第2話 正体不明の襲撃者

――回収は人を雇うか……


 動けない男たちを物陰に放り出して、アレンは逃げた一人のことに意識を移す。


――さすがに、簡単には見つからないだろうな……


 報酬としては二人でもそれなりにもらえるだろうが、できれば三人とも捕まえておきたい。報復の闇討ちを警戒し続けるというのも面白くないし、闇の中からアレンに向けられるのがアークメイジの銃口というのは気分以上に実際危険が大きい。

 すでに日が落ち、一帯は薄暗闇となっている。まだ足下が見えないほどではないが、隠れる事に徹した相手を見つけるのは難しいように思えた。

 それでも一応探してみるかと、移動し始めたアレンの耳に、不意に絶叫が聞こえた。


「近いな」


 アレンはロータスのスイッチを休止から待機に戻す。すでに使った分の補充は済んでいるので、6発は発射できる。


「おっと、こっちもだった」


 それは手のひらに収まるぐらいの、まるでおもちゃのような銃だった。GMG社製TAU15E、通称アンク。今回は敵の虚を突くのに役に立ったそれも新たに装填して、アレンは声のした方に駆け出す。


 東に広がるエリントバル新市街ならば、そんなことはないのだろう。

 だが、うち捨てられた旧市街の夜は本当に暗い。

 新市街に近い東の一部を除けば、ほとんど廃墟で住むものもいない。

 人がいたとしても事情があって隠れ住んでいるものがまばらにいるだけだ

 かつて旧市街が捨てられた原因というのがまさに過密状態に耐えられなくなったことだったのだから、極端からもう一方の極端に変化したものだ。

 その過密の原因である、取り壊すにも手間のかかるやたら丈夫な城壁が、今アレンにわずかな明かりを提供していた。

 遠くからの人のいる市街の明かりが、城壁に反射して薄く周辺を照らしていた。

 十分とは言いがたいが、闇夜に目が慣れ、また夜の仕事も多いアレンにとっては足を取られずに走れる程度には明るかった。

 今アレンの走っているのは旧市街の南側の城壁沿い。旧市街だけがエリントバルと呼ばれていた時代にはさぞかし賑わっていただろう大通りだ。

 だが、今は人影すらおらず、かつて石畳で舗装されていた道路は荒れ放題だった。


「!?……」


 ふと、アレンは闇の中で何かが動いたような気がした。

 銃口をそちらに向け、動いたものの正体を見極めようとする。

 男の悲鳴はまだ先のはずだ。

 だが、結局何も動く様子はない。


「気のせいか……あるいは何かが『流れて』いたのか……」


 ともかく今は先を急ごう。

 そう考えアレンは再び駆け出す。


 

「これは……」


 荒事には慣れているつもりのアレンでも、その光景には度肝を抜かれた。

 血、血、そして血……

 もちろんこの暗さだ。かつて石畳だった地面が何かで濡れているという程度しかわからなかったが、その正体は明らかだった。

 哀れ、逃げ出した残り一人は、胸を貫かれてすでに事切れているようだ。

 何に?

 素手に。

 誰に?

 その人影は、手足がひょろ長く、細身の体を黒一色の装束で覆っていた。

 向こうを向いているので顔はよくわからないが、頭も覆う装束で髪が長いかどうかわからない。おそらく男で、やせているからといってひ弱な感じはない。

 それは今の体勢を維持していることからも明らかだろう。

 自分が手刀で貫いた男の胸に手を挿したまま、頭上に掲げているのだから。

 その姿は、槍で敵を貫いた兵士が、力自慢を誇示するために獲物を掲げているのにも似ていた。貫かれた胸から流れ落ちた血液は、長身の男の黒装束に染みこみ、そしてそうならなかった余りが石畳を濡らしていた。

 アレンは自分から逃げた男についてかわいそうだとかは思わない。どうせ組織に引き渡せば見せしめの拷問の末に殺される運命が待っている。

 だから、今アレンの頭の中を占めているのは、この長身の人影の人間離れした膂力と、そしてその精神の危なさだ。


「おいおい、最近の軍警は物騒だな……」


 アレンはいつものように軽口から入った。もちろん銃の握りはそのままで……


「……それに、ずいぶんと野蛮人になったな。殺すにしても銃ぐらい使ったらどうだ?」


 そこで初めて人影が動いた。

 頭上に掲げ、すでに血の大方流れきった死体をそのまま脇に投げ落とすと、こちらに振り向いた。

 黒ずくめの装束は顔も覆っており、目の部分だけ開いていて、鋭い眼光がこちらをにらんでいる。目の周辺の肌の色は黒っぽいが、ここまで黒一色だからひょっとすると何か塗っているのかもしれず、アレンは判断を保留した。


