第13話
「1番目のフラスコには水を入れるのね。で、2番目のフラスコには楠の葉っぱを入れるの。1番目のフラスコから温められた水蒸気がガラス管を通って2番目のフラスコに送られるわけ」
ふむふむ。
「すると楠の葉の内部にある
さっぱりわからん。
リョーコがおずおずと
「あの、これって、要は蒸し器ですよね? シューマイとかの」
「そうそう、原理は一緒ね。ただ目的はシューマイじゃなくてシューマイのニオイの
やっぱりお料理教室だ。
「じゃあ、理解したということで、実験開始といくわよ!」
匂坂部長はそう言って、髪をゴムで両脇に束ね、それから効果音が聞こえるような勢いで保護メガネを装着した。俺とリョーコも、あわてて保護メガネをかけた。実験の際には絶対必要だからだが……
「ファイヤー!」
ノリノリでバーナーを点火する部長さん見てると、やっぱり保護メガネ無しでこの人の実験につきあうのはヤバそうだとあらためて実感する。
とりあえずバーナーは、当たり前だが無事点火。実験装置はフラスコやガラス管などガラスの集合体なので、これが爆発でもしたら破片が飛び散って大惨事なのは間違いないところだ。まあ薬品使ってないし、単に蒸し器らしいから心配要らないとは思うんだが、なんせ出会いが出会いだったからね。
2番目のフラスコと終点のビーカーとの間にある冷却用のガラス管は、ちょっと特殊な形状をしている。細めのガラス管を太いガラス管が包むようになっていて、しかも外側の太いガラス管の上下に
「これはリービッヒ冷却管といって、見ての通り中の管を通る蒸気を水で冷やすの。水は必ず下から上に通してね。ねえちょっと聞いてる?」
もちろん聞いてますよ、生半可に。なんせやること無いもんで。
実験が順調に進んでいるようで、お鍋はグツグツ煮えてきて、刻んだ葉っぱもいい具合に蒸されてきた。香りが実験室に充満してくる。もちろん食欲をそそる香りではなく、洋服ダンスでおなじみの防虫剤の香りだ。冷却管の先から透明な液体がビーカーの中にポタポタと垂れ始める。
部長さんは実験が上手くいってニコニコご満悦、リョーコは初めて見る実験に興味津々の様子だが、俺は何もやることなくてヒマで仕方ない。水滴でビッシリのフラスコも、液が垂れ始めた冷却管も、何分経っても大きく変化があるわけでもない。堂々と舟を
やることないから、部長さんの肩越しに太田先生と中之森先輩の動きを
お2人はこちらとは離れた実験室の反対側で、印刷した備品リストを手にしながら薬品棚やケース内部をチェックしている。
「
「はい、すべて準備室での保管を確認済みです」
「駒込ピペットがあと10本はあるはずだが」
「それならこの下のケースです」
「なんで化学室に変圧器があるんだ?」
「さあ、分かりません」
「なんだこの
「昭和48年製造とありますね」
「中身は使えるのか?」
「昨年は部で使用しておりませんが、一応は備品として登録されてます」
むこうは結構忙しそうだな……
「なんで出なくなっちゃうわけ!!」
突然の匂坂部長の叫び声で我に返る。うたたねしていた八木先生も目を覚ます。太田先生と中之森先輩までこっちを振り向く。俺も慌てて部長さんの方を見る。
どうやら冷却管の先から液の出が悪くなったようだ。冷却管の先につないだゴム管を部長が
「この管、壊れてるんじゃない?」
壊れるような複雑な作りのわけないでしょゴム管が!
「最初は順調に出てきてたのに……、やっぱり葉っぱ乾燥させてからの方がよかったのかな?」
太田先生と中之森先輩が作業の手を止めて、共に険しい表情でこちらを見ている。俺は関係ないですからね。騒いでいるのは部長さんだけですから。
太田先生と中之森先輩、2人とも視線がこちらに固定されたまま何事か話している。遠くて会話の内容までは分からないが、2人が緊張状態にあるのは確かだ。
これって、ひょっとして、何かヤバイこと起きてる?
まさか、爆発とかしないよね?
部長とリョーコは実験装置から視線を外さないし、八木先生は太田先生に背中を向けているから、先生たちの緊張状態が分かっていない。
ガスバーナーは変わらず2つのフラスコを加熱しつづけている。薬品は何も使っていないから爆発の可能性は無いハズだ。そう思う。でも、もし爆発したら、ガラスの破片が……。
眉間にしわを寄せたままの表情で、太田先生がこちらに歩みだした。と同時に、何かに気づいたらしい中之森先輩が何かを短く口にした。瞬間「しまった!」という表情が太田先生の顔を走る!
「火を消せ! 匂坂!」
ダメだ! 決定的に鈍い! 部長もリョーコも「なんで?」という表情だ。
ガスバーナーの元栓は、部長とリョーコの向こう側にある。2人を押しのけて元栓を締めるべきか。いやそれより先に……。
俺は部長とリョーコを押し倒そうと2人に跳びかかった。
「ポン!」
というシャンパンの栓が抜ける音そっくりの、緊張感のカケラもない破裂音が実験室に響いた! そして細い「何か」が怪鳥のように翼を広げ
その「何か」は俺の顔面を直撃して砕けた。熱いのか痛いのか判然としない感覚が、一瞬頭部を走る。
時間にして数秒ほどしか経っていないのだろうが、俺は恐る恐る目を開けた。
部長さんとリョーコは、俺と同様に床に倒れていた。2人とも驚きの表情で、うまく起き上がれない様子だが、見たところどこもケガをしていないようだ。よかった。
上体を起こして実験卓を見上げる。バーナーの火は、2つとも太田先生によって消されていた。実験装置の2つ目のフラスコの口からは蒸気がもくもくと上がっている。
あらためて床を見ると、2つ目のフラスコに
俺の保護メガネ、というかサバイバルゲーム用のゴーグルには、白いキズが斜めに走っていた。BB弾の直撃でも大丈夫なヤツで良かった。俺はそっと息を吐き出した。
「フラスコ内の湿った
中之森先輩が冷静に分析した。
「大丈夫か、堀川」
太田先生が心配そうな顔でこちらを
腰に力が入らなくてうまく立てそうにない。
まだ
「ヘルメットが無ければ即死だった……」
誰も笑わない! こんな有名なセリフ、誰も知らないのか? ファーストは義務教育じゃないのか!
ウケ狙いが外れて、変な汗をかいたようだ。額がぬるぬるしてきた。俺を見るみんなの表情が急に険しくなった。悪かったな外して。俺は白衣の
袖が真っ赤に染まった。え? なにこれ?
「イヤー! コーチン死んじゃイヤー!」
リョーコが飛びついてきた。
「すぐ動脈圧迫して止血してあげるからね!」
ちょっとまてそこは
「バカモン! 止めんか平山!」
全身がしびれ、世界がホワイトアウトしていく中、遠くから太田先生の声が聞こえてきて、俺は、落ちた。
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