第6話 盛岡優という男

 勇希の兄──盛岡優もりおかすぐるは、非凡な才能の持ち主だった。


 成績は小・中学校で常にトップ。運動神経も抜群に良く、陸上競技だろうと球技だろうと、何だって誰よりも上手かった。真面目で明るく、誰にでも優しい性格で、おまけにモデルかと思うくらいのイケメン。「文武両道で眉目秀麗びもくしゅうれいな人だった」と、誰もが口々に言った。


 誰からも信頼されて、愛されていた。そんな兄に、自殺するほどの悩みが果たしてあったのだろうか?


「……まあ、優秀過ぎる人だったから、誰にも言えないような悩みがあったのかもしれないけどな」


 勇希は机の上に遺書を置いた。ふと窓の外を見ると、太陽はほとんど沈んでいて、周囲が闇に包まれ始めている。


「十四年……そうか。もう、そんなに経ってたんだな」


 そんな光景を眺めながら、勇希は兄がいなくなった日のことを思い出していた。


********************


 十四年前の九月十一日──その日は、兄の誕生日だった。


「優。今日は早く帰って来るのよ」

「母さん、わかってるって。俺も楽しみにしてたんだから」


 当時、兄は中学三年生で受験を控えており、学校が終わるとすぐに塾へ行き、夜遅くまで勉強をしていた。


「早く買ってこないと僕がお兄ちゃんの分のケーキ食べちゃうから!」

「あはは。それは困るよ、勇希」


 その日、確かに兄は早く帰ってくると約束した。


──しかし。


「……お兄ちゃん、まだかなぁ」


 二十時を過ぎても、二十一時を過ぎても、いつもなら帰って来てるはずの二十二時を過ぎても、兄は帰ってこなかった。


「……勇希、あなたはもう寝てなさい」

「うん……」


 まだ幼かった勇希も二十二時まで頑張って待っていたのだが、さすがに限界だった。勇希は一人、両親と共に寝ていた部屋で眠りについた。


──それから、何時間か経った頃。勇希は、突然目を覚ました。

 まだ辺りは暗いのに、いつもなら隣に寝ているはずの両親がいない。勇希は起き上がり、両親を探しに行った。


 廊下に出ると、リビングから光が漏れていることに気がついた。

 勇希はそっと、その中をのぞき込んだ。


 最初に目に入ってきたのは、母親が携帯電話を握りしめ、泣きじゃくる姿だった。


「優……優ぅ……」


 母親はなぜか、兄の名前を繰り返し呟いていた。


「はい……そうですか。ええ、優はまだ……ないです。すみません、お手数をおかけしました」


 後ろでは、父親がどこかに何度も電話をかけている。よく聞こえなかったが、会話中には兄の名前が何度も出てきていた。


 両親のただならぬ様子を、幼い勇希はただぼんやりと眺めていた。


********************


「──あの日のことは、確かに覚えてる。でも、なんであの日より前のことが思い出せないんだ?」


 部屋の電気を付けながら、勇希がポツリと言った。


「父さんも母さんも、兄さんのことは話したくないみたいだし……他の誰かに聞いても、皆同じようなことしか話してくれないからな」


 勇希には、兄との思い出が無い。というより、兄に関する記憶だけポッカリ穴が空いてしまったように抜けている。


「『ショックで記憶を失ったんじゃないか』とか言われることもあったけど、そんなに兄さんのことが好きだった覚えは無いし」


 窓のカーテンを閉め、勇希はベッドの上に横になる。


「……むしろ、小学生くらい時は嫌いだったんだけどな。兄さんのこと」


 勇希の兄は、全てにおいて優秀な人だった。それに対して、勇希はどこをとっても普通だ。成績も運動能力も平均的で、秀でているところは無い。せめて顔立ちが整っていたら良かったのかもしれないが、そんなことも無い。


「小学生の時は兄さんと比べられて悔しかったけど、中学生になった時にはもう諦めてたな。俺は一生、兄さんに勝てないって」


 勇希は高校に入って、ようやく兄と比べられなくなった。しかし、兄の影は常につきまとっていた。


「兄さんじゃなくて俺がいなくなれば良かったのに」


 両親や他人に、直接そう言われたわけじゃない。けれど、勇希はずっとそう感じていた。


「……まあ、今は何とも思ってないけど」


──そう。何とも思っていない、はずだった。


「兄さんが化物になってても、俺には関係ないだろ……?」


 ソバにあの写真を見せられた時、勇希の脳裏には真っ先に兄のことが浮かんだ。そして、愕然がくぜんとした。


「例え、本当に兄さんが化物になっていて、誰かに倒されたとしても、俺は別に……」


 そこから先が、どうしても言えなかった。


「……くそっ!」


 勇希は仰向あおむけの体勢から横を向く。遺書を置いてある机が見えた。


「……やべっ、早く捨てとかないと」


 勇希は起き上がり、机の上にある遺書を取りに行く。彼が、手に取った遺書を破ろうとした時。


「……そういや、ソバも死のうとしてたんじゃなかったか?」


 ふと、手が止まった。

 ソバの第一声は確か、「死に場所をとらないでくれる?」だったはずだ。


「じゃあ、なんで『一緒に戦いたい』なんて言ったんだ?」


 ずいぶんと矛盾した話だ。死のうとしていた人間が、これからのことを言ってくるなんて。


「まさか、ソバも『種』に寄生されてたとか? ……いや、それはないか」


 出会った時からずっと、ソバの勇希に対する態度は変わらない。それを考えると、寄生されていたとは考えにくい。


「てか、ソバって何者なんだ? 対策局に勤めてるって言ってたけど、そもそも対策局がどういう所なのかもよくわかってないし」


 よくよく考えると、勇希はソバの緊迫感に流され、肝心なソバの正体はほとんど聞けていない。


「嘘をついてるようには思えなかったけど……」


 ここにきて、ソバが本当に信用できる人物なのかどうかが怪しくなってきた。


「まさか、あれが全部嘘で、俺をだまそうとしてるとかじゃないよな」


 そうなると、勇希が樹海で見た化物もニセモノだったことになる。


「……いや、あれは本物だ。本当に、化物だった」


 そうでなければ、倒れた後に消えるわけがない。もちろん、何らかのトリックが無ければの話だが。


「──あー、もう! 考えんのも面倒になってきた!」


 勇希は、遺書を思いっきり引き裂いた。細かくなるまで、執拗しつように。

 そして、ちりになったそれをかき集め、空のゴミ箱へ勢いよく投げ捨てた。


「ハァ、ハァ、ハァー……」


 勇希は思わず、その場にへたりこむ。


「無駄に疲れた……」


 深いため息をつき、勇希はしばらくそのままの状態でいた。


「なんで考え込んでるんだよ俺……あんな得体の知れない奴の言葉を信じるのか?」


 なんとか立ち上がり、勇希はベッドへ向かう。


「……やっぱり、断ろう。ソバの言葉を信じるなんて無理だし、本当だったとしても俺があの化物と戦えるなんて思えないし」


 ベッドに再び寝転がった勇希は、大きな欠伸あくびをした。


「今日はもう寝よう……明日、返事を聞きに来たソバに言えばいいことだしな」


 そのまま勇希は、深い眠りに落ちていった。

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