第28話

「どうしよう! ねえコーチンどうしよう!」

 蒼ざめた顔をしたリョーコが俺のワイシャツをつかんで揺さぶる。俺も同じくらい蒼ざめているのは鏡見なくても分かる。

「お、落ち着け、大丈夫じゃないが大丈夫だ。まずは落ち着こう」

「落ち着いてどうすんのよ!」

あわてたって解決しないだろ! とにかく落ち着こう!」

「落ち着いたよ、落ち着いたからさ! 早く何か言ってよ、ねえ!」

「全然落ち着いてないだろ! いいか、まず深呼吸して、それから100数えろ。はいスタート!」

 文句ありありの眼をしながら、それでもリョーコは深呼吸はじめた。数も数えはじめる。今のうちに何か考えなきゃ。

「あのさ」

 数えるのをいきなり中断してリョーコが話し出す。

「本当はケガなんてしてないって、正直に言ってみたら……」

「却下」

「なんでよ!」

「俺たちは化学部の人間だぞ。化学部の立場を守るために嘘をついてるとしか思われないだろ」

「そっか。じゃあケガしたのは部外者じゃなくて関係者だから大きな問題じゃないという……」

怪我人けがにんが出た事が問題で部外者かどうかは二の次だろ」

「じゃあどうすればいいのよ! 文句ばっかり言ってないでコーチンもちょっとは考えてよ!」

「考えてるよ! ただ何も出てこないだけで……」

「なによそれ」

「しょうがない、分からない時は人に訊く!」

 俺はスマホを取り出し、匂坂部長のスマホに電話した。お父さんの写真を入れているあのスマホだ、匂坂部長が持ち歩かないハズがない。だが、何度呼び出し音を鳴らしても出ずに留守電に切り替わる。胸のうちに真っ黒な不安がどんどん広がってくる。

「リョーコ、あれから匂坂部長と会った?」

「いつでも会えると思ってたから、特にこちらから連絡してない……」

 暑いさなか、冷や汗がにじみ出る。叫び出したい衝動を必死になって抑える。ある種の魚は泳ぎをやめると死んでしまうが、実験マニアの匂坂部長から実験を取り上げるというのはそれに近いのではないか。いや、匂坂部長は実験マニアなんかじゃない。彼女にとって実験は、亡きお父さんとの会話みたいなモノだったのではないか。そんな考えが頭から離れなくなった。俺たちが知らない間に、事態は取り返しのつかない所にきているのでは……。

「もしもし、はい平山です」

 ギョッとして顔を上げると、何時の間にリョーコが自分のスマホで誰かと話していた。

「今どちらですか……、はい……、そちらに伺っても……、はい分かりました」

「匂坂部長?」

「中之森先輩、まだ図書館にいるって。うるさくしなければ来てもいい……」

「おいてくぞ!」

「ちょっと!!」

 俺は階段を一気に駆け降りた。

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