第35話


「僕が堀川くんから頼まれた事は、『立体周期表の構造の意味合いを知りたい。それが理解できるような周期表のアプリを作れないか』というものでした。そのため、電子軌道の小軌道まで表記できる周期表を作るつもりでした。でも堀川くんが自分で理解するために作ってしまったこの力作の方が、僕は効果的だと思ったんです。だから、こんなものを作りました」

 メガネくん(兄)がモニターの周期表の脇にあるボタンをクリックする。

 途端に周期表がサイズダウンし画面下半分に下がり、代わって上半分に別のマトリックスが表示される。

 それは、先ほどの紙束に書かれた電子の軌道配置図と同じものだった。K殻のs軌道に電子が1つ。水素の電子軌道を表している。

 続けてメガネくん(兄)が画面のスタートボタンをクリックする。

 途端に画面の上下が連動して動き出した。上の電子配置図は電子が1つずつ増えていき、下の周期表は色がハイライトで示される元素が水素から1つずつ連動して移動している。

 こうして見ると、遷移元素では1段下の殻に電子が入り、ランタノイドやアクチノイドは2段下の殻に入る、満席になったら次にエネルギー準位の高い軌道を埋め始めるのが一目瞭然いちもくりょうぜんだ。

「なにこれ! スゴイ! 面白い!」

 匂坂部長が椅子から立ち上がってモニターに見入っている。中之森先輩まで身を乗り出している。ああそういう仕組みだったのかと納得の表情をリョーコが浮かべ、うなずく。


「電子の配列は本やネットで調べたんですが、あの、間違ってませんか? これで合ってます?」

 まだ少し不安な俺。メガネくん(兄)は自信満々に説明を続ける。

「とりあえず現状は周期表と各元素個別のデータ、ならびにこの動画との連携に限定してあります。このデータに間違いがなければ、次は各元素記号からウィキペディアへのリンクを張るとか、周期表そのものを2Dから3Dの立体周期表に変形させるといった機能を追加する予定です。それらが一通り完了したら、太田先生に差し上げます。部活動や授業に活用してください。」

「すごいな。動画で見せるだけで、かなり周期表の意味が理解しやすくなるのだな。現状でも立派に教材として使えるぞ!」

 信じられないという感じの太田先生。頬が紅潮している。

「これを面白いといって無償で作ってくれたのが、こちらの情報部のみなさんです!」

 俺は壁際に固まってデモを見守っていた情報部のメンバーの前に移動しながら、そう宣言した。実際その通りであり、彼らは何の見返りも求めなかったのである。唯一、「太田先生を情報部室に連れてくる」という願い事以外は。

「そうか! 情報部の皆さん、本当にありがとう!」

 そう言って太田先生は、深々と頭を下げた。両手を体側につけ最敬礼の形だ。

 それを見て情報部の面々は驚きに固まった。次の瞬間、それまで黙っていたメンバーも含め全員が感情を爆発させた!

「先生! 何でも言ってください!」

「先生が必要とするモノで私たちに出来る事は何でもします!」

 一通り歓喜の爆発が終わってから、メガネくん兄弟をはじめ情報部の皆さんが、今度は俺の方に集まった。手を握りしめたりして口々に感謝の言葉を口にする。お前らの感謝の半分以上は、さっき太田先生が最敬礼した時に見えた量感豊かな胸元に対してだろう。今日はとりわけゆったりとしたブラウス着てるからなあ、俺も感激した。地球の重力に感謝だ。


「ねえねえ、これに追加注文してもいい?」

 勝手にマウスいじって遊んでる匂坂部長から意見が上がった。

「小軌道別に色分けとかできないかな?」

「常温での元素の状態別データも欲しいところね」

「あの……日本語で書いて欲しいんですけど」

「お前たち少し自重しろ」

「えーとですね、そこで取り引きというか、別の提案があるんですが」

 勝手知ったるなんとやらで、情報部のパソコンを操作して別ファイルを起動する。以前メガネくん(弟)が見せてくれた動画だ。


「情報部作成のショートムービーです。毎年学園祭に合わせて作っているそうです。今年も夏休み中にこの動画のようなガンアクション物を作る予定らしいのですが、これの裏方で化学部が協力できるのではないかと思います」

