第25話

 太田先生がパソコンの画面を確認しなおしてつぶやいた。

「そうだ。周期表の発見は1869年。『舎密開宗せいみかいそう』完成は榕菴が没した1846年の翌年1847年」

 中之森先輩もメモ用紙を確認しなおした。

「1828年に発見されたトリウムまでは『舎密開宗』に記述があるようね。1839年に発見されたランタンは入っていないから、タイムラグは10年から20年といったところ……」


「あのー、ちょっと質問いいですか?」

 ハイレベルな会話を交わしている3人がこちらを見る。低レベルである事を承知で、俺は疑問を口にした。

「周期表って、発見されるようなモノなんですか?」

「堀川、メンデルの法則も万有引力も『発見』されたんだぞ」

 先生の指摘でまたも小さくなる俺。バカですみません。

「あのね、『表』を発見したと考えるから変だなと思うのよ。元素の性質の周期性、つまり『周期律しゅきりつ』ね、これを発見しちゃったわけよメンデレちゃんは」

「匂坂、後輩がメンデルと混同してしまうから勝手に名前を短縮するな。とにかくだ堀川、匂坂の言う通りメンデレーエフが発見したものは『周期律』だ。メンデレーエフは当時知られていた元素を原子量順に並べたところ、似た性質の元素が八または16毎に現れることに気がついたのだ。メンデレーエフ以前にも気づいた科学者はいたが、メンデレーエフが決定的だったのは、周期律に基づいて表の空欄部分に入るはずの、未発見の元素の存在を予言したことにあるんだな」

「えと、ガリウムとスカンジウムにゲルマニウム、だっけ先生?」

「そう、この3つの発見、それに続く希ガスの追加などで、表が今の形に近づいていったんだ。初めからこの表が出来ていたわけではないぞ堀川。しかしな匂坂、少し見なおしたぞ」

 え? なんで? という表情の匂坂部長

宇田川榕菴うだがわようあんのまとめた情報が周期表発見直前の知識だと気づいたこともだが、それよりもだ、すぐに調べろと叱咤しったしてくれたこと、これには礼を言わねばなるまい。ありがとう」

 エヘヘと笑い頭をかく匂坂部長。

「『今すぐ!』はパパの口癖だったんだ。それにね、歴史上の出来事には、その前提となる何かが必ずあるってパパがよく言ってた。パパ、歴史好きだったから……」


 数瞬の沈黙の後、俺たちは言葉の意味を理解した。いてはいけない事を訊いてしまったと、太田先生の整った眉がひそめられる。理解したリョーコが俺の表情を伺うのが分かる。俺は中之森先輩の瞳の圧力が増したような気がして、少し息苦しさを感じた。

「ね、見て、これパパの写真」

 ニッコリ笑ってスマホを差し出す匂坂部長。俺たちは少し気まずい思いで画面を見たが、その写真が意外過ぎてついのぞきこんでしまった。

 画面には、言われなければ目の前の匂坂部長と血縁関係があるなんてつゆほども思わせない、野性味あふれる男のかおが写っていた。短く刈り込んだ頭髪、濃いレイバンのサングラス、日焼けした肌、そして革ジャンを着ていてもわかる筋肉の分厚さ! 本当にこの人、お人形さんみたいな顔した部長さんの父親なのか?

 匂坂部長が写真をスライドさせて2枚目を出す。今度はサングラスをかけたまま、上半身シャツ1枚でポーズをとっており、盛り上がった胸筋と上腕が強烈な印象を見る者に刻み込んだ。嬉しそうに見せてくれる匂坂部長には悪いが、まるっきりカタギの人に見えない。いったい何の仕事してた人なんだか心配になってくる。

 疑問を口に出せずにいたところで、匂坂部長が次の3枚目を見せた。今度はサングラスをしていない……。


 俺はえた。耐えきった。エライぞ俺。見るとリョーコも口をギュッと結んでガマンしていた。太田先生も拳をキツく握っていた。肩が小刻みに震えている。

 写真の人は、確かに部長さんの父親だ。間違いない。つぶらな瞳、ばっちりとした二重まぶた、マスカラつけたような長い睫毛まつげ。匂坂部長の特徴あるパーツが、岩のようにゴツイ父親のかおに不釣り合いにめ込まれていた。いや、現実は父親の目元の特徴がメンデルの法則に従って娘に受け継がれたわけなんだが、これどう見ても女の子の目だよ!

