7章 (現在編)  2015年 11月11日 京都

第18話 一ノ瀬譲、時限機雷に恥じ入る

2015年11月11日 京都 特急列車車内


 篠原たち3人は、特急列車の第8車両――俗に「ジェネラルクラス」と呼ばれる特別車両に乗り込んでいた。「旅客機におけるファーストクラスに劣らないサービス」をモットーに設計されたこの特別車両は、まさに一流の風格を備えている。スリッパやアイマスクといった、高級ホテルのそれと見まがうほどのアメニティグッズがそろえられ、座席は胡坐をかいても余裕があるほど広く、体が沈みこむのではないかと思うほど柔らかかった。


 しかし、自然かつ温かみのあるLED証明に照らされ、空調も完璧に整えられているにもかかわらず、車両の中にはどこかもの寂しい空気が漂っていた。3。篠原と黒崎は中央の2人掛け席に並んで腰かけ、一ノ瀬は2人のすぐ後ろで、座席を2つ占領して寝ころびながらノートPCを腹に乗せ、ノートPCのキーボードを叩いている。


「シュールな光景ですね」篠原が黒崎に話しかけた。

「ああ? 単に全席買い占めただけだろ? 俺らにとってもM&Dにとっても、人がいない方が気が楽だ」

「買えるものなのですか? だってこれ指定席ですし、予約している人たちも大勢……」

「チケット代の10倍出せばなんとかなるもんだ。うさぎの財布は底なしだからな。あとは黒崎一家の力も使って、頭数そろえて交渉した」


 黒崎一家という単語を聞いた瞬間、篠原が目を見開いた。近畿圏――いや、全国で名の知れた暴力団だ。


「黒崎一家って、あなた、そんなコネ持ってるんですか?」

「いや、俺はもう黒崎家とは縁切れてるし。縁があるのは弟分のうさぎだよ。あいつは頭領に可愛がられてる。あいつが半年くらい上海から帰ってこなかったとき、頭領はすげー気を揉んでたらしい」

「あの子にも可愛がってくれる親がいるんですねえ」

「本人は思いっきり奔放だけどな」


 特急列車は先ほど東舞鶴駅で停まった。そこでM&Dの追手が何人か乗り込んでいるはずだ。特急列車の行く手に先回りできる人員はさほど多くはないだろうが、1人や2人ということもないだろう。それにも関わらず、篠原も黒崎も危機感をまるで感じていないらしく、旅行気分で世間話に興じていた。

 

 ふと、黒崎が立ち上がり、背もたれの白いカバーに腕を乗せながら、後ろの席の一ノ瀬に話しかけた。


「なあ、ヘムヘムよ」

「結局それで呼ぶんかい!」キーボード上を跳ねまわる手を休めないまま、一ノ瀬が吠えた。

「進捗どうさ?」

「次の駅までには終わる。今いる奴らについては、兄貴にちょっともらうことになるかもしれんけど」

「あいよ。……って、?」

「気分の問題な。いかにもヤのつく自営業っぽい人は基本じゃなくって呼びたくなるん。アの発音をやや強調する感じで」

「ええ……嫌だな。なんか仰々しい。大体俺、中学生時点で黒崎一家と縁切ってるし」

うてもあんた、多分ボクが今まで会った中で、

「……大体、それなら雅也のあにさんという呼び名は何だったってんだよ……そうだ、じゃあお前、今度からあのガキのことも兄貴って呼べよな。うさぎの兄貴は俺と違って、一応組員扱いだぞ」

「あの子は兄貴と違って顔怖くないからなあ」


 黒崎はむすっとした顔つきでフードを被り、マスクをつけ直した。一ノ瀬は、その所作の裏に潜む心情については無関心で、ピアニストの演奏のように軽やかに指を躍らせながら、ノートPCに表示された記号式を見て満足げにうなずいていた。