 この話は情報部の人にもまだ話してなかったので、全員が驚きの表情で俺を見ている。

「協力といっても、具体的にこちら側に何が出来るんだ? 撮影とか出来る者はいないぞ」

 太田先生が当然の質問を投げかけた。

「この動画、火薬を使わずCGで処理しているんですよ」

「わかった! 火薬を使った方が迫力出るから、化学部で火薬の仕掛けを作ろうという事ね!」

「はい、うちの部長の言う通りです。火薬の仕込み方と血が噴き出す仕掛けは、俺が作り方を知っていますので任せてください。ケガしないよう安全策はきちんとしますから」

「コーチン、それって……」

「ああ、親父から聞いて教わった」

「コーチンのお父さん、昔スタントマンだったんですよ」

「いろいろ面白い仕掛けができますよ。平たい缶詰の空き缶に血のりと豆腐を詰めて火薬で吹き飛ばすと、頭を撃たれて脳みそが飛び散るように見えるとか、風邪薬のカプセルに粉薬めてゴムのパチンコ使ってコンクリートに向けてぶつけると、銃弾が当たってコンクリート片が飛び散るように見えるとか」

「なにそれ面白そうやりたい!」

 真っ先に匂坂部長が食いついてきた。説明を聞いてる傍からうずうずしてるのが丸わかりだったが、我慢できず名乗りを上げたか。

「他にもお手伝いできることあると思いますよ。アクションシーンの殺陣たてとか。俺もそこにいるリョーコも空手の黒帯ですし。例えばですね、リョーコちょっとここに立って……『上段!』」

 リョーコの目を見て俺は大声で告げ、右の上段追い突きを放った。まったくいきなりだったためリョーコが驚きの表情になるが、身体は勝手に動いた。リョーコの左脚が下がり半身になり俺の上段の突きを右上げ受けで受けた。次の瞬間リョーコの右の足刀が俺の顔面に迫り、鼻先でピタリと止まる。

 この基本一本の動作、しばらくぶりだったが、俺もリョーコも身体にしっかり染みついていた。頭でなく身体が覚えている。

 今の俺とリョーコの動きを見て、情報部全員から驚きの声が出る。キャッキャいって喜んでいる匂坂部長の横で、太田先生が軽く笑みを浮かべている。その目が「やはりな」と言っていた。すみません黙ってまして。

「こんな動きも、練習すれば無理なくできるようになりますよ。大丈夫、ケガしないように教えますから」

 情報部の面々がざわつきだした。乗り気になってきているのかハッキリわかる。

 これはいけるか? そう思った所に太田先生が待ったをかけた。

「堀川、アイディアはいいが、状況が許さないぞ。薬品の都合はどうする。調合する機材は? 実験室は閉鎖されて全ての薬品と機材は教育委員会の管理下にある。一切持ち出しできないぞ。全て一から揃えるとしても、その費用と実験や調整のための場所はどうする」

 これは想定外だった! いきなりの提案に驚き、膨らみかけた情報部の期待が、見る間にしぼんでいくのが手で触れるかのようにわかった。クソッ! いいアイディアだと思ったんだが!

「私物なら……私物なら、問題ないわよね」

その場の全員が中之森先輩に振り向いた!

「中之森……私物と言っても、どの程度あるんだ? 薬品や機材など必要な物はいろいろと……」

「実験室にあるくらいの機材ならだいたい揃っています。不足分があれば何時でも取り寄せ可能です」

 なんだそりゃ!? 虚ろな非現実感に襲われる。一個人で学校の設備と同等の機材と薬品を所有? そりゃ中之森先輩お金持ちみたいだけどさ。

 しばらく太田先生は思案していたが、決心がついたらしく勢いよく立ち上がって宣言した。

「化学部の責任者として、まず私が自分の眼で確認する。その上で、中之森の所有している機材で実際に作業可能かどうか、それと堀川の言う仕掛けの制作が可能かどうかも含め、週明けに回答する。無責任な確約だけは絶対にするわけにいかない。情報部の皆さん、それでよろしいかな?」

 辺りを見渡して宣言する太田先生の姿は、まるで女王の如き威厳と権威に満ちていた。情報部のメンバーは、女王を通り越して女神の神託を聞いたかの表情で頭を下げた。先生、自分では気づいてないかもしれないけど、情報部を完全掌握しょうあくしちゃったよ。

「では先生、いつ確認に見えられます?」

 中之森先輩の問いに、太田先生はニヤリと笑って言った。

「『今すぐ』だ!」

 匂坂部長が手を叩いて喜んでいた。

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