8章 (過去編) 2014年 10月14日 上海

第20話 うさぎ強盗はいつだって、殺し屋鈴蘭を騙している

2015年10月14日

上海/戦闘ヘリコプターAH32Sのコックピット


 戦闘ヘリの中、うさぎ強盗は夢を見ていた。暗闇の中、耳の奥に、電話越しに梟と交わした最後の会話が蘇る。


「あんたが死ぬのは、俺のせいだ」うつむいて、ジャケットの裾を握りしめながら、少年が言った。


『それは誤解さ。君の気にすることじゃない』

「あんたは何で、椿! 俺を攫うように依頼されたんだろ?」

『断ってなんかいない。名目上、私は君を追跡中だ。やる気がないのはバレバレだがね』

「椿は怒ってる。あの手の調教師ハンドラーは、命令に従わない殺し屋に容赦しない。御しきれない手駒は徹底的に潰す……あんたみたいに、腕が立つとなればなおさらだ」

『困ったもんだ。数合わせの連中はどうとでもなるが、鳶と鴉が2人がかりとなると対処しきれん』

「今からでも、俺の首を椿のもとに持ってけば……」

『できない相談だ』


 落ち着いた声で梟は言った。少年は無言だったが、おそらく梟は、少年が理由を聞きたがっていることを察してくれたのだろう。椿の粛清を受け入れる覚悟で、うさぎ強盗誘拐の依頼を断った理由――。

 電話の向こうで、梟が口を開いた気配がした。


『覚えているかな、うさぎ強盗。君のおかげで、私は――』


***

2015年10月14日 上海/銀城99屋上のヘリポート


 牡丹は鈴蘭の後頭部に狙いを定めた。しかしいざ撃とうとした瞬間、牡丹は突然乱入してきた銃弾に肩を撃ち抜かれ、回転するように倒れ込んだ。はずみで引き金が引かれる。牡丹の弾丸は鈴蘭の脚元を掠めた。


「あ?」


 夜鷹が素早く銃声のした方向に向き直った。そのわき腹を、階段室の煤煙の中から飛び出したライフルの銃弾が貫通した。夜鷹はわき腹を抑え、片膝をついて苦い顔をした。


「……何だあいつ」


 階段室から夜鷹たちを襲った狙撃手は、夜鷹とは毛色が違うが、負けず劣らず異様な服装をしていた。映画で出てくる警察の特殊部隊が着ていそうな黒のコンバットスーツを身にまとい、同じく黒のシリコンマスクを頭から被り、ガスマスクで口を覆って、目元はマウントゴーグルで隠している――肌の露出を1ミリたりとも許さない、猜疑心の塊のような装いだ。


 夜鷹と牡丹はまるで示し合わせたようにそれぞれ駆け出し、ヘリポートを囲う鉄柵を飛び越え、段差が生み出す死角に隠れた。

 鈴蘭がよろよろと歩き出す。


「あ! 待……」ヘリポート上に乗り出そうとした夜鷹の頬を、ライフルの弾丸が掠めた。夜鷹は再び身を伏せ、ヘリポートの床下に隠れた。

 ――新手? 誰だ? 今この状況で、誰が鈴蘭の味方をする? 

 ――あ。

 ――まさか。


「あの裏切り者!」


 夜鷹は怒気をはらんだ声を発して立ち上がった。白い常夜灯で照らされた屋上にはもう、牡丹と夜鷹以外の人影はいなかった。


***


 自家発電装置が稼働し、銀城99の電力が復旧した。それを好機と、コンバットスーツの男は、鈴蘭の襟首をつかんでエレベーターに放り込んだ。2つあるエレベーターのうちもう1つを、鉛玉を乱射して黙らせておく――これで奴らは追ってこられない――男はエレベーターに飛び込むと、肩を回して筋肉をほぐした。


 鈴蘭は、部屋の隅に座り込み、うなだれ、死んだように動かなかった。ただうわ言のように「追わなくちゃ」とつぶやいた。


「追う? うさぎ強盗を?」男はマスク越しにため息をついてから、片膝をついて鈴蘭と目線を合わせ、人差し指の先端を鈴蘭の額に押し付けた。


「忘れたわけじゃないだろう? うさぎをさらった相手は、上海最大のマフィア、九龍新会だ。それに加え、こんな街中で戦闘ヘリ暴れさせたイカレ野郎も邪魔しにくる。勝算あんのかよ、お前に」


 鈴蘭は目を閉じた。瞼の裏に、少年の顔が浮かぶ――どうして、梟じゃないんだ――そう言ったときの、歯がゆそうな顔――あたしが撃ったせいで耳がいかれて、不機嫌だったのだろう――今思えば、全てを打ち明けてやろうか迷っていたようにも思う。

