第17話 うさぎ強盗は不意をつかれ、鈴蘭は真実を知る

 銀城99の屋上。階段室のドアを抜けると、すぐ右手に、黒い鉄骨で持ち上げられたヘリポートに至るステップがある。牡丹と夜鷹は、ヘリポート上に黄色いペンキで描かれた円の中心に陣取り、スロートマイク付きかつ無線機内蔵の耳当てイヤーマフを装備して待ち構えていた。


 空はここ数か月で一番の土砂降りだ。大きな雨粒が地面にぶつかり跳ねるが、ばたばたという水音は、ヘリのメインローターが風を切り裂く轟音がかき消してしまう。


「遅いなあ、鈴蘭の姉御」夜鷹が言い、牡丹が静かにうなずいた。


「まあ、待ち伏せしてる相手にまっすぐ突っ込むほど馬鹿じゃねえだろ」彼らから少し離れ、ヘリポートをぐるりと囲う鉄柵に、鴉が腰を預けていた。ジップロックで包んだタブレットPCで、ヘリの操作システムを確認している。


 階段室の扉が解錠され、手すりのレバーが下がった。


 戦闘ヘリに搭載されたグレネードランチャーが12発の擲弾を弾きだし、階段室のドアを爆風でぶち破った。夜鷹はベルトで肩から垂らしたアサルトライフルを構え、フル・オートマティックで弾丸をまき散らす。牡丹は三脚で固定した汎用型機関銃で、7.62mm級の鉛玉を吹きさらしになった階段室へとありったけぶっ放す。とどめとばかり、鴉は戦闘ヘリに搭載された対戦車ミサイルを土煙の中へと発射した。雷鳴のごとき轟音がなり、コンマの間を置いて、小さな太陽が階段室に生じたのではないかと錯覚してしまいそうなほど、鮮やかなオレンジ色の炎がうねった。


 鉄製のドアはまるで濡れた和紙を拳で突いたかのようにボロボロに崩れていた。弾丸のめり込んだ瓦礫が床に並び、黒い煤煙が火の粉を巻き込み揺らめいている。


「対人戦の砲火じゃねえだろこれ。さっすが鴉の兄貴だわ」ゲラゲラと楽しそうに笑いながら、夜鷹が言った。


「……頭悪い……ま、嫌いじゃないけどね」牡丹がうっとりとした顔でつぶやいた。


 夜鷹が一人階段室に歩み寄り、首を傾げた――死体がない――次の瞬間、階下から照明弾が飛び出し、雷光を凝縮したような白い閃光を放った。夜鷹は片手を盾に閃光から目を守り、階段室めがけ出鱈目でたらめな掃射を浴びせた。


 分厚い煤煙の壁を風のトンネルが吹き抜け、そこからうさぎ強盗の少年が現れた。


 夜鷹の銃弾が少年の耳をかすめ、彼が装備していたイヤーマフを吹き飛ばす。しかしそれは、少年の勢いを殺すには至らなかった。少年は弾幕をすり抜けて夜鷹に迫る。小回りの利かないアサルトライフルがあだになり、夜鷹はあっさりと背後をとられ、首筋にナイフを突きつけられた。


「何でお前が先に来る? 鈴蘭はどうした」鴉が問いかけた。


「警備システムを弄って防火扉で階段を塞いだんだ。あれは停電中でも動くからね。鈴蘭さんは銀城99に来るの初めてだし、暗闇で非常階段を探す分、もう少し時間がかかるんじゃないかな?」


