第5話 篠原斗真は空き巣たちを殺しに行く


 篠原は、軽く握った拳を額に当てた。


「私は調査と報告だけをすればいい……そう言ったのは川浪さんでしょう? 直接手を下すのは、『実働部隊』の領分です。私の仕事じゃありません」

『本来はな。だが、今回はちょっと特別だ』

「特別?」

『君は疑われている』


 篠原は心臓が跳ね上がるのを感じ、とっさに胸に手をあてた。冷や汗を袖で拭い、息の乱れが電話越しに伝わらないようにつとめた。


「須崎かなで


 川浪が、無機質な声でその名前を口にした。篠原は、目の前が急に真っ白になる錯覚に陥った。


**********************


 須崎奏は、何かを主張するのがおそろしく苦手な人だった。


 例えばどの店でお昼を済ますか決めたいとき、いつも奏は、自分の希望を殺し、篠原の判断に委ねようとした。一度篠原がタイカレーの店に連れて行ったときなど、料理が運ばれてきてから「辛いもの、食べられないの」と告白し、ひたすらにナンをゆっくりと頬張り続けていた。篠原が「嫌なら嫌と言えばいいのに」とぼやくと、奏は悲しそうに目を伏せた。篠原が今回は食事代を奢ると千円札を差し出すと、奏は財布の入ったバッグを後ろ手に抱え、首を振ってそれを拒否した。


 それ以来、篠原は最新の注意を払うようになった。


「量の多い店は苦手?」

「手持ちに余裕はある?」

「食後もだらだら居座れる店がいい?」

「少し遠出してもいい?」

「昨日は何を食べた? パスタ? じゃあ麺類は避けようか?」


 奏を食事に誘うたび、篠原は何度も何度も質問を投げかけねばならず、また、奏が自分を気遣って嘘をついてはいないか見抜くことも求められた。


「どこに行きたい?」と直接聞くと、奏は目をうっすらと閉じて真剣に考え込んでくれるのだが、最後には必ず「篠原さんは、何処に行きたいですか?」と聞き返してしまう。


 篠原はいつも、けっして面倒くさがることもなく、根気よく奏の要望を聞き出した。あらゆる条件を照らし合わせ、最後に行きたい店名を告げると、彼女は何故か「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言った。


***


「奏は、恋人がどんな奴でも幸せにできる。あの子はきっと、恋人のどんな要望にも応えるから」


 かつて大学のキャンパスを歩いている最中、奏の友人の女性が、篠原に言った。


「でもね、奏を幸せにできる奴は少ないの、あの子は自分がどうしたいのか、なかなか教えてくれないから」

「……? 導き出せるまで待てばいいでしょう、そんなの?」


 篠原は、心から不思議そうに言った。奏の友人は、この上なく嬉しそうな、愛おしそうな笑みを浮かべ、篠原の背中を叩いた。

 そのときの篠原には、何故殴られたのか分からなかった。


**********************


『須崎奏、知っているだろう?』


 川浪の声に、篠原の意識は現在に引き戻された。


「聞き覚えのある名前ですね」

『ふむ、さすがに知らないとうそぶくほど馬鹿ではないか』

「……大学時代の友人です」

「親しい間柄だったようだな」


 篠原は、鉄柵に指をかけた。


 ――奏が『M&D』に殺されたのは二年前。データが残っているはずがない。

 篠原は、抹殺した人間のデータは速やかに処分するよう教育されている。だから、奏にまつわるデータについては、とっくに破棄されていると高をくくっていた。


「社のデータを懐に隠していた社員がいてな。本社で使われなくなったデータを同業者に売りつけたり、犯罪にまつわる情報を拾って脅迫の材料に使ったり、せこい小遣い稼ぎをしていたらしい。その馬鹿はもう粛清済みだが……奴が、面白い置き土産を残していた」

「置き土産とは?」

『二年前わが社に消された須崎奏の恋人が、先月入社してきた篠原である、という情報だよ』


 篠原は奥歯を強く噛みしめる。口の中が乾くのを感じ、そっと喉を押さえた。


「恋人? 須崎奏が? 私の? ……ああ、色恋沙汰に敏感な友人も多かったですからね。皆悪ふざけが好きで、私がちょっと女友達と食事しただけでも、冷やかしたり、『デートだ、デートだ』と騒ぎ立てたり、何かにつけて二人きりになるようセッティングしようとしたり。そうですね、勝手に恋人扱いされることもありましたよ。でも実際のところ……」