「フ、素晴らしい出来栄えだ、我が時限機雷ツァイトラ・ミーネは」

「センス」

「え、何なん兄貴? その文句ありげな顔つきは」


 黒崎は篠原に目で合図して意見を求めた。篠原は真顔のまま「時限ツァイトラはドイツ語で、爆弾ミーネはイタリア語です」と指摘した。あたりが静寂に包まれる。ガクンと電車が揺れる雑音が、ことさらに強調される。一ノ瀬が失意にうなだれ、両手で顔を覆う。


「聞きかじりを使うからそうなる」黒崎が一ノ瀬の頭を平手でたたいた。一ノ瀬が「何しばいとんねん! お前樹里がいじける分には甘いそうやないか! ええ?」と憤慨した。明らかに、怒った勢いで何かを誤魔化している。篠原は背もたれに身を預け、軽く目を細める――この人たちは、何だかとても楽しそうだ。


 篠原は左耳を塞ぎ、右耳にはめたイヤホンに耳を澄ませた。流れてくるのは、うさぎ強盗が昨日紹介していた、盗聴サイトの音声だ。列車に侵入してきたM&Dの実働部隊と、川浪の間で交わされたやりとりが聞こえる。


『……はい、川浪さん、こちらは4人です。篠原の他に2人いるようです。彼ら以外に乗客はいません』

『人払いか。奴ら、自分がでいるつもりらしいな。社長の寄越した殺し屋たちはどうした?』

『燕様は待機して位置が悪く、西舞鶴駅に先回りできませんでした。牡丹様と夜鷹様は『自分たちは連携が下手』と、駅で別れ、別の車両に乗ったようです』

『あてにならん奴らだ』

『いかがしますか、東舞鶴駅まで待機すれば、燕様たちとも合流できると思いますが?』

『いや、いい。せっかく奴らの方から舞台を整えてくれているんだ。君たちならば4人で十分、存分にぶちかましてやれ。篠原はなるべく生かして連れてこい。会話ができる状態なら、。発砲も許可する。どうとでももみ消してやる』


 数十秒前に電波を傍受し、盗聴サイトに上げたものだ――突入までそう時間はないらしい。

「M&Dの実働部隊は4人、あと2人、助っ人がいるようです」篠原は冷静な声で報告した。他に情報はないかと、篠原は別の音声データの一覧からいくつか選んでタップした。


『#$&%$#$%&』

『*!#$%&#$%』

『*+>%&$#$%』


 篠原は不審そうに眉をひそめた。周波数を間違えたことによるノイズではない。人間の声であることは分かる。


 篠原のむずがゆそうな表情から何かを察したのか、黒崎はイヤホンをつかみ耳にあてる。数秒の間を置いて「ああ」と得心のいった声を漏らした。


「これ、夜鷹と牡丹だ」

「知り合いですか?」

「騙しうち専門の殺し屋2人組。あいつら、自分たちにしか通じない暗号で相談するんだよ」

「……何でそんなに詳しいんです?」

。うさぎ強盗に頼まれて裏切ったけど」


 4人の黒服の男たちが7号車側の扉を開け、尊大な態度で乗り込んできた。篠原と一ノ瀬はそれぞれ姿勢を低くして、座席の影に隠れる。黒崎だけが立ち上がり、通路の中央に陣取った。


「何だお前」黒服の男たちから怒号が飛んだ。


「どうもM&Dの優秀なる実行部隊の皆さま」黒崎は嬉々とした口調で言った。黒服たちは無言で消音器サイレンサーを装着し、銃を構えた。


「質問に答えろ」血気盛んそうな坊主頭の男が先頭にたち、武骨な小銃で威嚇しながら寄ってきた。黒崎は口元を軽薄そうに歪めながらも、頭の中では冷静に計算していた。専用のマズルデバイスで消音器をつけた自動小銃M16、銃身は目算70センチ――これなら十分。


 坊主頭の男は、黒崎が丸腰であることに油断したのか、2、3歩の距離にまで近づいてきた。そしてそれが結果的に、彼らにとって致命的な油断になった。


 黒崎が不意を突き、銃の先端を蹴り上げた。銃口が男の手元を軸に半円を描くように回転し、後方に向けられる。黒崎は黒服と間合いを詰め、引き金に指を滑り込ませた。


 一瞬の間も置かず、後続にいた3人のうち、2人が連続して撃ち殺された。残った1人が黒崎に銃を向けたが、黒崎は坊主頭の胸倉を掴んで盾にした。坊主頭が鉛玉で割れ、血しぶきが飛ぶ。最後の1人はパニックに陥ったのか、ろくに照準も合わせないまま乱射した。黒崎は死体を盾に距離を詰め、ウェストベルトに隠した折り畳みナイフを抜き、敵の首筋に突き刺した。


