第3話

「さっそく高校生活を満喫しとるようじゃねーか。明日から人気者だな」

 帰宅した俺に対し、最初に親父が吐いたセリフがこれだった。先に一人で晩飯を済ませ、居間でコーヒーを飲みながらくつろいでいた親父は、スマホの画面をいじったままこちらを見もしない。

「自分の息子が救急車で病院に運ばれたんだぞ。少しは心配しろよ」

「腕の1本や2本折ったならともかく、ひっくり返って頭打っただけだろ? そんなもん受け身とらないオメェが悪いんだよ、反省しろ! 立ち技で頭に一撃くらったんならともかく」

 なぜ分かった! という言葉がのどの奥からせり上がってきたが、辛うじて飲み下した。ショックを顔に出さないよう苦心したが成功した自信はなかった。親父がスマホの画面から顔を上げなくて助かった。

 今のはマグレ当たりだと思うが、このまま下手に会話を続けるとボロが出るかもしれないと思い、自分の部屋へ移動した。


 階段を上がって自分の部屋へ向かう。ごく普通の4LDKの一軒家で特筆すべき点など無いのだが、「18才未満お断り」のシールが貼られた部屋を持つ家はここだけだろう。俺の部屋ではもちろんない。あのふざけた親父の部屋だ。この家で18才未満は俺しかいない。つまり俺に入るなという意味で貼っている。ふざけるな、誰が入るか! と言えないのが悔しい。

 3年前、中学にあがった頃、この部屋に入った事がある。マンガ本や雑誌、オモチャが乱雑に積まれ、パソコンも置かれていた。この光景そのものは幼児期から見てはいたが、親父から入るなと言われていた事もあり入る事はなかった。マンガもオモチャも言えば貸してくれたので、不在時に忍び込む必要を感じた事もなかった。

 中学に入り、自分専用のパソコンを買ってもらって、いろいろと好奇心に駆られた俺は、親父の部屋に侵入した。これだけの魔窟まくつだから、エロ本の類が絶対にあるはずだと確信していたからだ。それを裏付けるように、「18才未満お断り」のシールをわざわざ入口に貼っただけでなく、俺に絶対入るなと直接口頭でも言ってきた。これはもう絶対に何かある。親父も母も仕事でまだ帰っていない時、俺は魔窟に侵入した。母親は「腐海ふかい」と言い切り、絶対に掃除にも入らないその部屋は、床も埃だらけで、泥棒に入られた後の古本屋倉庫のような状態だった。どこから手を付けようかと思った俺の目に、デスクトップパソコン横にあるポータブルHDが飛び込んできた。そこにもデカデカと「18才未満お断り」のシールが貼られていたからだ。これは凄いデータが詰まっているんじゃないか? 親父のパソコンがパスワードかけられているのを知っていたが、そのポータブルHDだけ外して自分のパソコンにつなぎなおせば中身が見れるのではないか、いや絶対に見れるに違いないぞと思った。お宝をちょいと拝借して中身コピーしたら知らん顔して返しておこうと決心してポータブルHDを手に取った。

 その途端、ポータブルHDに引っかけて伸ばしてあったメジャーが勢いよく巻き取られ、パソコンデスクから落ちて定規に当たり、ビー玉が転がり、その後はもう何がどう動いたかよく覚えていないが、乱雑に置かれた本などの陰に巧妙に隠してあったピタゴラスイッチが次々に動き出した。頭の中が真っ白になった俺の目の前に、パソコンのディスプレイ上部に設置してあった垂れ幕がパラパラパラと降りてきてディスプレイを覆い隠した。そこには「このポータブルHDは空です」と書かれてあった。

 動作終了したピタゴラスイッチを全て元通りにできるわけもなく、俺は言いようのない屈辱と敗北感を胸に親父の部屋を出た。中1の時、何カ月も俺が親父と口をきかなかったのはこれが原因で、母親はもちろんこの事を知らない。


 普段着に着替え、居間へと戻った。皿に山盛りになった餃子が良い匂いを出していた。ハンバーガーを食べたばかりだが、空腹感が新たに沸き起こってくる。

「それ食ったら風呂入って寝ちまえ。あとスマホ貸しな。スキャンしたマンガ入れてやるから」

 親父の最近の趣味というか日課が、部屋にたまっているマンガの電子化作業だった。今日も1日部屋にこもってスキャンかけていた。

 平日の昼間から家で好き勝手やっているこの親父は、昔スタントマンなどの仕事をいくつかして、今は大手警備会社で警備員の仕事をしている。朝9時から翌朝9時までの24時間が勤務時間で、仕事が朝に終わると日中はそのままブラブラ。しかも翌日は休みという実にフザケた勤務体系だ。それでも平均すると1日8時間勤務なんだそうだ。親父が言うには交番のお巡りさんと同じ勤務体系らしいが、どうにも信用できない。

 ともかく、この忌々しい勤務体系のおかげで、家で親父の顔を見る時間が、よその家庭に比べてうっとうしい程に多いのだ。

「今日スキャンしたのも面白いぞ。もう20年以上も前のマンガなんだがな、主人公はイギリス人とのハーフで軍隊経験があって保険の調査員で……」

 親父は好きなマンガの話を始めると止まらない。いい歳して中身がガキのままなのを隠そうともしない。恥ずかしいとか全然感じないらしい。こっちが恥ずかしいわい。

 俺がスマホ差し出したら、親父はお喋りを即座に中断して2階に上がり腐海に潜っていった。何故か知らないが親父は相当パソコンに詳しい。なんでIT系の仕事に就かないのか不思議だが、ちゃんとした答が返ってくるとは思えないから訊いた事もない。


 と、ある事に気づいて俺は2階へ駆け上がった。腐海の扉を叩く。おい親父ちょっと待った!

