第2話
救急車の後部扉が無情にも音を立てて閉まり、俺たちを閉じ込めた。
サイレンを鳴らしながらゆっくりと動き出す救急車の天井を眺めながら、状況の全体像が呑み込めてきた。爆発音がして真っ先に現場に着いたのは俺とリョーコの2人だけで、先生や生徒たちが着いた時には、どこから見ても爆発の
救急車まで呼ばれて大ごとになってしまって、リョーコも「自分が蹴り倒しました」とは言えない状況になったのだろう。
そういえば、あの現場に倒れていた白衣の女子生徒はどうしたんだろう? やはり救急車で運ばれているんだろうか? でもたしか白衣は焦げていたけれど特に外傷は無かったようだし……。
あ、スマホはどうした?
ストレッチャーの上で苦労して腕を動かして、自分の身体をまさぐった。持ってない。ポケットにも無い。
見るとリョーコが「これ?」という顔で、俺のスマホを自分の制服ポケットから出した。買ったばかりのスマホを失くしたわけでは無いのでとりあえずホッとしたが、そもそもの原因を思い出して落ち着かない気分になった。悪事の証拠を警察に握られたような感じだ。
いや、俺は悪くない。あれは事故直後の現場写真を撮っただけで、パンツが写っているのは不可抗力、言わば事故だよ事故。でもちゃんと撮れているのかなあ。確認してないし。いや別に見たいわけじゃないが、やはり確認はしておきたいかなあ。でも削除するべきなのかな。盗撮したわけじゃないし。あー、あとでリョーコは削除したか確認してくるんだらさろうな。うん、リョーコが確認するまでは勝手に削除しちゃいけないよな。それまではいいだろ。
そう思いながら、身体の奥の方から、
「すみません! ちょっと彼が!」
「どうしました」と救急隊員。
「気分が悪い」
救急隊員たちの顔色が瞬時に変わった。
「ベルトゆるめて横向かせて!」
「
「脈拍あがってます!」
「至急本部へ連絡!」
救急隊員から、ここに吐くようにと口元に金属の容器を添えられた。乗り物に弱いだけだと言えないよな。
救急車が総合病院に着くやいなや、俺を乗せたストレッチャーは救急隊員の手で病院の廊下を疾走した。当たり前だがリョーコとは救急車を出る段階で引き離された。俺を見つめるリョーコの心配そうな表情は、俺を心配してのものでは無いというのを知ってはいる。が、そうはいっても一人だけ手違いで行き先の違う便の飛行機に乗せられてしまうような心細さを感じてきた。気絶の原因がバレたらどうしようと心配になってきたが、考えてみればそもそもあいつがこの騒動の主犯でこっちは被害者のはずではないか。
でも言い出すタイミングを失ってしまい、すっかり共犯者の立場に追い込まれてしまったわけで、いまさらながら自己主張できない自分の意思の弱さを呪うのみだ。
後で知ったのだが、後頭部を強打し意識を失って鼻血と
「大丈夫ですから」と口にしながら、それと裏腹に緊張した雰囲気をまとった病院のスタッフたちが何人も駆けつけてきて検査の準備を始めた。違うんだと身を起こそうとしたところを押さえつけられ、衣服を脱がされ手足に電極か何かをつけられた。もうどうとでもなれだ。
心電図やら超音波測定やらレントゲンやらCTスキャンやら、他にもなんだかよく分からない検査が続いて、解放された時にはすっかり外は暗くなっていた。
病院の待合室にはリョーコが俺の
学校やうちの親との連絡、病院との折衝、全部やってくれたらしい。学校内の事故のため、治療費は学校側が支払うそうだ。検査の結果、脳に異常は見られなかったけれど、場所が場所だけに明日1日は様子を見て学校を休むように、だそうである。
「ごめんね」
リョーコは申し訳なさそうに上目
「お腹すいた」
だった。
「そうだね、お昼食べ損なったもんね。何か食べてから帰ろうか」
花が咲いたような笑顔になった。やっぱりリョーコも何も食べてなかったか。
「そういえば、学校やうちの親は、なんて言ってた?」
「さっきまで警察の人と学校の先生がいたんだけど、コーチンのお父さんと電話で話して、それから学校戻っちゃった。」
「警察?」
「うん、誰かが通報したみたいよ。あと先生から聞いたけど、コーチンのお父さんが『自分の足で帰れるなら自分で帰るように』って電話で言ってたみたい」
「いや違うと思う。あのオヤジだから『死んだら引き取りに行くが、自分で歩けるなら関係ない』くらいは言っただろうよ」
「コーチンのお父さんならそれくらいは言うね、絶対」
年中ふざけた口調のオヤジを思い出して、やれやれと感じたが、でも心配して駆けつけてくるよりはマシだなと思い直す。さて、なんか食べて帰るか。
