6章(過去編) 2014年 10月14日 上海

第16話 殺し屋夜鷹は煽りに煽り、殺し屋牡丹は燃え上がる

2014年10月14日 上海


「今日は何処にデートに出かけようか?」


 近場の食料品店に買い出しにでた鈴蘭は、うさぎ強盗に声をかけられた。


 昨日の晩――レストラン「アルべリア」にセダンが突っ込んだ夜――騒動に紛れ、うさぎ強盗は姿を消してしまっていた。鈴蘭は深追いしなかった。どうせまた近いうちに「デートの誘い」と称した何かをしかけてくるだろうと踏んだからだ。


 実際、この現状である。


「……君好みの場所で」鈴蘭は心底不機嫌そうに言った。

「僕好みの場所かあ……」


 うさぎ強盗は鈴蘭を連れて、バンドの最大の高層ビルにして娯楽施設「銀城99」にあるカジノへと招待した。


 銀城99が構えるカジノは、端的に言ってカジノだった。ラスベガスの大衆カジノのような豪華絢爛でけばけばしい電飾はなりを潜め、カンヌやニースの高級ホテル街に見られるカジノのように、一流の品位と礼節を求める気高き精神が見え隠れするものに近い。一攫千金を夢見て目をぎらつかせる有象無象は隅へと追いやられ、よりが似合いそうな紳士淑女が幅を利かせている。


「ラビットも……普通に中に入れるんだね」

「年齢制限なんて建前だって、ほら」


 うさぎ強盗はポーカー・テーブルを指さした。高級スーツに身を包んだ中年の男が、娘と思しき少女にテキサス・ホールデムのルールを教えていた。カードをシャッフルしているディーラーは、ニコニコとした接客スマイルを浮かべていた。


「年齢云々をうるさく言うのは『ジャック・ピストルズ』だけだよ」


 かつて散々揉めた相手にもかかわらず、うさぎは、特に恨みがましいふうでもなく言った。


 うさぎ強盗は異様な勝率でカジノを荒らして回った。ブラック・ジャック、バカラ、トラントカランにおいては敵なしだった。テキサス・ホールデムであれカリビアン・スタッドであれその他どんなルールのポーカーであれ、総合成績では勝ち続け、チップを数十倍に膨らませていく。


 うさぎ強盗は決してゲームに熱中しすぎることなく、傍で見ている鈴蘭が退屈しないよう適宜ルールや現状のプレイングについて説明していた。対戦相手がファイン・プレーを見せると、そのプレーの何処が妙手か簡潔に教えてくれるのだ。


 鈴蘭は周囲の人間の表情から、一番ファイン・プレーを連発しているのがうさぎ強盗だということは察している。しかし彼は、自分のプレイングには何も言及しなかった。


 うさぎ強盗の一挙一動に、鈴蘭は妙に毒気を抜かれていた。


 ――深い色の眼とか。高い能力をもってるのに、そのことを話したがらないところとか。こちらの理解が遅いとき、安心させるような笑顔で待ってくれるところとか。


 ――なんとなく、あの人に良く似ている。


 鈴蘭ははっとして、気持ちが揺らぐのをごまかすように首を振った。


「あんたって、何でこんなに異様に強いの? 誰かに勝ち方を教わったの?」

「うん。5年位前かな。前に身を寄せていた、 黒崎一家ってヤクザの御曹司に」

「どちら様だよ」

「どんな人って訊かれると、ちょっと困るなあ。あの人が中学の卒業旅行で失踪して以来、しばらく会ってなかったし。最近再会したと思ったら、だいぶ様変わりしてたよ。今は鈴蘭さんと同じ殺し屋稼業やってるみたい。通り名は…… 」


 ふと、周囲からざわめきが聞こえ、2人は話を止めた。カジノのドレスコードに不似合いな、異様な風体の男がポーカー・テーブルに歩み寄ってきた。髪を白に近い金髪に染め上げた、パンクファッションの男だ。鈴蘭が不審そうに眉根を寄せた。