「あのレバーが下がったのは?」


「糸くくって、安全そうな場所まで距離とって引いただけだよ。原始的だろ?」


 鴉は目を伏せクツクツと笑い、嘗め回すような視線をうさぎ強盗に向けた。


「相変わらず、生意気なだ」


だ。もうその縁は切っただろ? 」少年の声にはあからさまな敵意がこもっていた。


「縁が切れたとしても、貸しは貸しさ。

「今ちょっとかなり気分が酷くてね。手元が滑ってこのパンクに突き刺しちゃうかも。とにかく、鈴蘭さんが来る前にそのヘリをどっかにやってよ」


 うさぎ強盗が舌打ちした。鈴蘭には決して見せない、荒み切った顔つきだ。鴉は嘲るような笑みでそれに応じ、首を横に振った。


「できない相談だ」


「こっちには人質がいるんだよ。こいつを避けて俺だけを仕留めるのは不可能でしょ」冷静に射線を計算し、夜鷹の影に隠れながら、少年が言った。


「それはどうかな」


 鴉がタブレットを数回叩くと、AH32Sのリアハッチが開き、その中から巨大な円盤状の奇妙な装置が顔を出した。次の瞬間、唸るような音が雨で湿った空気を震わせる。


 うさぎ強盗の手からナイフが零れ、落下し、カランと硬質な音を立てた。少年の小さな体躯は、受け身も取らずに雨に濡れた床に崩れ落ちていく。


「出力最低でもこれかよ。イヤーマフなしじゃ、俺もちょっとしんどかったな」夜鷹は耳をトントン叩きながら、アサルトライフルを背負うためのベルトを正した。


 うさぎ強盗の少年は死体のようにぐったりと動かず、その体を雨に晒した。意識が飛びそうになる直前、彼は階段を駆け上がる足音を聞いた。


***



「これはどういうこと?」


 息を切らし、額に汗を浮かべた鈴蘭が、ボロボロに破られたドアの前で立ちすくんでいた。少年と3人の殺し屋を交互に眺め、驚きに目を瞬かせている。


「あ、やべえ。完全に弾切れなんだけど」アサルトライフルの引き金をいじり、撃鉄をカチカチいわせながら夜鷹が言った。鴉が眼で合図すると、牡丹は、悪戯がバレた子供のような顔で、指でバツ印を作った。


「……予備のマガジンまで使い切ったのか、馬鹿どもめ。まあいい」鴉が再びタブレットを数回叩いた。ヘリが旋回し、円盤が鈴蘭に向いた。


 まるであらかじめ示し合わせていたかのようなタイミングで、夜鷹と牡丹は同時にイアーマフを押さえつけた。その瞬間、再び唸るような音が屋上に響き渡った。鈴蘭は頭を抱え、上半身をよろめかせる。目に見えない手が頭蓋骨をすり抜けて脳をつかみ、グラグラと揺さぶっている――そんな不気味なイメージが浮かぶ不快感。


「なんだよ、これ」髪を強く引っ張り頭を押さえつけながら、鈴蘭がうめいた。鴉がにやにやと貼りつけたような笑みを浮かべた。


「やはり十分実戦レベルだな、俺の音響兵器は」


「……傍にいる射手が余波を食らうクソ仕様なのに?」自慢げに胸を張る鴉の背後で、牡丹がぼそりと言った。鴉は目を閉じ、眉を「ハ」の字にして首を振った。


「だからAH32-Sを用意したんだろうが。そりゃもちろん、普通のヘリなら室内のパイロットも無事じゃすまないはずなんだが」


 イヤーマフに内蔵された無線機を通した彼らの会話は、耳を塞ぐ鈴蘭にはまったく聞こえない。しかしそれでも鈴蘭は、スモークガラスの奥のコックピットが無人なのだと察していた。レストランにセダンが飛び込み、ガラスの雨を降らした光景が脳裏をよぎる――あのヘリも同じなわけか――無茶苦茶な。


 鈴蘭は耳を押さえつけ、鼓膜を揺さぶる高周波の空気の弾丸に耐えていた。なんとか意識が飛ばないように神経を集中させた。


 ――音響兵器? なんでそんなもん搭載してんだ――音?


「ここまで三半規管イカれさせたなら十分だろ。あとは任すぞ」鴉が言った。牡丹が続けざまに2発、鈴蘭の胸にめがけて発砲した。防弾チョッキで致命傷は免れたが、鈴蘭は、胸元をネールハンマーで殴られたような衝撃を味わった。


 鈴蘭は地面に仰向けに倒れたが、すぐに体勢を立て直し、弾道から外れようと駆け出した。目の端で、鴉とうさぎ強盗がウィンチに巻き上げられ、ヘリの中へと消えていくのを捉えた。


 ――そうか分かった、音響兵器、うさぎ強盗対策だ。何か変だとは思ってた。スペツナズ・ナイフだとかインビジブル・スレッドだとか空気と反応する液体燃料だとか、わけわかんない武器ばっか。――でも今なら、その理由が分かる。


 ――うさぎ強盗は、感覚が鋭すぎるほど鋭くて、音と衝撃に弱いんだ。うん、そういや、あたしが発砲するたび、耳鳴りがするとかなんとか、具合悪そうにしてたっけ。いやでも、大掛かり過ぎるだろ、鴉よ。素直にスタングレネードでも使えよ。レストランのといい、あいつは派手好きがすぎる。


 ヘリに飲み込まれていく直前、うさぎ強盗が今にも泣きだしそうな顔をしていた。鈴蘭が初めて会ったときと同じ表情――でも多分、今度は演技でないのだろう。


 ――ざまあみろ。


 鈴蘭は自分の胸の奥に、妙なしこりが生じるのを感じた。


 ――ざまあみろ?


