第2話 天野樹里は騙され怒る

「日名子姉さん、今ごろ困ってるでしょうねえ。せめてパスコードが分かればなあ……。なんとか勤め先探し出して、お届けできるかもしんないのに……」


 樹里はロック画面に表示されたメッセージをぼんやりと眺めながら、小さくため息をついた。雅也は、テーブルに置かれていた日名子の財布を覗いている。


「パスコードはともかく、日名子さんの職場ぐらいは分かるさ」

「え? 何で……?」

「うーん」


 雅也は和室に向かってクローゼットを開き、シャツをいくつか手に取って観察した。その後しばらく部屋をうろうろ回り、床に落ちていた2つ折りのパスケースを拾い、中身を覗いた。

 軽くあごに手を添え、雅也は頭の中で推理を組み立て、自分のスマホを取り出した。


「何してるんです?」

「ちょっと確かめてみよう」


 雅也は設定を非通知にし、「青山スーツ・カンパニー京都駅前店 電話番号」と検索し、ヒットしたページに記載されていた電話番号をコールした。


『お電話ありがとうございます、青山スーツ・カンパニー京都駅前店、風間が承ります』


 相手が風間と名乗った瞬間、樹里が目を見開いた。


「あー、うん。昨日そこで買い物したヤマダってもんなんだけど、ええっと、昨日対応してくれた店員と話できるかな? ネクタイについて訊きたいことがあるんだ」

『どちらの店員でしょう?』


 雅也はスマホの通話口を指でふさいだ。それと同時に、樹里が「どういうことですか? 何でわかったんですか!?」と詰め寄ってきた。雅也は「どうどう」と言いながら樹里を押さえ、机上に置かれた日名子の免許証を指差した。


「樹里、それとって」


 樹里が免許証を手渡すと、雅也はそれを目の高さに掲げ、日名子麻美の顔写真をじっと見つめ、それから通話口をふさいでいた指を外した。


「あー、うろ覚えなんですけど、こう、黒縁の眼鏡をしてて、泣きぼくろがあって、水色のピアスをしてて、ええっと、名前は、ひ……ひな」

『昨日出勤していた店員ですよね? だとすれば、日名子でしょうか? 彼女ならまだ出勤していませんが……』


 樹里が声を出さずに「ビ・ン・ゴ!」と口真似をした。雅也は小さくうなづいた――確認できたし、もういいかな。


「じゃあまたかけ直すことにします。最後にひとつ、風間さん、いいですか?」

『はい?』

「あなたは気遣いのできる人だが、少し説教臭くなるきらいがありそうです。職場の同僚に『ネチネチしやがって』とか言われません?」

『……え? え? いや、言われますけど……え? 何で?』


 風間の声音が、当惑のためか少し震える。雅也は少し困り顔をした――そうか、日名子勇者だな。言ったのか、本人に。


「日名子さんへの立ち振る舞いを、一度見直した方がいいですね。大丈夫、気持ちがちゃんと通じていないようですが、あなたはけっこういい人そうだ」

『え? はあ、ありがとうございます』


 樹里が何か言いたげな顔をして、雅也の頬を人差し指でついた。雅也は、樹里の頭をポンポンと撫でながら、通話終了ボタンをタップした。それと同時に、樹里が大きな声で問い詰めてきた。


「どういうことですか!?」

「ふむ、一から説明してあげよう」


 雅也はいかにも偉ぶって、ありもしないカイゼルひげを引っ張るような仕草をした。スマホを腰に巻き付けたシザーバッグに放り込む。


「まずは最初に与えられていた情報を整理しよう。日名子はこのマンションの住人、おそらくは1人暮らし。今日の早朝、俺と樹里が忍びこんだ段階から不在だった」

「ふむふむ」


 樹里は真剣な顔つきでこくこくとうなづいた。


「そして風間からのメール、ここには手がかりが多くある。まず日名子は、家電か書籍か食品か、とにかく小売店に勤めていると導き出せる。『売場の鍵』という単語が件名にあったからな」

「ほー」

「また、『公共交通機関の遅れでしょうか』と風間が訊いたところから察するに、日名子はバスか電車で通勤している。そう思って探してみると、この通り、この部屋の最寄駅と京都駅間の定期券が見つかったよ」

「ふぇー」


雅也は革製のパスケースを掲げた。樹里は興奮した顔つきで机に身を乗り出し、パスケースをじっと見つめた。


「風間からメールが来た時刻について考えてみる。確か10時くらいだったな? この時間から開店準備を始めているというということは、開店時刻は10時半か11時といったところだろう。日名子の勤め先は、京都駅にほど近く、10時半以降に開店する店だとわかる」

「ふぁー」

「また、売場の鍵を開けるのに風間は店長を呼んだ。多分、たった2つしかない大事な鍵を、店長と日名子が預かってたんだ。そうなると日名子は、信頼される立場なんだろうと推測できる。だとすれば、それなりに自社製品を揃えているかもしれないと考えた。クローゼットを探ってみると、『青山スーツ・カンパニー』のロゴが入ったブラウスやパンツがぞろぞろ出てきた」

「ふふぁー」

「京都駅付近にある『青山スーツ・カンパニー』の系列店舗は2つ。そのうち一つは青山スーツ・カンパニーからめぎモールKYOTO店で、この店は、土地主であるショッピングモールの開店時刻の9時半に合わせて開店する。で、もう一つは青山スーツ・カンパニー京都駅前店。こっちの開店時刻は十一時だった」

「ふぁふぁふぁふはー。すごいですよ雅也兄さんホームズみたい! シャーロックっぽい! ベネディクト・カンバーバッジ!」


 樹里は純真な子供のように目をキラキラと輝かせ、畏敬と羨望の入り混じったまなざしを雅也に向けた。

 雅也はその羨望の眼差しを淡い微笑みで受け止め、ポケットからプラスチックカードを取り出し、高々と掲げた。


「決定的な手がかりがこれだ! 日名子名義の、青山スーツ・カンパニー京都駅前店の社員証だ!」


 雅也はまるで空想上のメンコを吹き飛ばさんと言わんばかりの勢いで、プラスチックカードを机の上に叩きつけた。


「ほぉー……って……へ?」


 キラキラと輝いていた樹里の目が、少し濁った。


「……え?」

「…………」


 雅也はそっぽを向き、白々しい仕草で短く口笛を吹いた。


「……え?」

「……うむ」

「……ええ」

「……ああ、うん」

「……雅也のあにさん、これ、いつ拾いました」

「……忍び込んだ直後、廊下で」


 樹里は突然「大人は皆信用ならねえ」と意味の通らない叫び声を上げ、両掌で力いっぱい机を叩いた。


「ちくせう! インチキだ!」

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