第3章 崩壊

第18話

 無かった事にされた事があった、とは口にできない日からまた数日が過ぎ、またまた匂坂部長からのメールで招集がかかった。

 しかも今度は日曜日である。

 まあ、特に予定無いし、いいんだが。


 あちこちの庭先で紫陽花あじさいの花が咲き出している。つい先日までツツジの花が咲きほこっていたというのに、もう6月だ。


 先日の中間試験の精神的ダメージからまだ立ち直っていないのだが、春過ぎて夏来にけらし白妙しろたへの、月日は百代はくだい過客かかくにして、あと1月足らずで期末試験だ。

 制服は夏服となったが、半袖シャツを着ていても格段に涼しくなるわけもなく、6月でこの暑さなら8月はどうなるんだろうか、などと考えるだけで気が滅入って来る。


 なんて、どーでもいい事を考えてしまっているのは、部室前に1人で待っているからだ。鍵が閉まっているので部室に入れず、入口の扉前でボーッとしている。


 窓の外から、運動部の掛け声が聞こえてくる。吹奏楽部の楽器の練習も風に乗ってやってくる。それ以外は静かだ。日曜日の昼過ぎの校舎は、開けっ放しであるにもかかわらず人の気配がほとんどしない。学校に来ている少数の生徒は部活動にいそしんでおり、廊下を歩く人影もほとんど無い。

 と、スマホがブルブルと震えた。リョーコからのメールだ。記念館前に集合だと? なんでまた?


 靴を履き替えて記念館に向かうと、匂坂さきさか部長と中之森先輩、それにリョーコの3人が、記念館前の和風庭園の木陰に揃って待っていた。当然ながら、3人とも半袖のブラウスにスカートの夏服姿である。リョーコは飲みかけのペットボトルを持ち、匂坂部長は背中にバッグを背負っている。中之森先輩は手ぶらだ。

「ごめんなさいね、ちょうど私たち一緒に学校に着いたので、ここに来てもらったの」と中之森先輩。

「それはいいんですが、部室には行かないんですか?」

「今日はねぇ、校舎の外、学校敷地内の探検をするのよ!」と匂坂部長。もうテンションが上がっているようだ。

 しかし、薄手のブラウスの夏服だと匂坂部長もさすがに……

「ん? どうしたの堀川くん? 何か変?」

「いえ、その、夏服だとさすがに部長さんも、薬品の容器を制服に仕込むわけにはいかないのかなって……」

「ご心配なく、ほれ」

 匂坂部長は両手で短いスカートのすそを持ち上げた! まばゆい太ももに細身の容器や試験管などがガーターリングでめられているのが見えた。が、下着はなぜかギリギリ見えなかった。

 どん引きする俺とリョーコに「納得した?」という目をして、次に匂坂さんはバッグを下し、中から何やらいそいそと取り出す。筆箱サイズの、えーと何だかよく分からないものが出てきた。自作したものらしく、ちょっと見た目ゴテゴテしている。

「何ですそれ?」

「これはねぇ、ガイガーカウンターなんですよぉ!」

「放射線測るあれですか? 自作ですよねこれ? そんなもん自作できるんですか?」

「秋葉原で自作用キット売ってるくらいですもの、当然できますわよ」

「でも、ちゃんと正確に動くんですか?」

「ご心配なく! ちゃーんと確認しましたから。」

 そう言いながら、またバッグをゴソゴソして何やら取りだした。ホームセンターのビニール袋に入ったままのそれに、自作のガイガーカウンターをくっつけてスイッチを入れる。途端にガイガーカウンターがカリカリカリと耳障りな音を出した! 俺とリョーコはほとんど同時に退すさる!

「ちょっと! なな何なんですかそれ!」リョーコが上ずった声で訊ねる。

「マントルよ、知らない? ガスランプに使うものなんだけど。ホームセンターで売ってるわよ」

「放射線……出してるんですか?」

「そうよ、トリウム入ってるから」当たり前でしょという口調の匂坂部長。

「危険じゃないんですかそれ?」

「普通に接している分には何の問題もないわね。これで問題あったらラドン温泉は廃業よ」

 そうか……少し安心した。リョーコも納得したのか質問を止めた。


 全く動じていなかった中之森先輩が口を開いた。

「それよりも、あなた何でこんなアナログ出力にしたの? 完全自作だから数値が若干不正確になるとはいえ、今時デジタル表示でも電子音でもない、こんなアンプのノイズなんて……」

「んー、気分かな? 昔の映画とかみんなこうじゃない。」

「それでわざわざアンプつけたわけ? あなたって本当いつも気分で決定するわね」

「『おもしろき こともなき世を おもしろく』よ」

 それを聞いて俺とリョーコは互いに顔を見合わせた。リョーコの丸く見開いた瞳に、同じように目を丸くした俺の顔が映っていた。このセリフ、いつも俺の親父が口にしている。

「それ、高杉晋作ですね」俺は言った。「意外ですね、匂坂部長の口から高杉晋作の言葉が出るなんて」

「え、ホント? そうなの? それ知らなかったなぁ!」

「高杉晋作の、たしか辞世の句です。結構有名で、俺の親父もよく口にしてます」

「そうなんだ……。あのね、私のパパも、この言葉、好きだったの……。」

 そうなんですか、と応じようとして、俺は言葉に詰まった。好きだった?

 中之森先輩が硬質の瞳で俺を見ていた。精神の圧力を感じさせる瞳が、無言のうちに制止をかけていた。

「じゃあ、さっそく計測はじめましょ」

 明るい声で匂坂部長はそう言った。その瞳は少し寂しそうに見えた。

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