 耐えきった俺たちに、匂坂部長は更に4枚目を見せた。小学校高学年と思しき匂坂部長と父親のツーショット写真。いかつい父親と小柄な娘が並んでカメラ目線で写っているわけだが、2人ともプリクラ写真のようにお目々パッチリで……もうダメだ!

 俺たちは堪らずいてしまった。太田先生も涙流して笑ってしまっている。不謹慎とは思うが、あの目元のインパクトは絶大で抵抗できる代物じゃなかった。

「ね! 笑えるでしょパパの眼! 今までこの写真見て笑わなかったのはサオリンだけよ。あの時は敗北感でホント悔しかったわ!」

 言ってるほど悔しさを感じさせず、匂坂部長はケラケラと笑い声をあげている。中之森先輩は視線をコーヒーカップに落としていて、表情はよく読み取れなかった。


「パパは消防士だったの。仕事に必要だったから化学の勉強してたのね。パパったら勉強してるうちに爆発実験の面白さにはまっちゃったみたいで、仕事とか資格に関係なく勉強して実験繰り返してたの。消防士なのに爆発が好きだったのは困ったちゃんよね。でも炎色反応とか調べて、色違いの爆炎出したりして、私にいろいろ教えてくれたのよ。白金線なんて買えないから針金で自作したりとか。そうやって実験しながら残したノートには、勉強に悪戦苦闘した跡がビッシリ書いてあって、解読するのが、すんごい難しかった!」


 父親がのこしたノートの内容をなんとかして理解したい、そう思った匂坂部長は当時中学生になっていたんだろうか。父親が何を考え何を見つけ何を喜んだのか、自分の知らない父親を追いかけようとした匂坂部長の姿を想像してしまい、少し胸が苦しくなる。


「話、戻しますけど」

 メモ用紙を確認しながら中之森先輩が冷たく乾いた声でつぶやき、現実に引き戻る。

「こうしてあらためて見ると、19世紀は元素発見ラッシュだったわけですね。電気分解から始まり、周期表の空欄からの推測とスペクトル分析による元素発見が続いて、そして19世紀末はキュリー夫妻による放射線と放射性元素の発見……」

「おー!」

 いきなり匂坂部長が立ちあがる。

「先生、私ガイガーカウンター作ってきてたのよ。ちょっと待っててね」

 相手の反応も見ないで準備室を飛び出していく匂坂部長。すぐに自作ガイガーカウンターを手にして実験室から戻り、その筆箱のようなケースをテーブルの上に置いた。匂坂部長は、めてもらうのを待っている子犬のような表情をしてる。

「ほう、匂坂の自作か。ちょっと借りるぞ。ん? スイッチはこれか?」

 途端に「カリカリカリ」と乾いた音がした! さっきまで何をやっても反応しなかったのに!

「お! ちゃんと動作するじゃないか……どうしたお前たち?」

「……あなた、マントルを今持ってるの?」

「いや……カバンの中……隣の実験室に……」

 状況を理解した太田先生の表情から笑みが消える。ガバッと立ち上がり、ガイガーカウンターを握った手を伸ばし、まるで能の舞手が持つ扇のようにゆっくりと動かしていく。耳障りなカリカリという音が大きくなったポイントで手の動きが止まる。その先には年代物の薬品棚があった。先生が薬品棚に近づくと音はガリガリと大きくなっていく。棚の一番下、鍵の掛かった引き出し部分が反応の頂点だった。

「お前たち、この引き出しの中を見た事は?」

 今年赴任したばかりの太田先生が先輩2人にたずね、中之森先輩が答えた。

「いえ、何年も前から鍵が掛かったままだと、八木先生もおっしゃってました……」


 窓の外はいつの間にかすっかり晴れ上がり、明るい陽光が室内に射し込んできた。だが太田先生の机の上にある天気管は、白い結晶を氷山のように形成したままだった。


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