第8話 殺し屋鈴蘭、プレゼントを気にいる
2014年10月12日(1年前) 上海市
「あんたは、何で、梟を殺したの」
見えない糸に絡め取られ、床に縛りつけられた鈴蘭は、憎悪に満ちた目で少年を睨みつけた。対する少年はというと、涼しい顔でうっすら微笑んでいる。人差し指を顎にあてしばらく悩む仕草をし、その後、パチンと軽快に指を鳴らした。
「ほら、梟さんを殺せば、鈴蘭さんは俺に構ってくれるでしょ?」
「……あんた、何を」
「鈴蘭さんに目を向けてもらうには、最善の手だと思うんだ。たとえ憎しみの対象であってもいいから関心をもってもらうこと。それが恋愛の第一歩だと思うんだ」
少年は胸を張った。
鈴蘭の脳裏に、梟の死に顔がよぎった。こめかみを星形に引き裂く銃創、銃口から噴き出した可燃ガスで黒く焦げて爛れていた皮膚、伏せがちな虚ろな眼、だらしなく開いた口元――その光景と、目の前の少年の得意顔が頭の中で交互に浮かび、鈴蘭は、脳の奥に血が一斉に流れ込むのを感じた。
「……殺す」
少年は目を細め、意味もなく胸の前で両手を掲げてヒラヒラ振った。猛獣をなだめるようなその仕草は、一層鈴蘭の神経を逆なでした。少年は、仰向けになった鈴蘭の傍に屈みこみ、その右手首を強く握った。
「そんなに怒んないでよ。ほら、プレゼントあげるからさ」
ほとんど反射的に、鈴蘭の手がゆっくり開いた。その隙に、少年は鈴蘭の手に冷たい感触のする金属片を握らせた。鈴蘭が手を握ると、じゃらじゃらと金属同士がこすれ合う音が鳴った。
鈴蘭は横目で、自分の右手のひらを静かに眺めた。
「……これって」
「女の子のプレゼントの鉄板でしょ、こういうの」
「……こんな アクセサリー寄越して……ふざけてんの?」
「まさか、大真面目だよ?」
少年は立ち上がり、パーカーのポケットに手を突っ込んだ。片脚を軸にくるりと向きなおると、錆びついた回転ドアへと歩き出す。
「待ちなさい!」鈴蘭が叫んだ。
「悪いね、今日はあんまり長居できそうもないんだ。ほら、大ダメージ負ってるし」
「……無傷のくせに」
「目に見えない怪我をしてるんだよ。えっと……ほら、さっき耳元近くで拳銃ぶっ放されたせいで、鼓膜がジンジン痛むんだ。耳鳴りも酷い」
「……嘘つきめ」
鈴蘭の抗議を無視して、少年はヘラヘラと笑っていた。コートの裾を翻らせ、出入り口近くの床に飛び散ったガラス片を器用に避けて駆け抜けていく。
「プレゼント、きっと気に入ってくれると思うよ」
鈴蘭の視界から消える直前、少年は、ほんの少し名残惜しげに手を振った。
* * *
2014年10月13日(一年前)
「それで結局、うさぎ強盗はあんたを殺さず逃げてったの?」
廃ホテルでの一件の翌日。上海の外灘に居を構えた、西洋建築を模した外観のビルの一画――椿のオフィスに、鈴蘭は足をのばしていた。椿は、依頼主と殺し屋の間をとりもつ仲介業者だ。梟や鈴蘭をはじめとする殺し屋たちは、専属契約を結ぶ形で、事実上椿が経営する会社の社員として扱われている。鈴蘭は、裏稼業の顔役である彼女と月に何度か顔を合わせていたが、会うたびに椿の体は以前よりぶくぶくと膨張しているように思えた。
「すごいのね、その子。梟を殺して……それでほんとに、あんたが惚れてくれると信じてるのかしら」
鈴蘭はジャケットのポケットに手を突っ込んでそっぽを向き、不機嫌そうに舌打ちした。
「良いから、またうさぎ強盗の情報を寄越してよ」
「そりゃ無理よ」椿は平然と言った。
鈴蘭は、相手を威圧するような顔つきで椿のデスクに歩み寄り、両手を机に叩きつけた。心底不機嫌そうな顔を椿に寄せ、目をギラリと光らせた。
「……何で? 昨日は普通に教えてくれたのにさ」
