第10話

 匂坂さきさか部長が戸棚の鍵を開ける。

 中には部の備品と思われるノートパソコンと、「ヤバイ化学実験」「教科書が教えない化学」とかの物騒なタイトルの実験マニュアルが並んでいてちょっと引いたが、まだ開封してない白衣を2着出してくれた。

「これがお2人の白衣。こっちが男性用で、こっちが女性用だから。早速そで通してみる?」

 はい、是非とも。ちょっとこれだけは期待してたんだ。

 ビニール袋を開けて、のりの効いた白衣を引っ張り出す。おお、当たり前だけど白衣だ。割烹着かっぽうぎとかとは全然違う白衣だ。袖を通してみると膝丈くらいまである。ボタンをきちんとめて、薬品戸棚のガラス戸に映る姿を見る。なんか科学者っぽいね。これは楽しい!

 見るとリョーコも同じ気分らしく、あれこれポーズつけている。ちょっとしたコスプレ気分。

 あ、これに似た気分、前にもあったな……。真新しい真っ白い木綿の服。それを初めて着た時の、自分が何か大きく変わったかのような、少し誇らしげな気持ち……。

「白衣、気に入った?」

 中之森先輩の言葉で我に返る。黒い硬質の瞳がこちらを見つめている。

「はい、とっても! 白衣っていいですね。なんか科学者になっちゃった気分!」

 リョーコが元気よく応えていた。

「白衣それ自体にはたいして意味なんか無いのよ。基本的には作業着だし、実験で飛び散った薬品などから服を汚さないようにするのが目的なんだから」

「最近はピンクとか緑とかのありますよね。そーゆーのは着ないんですか?」

「あれは医療用ね。血液の汚れを目立たなくするにはいいけど、化学の実験には不向きなのよ。だって付着した薬品の色が分からないと、何が飛び散ったか分からなくて困るでしょ? それと、薬品に触れて反応しないように、化繊かせんじゃなくて木綿じゃないと危ないのよ」

「ふーん、いろいろ意味あるんですね」

「あと、実験には薬品や破片から眼を保護するための保護メガネが必要だけど、あなたたち持ってるって言ってたわね」

「はい、これで大丈夫ですか?」

 俺とリョーコはカバンからプラスチック製のゴーグルを出した。ゴーグルの上部中央に星のマークが2つ並んでいる。

「スキー用のゴーグルじゃないし、花粉症対策のとも違うみたいだけど、それ何なのかしら?」

「えへへ~、サバイバルゲームのゴーグル。BB弾が当たっても大丈夫! 薬品でも破片でもへっちゃらなんだから!」

「ゴーグルに色は着いてないし、目的は果たせるから問題なさそうね。それお揃いだけど、お2人でサバイバルゲームというのしてたの?」

「いえ……、3人です。俺の親父と……」

 親父に付き合わされて、3人でやったサバイバルゲーム。いつも最後はなぜか肉弾戦になった……。

「いいお父様なのね」

 と、これは匂坂さきさか先輩。ややこしいし面倒くさいから、親父の人となりの説明はやめておこう。

「2人とも視力は悪くないのよね。私もメガネかけないから、普通の保護メガネだけど、匂坂のは度が入ってるのよ」

「メガネの上からかぶせるタイプもあるんだけど、面倒だから最初から度が入ってるのを付けてるの」

 あ、あの硫酸の実験した時は、白衣にメガネという実験の正装に替えたわけか。別に変身したわけじゃないよな。そりゃそうか。


「ねえ、今までの化学部の活動内容見てみる? パソコンの中に入ってるから」

 匂坂先輩はそう言ってノートパソコンを起動させた。

 年度毎に分けられたフォルダに、研究テーマをファイル名にしたPDFファイルが保存されている。「ボルタ電池とダニエル電池の再現実験」「アンモニアソルベー法の実践確認」「市内河川のpH測定値」などなど、ふーん、流石にスゴそうだな。伊達に偏差値は高くないか。


 で、昨年度のフォルダを開けると……。

「炭酸ガス圧力上昇によるペットボトルの爆発の手順」「硫化水素の作成と拡散、その効果」「揮発性液体を用いた火炎放射器の作成と注意点」「サリン生成の可能性と限界」「アルミ容器と強アルカリ液による水素発生と爆発」

 こりゃヒドイ。

 改めて先輩2人の顔を見直す。

 研究テーマだけ見ると過激派顔負けだが、別に変な思想にかぶれてるわけでもなさそうだし、常識は普通にありそうで、でもやってる事は非常識。

単純に、危ない実験好きの女子高生、というわけだろうか?


