最終章 昇華

第39話

 君は、キレイな女性たちを引き連れて、高級ホテルにチェックインした事があるだろうか。

 誰もが振り向くような女性たちを4人も引き連れて、ハンサムな少年がチェックインの手続きでカウンターに立ったら、それだけで注目を浴びてしまうだろう。

 ああ、なんてうらやましい。きっと彼は自分の知らないアイドルタレントなのだろう。そう思われるかもしれない。いや、世の中嫉妬しっとが渦巻いているから、未成年のクセに生意気だぞと、写真に撮ってネットにさらすかもしれない。いや警察に連絡するかも。

「そうならないためにさ、これ持ってね」

 匂坂部長に言われるままに4人分の荷物を担いで、8月上旬の炎天下の中、全身汗まみれになりながら女性陣の後についてホテルに向かう。荷物持ちの男だったらねたまれず怪しまれないからとの理屈だ。しかしたった1泊だというのに何で女はこんなに荷物が多いんだ。


 ホテルのエントランスをくぐると、下界とは隔絶した空間が広がっていた。吹き抜けの天井、壁にめ込まれた芸術家の作品、そして何よりよく効いたエアコン!

 エントランスに入ってすぐに、既に連絡が入っていたらしく責任者らしい人が飛んできた。カウンターの手続き不要で案内を始める。続いてポーターがやってきて、俺から荷物を全部受け取りカートに載せた。やれやれ、やっと楽になった。

 ん? チェックイン手続き無しなら荷物持ちやる必要無かったんじゃないのか?

 気づいた時には悪党4人組はホテル責任者と共にエレベーターに乗るところだった。あいつら!


 話は1週間前にさかのぼる。

 夏休みも始まり、弾着のテストも順調に進み、俺たちは情報部との打ち合わせや弾着の仕掛けの作成などに没頭した。相変わらず部室が使えないため、活動場所は中之森先輩の屋敷内実験室だった。

 ただ太田先生が、目に見えて疲弊ひへいしてきているのが気がかりだった。学生は夏休みであっても教師は仕事があるわけで、新人ならなおさら。しかも担当している部活の問題がまだ解決していないのだ。そのストレスは相当の物だったろう。弱さを見せないはずの先生が、「ちくしょう、どいつもこいつも」などと自覚せずに独り言を言い出すに及んで、俺たちも先生が心配になってきた。


「簡単よ! 合宿しましょう合宿!」

 物事を複雑にとらえない匂坂部長らしい提案であった。

「合宿という名目なら先生も旅行に参加できるでしょ? 去年みたいに遠くの温泉というのは無理でも、都内のホテルで1泊なら大丈夫よ。プールで遊んで美味しいモノ食べてストレス解消になるし、万一緊急事態になっても学校に直接向かえば短時間で着くから文句だって言われないわよ」

 うーむ、考え無しの提案かと思ったらベストのようだ。

「コーチン、ここのホテル安いよ。モーニングビュッフェがついてプール利用してこの金額」

 リョーコがスマホで検索したのは都内でも有名なホテルだったが、以外と安くて驚いた。これなら財布に優しい。

「ホテルの事は任せて。あなたたちはお金出さなくていいから」

 突然の中之森先輩の申し出。

「だから、先生の説得を、お願い」

 あ、それは確かに難しいかも。


「いや、これ以上生徒に甘えるわけにはいかない。私はいいからお前たちだけで行ってくれ」

 案の定、先生はかたくなだった。

「作業の場所も薬品の調達も生徒に頼り、この上ホテルの宿泊まで甘えていたら、教師どころか人間としてダメになってしまう」

 というのが先生の言い分だった。

 先生の気分転換がこちらの目的なのに、先生抜きでの合宿は無意味でしかない。

 これは合宿無理かなと思ったが、どうせ無理なら無茶な説得をしてみようと決意した。

「先生は合宿に参加すべきです。女子生徒3人と男子生徒1人が同じホテルに1泊するんですよ。俺が皆を襲わない保証なんてどこにあるんですか? 先生は女子生徒3人の身の安全を守るために、合宿に参加する義務と責任があるはずです! 先生はご自身の義務と責任から逃げないでください!」

 みんな呆気に取られた顔をしている。我ながら無茶苦茶な理屈だと思ったが、

「痛い所を突いてきたな」

 そう言って先生は、片頬だけで笑った。椅子に座ったままでウーンと背伸びをして、それから勢いよく立ち上がって

「逃げるわけにもいかないか。よし、行こう!」

 吹っ切った表情で宣言した。

 匂坂部長とリョーコが飛び上がって喜んでいる。

 先生は俺の頭に手を置き、髪をクシャクシャにしてこう言った。

「お前、いい奴だな」


 そんなわけで、化学部御一行様は都内高級ホテルへ合宿という名の1泊リゾートに来ているのだった。

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