第4話 篠原斗真は空き巣たちを監視する


 日名子麻美の住むマンションの向かいにあるオフィスビルの屋上。真っ黒なスーツを着た痩身の男が双眼鏡を構え、窓越しに樹里と雅也を見下ろしていた。雅也が樹里の頬を引っ張って、無理やり笑顔を作らせている光景が彼の目に映った。


 2人がお互いに笑い合うと、何故か、彼もつられて笑ってしまった。ただその笑顔はどこか物寂しく曇っていた。落ちくぼんだ瞼には、疲労の色が浮かんでいる。


 スーツの男のスマートフォンが震えた。上司の川浪からだ。


『メールを見た。任務を実行できないとはどういうことだ、篠原』

「ええ、ちょっとした障害がありまして」

『説明しろ』

「……日名子麻美の部屋に、若い男女2人組の人影を確認しました」


 日名子の部屋に、彼女の筆跡を真似た置手紙を残し、財布や携帯を回収し、あたかも彼女が自発的に姿を消したかのように演出する――それが篠原の任務だ。簡単な仕事のはずだった。日名子の部屋に侵入者さえいなければ。

 電話の向こうで、川浪が舌打ちする音が聞こえた。


『君の事前の調査報告によれば、標的……日名子麻美には、部屋を訪ねてくるほど親しい友人はいないとあったが?』


川浪が冷たい声で言った。篠原はシャツの胸元あたりをギュッと掴んで気を静め、声が裏返らないように気を配りながら口を開いた。


「……報告に、ミスはありません」

「では、彼らは?」

「おそらく、空き巣の類でしょう。彼らは日名子麻美の部屋を物色していました。……日名子麻美の財布を漁っていたのも、カードを片手に何か話しこんでいたことも確認しています」

「……間違いないな?」

「……ええ」


 篠原は、「物色」の被害がアイスバーであることも、「カード」が社員証であったことも伏せておくことにした。


 ――川浪が「悪党が金品を物色し、財布からクレジットカードを抜いた」と勘違いしたとしても、それは私のせいじゃない。


 ――とりあえずはこれでいい。「日名子麻美の部屋で、不法侵入者が2人遊んでます」なんて事実通り報告したら、川浪は訝しげな顔をすることだろう。


 ――今、川浪に余計な不信感を持たれたくない。それに、あの2人をこっちの事情に巻き込みたくないというのもある。


「彼らが日名子麻美の失踪を不審に思う可能性もないでしょう」


 ――捨て置いていいと判断してほしいところだが。


『君の仕事は現場の調査と報告だけだ。余計な推測は口にするな』


 川浪は低い声で言った。篠原は肩をすくめ、鉄柵に持たせた背をズルズルと下に滑らせ、床に腰をついた。


* * *


「顧客のニーズに柔軟に対応し、条件に応じた逸材を誰よりも早く見つけ出して紹介する」。それが篠原の所属する「M&Dグループ」のポリシーだ。このポリシーは、表と裏、どちらの世界でも徹底して貫かれている。表では優秀な人材派遣・仲介業者として。裏側では、人身売買・臓器売買を収入源とする犯罪組織として。


 篠原はひと月前、この会社に調査員として入社した。街角で老若男女問わず声をかけ、街頭アンケートを装い氏名や住所や電話番号を聞き出し、数日かけて尾行して行動パターンや交友関係を調べ上げる。毎日その繰り返しだった。


「失踪しても騒ぐ身内のいない人間は誰か?」

「その人物が一人になるタイミングはいつか?」

「その人物の行きつけの場所で、比較的人影の少ない場所は何処か?」


 会社が問いかけてくるそれらの疑問に答えを出すのが、篠原の仕事だ。実際に標的を拉致するのは調査報告を受けた別働隊で、篠原自身が手を下したことは一度もない。


 篠原は真摯な態度で調査に打ち込んだ。そのために、ひどく神経を削られていた。


 篠原は調査を通して、その人物の人となりはもちろん、話し方や考え方、譲れないこだわり、大切な思い出、嫌悪の対象、果たしたい夢、苦手な相手、愛するものを知った。そして、標的のことを深く知るにつれ、その存在を肌で感じ、まるで相手が数年来の友人であるかのような錯覚に陥ることになる。篠原はいつも、相手を深く知るたびに、ある種の愛おしさを感じていた。


 ――ああ、私は、これからこの人を地獄に落とすんだ。

 夜中、ベッドの中で、その事実が脳裏をよぎることがあった。

 その度に、篠原は壁や床や自分自身を掻きむしった。爪がところどころひび割れ、指との隙間には血の混じった木くずや砂利や皮膚がつまっていた。それでも掻くことは止められなかった。


 夜中に突然自分が別動隊に引き渡した標的の顔が浮かび、錯乱して1人暴れまわることもある。朝日を浴びてふと気がつくと、吐しゃ物と血の混じった床に顔を伏せ、頭を抱えていたこともあった。


「お前は何をやっているんだ。潰れるぞ」


 日名子麻美についての調査報告を終え、別働隊が彼女を拉致したとの報を受けた翌朝、篠原は鏡に向かって問いかけた。顔中に赤い線が走り、唇の皮膚が剥がれ、半熟の卵のようにどろりとした血が口元に覗いていた。


「私には、どれだけ手を汚しても。やらなきゃいけないことがあるんだ」


 鏡に額をもたせかけながら、鏡の中の篠原が答えた。


* * *


 前髪を強くつかみながら、篠原は通話口から聞こえる声を聞き漏らすまいと意識を集中させていた。


 ――空き巣相手にムキになってくれるなよ。見逃してやってくれ。私はもうこれ以上、他人を不幸にしたくない。私は――。


『殺せ』電話の向こうで、川浪がおもむろに言った。


『プランはこちらで用意しよう。君に直接、そのコソ泥を殺してもらう。……いや、訊きたいこともあるし、女の方は生かしておくか。にするとしよう』

「……拒否権はありますか?」


 川浪が、乾いた声で笑った。


「君の命と引き換えだな」

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