「この俺を相手にたった4人で勝てるかよ……さて、真打しんうち登場だ」


 遅れて7号車側のドアを開けて入ってきたのは、異様な風体をした女だった。1930年代の妖婦ヴァンプ女優のような露悪的なメイクに、首筋に蜘蛛の巣の入れ墨、数枚の歯車を模した派手な柄のワンピース――ひと昔前のパンクファッションに似せた出で立ちだ。


 牡丹は2挺の拳銃を取り出し、黒崎に向けて発砲した。黒崎は身を伏せる。床に手をつき、脚を伸ばして黒服が落とした小銃と床との間に足先を滑り込ませ、器用に銃を蹴り上げた。跳ね上げられ、空中で縦向き回転する小銃の引き金に、絶妙のタイミングで指を差し込み、流れるような所作でそのまま発砲した。牡丹の拳銃のフォアグリップが、粉々に破壊される。牡丹は座席の影に飛び込んだ。


 そのとき、牡丹が入ってきた出入り口とは逆――9号車側の出入り口から、情けなく裏返った悲鳴が聞こえた。


「え? え? 何だこりゃ!」


 車掌服の男が、おどおどして目を泳がせながら、車両に乗り込んできた。温和そうな顔立ちで、争いごとが苦手そうな雰囲気をまとっている。


「あんたがた、何してらっしゃるんですか! ちょっと、その物騒なものを下げてください」


 彼は泣き出しそうな顔で両手をあげながら懇願した。へりくだった姿勢とは裏腹に、じりじりとこちらに歩み寄ってくる。ただ、本人も近づきたがっているようには見えない――あなたたちの邪魔をする気はないんです。車掌としての義務があるから仕方ないんです――表情筋の全てを駆使して、そう訴えかけていた。


 全員が困惑し次の手を迷っているかのように見えた中、先んじて動いたのは牡丹だった。黒崎が闖入者に気を取られているの好機とみたのか、座席から身を乗り出し、黒崎を狙った。黒崎の目がギラリと光った。


「このタイミングで不意打ちだろ? 悪いな、


 黒崎は軽やかに翻り、牡丹の腹部にフルオートの掃射を浴びせた。胸から腹にかけて4つの風穴を開けられ、牡丹はふらふらと通路に出て、前のめりに床に倒れた。

 篠原と一ノ瀬は、この状況に困惑していた――パンク女の方は片付いた。しかし、この一般人はどう扱えば良い?


 黒崎が男の心臓を容赦なく撃ち抜いた。


 車掌服の男は、信じられないという顔つきで、床に倒れた。篠原たちも同じく、信じられないと言わんばかりの顔をした。しかし、車掌服の男の手元から、ルガーLCPが滑り落ちるのを見て、篠原は表情を変えた。


99、そこの女とおとり役が逆だったよな、お前」車掌服の男――に向けて、黒崎が言い放った。


 黒崎がフードを取り去り、マスクを外し、牡丹の側に向き直る。虫の息になった牡丹の表情が一変した。露悪的なメイクを最大限映えさせる、醜悪な怒りの顔。牡丹は虫の羽音のような小さな声で「……」と囁いた。やがて顔を床に伏せ、呼吸を止めた。


