第21話

 コーヒーとお菓子が実験卓の上に並べられる。今日のお菓子はチョコレートと、バナナのパイだ。誰か買ってるのか、お菓子代はどこから出ているのか、未だよくわからない。

 パイの包装紙に書いてある原材料と添加物てんかぶつをチェックしながら、匂坂部長が口を開く。

「この前借りた映画のDVDで、種があるバナナが出たのね。今まであまり気にした事無かったけど、バナナだって植物だから普通は種あるよね。でね、ちょっと調べたんだけど、品種改良の結果、種の無いバナナができたらしいの。じゃあどうやってバナナの樹を増やすのかっていうと、株分けなんですって。」

 へー、初めて聞いた。

「それでね、今知られてるバナナって、ほとんどがキャベンディッシュという品種なんですって!」

 中之森先輩が反応した。

「キャベンディッシュ? それって、ヘンリー・キャベンディッシュと関係あるの?」

「全然! よくある名前みたいだからね。」

「なんだ……」

 あれ? なんだか記憶に引っかかる名前だぞ。海賊マンガにもあったと思うが、そっちじゃなくて……。

「あの……キャベンディッシュって、何やった人でしたっけ? なんか聞き覚えあるんですが?」

「聞き覚えあるはずよお! 堀川くんが以前見せてくれたマンガ、あれに出てくるから。あれ私も買ったのよ」

 え! 慌ててスマホ出してファイルを開く。横からリョーコも襟元えりもとを気にしながら首を伸ばす。検索して待つ事数秒、あったよ! えーと鉄に硫酸をかけて……。

「見つかった? 書いてある通り、キャベンディッシュは水素の発見者として有名なの。でもこの人かなり変な人でね」

 横から中之森先輩が話に入る。

「もともと資産家だったけど、お金を使う事には興味無かったみたい。親が亡くなって遺産が入った後はなおさらで、屋敷に引きこもって研究に没頭ぼっとうしたと記録には残ってるわ」

「でね、彼の研究内容は死後半世紀以上経ってから発表されたの。その内容がスゴイのよ。クーロンの法則もオームの法則も、キャベンディッシュはたった一人で発見してたのよ! それもクーロンやオームよりも先によ! 発表してたら歴史が変わってたんだから!」

「極端な人嫌いだったみたいね。生涯独身で、資産は実験以外にはあまり使わなかったみたい。キャベンディッシュの死後も相当な資産があったそうよ。世俗の楽しみには興味無かったのね。あくまで実験と研究、その追求だけが生きがいだったんでしょう」

「つまりマッドサイエンティストなのよ! 大きな屋敷に独りで実験繰り返して、世の中より100年早い化学の発見をするなんてあこがれるわあ! ところで堀川くん、やってみたい実験があるんだけど」

「お断りします」

「なんで?! まだ何も言ってないのに!」

「あのマンガみたいに、水素ガスの風船作って、人間が浮くかやってみたいんでしょ? 俺だってヒンデンブルグ号がどうなったかくらい知ってますよ」

「うーん、残念!」

 怖い事考える人だなホントに。このままだと、今日みたいな天気の日にフランクリンの凧揚げ雷実験したいと言いかねないぞ。あれも追試で死者続出だったはず。

「じゃあさ、凧揚げくらいだったら……」

「絶対イヤです!!」

「つまんないの。じゃあさ、話をバナナと映画に戻すけど、バナナに種があったのも驚いたけど、古代ローマがバナナを知らなかったのにもちょっとビックリ。でも当たり前なのよね。バナナって熱帯の植物なんだから」

「そうね、バナナは東南アジアから赤道近辺に沿って世界に広がったはずよ。だからコロンブス以前の中南米にも、バナナは存在しなかった」そう言った後、中之森先輩はカップを口に運ぶ途中で思い出したかのように付け加えた。「コーヒーもそうね」

「その逆だっていっぱいあるよねぇ。新大陸原産はトマトにジャガイモ、トウモロコシ、あとは唐辛子、それからえーと、チョコレート! あとコチニールも!」

 コチニールって何だっけと思ったが、横でリョーコが嫌な顔したので思い出した。あの赤い染料の虫か!