 川浪が、乾いた笑い声で篠原の台詞を遮った。


『君が饒舌なのは珍しいな、篠原』

「……そうでもありません」

『例の馬鹿社員は、君を脅迫する心づもりだったらしい』

「脅迫? どうやって?」

『『M&Dは復讐者なんて求めてない。社に消されたくなかったら、口止め料を用意しろ』。あの馬鹿はその理屈が通ると思っていた』

「……脅迫として成立していないでしょう、それ。その話に信憑性を持たせるには、規律違反をして手元に残したデータを見せなきゃいけないのに」

『まったくだ。君のように察しの良い社員ばかりなら、私の仕事も少しは減るんだがね』


 篠原は鉄柵から手を離し、顔を少しうつむかせながら、指で眉間を軽く握った。

 ――追い詰められたその社員は「死なばもろとも、あいつも地獄に道連れだ」と報告したわけか。余計な真似を。


「恋人を殺されて復讐なんて、そんな一昔前のアメリカ映画みたいに陳腐な展開、あるわけないでしょう」

『言ったはずだ。判断をくだすのは、君ではない。だが私も鬼じゃない。君が信用を得るためのチャンスを用意するつもりでいた』

「……誰かを殺させる機会を窺ってたんですね。そこにタイミングよく、怪しげな泥棒たちが現れた」

『やはり君は察しが良い』

「……殺人をもって忠誠を誓え、ということですか」


 篠原は、「忠誠を誓う」という文句が建前にすぎないことを理解していた。「殺人に手を染めてリスクを負え。後戻りできない深みへと落ちてゆけ」そうした裏のメッセージを、声音や態度に匂わせることもなく、静かに汲みとっていた。


 屋上に突き出した階段室のドアが開き、2人の男が入ってきた。1人は細長い顔と脱色した髪が特徴の男で、どこか実験用のハツカネズミをイメージさせる容貌をしていた。もう1人は、浅黒く彫の深い顔にふさふさとしたひげをたくわえた男だ。動物で言えば、ツキノワグマに似ている。


 襲撃と誘拐を主な業務とする「実働部隊」の連中だ。篠原も、一度会ったことがある。


「……見張りがついていたのですね、私は、相当信用が薄いようだ」

『信用されるか否かは、君の頑張り次第だよ』


 ――頑張り次第か。尾行に調査員でなく戦闘員を寄越しておいて。


『君は訓練を受けてはいないからね。その二人をサポートとして使いたまえ、彼らは優秀な社員だ』

「……優秀、ですか。『逃がしてくれるほど間抜けではない』と聞こえますね」


 ハツカネズミが、眉を「ハ」の字にしながらにやにやと笑った。ツキノワグマの方はといえば、ハツカネズミを蔑んだ目で一瞥し、小さく息をつくだけだった。


 篠原は振り返り、もう一度双眼鏡越しに日名子麻美の部屋を眺めた。冷えた風が篠原をまっすぐに通り抜け、ネクタイを揺らし、背広の裾をはためかせた。


 その瞬間、篠原の顔つきが変わった。戸惑いながらも、何かを決断した顔だ。


「承知しました。私の手で、殺してみせます」


 しばらく無言が続いたあと、川浪が電話を切った。もう繋がっていないのに、篠原には、川浪の乾いた笑い声が聞こえた気がした。


* * *


 屋上をあとにした篠原たちは、まっすぐに日名子麻美の住むマンションに向かった。篠原は道中、なんとか逃げ出すタイミングはないかと目を光らせてみたものの、例の二人はまるで隙を見せなかった。


 結局篠原は、日名子麻美の部屋の前まで連れていかれた。篠原はドアの前に立つと、インターフォンを鳴らした。


「……そりゃまあ、素直に出てくるはずはありませんよね」


 ――いっそこの音に怯えて、ベランダ伝いにでも逃げ出してくれるとありがたいが――そんなじゃないか。忍び込んだ先とは思えないほどくつろいでたからな、あの空き巣たち。


 ハツカネズミに似た顔立ちの男が目配せし、篠原をかした。篠原は懐をまさぐり、鍵を取り出す。フードを目深に被った猫のぬいぐるみがぶら下がっている。昨日の晩、実働部隊が日名子麻美を拉致する際に奪ったものだ。

 篠原は錠を外し、ゆっくりとドアを開けた。


「……何だ、これ」篠原は玄関で、呆然と立ち尽くした。


 腰にシザーバッグを巻いた若い男が、靴箱に背を預ける姿勢で腰を下ろしていた。篠原は片膝をつき、ぐったりとうなだれた男の顔を窺った。


「……死んでる」

 ――殺された? ――いったい誰が――こんな真似を?

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