「よければこのファイル、メールで送りましょうか? これからの参考になりますし」

「ちょっと分量あるから、メールはキツくないですか? あ、そうだ、USBメモリあるから、それに入れてください」

 俺は制服のポケットからUSBメモリを出した。ちょうどメガネくん改め芝原くんからもらったばかりのヤツだ。これに研究内容のフォルダごとコピーしよう。

 ノートパソコンのスロットにUSBメモリを差し込む。ポップアップが出てきたので、「フォルダを開く」を選択。

 USBメモリのフォルダの中に入っていたファイルが大型アイコンでずらりと画像表示される。しまった!

「ちょっと!何よこれ!」

「いや、これは俺のじゃなくて」

 表示されたアイコンは、全て肌色成分過剰の代物だった。画面いっぱいにフォルダを拡げても、まだ全部表示しきれていない。ざっと見て100以上の数のエロマンガのファイルだ!

「これ、あなたの趣味?」

「いえ違います! これには事情が」

「ねえねえ、割合として巨乳モノが多いわね。堀川くんは胸が大きい女の子が好きなのかしら?」

 匂坂先輩の一言で、リョーコがキレた! リョーコは俺の白衣の襟首えりくびを両手でつかんで大外刈おおそとがりの要領で俺を床に押し倒した。俺はかろうじて右手を後頭部にあてて床との激突を避ける。

 床にのびた俺の上に、そのままリョーコはまたがった。マウントポジションを取ったリョーコは、怒りに燃える眼で俺を見下ろす。何を言っても無駄モード突入だ!

「この、変態!」

 マウントポジションから拳が顔面目掛けて振り下ろされる!

「このこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこの!」

「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て!」

 両腕の上腕でガードするが、とても防ぎきれるわけがなく何発も喰らってしまう。

「全ファイル数は167。そのうちタイトルに乳がつくのが32、胸が28、あと妹が23、姉が51、メイドが14ね」

 なに冷静に分析してるんですか部長は!

「これから導き出される結論として、堀川くんは胸の大きい年上のメイドさんが好みなのかな?」

 リョーコの突きの勢いにアクセルが入った!

「ねえサオリン、今度の文化祭はメイド喫茶にしましょうよ! 堀川くんもきっと喜ぶと思うわ!」

「面白そう……」

「ちょっと、ふざけて、ないで、助けて、くださいよ!」

 怒りが加速したリョーコが叫ぶ。

「あんたそんなにメイド服が好きなんか!」

「あら、あなたも着るのよ、メイド服」

 中之森先輩の一言で、一瞬リョーコの動きが止まった。

 俺は間髪かんぱつ入れずリョーコの白衣の衿を掴んでリョーコの上体を引きずり寄せた。体を密着させて突きを封じる。そのまま腕をリョーコの首に回して、体をピタリとつけたまま回転した。俺がリョーコの上になる。

「この構図、ほらこのマンガのこのポーズにソックリ」

「そうね……」

 何とでもいってくれ、こっちは必死だ。リョーコの両手首を掴んで俺は言った。

「落ち着け! あのメモリはもらったモノだ! お前さんが教室に来る前に、友人が俺にくれたモノだ!」

「何でそんなものもらうのよ!」

「こっちだって中身はさっき知ったんだ!」

 リョーコの眼から少しずつ怒りが消えていくのが分かる。俺はとりあえずホッとした。


「お前たち!何騒いでるか!!」


 化学準備室と繋ぐ扉が開いて、太田先生が入ってきた。そうだ隣で試験の打ち合わせしていたんだった!

 俺は、白衣も乱れた格好で、同じように白衣が乱れたリョーコの上に覆いかぶさって、二人とも息を荒げている。

 これは非常に不味い状況じゃあないかな?


 太田先生の、宝塚ばりに整った目元に雷雲が立ち込めてきた。

「入部早々……何やってる!!」

「違います! あの、違うんです!」

「言い訳するな! 2人ともそのまま廊下に立ってろ!」


 匂坂先輩がUSBメモリを抜き取りポケットに入れるのを、俺は視界の隅に確認した。見かけによらず素早く要領がいい人だ。こんな事態に慣れているとみた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る