「動くな!」夜鷹が、銃口を篠原に突きつけていた。振り返った黒崎が、不審そうな顔をした。


「お前、心臓撃ち抜かれてなかった?」

「小道具にまで拘るたちでね」夜鷹は懐中時計を取り出した。文字盤の5時の位置に銃弾が穿った穴が見える。「とんだ生存フラグになった」

「俺を脅してどうする気だよ」

「どうもする気はねえよ、3秒こうしてるだけで十分だ」

「ああ?」


 黒崎の腹部を銃弾が貫いた。振り返ると、牡丹の拳銃の銃口から煙が漂い、空気の中で薄れた。彼女は寝返りをうち、仰向けになる。


「やられた。死んだフリね……やっぱ騙すのが上手いな、お前」痛みに悶えるわけでもなく、平然とした体でそう言って、黒崎は崩れ落ちた。牡丹は目を伏せ、蚊の鳴くような声で「フリじゃない」と呟いた。


 遠目に観察していた篠原にさえ、本当にのだろうと察せられた――腹部から溢れる血が尋常ではない、あの子は、もう助からない。


「行ってあげないんですか、あなたの相棒でしょう?」篠原が夜鷹に目を向けた。

「おいおい、今俺がお前から目を離すと思ったか?」

「良いじゃないですか、あなたには、引き金を引く力も残ってないんですし」

「ああん?」

「だってあなたは、

「……すげえな、バレてたのか」


 夜鷹がニッと笑顔を見せた。その瞬間、彼の胸元が赤く滲み、口元からドロリとした血が溢れ出た。篠原は、さきほど夜鷹が自慢げに掲げた懐中時計に目をやった。銃弾が穿った穴が


 夜鷹が篠原にもの言いたげな視線を向けたが、篠原は肩をすくめ、「邪魔しませんよ」と一言添えた。夜鷹はその童顔によく似合う、無邪気な笑みを浮かべ、眩しそうに目を細めた――恩に着る――篠原には、夜鷹がそう言っているように思えた。


「あなたはあなたで、騙すのが得意なんですね。生きてるフリが上手でした」

「生きてるフリ! 洒落た言い回しだ。命がけの演技パフォーマンスの選評に相応しいよ」口元から血を滴らせながら、夜鷹はおぼつかない足取りで、牡丹の元に歩み寄った。


 牡丹の傍で夜鷹は力尽き、糸が切れた人形のように倒れ込んだ。最後の力をふりしぼり、寝返りを打つ。


 夜鷹と牡丹は、お互いに頭を向ける形で仰向けになっていた。すぐ横に目線を反らすと、偶然、お互いに目が合った。


「……仰向けに死んだフリしてれば良かった。弾、貫通してないんでしょ?」牡丹が指摘した。夜鷹もそのことは分かっていた。仰向けに寝てちれば、重力が味方して、弾は丁度栓の役割を果たし、出血を抑えてくれていたはずだ。

「馬鹿言え。俺がああやって気を引いてなきゃ、あの裏切者に勝てなかった」

「……でも、あんたは、うまく騙して生き残れたかも。ずっとずっと騙して欺いて計算高く殺してきたのに、何だって、今回は……」

「俺らはこれまで、1。そうだろ?」

「……ああ、そうだね、うん、そうだった……」


 牡丹は優しげに、微睡むように目を細めた。LEDの白色に近いオレンジ色の照明がもたらすぬくもりは、今この瞬間、この2人にとってのみ、陽だまりのように感じられた。


 結局それが、彼らにとって最期の会話になった。牡丹と夜鷹は、まるで示し合わせたかのように、同時に息を引き取った。


 ***


 特急列車が減速し、篠原は大きく体をぐらつかせた。電光掲示板が次の駅への到着まで時間がないことを伝えてくる。倒れ込んだ黒崎の傍により、脈を図る――まだ死んではいないようだ。


「一ノ瀬さん、黒崎さんのことは任せますね。西舞鶴駅で降りてください」

「……良いけど、篠原のあにさんはどうするん? 予定では、兄貴があんたを最後まで護衛するって話やろ? 西舞鶴には燕って殺し屋が待ってるらしいけど……」

「大丈夫ですよ、もう時限機雷ツァイトラ・ミーネは完成してるんですよね?」

「ちょ、やめて呼ばんとって」

「完成してるんですよね」

「……あと1分処理を終えれば。ギリギリやね」


 篠原は静かに笑みを浮かべ、窓を流れる景色が緩やかになってゆくのを眺めた。


「ここから先は、私1人でなんとかします」


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