「プロが依頼主の希望忘れちゃ駄目よ。うさぎ強盗は生け捕り限定。あんたみたいに血の気あり余ってるガキをぶつけるわけにはいかないっての」
「梟の仇なんだよ? 椿だって悔しいでしょ?」
鈴蘭は、椿の呼吸を肌で感じられるほどの距離に顔を寄せて睨みつけた。それでも、椿は怯むことなく、鈴蘭の顔に白い煙を吹きかけた。鈴蘭は慌ててのけぞり、何度も咳をする。
「仇って言葉を口にする時点で、あんたの思考はプロのそれからズレてんのよ。どんな形であれ、殺し屋は失われた命に価値を見出しちゃいけないの」
鈴蘭は奥歯を噛みしめ、袖口で口元を覆い、椿に背を向けた。
「うさぎ強盗を追ってる、例の電脳カジノに投資してた暴力団……『九龍新会』だっけ……けっこう大きな組織なんでしょ? 『依頼は失敗しました』なんて言ったら、椿も殺されちゃうんじゃない?」
「それでもあんたには頼らないわ。大丈夫よ、依頼は『
「……鴉が?」
鴉は梟の弟子の一人で、鈴蘭にとって兄弟子にあたる。「ヴェルト・バズ」の
鈴蘭は、苦虫を噛み潰したような顔を椿に向けた。
「……よりにもよってあいつが後釜なの? だって、あいつは……」
椿がそっと手を伸ばし、
鈴蘭は、鴉のことが嫌いだった。鴉はいつも値踏みするような眼を向け、ニヤニヤと笑っていた――その視線に、湿った髪の毛を全身に巻きつけたような不快感を覚えるのだ。挑発的な言動で梟を侮辱し、たびたび鈴蘭と小競り合いを引き起こしてもいる。
鈴蘭は舌打ちしながら、ジャケットの裾を強く握りしめた。
――あんな奴に任せられるか。
「……鴉は、あいつは強くない。実力不足だ」
「スペックで言えばあんたの方が確実に上よ。でもね、仮にあたしの手駒たちで殺し屋選手権とでも呼ぶべきものを開いたら、鴉はイカサマで優勝をおさめるわ。あいつの殺し方は知ってるでしょ? あれは、単純な強さの基準じゃ押し測れない」
鈴蘭は顔を伏せ、奥歯を強く噛みしめた。椿は、ため息に紫煙を混ぜて吐き出した。
「あんたの仕事はこっち、しばらくの間、うさぎの坊やのことは忘れなさい」
椿は1枚の写真を鈴蘭に見せた。そこに映る人物を見て、鈴蘭は目を見開き、すさまじいペースで動悸が早くなるのを感じた。
そこに映っていたのは、異様な風体をした男だった。
男は頭頂部の右半分を剃り上げ、左半分に真っ赤に染め上げた長髪を垂らしている。顔面に龍を模した刺青を施しており、竜の尾は頭皮へと伸びていた。耳たぶや鼻はもちろん、唇、頬、まぶたや額、顎や眉間にいたるまで、20を軽く超える数のピアスが肌を貫いていた。大きく開かれた口から挑発的に出された舌は、蛇のように先端が2つに枝別れして蠢いている――いわゆるスプリット・タンと呼ばれるものだ。目元と、チョーカーを巻いた首元に、それぞれ国籍不明の言葉が彫られている。鈴蘭は本能的に、それが性的に相手を貶めるスラングだと察した。
「『石蛇』って通り名で有名な男よ。2ヶ月前、
椿の言葉は、鈴蘭の頭にまるで入ってこなかった。鈴蘭の意識は、写真の男の左眼に釘づけにされている。男の眼球の白目には、三日月形の金属片が埋め込まれていた。
「気色悪い趣味してるわよねえ、その眼のやつ。眼の結膜にピアスを埋め込んでるんだって。ジュエル・アイっていうそうよ。正直、見てるこっちが背筋ぞわぞわしてしょうがないわ」
鈴蘭は無言で写真をかすめ取り、ジャケットのポケットにしまいこんだ。
「……分かったよ、しばらくは、この男を追いかけるのに専念する」
「あら? 急に素直になったわね?」
「……別に良いでしょ」
「本当に、この依頼に専念するって誓うのよね?」
「……うん、約束する」
ぶっきらぼうにそう言って、鈴蘭は踵を返し、真っ直ぐにオフィスのドアへと歩き出した。