病院の広い待合室を出ようとして、大きな正面入口のドアの前に立っている人物に気づいた。俺たちと同じ学校の制服を着た女子生徒だ。長い黒髪がよく目立つ。ずっとこちらを見ていたみたいだが、俺たちが入口ドアに向かったのを認めると、まっすぐこちらに近づいてきた。
「失礼ですが、堀川浩司さんでいらっしゃいますか」
ひんやりとした声で、彼女はそう尋ねてきた。
「ええ、まあ、はい」
我ながら間の抜けた返事をしてしまった。自己弁護をしてしまうが、彼女の瞳には、それだけ人をたじろがせる物理的な圧力めいた物がある。この時は本当にそう感じたのだ。
「わたくし、楠木高校化学部で副部長をしております
そういって、
「あ、あの、すみません、よく理解していないんですが、その部長さんってのはひょっとして」
「爆発を起こした当事者です。新年度早々に火薬実験をしようとして失敗したようですね。私が一緒にいれば事故は起きなかったと思うのですが、ごめんなさい。ところで、堀川さんは部長には気づいていたのですか?」
「あ、いえ、あの、よく覚えてないんですが、誰かいたような気もして、えーと」
うう、この中之森さんの視線が痛い。俺が爆発に巻き込まれて倒れたなら、現場に倒れていた部長さんと思われる女子生徒の姿は見ていない事になる。ヤバイ、なんて答えるのが正解なんだ?
「彼の近くに倒れていた人が部長さんなんですね? 部長さんは大丈夫だったんですか?」
おお! リョーコ、ナイスフォロー! さすが共犯者。
「軽い
そう言って中之森さんは薄く笑った。その笑みは、どこか子どものイタズラを見守る母親のような印象を受けたが気のせいだろうか。
「いずれにせよ、部長からはお二人にキチンと謝罪させます。その場所と時間はこちらで設定します。後日改めてお伝えしますので、是非いらしてください。お願いいたします」
はい、わかりました、と答えて、何か変だなと違和感が残った。
中之森さんはもう一度頭を下げると、長い黒髪を
あんぐりと口を開けたまま、中之森さんを載せた高級外車が夕闇に溶け込んでいくのを呆然と見ていた。
「……とにかく、何か食べよう」俺は言った。
「コーチン、楠木高校の化学部って、爆弾作ってるのかな?」
「さすがにそりゃネーだろ。化学反応の実験だったんじゃないの? 多少物騒だけど」
駅前のファーストフード店でハンバーガーを食べながら、俺はリョーコと今日の事件についておさらいをしていた。
・俺がリョーコの蹴りを頭にくらって気を失ってすぐに、爆発音を聞いた先生や生徒たちが来て、倒れてる生徒2人の姿を確認し警察と消防に通報した。
・救急車は倒れてる2人のうち、意識が戻らず鼻から出血をしていた俺を
・リョーコと一緒にしばらく病院にいたのは、俺の担任の先生らしい。
・その先生は、病院の待合室で学校と俺の親父とに電話をかけ、これ以上病院にいる必要無しと判断したらしく、学校に戻った。
・部長は
・警察も学校にきて、事の顛末の確認をしているらしい。
・俺は病院から「問題は確認できなかったが明日1日安静にするように」と通告された。(あとで学校に電話連絡する必要があるな)
・化学部副部長を名乗る中之森さんはお金持ち。
・中之森さんによると、後日部長から正式に謝罪させるそうだ。
と、ここまで考えて、やっと気づいた。先ほど中之森さんは「いらしてください」と言ったんだ。謝罪される側が謝罪する側へ出向くのも変だが、なにか「ご招待」という感じだよな「いらしてください」というのは。
「考えすぎだよコーチン。それは言葉の揚げ足取り。あの人だって落ち着いてるように見えて、実は気が動転して言い間違えただけだよ」
「だからその呼び方やめろって!」
実際そうかもしれない。そんなもんなんだろう。俺だってキチンと文法に則って日本語話しているかというと、まったく自信が無い。パソコンで入力できなくてはじめて「雰囲気」は「ふいんき」じゃないと気づいたくらいだ。
スマホのメール受信音が鳴った。オヤジからのメールだった。
(母さんはまだ帰ってない。晩飯は餃子。生きてたら返信よこせ)
あそ。オヤジが作るのね。俺は返信した。
(検査終了。問題なし。でも明日は休めと言われた。いま遅い昼飯を食べてるが、晩飯も食べるのでよろしく)
さて、学校にも電話しなきゃな。
とりあえず、セットのコーヒーも飲みほして、俺とリョーコは店を出た。
これが俺の高校初日か、やれやれ。
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