「夜鷹?」


 夜鷹はポケットに手を突っ込んだまま、身を少しかがめるだけの不遜な挨拶をした。鈴蘭は目線をポーカー・テーブルに向けたまま言った。


「何? ひょっとして鴉の助っ人? あんたまで、うさぎ強盗の誘拐を依頼されたの? でもちょっと待ってて。あたしはちょっと、うさぎ強盗から聞き出すことがあって」

「……いやあ、それがですね。俺らの標的はラビットじゃなくてですね」


 夜鷹は照れくさそうに頭をかき、背に仕込んだ鞘からアイスピックを抜き――。



 ――先端を鈴蘭に突き出した。


 うさぎ強盗がスペツナズ・ナイフを構え、刀身を発射させた。アイスピックが叩き落とされ、回転しながら床を滑る。

 夜鷹が目を剥いた。


「うっは! マジか! 何だよそのびっくりナイフ!」

「駄目だよ。不意をつくなら、もっと表情に出ないようにしなきゃ」


 少年がにっこりと笑いながら、床に落ちたアイスピックをテーブルの下に蹴りこんだ。2人の間で交わされた数秒の攻防に、鈴蘭は目を細めた。


「どういうこと? 兄弟間の殺しはご法度。夜鷹あんた、椿が決めたルール破るの?」

「……さあ、どないなもんでしょ?」


 夜鷹は両脚のホルスターから、まがまがしいデザインのナイフを取り出した。ナックルホルダー付きのファイティングナイフと大ぶりのサバイバルナイフだ。鈴蘭は静かに笑いながら、袖口に隠されたホルスターから、細長いメスを抜いた。


 周囲の客ががやがやと騒ぎ立て、鈴蘭たちを遠巻きに眺めた。不安そうに鈴蘭たちから距離を置くが、特に悲鳴を上げるものたちはいない。何かの催しだろうかと呑気に首を傾げているものさえいる。


 鈴蘭は鼻を鳴らした――平和ボケしたボンボンばっかで助かるよ。ガードマンに取り囲まれるまで5分はかかる。周囲を見渡しても、パンクファッションの女の姿は見られない――夜鷹1人なら、2分とかからない。


「どういう了見か、力づくで吐かせてあげる」


 鈴蘭がテーブルを踏み台にして飛び上がり、夜鷹の頭上にメスを振り下した。夜鷹は2本のナイフを頭上で交差させ、鈴蘭のメスを受け止めた。


 火花が散った。鋭い音が空気を裂きながらカジノを駆け抜け、一瞬だけ客たちのどよめきをかき消した。


 夜鷹は飛びのいて姿勢を切り替え、鈴蘭の刃を横にいなした。着地した鈴蘭が軽やかに態勢を立て直し、突きを繰り出す。その後連続して繰り出される追撃を、夜鷹はなんとか捌いて躱すが、後退し、徐々に壁際へと追いやられていく。


 踵が壁につき、夜鷹は頬に冷や汗を流した。


 ――速えし! 重てえし! どういう筋力してんだ姉御は! おかしいだろ! なんで押し勝てんだよ? あの体躯で! あんなちっぽけな刃で!


 夜鷹は鈴蘭の突きを右に転がって躱したが、ジャケットの裾に切れ目が入った――駄目だこれ、1人で相手すんのはきつすぎる。このままやりあってもジリ貧じゃねえか。梟の親父に次ぐ腕ってのは伊達じゃねえ。とにかく、口を動かさねえと。


 ――


「なあなあおいおい鈴蘭の姉御! もう標的じゃねえってのに、何でラビットとデートしてんの? そいつにほだされてんの? 恋人になったって話はマジなんか?」

「……違うよ。単にそいつが、石蛇の行方を知ってるって話」

「っは! 石蛇の行方をそんなに知りてえか! 馬鹿じゃねえの? もうあの依頼に意味なんてねえってのに!」

「……どういうこと?」


 鈴蘭が眉間に皺を寄せるのを見て、夜鷹は笑った。


「知らねえの? 姉御はもう、椿にとって用済みなんだよ!」

「……椿がそう言ったの? でも、あの人が怒ってることぐらい、あたしも知ってる。あたしは、うさぎ強盗を殺すって口走ったし。でも、石蛇を捕まえて信用を回復すれば……」

