第14話
「戻ったか」
驚くほど間近の背後から、太田先生の優しい声がした。
首を動かし、周囲を見回した。脚を投げ出して床に座り、上体を起こしている体勢だった。匂坂部長に中之森先輩、リョーコに八木先生が、心配そうな顔をしてこちらを見ている。太田先生は背後から俺の両肩を掴んでいた。
そうか、柔道の
「よかったぁ」
両手を胸に当てたリョーコが、大きな
「しかし堀川、さっきはよく
太田先生が背後から、俺の両肩を力強く
「え、いや、あれはたまたま……」
たまたま太田先生の方ばかり見てましたから、とは言えない。
肩越しに太田先生の息づかいを感じる。背中が太田先生の胸に当たっている。何とも言い難いいい匂いがする。
と、リョーコの視線を感じ、緩み出した表情筋を急いで引き締める。
あれ? そういえば俺、出血してたんだよな?
額を探ると、左側の生え
「血の量に比べて傷の方はたいしたことはなかったから心配するな。
そこまで太田先生がしてくれたのか! 先生が顔を近づけながら手当てをしてくれたと勝手に想像してみる。ああ! 幸せすぎて気が遠くなりそうだ! 治療時に意識が無かったのが残念だ。
「傷の処置は八木先生が実に手際よくなされてな」
薄い頭に手をおいてエヘヘと照れてる八木先生を見て、別の意味で気が遠くなりそうになった。
「なんたって去年私たちがいっぱい事故起こしたからね。だから八木先生、手際いいのよ」
「
「『私たち』というのは誤解を招くので、『私』に訂正してほしいわね」
「あー、でもなんか安心したらお腹すいちゃった」
「こら匂坂!」
「では、とりあえず僕がコーヒー淹れましょうか?」
「八木先生……よろしいのですか?」
「いいっていいって! お菓子まだあったよね?」
「匂坂! 実験器具をまず片付けろ!」
そう怒鳴って、太田先生は俺の両肩から手を離し立ち上がった。背中から柔らかな温もりと感触が失われた。実に残念だ。
いつまでも床に座っているわけにもいかず、立ち上がって軽く伸びをした。
匂坂部長を追って準備室に向かおうとしていた太田先生の足が、ふと止まる。そして何かを思い出したようにこちらに向けて戻ってきた。
俺の目の前に立った先生は、俺の前髪をかき分け、額の傷を確認した。
「頭部の傷は、出血は大きくて驚くだろうが、傷自体は小さいものだ。今回は応急手当てだけだが、このまま保健室には行かないでも大丈夫だろう」
「そうですね、俺もそう思います」
「それと白衣だが、血は落ちにくいからクリーニングに出しておこう。脱いでこちらに渡してくれ」
「いいんですか先生? ありがとうございます」
俺はいそいそと白衣を脱いで先生に手渡した。
太田先生は、なぜか少し決まり悪そうな顔をして振り返り、準備室へと向かった。
「さっきはありがとう」
中之森先輩が近づいて声をかけてきた。
「私の友だちを守ってくれて」
ああ、部長さんね。
準備室から部長さんとリョーコが、お菓子の箱を持って出てきた。太田先生がフラスコを片付けろと言っている。まーまーと言いながら八木先生がコーヒーセットを持って出てくる。八木先生と太田先生が、二言三言会話する。会話の内容は聞こえないが、気のせいか2人とも少し表情が険しくなったような印象だ。
俺の横で中之森先輩は、太田先生と八木先生を見つめている。中之森先輩の眼がより一層、硬質さを増したように思えた。
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