 でも彼は――12歳の少年の痩躯で、全て胸の内に収める道を選んだ。

 ――理由は知らない、それでも――。

 鈴蘭は、胸の中に熱を感じた。無言のまま、まっすぐな澄んだ眼で男を捉え、自身の意思を伝えた。

 

「百歩譲ってお前の決意は買うとしよう。だがそもそも、うさぎの行方をお前は知らないよな? 屋上にいた馬鹿2人も多分知らないぜ? 戻って拷問するだけ無駄だな」 


 鈴蘭は思考を巡らせた。うさぎ強盗の行方――知っている可能性があるとすれば、あの人だけ――携帯を取り出し番号を打ち込み、10コールしても通話ボタンを押すことなく、粘り強く待ち続けた。13コール。気怠げな気配を漂わせながら、相手が電話に出た。


「夜鷹たちは失敗したそうね。鴉まで寄越したのに」椿が鬱陶しそうに言った。鈴蘭は胸に針を刺されたような痛みを覚えた――椿が裏切って殺し屋を雇ったという夜鷹の話――何かの間違いではないかと、ほんの1パーセントばかり期待してた。


「どうしてあたしを切ったの、椿」

「何故? あんたが邪魔になると見越してのことよ」

「あたし、足手まといだった?」

「まさか。殺し屋として、あんたと梟ほどスペック高い人材はなかったわ。。言ってること、分かる?」


 鈴蘭の口元が吊り上がる。一見すると笑っているのではないかと錯覚しそうだが、あきらかにその顔は不自然に引きつっていた。


「梟を殺した奴は、椿に依頼したの?」

「違う。あたしの意思をもって梟を殺したの。鳶、燕、夜鷹、鴉、牡丹の5人……加えて寄せ集めのフリーランス7人で構成した12人の暗殺チームでね。こっちの被害は死者6人よ。数合わせ共はほとんど役に立たずに死んだわ。本当に、梟の弟子は出来がいいわね」


 鈴蘭がみるみるうちに真顔に戻る。光のない眼で、静かに言った。


「……殺す」

「……ああ、これだから。。あんただけはいつだって、他の子と違ったから。あんただけは、あたしより梟を優先する。良い? 鈴蘭。。鴉も夜鷹も牡丹も燕も、ちゃんと分かってた。鳶だけは『最後には銃弾が当たるか否か』とか意味分かんないこと言ってたけど、結局、従う相手を間違えなかった。飼われてる自覚の足りない馬鹿は、あんただけだったわ」


 椿の声音からは、ビジネス上の不利益を案じていることしか読み取れない。

 鈴蘭は喉の奥で椿の言葉を反芻した――飼われている――そっか、最初から、こういう人だったのか――命令を聞くうちは世話をして飼い慣らす。猟犬が親犬の死骸に縋りつき、仕事をしないようならば、容赦なく切る。あまつさえ親犬を殺した調教師ハンドラーに吠えようものなら、撃ち殺す。


「派手に駒を動かして殺したからねえ。いずれあんたの耳にも入るだろうし、先手打って始末しとこうと思って、石蛇を雇ったのに。あいつ突然ぱったり連絡寄越さなくなったのよねえ」

「……そんな話はどうでも良いよ」

 ――そうだ、まだ一番重要なことを訊いていない。


「答えろ椿。何で梟を殺した?」

「……あいつはね、。事情は知らないし、訊く気もなかったわ。どの道、命令を聞かない猛獣は要らないの。もちろん、野に返すような危険な真似もできないわ」


 鈴蘭は力任せにスマホを壁にぶち当てた。スマホは真っ二つにへし折れ、銅色コイルや黒いチップ、液晶の破片といった細かい部品が、ミリ単位の粒子となって飛び散った。シリコンマスクの男が口笛を吹いた。


「スマホって、人類の腕力で折れるもんなんだ、初めて知ったよ」


 感心と皮肉が半分ずつ混じった口調で放たれた男の台詞を、鈴蘭は無視した。両手で顔を覆う――これでもう、うさぎ強盗を追うあてはない――その場に両ひざをついてうつむき、奥歯をかみしめる。

 その顔を、シリコンマスクの男が身を屈めて覗き込もうとしていた。


「何だよ」鈴蘭はぶっきらぼうに言った――そもそも誰なんだ、こいつ。


 マウントゴーグルとシリコンマスクに隠された男の表情は見えない。しかし鈴蘭には、男が『不思議の国のアリス』のチェシャ猫のような顔をしているように思えた。カジノでこういう奴を見た。プリフロップで手札にポケット・エースが流れてきたときの三流賭博師――自分が有利なカードを握っている事実に、ほくそ笑んでいる。