「違えよ! 話はもうそんな段階じゃねえ!」


 鈴蘭との距離を維持して逃げ回りつつ、夜鷹は言った。


「石蛇は椿! 俺も、牡丹もだ! 椿はもう、姉御を始末する気なんだよ!」


 鈴蘭の目が見開かれた。その反応に満足したように、夜鷹は下卑た笑みを浮かべた。


「せっかく姉御と石蛇がぶつかるようセッティングしてたってのに、あの人体改造マニア、金もったまま雲隠れだ! まったく連絡寄越さねえ!」


 夜鷹を追いかけていた鈴蘭の脚が止まった。夜鷹は最低限の距離を取れる位置に構えてから呼吸を整え、うさぎ強盗に視線を向けた。


「ひょっとして石蛇の馬鹿は、姉御の新しい彼氏殿に買収でもされたかね?」


 テーブルに腰かけたうさぎ強盗は「そうだよ」といい加減に言った。彼は鈴蘭に加勢するでもなく、ただ静かに周囲を見渡していた。


 うさぎ強盗と夜鷹の会話は、鈴蘭の耳に入らなかった。


 鈴蘭の頭の中は、椿のことで占められていた。周囲の空間ごと自分を包み込むような、優しくて暖かな視線がその脳内に鮮明に蘇る――あんたのことを娘のように思ってるのは、梟だけじゃない――あの人はそう言ったじゃないか――あたしにとって大切な人――あの人が、あたしを裏切った? あたしを捨てた? 何で?


 鈴蘭のメスを握る手が緩む瞬間を、夜鷹は見逃さなかった。床を蹴り交差させたナイフで斬りかかった。先ほどとは対照的に、鈴蘭が頭上でメスを構えて受けた。


 鈴蘭と刃を切り結びながら、夜鷹は笑った――上段とれた! かなり押せてる! 今、この瞬間、姉御に


 どよめきながら遠巻きに2人の様子を眺めていた客たちの隙間から、 拳銃を握った細い腕がすっと伸び、鈴蘭を狙った。ルガーLCP――スーツのポケットにしまって隠せる、軽量合金のピストルだ。


 客の中から悲鳴が上がる。


 しかし、銃弾は放たれなかった。


 火だるまになった女が、人込みの中をかき分け、カジノの床をがむしゃらに転がった。光沢のある黒い生地のパンツスーツ――カジノのドレスコードを忠実に守った出で立ちをしている。まだあどけなさの残る顔立ちの、若い女だ。