 脳を揺さぶられ混濁する鈴蘭の意識の奥底で、一陣の風が吹き抜けた。鈴蘭はうさぎ強盗の表情を思い出す。涙を零しそうな瞬き。カッと頭が熱くなる。今の鈴蘭には、少年が九龍新会の拷問に怯えているわけでも、音響兵器の一撃を食らった痛みにもだえているわけでもないと直観的に理解できた。泣きそうな理由――それは――。


 鈴蘭の頭の中に様々なビジョンと音声が流れ込み、脳がオーバーヒートしそうになる。喉の奥に溜まった熱を吐き出すように、鈴蘭は声を張り上げた。


「馬っ鹿野郎! 何でだ! あんたは、あたしに惚れてるんじゃなかったのかよ!」


 鈴蘭の脳裏に梟の死に顔が蘇る。虚ろな目、だらしなく開いた口元、そして銃創――星形に裂け、銃口から飛び出した高温のガスで黒く爛れた傷口――ごつい銃でゼロ距離からぶっぱなさないと、あんな痕跡は残らない――衝撃やガスを吸収する消音器サイレンサーを装備したなら、あんな痕跡は残らないのだ。


 ――肺が空になって破けてもいい。もう2度と声が出せなくなってもいい。訊かなくちゃ。叫べ、叫べ 叫べ!


「あんた、世界一のポーカー・プレイヤーじゃなかったのかよ! 世界で一番人の心が読める男なんだろ? あんな風に言えば、あたしに嫌われるって誰よりも分かってて、何で、あんな……本当のことを言わなきゃ、何しても好きになってもらえないって、分かってて、全部分かってて……何で、使!」


 音響兵器のわななきは既に止んでるものの、ヘリのメインローターの唸るような音が邪魔して、少年に鈴蘭の声は届かない。鈴蘭も、頭ではそのことは分かっていた。それでも鉄柵に身を乗り出し、血を吐くまで叫ぶ勢いで声を上げた。



!」



 ヘリの姿は、遠ざかるに連れて灰色に滲む雨の幕の中に薄まっていき、すぐに見えなくなった。鈴蘭は踵を返し、まっすぐに階段へと駆け出した。その行く手を、夜鷹が塞いだ。


「そこをどけ。あいつに……あの子に、訊きたいことがある」

「どけ? おいおい鈴蘭の姉御、そりゃちょっとめちゃくちゃだ。盗聴器越しに聞いてたぜ? うさぎはあんたを止めようとした。話そうとしてたじゃないか。それを跳ね返したのは何処の誰だい?」

「……いいから、どけよ」


「いやあしかし、うさぎも可哀想だ。あんたが罠に飛び込まなきゃ、捕まらずに済んだのに」蔑み、煽るような声音で夜鷹が言った。


「どけよ」


 鈴蘭が夜鷹の挑発に目を取られているのを好機ととり、牡丹はナイフを抜き、死角から鈴蘭に斬りかかる。鈴蘭は全く視線を動かさないまま、気配だけで牡丹の鳩尾に回し蹴りを食らわせ沈めた。


「どけ!」


 鈴蘭が袖口に隠したホルスターからメスを引き抜き、夜鷹に向けて突き出した。夜鷹は右足を高く振り上げ、踵落としで刃を地面に叩きつけ、ホルスターからカジノで見せたナイフを抜き、鈴蘭の頭をナックルホルダーで叩き伏せた。


「あ、悪いな姉御。間合いが刃じゃなくて拳だったもんで、一撃で仕留め損ねちった。な、そろそろ諦めようぜ? その体調で喧嘩できるわけねえだろ? 三半規管死にそうだろ? ゲロ吐きそうな満腹でフリーフォールな気分だろ? 辛いだろ? 死にたいだろ?」


「……安心しなよ」牡丹が起き上がり、銃口を鈴蘭に向けていた「……死にたくなくても、殺してあげる」


 鈴蘭は牡丹の照準から逃れようとしたが、殴られた衝撃が尾を引いて視界が揺さぶられ、もつれた足を動かせなった。


 銃声が響いた。

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