」


 そう言って、誠が握りしめていた手を離す。勇希は、握られていた手からジンジンと鈍い痛みを感じていた。


「だけどな、に握られたくらいで痛がってたら、訓練なんて耐えられないぞ!」


 ニッ、と歯を見せて笑う誠。


 凛々しい顔立ちにハスキーボイス、上半身を見るだけでわかるスタイルの良さ。誠は、誰もが振り返るような金髪碧眼の美女だった。


……外人みたいな見た目なのに名前は日本人みたいだとか、細腕から出されたとは思えないほどの力で握られたような気がするとか、勇希が言いたいことは山ほどあるが今は置いておく。


「……“怪力女”に握られたら、痛いに決まってると思うけど」


 その時、運転席側に座るソバが呟いた。


「あ゛? なんか言ったか、“死にたがり”?」

「……」


 誠の問いかけを無視し、ソバは窓の外に目を向けている。不機嫌そうに、誠は舌打ちした。


「……相変わらずだな。出発するから、シートベルトはちゃんと着けとけよ!」


 勇希達がシートベルトを着けると同時に、車のエンジンがかかる。

 そして、出発の時が来た。

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