第30話

 はぁー。

 今日何度目の溜息ためいきだろう。


 6時限目の英語がやっと終わった。なんとか無事指されずに済んだ。でも期末試験のために覚えなきゃならない単語の量を考えると、気が滅入る。


 はぁー。

 俺はまた深い溜息をついた。


 溜息は今日の授業だけが原因じゃない。昨日いろいろあったせいだ。

 太田先生から聞かされた化学部の処遇をめぐる話、冷たいマグマが突如噴き出した中之森先輩、トドメに泣き出す匂坂部長。


 はぁー。

 また溜息が出た。


 匂坂部長は散々泣いたあと、「お腹すいちゃった」と言い出した。しょうがないから俺とリョーコで安いファミレスに連れていった。

 匂坂部長は大根おろしの乗ったハンバーグステーキを注文し、食べながら大根おろしで紙ナプキンに何かイタズラ書きはじめたと思ったら、スカートまくってガーターにめてあった容器取り出して薬品振りかけて反応みていた。ルミノール反応がどうとか言っていたが太もものインパクトが大きすぎて忘れてしまった。

 他にもドリンクバーでフルーツジュースと紅茶を混ぜて遊んでいた。何か反応して黒いのが沈殿してきたのを確認して、タンニン鉄ができたとか結構いいジュース使ってるとか喜んでいた。

 機嫌が良くなった匂坂部長は、今度は硫酸ウラニルがどんな性質でどんな用途があるかを滔々とうとうと話し出した。なんだか難しくて聞いてる側から全部忘れてしまった、というか聞いてなかった。授業受けてる時のように幽体離脱していた。

「2人とも優しいね。でも他人のためにばかり動くと、心が疲れるから気をつけてね」

 どんな流れか分からなかったが、匂坂部長のその一言で魂が身体に引き戻された。

「太田先生も真剣でいい先生なんだけど、マジメすぎるのはよくないと思う。あれじゃ壊れちゃうよ」

 部長が迷惑かけ放題だから先生が大変なんだろうが! と突っ込もうとしたら

「あの先生、逃げることを悪いことと思ってるんじゃないかな?」

 と言われて驚いた。確かに太田先生はそうかもしれない。

「2人とも知ってた? 先生たちは部活動の顧問でどれだけ時間費やしても、お給料に反映されないんだよ。部活の顧問って雑用扱いなんだよね。」

 え? そりゃ知らなかった。ひどい話だな。

「どうせ残業代も出ないんだから、ラクして楽しむ方向で行けばいいのに」

 それは太田先生の性格からして難しい気もする。

「でも、誰かを助けるために、逃げないであえて突っ込んでいっちゃう人っているのよね。ホント、困ったちゃんだわ……」

 それは、太田先生の事を言っているのか、それとも……。

「それよりもサオリンが心配……、ね、2人とも、化学部がなくなっても、サオリンとは今まで通り仲良くしてあげてね」

 ビックリして部長の顔を見直した。そして思わずリョーコの顔を見る。リョーコもこっちを見ていた。お互い同じ驚きをもったようだ。部長は部がなくなる可能性を認識しているだけでなく、中之森先輩の方を気にかけている!

「サオリンは、見た目と違ってかなり無理しているから……。何が原因かはわからないけど。サオリンは傷ついたガラスのようなものよ。切れ味鋭く感じるのはサオリンが傷ついているからだと思う」

 先ほどの中之森先輩の感情の爆発を思い出し、またリョーコとお互いの目をのぞき込むことになった。俺は知らずに先輩の傷に触れてしまっていたのか? あの硬質の瞳の奥にはどれだけの傷が隠されているのだろう。どれだけの感情を押し殺しているのだろう。

「でもさ、部は無くなっても合宿はしたいわね」

 合宿?

「去年ね、特に合宿する必要はなかったんだけど、サオリンと温泉に1泊したの」

 温泉! 1泊! 頭の中に突如妄想が広がる。匂坂部長と中之森先輩が露天風呂、浴衣姿、並べたお布団……。

「今年は太田先生も一緒に行けるといいわね」

 妄想が更に加速する! 太田先生と温泉! 太田先生の浴衣姿! 太田先生と1泊! それは是が非でも実現すべき!

「堀川くんは八木先生と同室ね」

……一気にどうでもよくなった。


 思い出したらまた溜息が出た。


「溜息多いね。どうしたの?」

 振り返るとメガネくんがいた。

「いろいろあってね」

 実際、いろいろあって説明が面倒だった。そういや以前こいつにもらった妙な画像ファイルのせいで、エライ目にあったんだよな。

「よかったら、気分転換に動画ファイルとか見るかい?」

 この野郎! 俺が前回どれだけひどい目に……えーと、今日はリョーコ来てないな。

 教室を見回して、念のため廊下も確認。よし、敵影無し!

 いや悪い悪い、何でもないんだ。そんじゃ見せてもらえる? あ、その前にイヤホンを……。

 俺がイヤホンをカバンから出そうとしたら、メガネくんは既に動画再生を始めていた。

 バカ! まだ女子生徒いるのになんて大胆な!

 ……動画の画面には、何処かの公園でメガネくんが映っていた。あー、そういえば俺、用事があったんだっけ。

 突然画面が一変した。破裂したような音と共にメガネくんの手からレーザーのように光る剣が伸びた! ハリウッド映画で誰もが知ってるアレだ!

 画面にもう1人同様のレーザーの剣をもった男が現れ、いきなり2人は戦い始めた。スゲー、振り回す時のブンブンうなる音も剣同士がぶつかる音も映画そのままだ!

 動画は3分足らずで終わったが、面白かった!

「これね、この前うちの部で作ったんだ。セイバーの映像と音の効果をPCで合成できるソフトを見つけてね、試しに作ってみたんだ。最初はつかだけで剣先は合成して、後は剣先ついたのを振り回して効果部分を上から描き足す形で……」

 説明はいいからもう一度見せてくれ。あ、確かに剣が伸びる時と斬り合う時で一度画面替えてるな。しかしこんな合成がパソコンでできるのか。

「スゲーよ、スゲーよこれ! 部活でいつもこんなの作ってるの?」

「うちの部のメンバーの趣味だよね。先月合成ツールをネットで入手したからコレ作ってみたんだ。意外と簡単だったよ」

「簡単って、こんなの簡単にできるなんてやっぱスゲーよ。プロになれるんじゃないの?」

「実際アマチュアからプロになった人はいるけど、彼らはレベル違うよ。」

 そう言ってメガネくんは、その「プロになったアマチュア」の動画を見せてくれた。

 正直、ショックだった。同じようにあの映画のセイバーを使ったショートムービーだが、凄いと思ったメガネくんの動画がちゃちく見えるほどの完成度だった。メガネくんが言うには、これの作者は後にハリウッドの特殊効果の技術者になったそうで、そりゃ凄いはずだ。


「興味あるなら、うちの部室見にくる?」

 俺はもちろん承諾しょうだくした。

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