第5章 再結晶
第34話
7月も上旬となり、1学期の期末試験も終わった。出来はともかく終わった。
終わった事を
というわけで、金曜日の放課後、久しぶりに化学部のメンバーが顔を
4名の部員と顧問が1人、合計5名が一堂に会するのは、実に1カ月ぶりの事だった。
ただ集まる場所が、いつもと異なる。俺たち5名は、現在情報部の部室前にいる。「宿題が解けたから」と、お願いして集まってもらった。ちなみに化学室は、今も立入禁止で使用不可能な状態だ。
扉をノックすると、中から応じる声がして扉が開いた。
「ようこそ、お待たせしておりました」
緊張のあまり日本語処理がかなり怪しくなっているメガネくん(兄)が出迎えてくれた。大丈夫かなガチガチだぞ。
相変わらず寒い情報部の部室内で、部員全員が起立して5人を迎えてくれていた。ジャージもカーディガンも羽織らず通常の夏服のままだ。みんな気合い入ってるなぁ。
勧められて席に着くと、全員の席の前にホットコーヒーと洋菓子が配られた。先日伝えた内容をちゃんと踏まえてるよ。コーヒーもインスタントじゃない。
室内を見回したが、太田先生の写真は全て撤去済みだ。たいへんよろしい。
で、こちらの化学部メンバーはというと、常に動じない中之森先輩は別にして、マシン類に興味津々で子どもみたいにキョロキョロしてる匂坂部長、寒くて両腕を組み合わせて、居心地悪そうにそわそわしているリョーコ、そして落ち着いているが
「ほ、ほほ本日、お招きにあずかりましたのは……」
「後は俺が説明します」
テンパりすぎてダメダメになっているメガネくん(兄)から勝手に主導権を奪い、俺は話しはじめた。
「えーと、見せた方が早いから、アレ、起動しちゃいますね」
デスクトップにある「デモ用」フォルダを開いて、中にある「mendele」ファイルを起動させた。しかしメンデレーエフから取ったにせよ「めんでれ」ってファイル名は「ツンデレ」みたいでなんだかなあ。
読み込みに数秒かかった後、モニターに黒を背景として見慣れたマトリクスが表示された。
「周期表だな。で、宿題が解けたと聞いたのだが?」
「すみません、先にコレの説明をさせてください。例えばこうすると」
周期表のアルゴン(Ar)にカーソルを合わせた。ポップアップで別ウィンドウが開き、元素の電子軌道図が表示される。電子軌道の脇に「K 2/2、L 8/8、M 8/18」の表示がある。
「元素の電子軌道が表示されます。この場合のアルゴンだと、最初のK
うなずく太田先生。
「どうしても分からなかったのが、3番目のM殻には電子が18個入るはずなのに8個しか入っていないことでした。水素からずっと電子は1つずつ増えて、軌道が満席になれば次の軌道に行きますよね。ところがアルゴンは軌道にまだ余裕があるのに満席扱いで、次のカリウムでは新しいN殻の軌道に電子が1つ追加される」
モニターの周期表で、アルゴンからカリウムにカーソルを移し、カリウムの電子軌道図を表示させながら話をつづけた。
見るとリョーコがウンウンとうなずいてる。同じく疑問だったらしい。
アルゴンの下のクリプトンもそう。軌道の数は1つ増えて4つあるのに、4番目の軌道にも電子は8個しかない。4番目の軌道には電子は32個も入るはずだ。さらに調べると希ガスは外側の電子が満席で反応しないとか書いてある。調べるほど頭が混乱したもんだ。
「で、これは偶然なんですが、こちらの情報部の部長さんが、俺、いや私のクラスメイトのお兄さんでして、理数系全般が得意だということで、今の疑問を質問させてもらいました」
これは事実その通り。
「堀川くんと同じ疑問は僕も持ってました。教科書にも資料集にも詳しく説明が無かったし、試験範囲から外れていたのですが、どうにも気になって調べました。昨年の事です」
先程とうってかわってスムーズに話し出すメガネくん(兄)。得意分野だと人が変わるね。
「
え! それは俺も初めて聞いた! この部屋の全員がメガネくん(兄)の顔を見直し、この場にいない人物の、頼りになりそうもない顔を思い起こした。
「僕の質問にイヤな顔一つせず、根気強く丁寧に教えてくださいました。おかげさまで、電子の軌道は必ず2つ1組で成り立つこと、電子は互いに逆向きにスピンすること、電子はできるだけ対を作らず同じ向きのスピンをすること、なども教えていただきました」
「パウリの
さすがの太田先生。スラリと名称が出てくる。
「ええ、そして電子はエネルギーの低い軌道から
「その通りだ芝原くん。だが、堀川、理解できているのか? お前が理解できているかが肝心なんだぞ?」
「芝原先輩からの説明のおかげで、典型元素は縦の列で似た性質が並ぶことと、その原因が外側の電子の数によることは理解しました。それと遷移元素は軌道の内側から電子が埋まること、だから外側の電子の数が変わらないので、似た性質の元素が横に並ぶことも」
メガネくん(兄)の教え方は独特だった。
最外殻の電子の数が同じ典型元素は性質が似ているというのは、見た目で区別可能な属性、つまりキャラの外見属性と同じなんだと力説してくれた。ポニーテール族、メガネっ娘族、猫耳族、メイドさん族みたいなものだと、熱く語ってくれた。じゃあ遷移元素はどうなんだと
見た目そっくりでもメガネくん兄弟がハッキリ違うなと分かったのもこの時だ。弟は少しクールだが兄の方はすぐ熱くなる。
「ですが、電子の配列が、殻を上がったり下がったりするのがどうしても理解できませんでした。電子軌道のエネルギー準位の表も見せてもらいましたが、何度説明受けても理解できなかったんです。だから、結局こんなものを作ってしまいました」
大型クリップでまとめた紙の束を机の上に出した。汗と根性の結晶と言ってもいい。
「電子の軌道配置図です。殻と内部の小軌道、全て書き出しました。水素からレントゲニウムまで、1枚1元素で111枚あります」
左脳で理解の限界にきたら、右脳を使うべし。
表計算ソフトを利用して、殻と小軌道の入るマスをつくり、そこに水素から1つずつ、計111枚のシートを作成した。
作りながら何度も「俺いったい何やってるんだろう」と投げ出したくなってしまったが、ともかくやりきった。でも自分で手を動かしてみたら、確かによく理解できる。パラパラマンガの要領で紙をめくっていくと、電子の増えていく規則性のようなものが見えてくるのだ。
太田先生が111枚の紙束を、半ば呆れながらめくっている。
「見事なまでの力技だな……。普通ここまでやらないぞ」
「いやあ」
「時間かかったろう。期末試験大丈夫だったのか?」
「いやあ……」
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