「どうした、メシに毒なんか入れてねーぞ」

「ちょっとスマホ返せ、すぐ渡すから」

「どうした? 恥ずかしい画像でも保存してたのか?」

「そう思っても構わないから返せ!」

「なんでもいいけどよ、恥ずかしい写真撮る時には位置情報はオフにしとけよ。後々面倒だからな」

「っせー!」

 俺は親父からスマホを取り返すと、自分の部屋に入った。スマホの写真フォルダを確認する。昼間の爆発直後の写真があった。現場全体1枚、焦げた何かの残骸1枚。倒れてる生徒の画像が1枚。計3枚。急いで撮影したから構図はおかしいが、それでもちゃんと撮れていた。むき出しの太ももに下着の皺もクッキリと。仰向けに倒れているにも関わらず胸の盛り上がりが分かるってのはスゴイな。でも、このやたら大きいメガネは何なんだ? 倒れた時の衝撃でメガネが右耳から外れて左耳だけで引っかかっているため、顔の造作がメガネで隠れてしまっているが、真ん中分けの髪の毛をゴムで束ねているその髪型と相まって、ちび○る子の友達のたまちゃんのようにしか見えない。そういえば化学部の部長とかいってたよな。

 さてどうしよう。この写真、爆発の後に俺が現場に来たことがバレてしまう。なんかいろいろと大ごとになってるみたいだし、削除した方が身のためだよな。

 でもちょっと削除はもったいないような……。

「おい何やってんだ! はやくスマホよこして飯食え! 餃子冷めちまうぞ!」

 ウルセーなまったく。えーとパソコンに画像移すにも今から電源入れると起動に時間かかるし、そうだ!

 俺は別のファイルビュアーアプリを起動し、アプリのフォルダに画像フォルダからファイル3枚をインポートさせ、元のフォルダの画像を削除した。とりあえずはこれでいいや。

 俺は再度腐海の扉を叩いた。親父にスマホを渡しながら、今後はアプリにもパスワードかけておいた方がいいかもな、と思いながら居間へ向かった。


 この家の稼ぎ頭が帰宅したのは、この時だった。


「ただいま。あら今日は餃子ね」

 黒いスーツを着込んだ母が帰ってきた。ちゃんと毎朝出かけて毎晩帰宅する真っ当な勤務体系の人だ。親父と違って正社員ではなく派遣社員だが、もらってくる給料は親父よりいい。ロンドンに1年間語学留学しており、英語が堪能で、今の派遣先は大手証券会社の海外商品部門だそうだ。息子の目から見ても相当優秀な人だと思う、男を見る目以外は。

「おう帰ったか、お疲れさん。晩飯の前にコーヒー淹れるか」

「あらありがとう、お願いね」

 なぜ夫婦仲がいいのか、俺には分からない。


 俺も母も晩飯を食べ終わり、母は台所で食器を洗い始めた。

「ところで寿美子すみこさん」

 親父が口を開いた。

「3月は結構残業多かったから、4月のお給料は少しは多いはずなんだ。でね、来月のお小遣い、ちょっと多くもらえないかなぁ、なんて……」

「ダメです」

 即答だった。

「あんたねぇ、浩司が県立入ってくれたから良かったけど、私立だったら大変だったんだからね! 3年後には大学受験だってあるのよ! これからお金かかるんだから、余裕がある時に貯金しないでどうするのよ!」

 夫婦喧嘩はしょっちゅう起こる。たいていは親父の不用意な発言が原因だ。

「だいたいあんたは経済観念が無さ過ぎるのよ! お金あれば全部使っちゃうし! あたしまでそうだったらこの家どうなるのよ! ちょっと、あんた聞いてるの! 何とか言いなさいよ!」

 親父は座布団ざぶとんに座りながら母の方に向き合った。いつも顔に張り付いているヘラヘラ笑いを消し去り、珍しく真面目な顔つきになり、真っ直ぐに母の目を見て言った。


「女房は締まりが大切だ」


 次の瞬間、台所から勢いよく親父めがけてマグカップが飛んできたが、親父は身体を横に倒しながら座布団ざぶとんすそつかんで回転し、座布団でマグカップを受け止めた! そしてそのまま勢いを殺さずに居間を飛び出して玄関へ突進し「ちょっと散歩行ってくらぁ」と叫んで逃げ去った。

 なんという体術の無駄遣い。あいつは塚原卜伝つかはらぼくでんか!


 まだ雷雲がまとわりついてる母は、マグカップを拾ってからまた洗い物をはじめた。怖くて声をかけづらいのでそのまま2階へ上がろうとしたら、母に呼び止められた。

「あんた、明日休むんだよね。洗濯物お願いね」

 親父の悪口が出るかと思ったが違った。

 不思議なことに「勉強していい会社に入って、お父さんみたいにならないようしてね」とは言われた事がない。

 俺は、あんな親父みたいにはなりたくないのだが。

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