第6話 うさぎ強盗は笑顔のまま、篠原斗真を殺しにかかる

 若い男は、目を半分開いたままこと切れていた。力なく天井に向けられた手の傍に、赤い取っ手のアーミーナイフが転がっている。鏡面仕上げのブレードが、薄暗い廊下の向こう――南に面したリビングから差し込む陽光を反射していた。


 篠原に続いて部屋に入ってきたツキノワグマとハツカネズミの2人組は、揃って目を丸くした。ツキノワグマが後ろ手にドアを閉めながら、冷静な声で言った。


「どうなってる?」

「……さあ。これは、私にも……」


 篠原は男の首筋に手を添え、体温が残っているかを確認した。

 ――あの位置ではリビングしか監視できなかった。私の目の届かない範囲で3人目の人物がいた可能性もなくはないが……。


 篠原の脳裏に、樹里と雅也がじゃれ合っている光景がよぎった。


 ――いや、ない。あの2人の素振りからして、それはない。だとすればどうなる? まさか? 何故? そもそも、あの子は何処に?

 ――この場合どうすれば良いんだろう――空き巣の男の方を殺せと川浪は言っていたが――。


 男の胸元に滲んだ赤い染みを濁った眼で見やりながら、篠原は立ち上がり、膝を軽く叩いて埃を落とした。


 ――考えろ。私は奴らにどんな情報を与えたか? 私はどう報告すべきか――。


「……間の悪い先客が来たようです。私たちが隣のビルからここに来るまでの、ほんの数分の間に、誰かが、空き巣の片割れを殺したようです」

「なんだそりゃ? 何処の誰がこんなちっぽけな空き巣を殺すんだよ」ハツカネズミが、へらへらと笑った。

「……曲がりなりにも犯罪に手を染めた、裏の世界の人間です。後ろ暗い事情を抱えていてもおかしくはないでしょう」

「……っは、ヤクザの金にでも手え出したかね」

「……わかりません、それより油断しないでくださいよ?」

「油断だあ?」

「彼を殺した人間が、まだこの部屋に潜んでいるかもしれません」

「ああ? 俺らがそんな簡単にやられるかよ。そんなひょろっちい空き巣野郎と一緒にすんじゃねえよ。なあ?」


 ハツカネズミは同意を求め、背後で静かに佇んでいるツキノワグマの顔を見上げた。ツキノワグマは背を反り返らせながらこくりと頷き、そのまま仰向けに倒れ込む――右目と額に、柄の短い投擲とうてきナイフが刺さっていた。


 篠原は一瞬、周辺から音が抜け落ち、耳の奥がじんと震える感覚を味わった。コンマ数秒の静寂の後、ツキノワグマの後頭部がドアとぶつかり、鈍く低い、無骨な音があたりに響いた。


 篠原とハツカネズミは無言のまま、リビングへと続く廊下に視線を向けた。


 薄暗い廊下とリビングを繋ぐドアの向こう、リネンカーテン越しに差し込んだ陽光を背にして、フードを被った人影が立っていた。随分と小柄な人影だ。黒いフードに縫い付けられたうさぎを思わせる長い耳の装飾が、光の中でゆらゆらと揺れている。


 小柄なうさぎの右手には、磨き上げられたナイフが握られていた。その刃が鏡のように光を反射し、篠原は目を細めた。


 ――あの子が纏う、肌を刺すような空気。

 ――理屈抜きで確信できる。この男やツキノワグマは、 が殺した。


 ハツカネズミが弾かれたように跳躍し、一瞬で距離を詰めた。脇に巻いたホルスターからナイフを取り出し、うさぎに向けて突き出した。


 うさぎは避けることもなく、逆に1歩前に出てナイフを構えた。2つのナイフの切っ先が交わり、相手の刀身を滑るようにこすれあう。うさぎのナイフの方がわずかに長かったらしく、その刃先が、ハツカネズミのナイフの鍔へと刺さった。


 両者とも譲ることなく、じりじりとナイフの持ち手に力をこめ、かすかに腕を震わせていた。ナイフのクロスカウンターと同時に激しく翻ったうさ耳は、重力に従いだらりと下に降りていた。


 奇妙なナイフの交差は、突如として終わりを迎えた。

 ハツカネズミがナイフを引いた。不意に流された力の動きに対応しきれなかったのか、うさぎは、前のめりにバランスを崩した。ハツカネズミのナイフが、うさぎの首筋めがけて弧を描いた。


 だがナイフは、力なくうさぎの首筋を撫でるように沿ったあと、ハツカネズミの手を滑り落ちた。ハツカネズミがうつぶせに倒れた。


「……っは、こすいね」


 ぐったりと体を横たえながら、ハツカネズミは力なく笑った、その胸には、 。ハツカネズミはしばらく荒い呼吸を続け、一度空気を大きく吸い込み、その後、ぴくりとも動かなくなった。


 刀身が抜け落ち、鍔と持ち手だけが残ったナイフを握り、うさぎは顔を伏せていた。喉の奥が乾いてざらつくのを感じつつ、篠原はその光景をじっと眺めた。


「スペツナズナイフっていうんですっけ、それ。 あれ? ナイフピストルでしたっけ? 昔、映画で見たんですけど……」


 喉仏のどぼとけを押さえ、やっとのことで口をついたのは、そんなどうでも良い台詞だった。うさぎが篠原に目を向けた。


「恋人を殺された男が、犯罪組織に立ち向かう話?」

「……まさか、そんなありきたりな話じゃありませんよ」

「そうだっけ?」

「…………」


 ――呑気なことを言ってられる状況じゃないのは分かってるが……今は、その手の話に触れたくない。

 篠原は、うさぎの関心を逸らす話題を探した。


「……あの武器って、当たり前ですけど、一度刀身を飛ばしちゃうともうナイフとして機能しないんですよね……弾数一発の飛び道具だと捉えると、なんだかちょっと、武器として心もとない気がしません?」


 篠原は、緊張のあまりひきつった笑顔で言った――こんな会話をして、一体何になるのだろう?


「あー、同じこと樹里が言ってた」

「樹里? それは、あの女の子の名前ですか?」


 篠原の言葉を無視して、うさぎはパーカーのポケットをまさぐった。


「弾数がすぐ尽きるなら、リロードする弾をたくさん忍ばせてればいい。それだけなんだよ、お兄さん」


 うさぎはうっすらと笑みを浮かべ、篠原の心臓を狙い、先ほどと同じ形状のナイフを向けた。

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