「なあ鈴蘭、知ってるか? カジノチップは、しばしば強盗の標的になる。チップ強盗はだ。両替場の現金を狙うには鉄格子と勇敢な警備員が邪魔で、ハードルが高すぎる。一方、レート高めのルーレットのテーブルに歩み寄り、ショットガンでダブルゼロをぶち抜けば、スピナーは自分からバッグにチップを詰めてくれる。そりゃもちろん、高額の被害を出しちゃチップを全部新しいのに差し替えられちまうし、闇市にチップを持ち込んでも額面通りの金にならん。しかしそれでもリスクとリターンを冷静に計算し、チップを狙う強盗は大勢いた」


 男は知識をひけらかすのを楽しんでいる。聞き手のことを意識しない饒舌家。要領をえない話に、鈴蘭は辟易している。


「だからカジノ側は対策を怠らない。ここでかの世界的大企業ブルース&バイヤット社特製ののお出ましだ。爆弾の材料は3つ。電池とインクパック、そしてGPSだ。カジノの高額チップには皆この爆弾がついている。12時間以上カジノから離れ、カジノ指定の電磁プレートで充電処理がされなかった高額チップは、電池切れを起こしてインクパックを爆発させる。消えないインクで汚れたチップは闇市のブローカーも買ってくれない。金を爆弾で破壊しようって時点で十分キレた発想だが、重要なのはそこじゃない。この爆弾の1番性質たちが悪い点はGPS


 鈴蘭はようやく話の趣旨を理解した。うさぎ強盗は大勝ちしていた。香港ドルに換算して1万にも届くチップは、まだ、彼の手元にある。


「ちなみにこのインク爆弾は試作段階で、まだ一般に公表されていない。鴉が警戒してチップを破棄することもないはずだ。前に俺とうさぎ強盗がブルース&バイヤット社に侵入した際、偶然手にした情報なんだよ」


 鈴蘭は思わずつばを飲み込んだ――都合が良すぎる――本当に、こいつは誰だ?


「位置情報を受信次第、俺はうさぎ強盗を追いかける。ついてくるかはお前の勝手だ」

「……追うって、何で?」

「俺があいつの兄貴分だからさ」

「……あんた、黒崎一家の御曹司?」

「そういうこと。まあ、それだけが理由でもないけどな。うさぎは俺の雇い主でね。仕事した分の契約金を取り立てないといけないのさ」

「仕事って?」

「お前の命を椿の刺客から守ること。要するに、夜鷹と牡丹を裏切ることさ」


 黒崎がマウントゴーグルを外して首にかけ、シリコンマスクを取り払った。その素顔を見て、鈴蘭の顔色がめまぐるしく変わった。驚愕に目を丸くし、息を飲み、最後にすべてを理解して呆れ顔をした。


「……うさぎ強盗は、どうしようもなく嘘つきだ」

「何言ってやがる? ? お前が勝手に間違えたんだ」

「酷い言い草」


 鈴蘭は、わずかに口元をほころばせた。天井を仰ぎ、空調から注がれる空気の流れを頬に感じる。ほんの少し清々しい。


「あれはなんだよ、三日月についてたよ、肉とか皮膚の残骸が」

「あれか? ありゃ梟を殺した暗殺チームにいたフリーランス共の残党さ。血の掟オメルタの最中に細い針振り回して、4人も殺した凄腕だったらしいぜ」

「……あれか」

「うさぎ強盗は正直者さ。俺をと伝えたはずだぜ? それにほら、カジノで夜鷹に応えたはずだ。俺のことを、金で買収したってよ」

「言ってたよ? 言ってたけどさあ……」

「言ったことが全てさ。そう、奴はいつも正直なんだ。奴のブラフはいつだって、俺らの目には見えないからな」


 冗談めかした声音でそう言って、黒崎は拳を突き出した。鈴蘭はおかしくてこらえきれない顔で、黒崎と拳を合わせた。黒崎の拳は力強い。まだ何一つとして問題は解決していないのに、鈴蘭は確信していた――うさぎ強盗はもう、絶対に大丈夫だ――相手が鴉でも、九龍新会でも。


「さあ、共同戦線成立だ。反撃に出るぞ」


 両手を広げて黒崎が高らかに叫んだ。大きく開かれた彼の口から覗く舌は、まるで蛇や蜥蜴のように、先端が枝分かれしている。彼はリング状のピアスを通した瞼を瞬き、眼球の白膜に刺された三日月のピアスを爛欄らんらんと輝かせていた。


「本当に、あの子はあたしを騙してばっかだ」


 まんざらでもなさそうな鈴蘭の嘆きに、黒崎一家の御曹司――石蛇は陽気に笑った。


「騙してばっか? そりゃ当然だ。だってあいつ、ポーカー・プレイヤーなんだぜ」

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