 リョーコの顔見たら頭の中で連想が進んだので、俺も質問する。

「今の中でトウモロコシと唐辛子は、日本に比較的早くから入ってきたみたいですね」

「そうね。南米原産の唐辛子は、ポルトガルとの交易を介して日本にきたと考えるべきね。昔の日本は外国からの輸入された物を、頭に『唐』の字を付けて呼んでいたわけだし」

「そうよ、カラテもそう!」

 あれ、リョーコに先に言われちゃった。


 先輩2人がキョトンとした顔をしている。こっちの方面は疎いみたいだ。

「カラテは本来は『唐手』と書いたんだよ。でも沖縄から日本に入ってきてから『空手』に字が変わったんだって!」

「漢字の変更の事情は、明治当時の世相もあったと思いますよ。あと面白いのは、琉球には元々、『ディー』と呼んでた武術があって、その後、大陸から来た武術と融合し、『唐手トーディー』となったらしいんですよ」

「さすがコーチン詳しいね」

「親父の受け売りだよ。そういえば、時代考証で思い出したけど、親父が以前、琉球が舞台の大河ドラマ観ながら、『この時代に上段回し蹴りがあるわけないだろ!』とテレビに向かって怒ってたな」

 匂坂部長が話に乗ってきた。「時代考証とか科学考証って面白いわよね。でもそればかり気にして作ってもストーリーがつまらないようじゃ困っちゃうし」

「匂坂部長は、そーゆーの気にする方かと思ってたけど、違うんですね」

「宇宙で爆発したら無音のままじゃ寂しいわよ。やっぱり爆発音は欲しいし。ロビンフッドの時代はルネサンス前で火薬は無いんだけど、やっぱり爆発は欲しいわね」

「そっちですか」

「キャベンディッシュみたいな、独りで1世紀先取りする人が現実にいたんだから、映画でその時代に無かった物が出てきても、実はそれあったかもって思っちゃうの!」

「そうですよね、そっちの方が楽しいですよね」


 そう、実際、今すごく会話が楽しい。


 外は豪雨が続き、雷鳴も聞こえてくる。そんな中、濡れた服を乾かしつつ、こうやってコーヒーとお菓子でくつろぎながら会話を楽しんでいる。日曜の午後の校舎の一室で。

 この特殊な状況が、なんとも言えない親密な空気を作り上げている。

 もちろん、白衣の下は下着だけの女の子が目の前に3人もいる、という特殊すぎる条件も大きく作用しているとは思う。

 でも、なんだろう、まるで雨でテントに閉じ込められながら、その状況を楽しんで盛り上がるキャンプのような雰囲気だ。


「ずいぶん楽しそうな声がすると思ったら、お前たちも学校来てたのか」

 その声に振り向くと、太田先生の凛々りりしいお姿があった。黒板を挟んで廊下側の扉の反対側、化学準備室の扉の側から先生はこちらへ歩いてくる。薄手のブラウスに膝丈のフレアスカートという服装で、平日の授業中のいつものタイトスカートとは違いふんわりと柔らかな印象だ。さっきは準備室に誰もいなかったから教務棟の職員室にいたのかな。見たところ雨に全然濡れていないし。

 この姿で雨に濡れてたらと想像したら、ちょっと一部が困った事になってきた。

 幸い、先生の視線は白衣姿の3人と、カーテンにぶら下げられた制服に向いていた。

「しかしなんて恰好かっこうしてるんだお前たち。事情はよく理解できるが」

 そのセリフでリョーコは再び顔を赤らめる。中之森先輩は無表情のまま。

 匂坂部長はエヘヘヘと笑いながら、組んだ脚の上で白衣のすそをピラピラともてあそびながらこう言った。

「先生もご一緒にどうですか?」

 ギクリとして太田先生の歩みが止まる。

「コーヒーを、ですわ」中之森先輩が言った。

 俺は先生をちょっとかわいそうに感じた。

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