「鈴蘭」椿が呼び止めた。鈴蘭が振り向くと、椿が躊躇いがちに目を伏せ、何か言いたそうにしているのが目に留まった。
「うさぎ強盗ほどじゃないにせよ……石蛇も危険な男よ。報告ができる距離を取ったうえで、指示を仰ぐこと。『夜鷹』や『牡丹』をサポートに回してあげるから。……絶対に1人で相手しようとしないこと」
「分かったよ。約束するって」
「見失いそうになっても深追いしないようにね」
「分かってるって、何なの? 今日はちょっとしつこくない?」
「言質をとっときたいのさ。あんたは昔から、自分で言ったことだけはちゃんと守る子だったからね」
椿は少しさびしげな目をして言った。
「あんたが死んだら、あたしにとって大切なものが1つ、なかったことになる。失うんじゃないわ。なかったことになるの。あたしたちは仕事柄、死者を大切に想う権利をもてないから」
――死を重く考えないこと。死者のことを忘れること。この稼業の絶対的なルール。そうじゃなきゃ、やってられない。
「…………」
「忘れないでよ、鈴蘭。あんたを娘のように思ってるのは、梟だけじゃないんだから」
鈴蘭は、胸の奥がトクンと鳴ったような錯覚に陥り、それを誤魔化すように首を振った。首元までたらした薄い金色の髪が、それに応じて揺れていた。
「……行ってくる」
振り返ることなく、鈴蘭は椿のオフィスを飛び出した。
***
その日の夜、鈴蘭は外灘の川岸に沿ったショッピング街を歩いていた。第二次世界大戦終結以前、共同租界としてイギリスの統治下にあったこの地区は、当時の外観をそのままに改装しただけの建造物も多く、中国の他の都市とは景観が大きく異なる。石畳の歩道を踏みしめ、ガス灯を模したイルミネーションを通り過ぎるたび、まるでロンドンの古い街並みに迷いこんだかのような幻想にとらわれる。
黒くきらめくイブニング・ドレスをショー・ウィンドウ越しに眺めていると、背後から声をかけられた。振り返り、鈴蘭は心底嫌そうに顔をしかめた。
うさぎ強盗の少年が、笑顔でこちらに手を振っていた。
「何の用?」
尋ねながら鈴蘭は、素早く周囲に目を走らせた――人通りは、それなりだ。人ごみに紛れ込めるほど多くはなく、一目につかずに少年を仕留められるほど少なくはない。
「プレゼント、気に入ってくれた?」
鈴蘭はポケットに手を突っ込み、中にある金属片に触れた。昨日廃ホテルでうさぎ強盗に握らされたプレゼント――金属製のアクセサリーだ。
「ええ、とても気に入ったわ」
「やっぱりね、そろそろ鈴蘭さんのところにも依頼が回ってくる頃だと思ってたよ。 彼を用意しておいて正解だった。ねえ、これからちょっとデートしない?」
「それが取引の条件なら、喜んで」
鈴蘭は目を細めた。
――あたしは、うさぎ強盗を追いかけないとは言っていない。
鈴蘭はポケットの中身を握りしめ、うさぎ強盗の少年に向けて伸ばした。手を開くと、鈴蘭の指から数々の金属片がこぼれ出した。棒状のもの、球状のもの、輪っかのもの―― 20を軽く超える数のピアスが、ショー・ウィンドウの光を反射して星屑のようにきらめきながら、石畳へと吸い込まれていく。その全てに、黒ずんだ血や引きちぎられた肉の破片、乾いて縮れた皮膚の残骸がこびりついていた。
――あたしは、石蛇を追うことに専念すると約束しただけだ。
「あんたのプレゼントのおかげで、あたしは、大切な人に嘘をつかないですんだ」
少年の目をまっすぐ見据え、覚悟を決めた顔つきで、鈴蘭が笑った。最後に手のひらを離れた金属片――眼球の皮膜のついた三日月が、石畳の上で跳ねた。
「お役に立てて光栄です」少年が笑った。
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