 夜鷹が目を剥き、女に駆け寄った


「おいおいおいおい! 平気かおい!」

「…………うるさい……人を殺せる火力じゃない……スカーフで防げたし……」


 燃えるジャケットを脱ぎ捨て、シャツに残った火をはたきながら、女は水色のスカーフを踏みつけた。蜘蛛の巣の入れ墨が、彼女の首筋に覗いていた。


「……ブランドものだってのに……失敗した……わざわざメイク落としたんだけどなあ」


 うつむき、心底悔しそうな目で、《牡丹》はうさぎ強盗を睨みつけた。


 うさぎは透明なボールを指の間に掲げて見せた。ボールの中では、油よりもほんの少し濃度の濃い、透明な液体が揺れていた。


「空気と触れた瞬間発火する液体燃料だよ? ちょうどあなたの頭上に落ちるよう、放射状に投げてみたんだ」


「……器用な真似するのね」牡丹は袖で口元を覆った。牡丹は夜鷹に目で合図し、二人の間でのみ伝わる暗号を使って会話した。


「(2人がかりなら勝てない?)」

「(無理。鈴蘭の姉御相手に喧嘩じゃ勝てねえ)」

「(はした?)」

「(そっちは上出来)」

「(なら絶対追ってくるね)」

「(上に誘い込めば俺らの勝ちだ。あれ、頼むぞ)」

「(了解)」


 牡丹がポケットをまさぐって携帯を操作すると、突然、カジノから明りが消えた。埋込式の電灯も豪奢なシャンデリアもスロットの電飾も光を失い、あたりが闇に包まれた。


「じゃあな、鈴蘭の姉御!」夜鷹の声が響いた。


 鈴蘭は拳銃を抜き、出口の方向に狙いを定めて発砲したが、銃声をむなしく響かせただけだった。駆け出そうとした鈴蘭のジャケットの裾を、うさぎ強盗の少年がつかんだ。


「あの2人は。追わないほうが良い」


 片手で耳を押さえつけながら、うさぎ強盗が言った。闇の中うっすらと浮かび上がるその顔には、鈴蘭が今まで見たことのない険しさがあった。


「あのパンクたちは、不意打ち専門の殺し屋でしょ? 人目を引く派手な衣装もギミックのうちだよね。まだ何かしかけてる。深追いはやめよう」

「駄目、あんたにも聞きたいことはあるけど、後回しよ。夜鷹をしめあげて椿のことを問い質す。余計な心配しないで。あたしのほうが格段に強い」

「鈴蘭さんはあいつらの3倍強いし、俺の10倍喧嘩は強いよ。でもあいつらは、自分より強い相手との戦い方を知ってる奴らだ」


 鈴蘭は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「中途半端な小細工なら、蹴散らしてやる」

「馬鹿言うな。 冷静になれって。あんた一昨日俺のしょうもない糸の小細工に負けたでしょうが。追っちゃ駄目だって」


 鈴蘭は身を翻してうさぎ強盗の手を振りほどき、歩き出した。


「待てって」うさぎ強盗は、彼にしては珍しい余裕のない顔つきで、その進路にたちはだかった。



、鈴蘭」



 その言葉を口にしてから、うさぎ強盗は「しまった」とでも言いそうな顔をした。鈴蘭の顔から動揺が消え、途端に無表情になった。真っ暗で光のない、虚ろな目でうさぎ強盗に視線を向けた。


「なんで、あんたなの?」


 うさぎ強盗の一言が、ダムを決壊させる引き金になった。鈴蘭の脳裏に、梟の記憶が蘇り、溢れ出す。


 頭を撫でられたときの暖かい手の感触を肌に感じる。落ち着き払っていながらも、まるで冷徹さを感じさせない眼差しも、鮮明に思い出せる――星型に傷口が裂け、黒く爛れた銃創さえも。

 決して耳障りでないのにもかかわらず、どんな大きな音よりも良く響く声で彼は言った――慌てるな、鈴蘭――鈴蘭が焦って判断を間違えそうになったとき、いつもその声があるべき軸に立ち戻る指針となった。うさぎ強盗の声は、非情なまでに梟のそれに似ている。下手をすると記憶が混じり、梟の声を思い出せなくなりそうだ。


 暗闇の中うさぎ強盗は、鈴蘭が泣き出しそうな瞬きをするのを感じた。涙が溢れ出す雰囲気を読み取ったとき、うさぎ強盗はほとんど反射的に鈴蘭に手を伸ばした。鈴蘭はその手を跳ねのけた。


「なんであんたなんだ! レストランに連れ出してくれたのも! ここに連れてきたのも! 教え方が丁寧なのも! こっちの理解が遅いとき、笑って待ってくれるのも! あたしを狙う石蛇を先回りして仕留めたのも! 鴉のセダンから避難させたのも! 夜鷹のアイスピックを弾いたのも! 牡丹の銃から守ってくれるのも! なんで……なんであんたなんだ!」


 鈴蘭は、胸の奥から空気を無理やり絞り出したような声で叫んだ。迷子になって不安に押しつぶされそうになりながら、涙を必死にこらえている――そんな顔で、一言続けた。


「……どうして……梟じゃないんだ」


 うさぎ強盗が伸ばした手を硬直させ、はがゆそうに顔をしかめた。やがて両手をだらんと下ろし、うつむいて黙り込んだ。


 鈴蘭は無言で、少年の肩を押しのけて駆け出した。携帯を操作して椿の番号をコールしたが「おかけになった番号は電源が切れているか、現在使われて……」という定型句が流れてくる。


 ――あの人は携帯の電源を絶対切らない。今まで、こんなことはなかったのに。


 鈴蘭はカジノを飛び出し、回廊に出た。牡丹が階段へつながる曲がり角で身を隠しつつ、1発だけ銃弾を放ってくる。2人が階段を上がる足音が聞こえた。


 鈴蘭もそれを追って駆け上がる。


 銀城99特設ののある、ビルの屋上にむけて。

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