「ふん、奔走者か……」


 男の声は装束に覆われた口から発せられるのでこもっていたが、それでも低い、不吉な響きがアレンに届いた。


「どうやら警官って感じじゃなさそうだな。同業か? 見た目はまるっきり暗殺者だけどな。分け前がほしいからっていきなりターゲットを殺すのは仁義に反するんじゃねえか?」


 いつもなら、「お手ぐらいしてくれたらお駄賃はやってもいいのに……」ぐらいは言うアレンだったが、なんとなくこの相手に挑発は危険な気がした。


「同業ではない。が……見られたからには殺す」

「そうかそうか、そりゃ良……くないっ!」


 意外にも受け答えできそうな雰囲気だったから一瞬油断していたが、アレンは慌てて構え直す。

 

「キィェイ!」


 奇声をあげて飛びかかってくる黒い影。


――くそっ、速い


 細かく左右に動き、アレンに狙いを定めさせない。


「畜生!」


 結局引き金を引くタイミングを逸して飛びのくアレン。

 すんでの所で突き出された手を躱した。しかし、相手はそのままの体勢で一歩踏み込むと回し蹴りを放つ。

 とっさに出した左手で蹴りを受けようとしたアレンは、背筋に冷たいものを感じて手を引っ込める。

 だが、かすっただけなのに左の袖が鋭く切り裂かれる。


――全身凶器かよ!


 そもそも突きで人体を貫いているのだから尋常な相手ではない。

 だが、これでは一発食らっただけで戦闘不能、下手をすると即死だ。腕も足も警戒する必要がある。


――だが、そんなピンチなんて……


 アレンは何度もくぐり抜けてきたのだ。

 自身の外套を跳ね上げて目くらましをし、その影でロータスを構えて引き金を引く。


 アレンの持つロータスは真空管式魔道銃である。残弾ならぬ残「球」は6。

 銃身に沿って前後に6つ並んで淡く光るガラス球の、今一番先端側の1つに電源からの回路がつながった。

 スタンバイ状態ですでに、ヒーターには電流が流され暖まっている。陽極プレートには昇圧されて高電圧がかかっている。

 そこに、別系統の電源からコントロールグリッドに微少な電圧がかけられる。

 その微少な、だが緻密に制御された電圧信号は、その電圧を増幅されてプレートと陰極カソードの間に再現される。ここまでなら、単なる電気信号増幅に使われる真空管と同じだ。

 だが、コントロールグリッドとプレートの間に存在するもう一つの回路、イグナイタグリッドに描かれた魔法陣を通して、電気素エレカ精気素スファラに変換される。

 魔道真空管としては最も単純な激発管エクスプローダの内部で起こっているこの現象は、単純とはいえ、専門家以外には難しい。

 だが、先ほどのチンピラの例を見るまでもなく、「引き金を引けば弾が出る」のだ。

 頭の悪いチンピラだってアークメイジを持てば魔法使いに対抗できる。

 これでは、魔法使いが失業するのも無理はなかった。


 真空管から発生した純粋な精気素スファラの塊は、その一部分を消費して銃身内部に刻まれた誘導魔法陣を起動させる。そして残りの大半が誘導に従って、銃口から発射される。

 夜の闇に突如としてまぶしい光球が現れ、慣れているアレンも一瞬視界を奪われる。


――畜生、もろに見ちまったな……


 目くらましの外套の手前で発生した光が想定していたより強い。

 だが、その場に突っ立っている訳にはいかない。

 光球の行方を気にする間もなく、アレンはさらに後ろに飛び下がる。


「おっと」


 飛びのいた先にあった石に蹴躓いて、体勢を崩しかけるアレン。

 気がついたときには、弾は闇の中を一直線に遠ざかっていくところだった。

 つまり……外した。そして敵の姿も見失っていた。


――まずいな、いったん引くか……いや……ここは!


 アレンは、続けて2回引き金を引いた。

 アレンは道具の整備には気を使っている方だ。

 十分に整備されたロータスと、高価な純正品の激発管ならば不発はまずない。

 続けざま前方やや左右に発射された光球が闇を切り裂いて飛んでいく。

 果たして……いた。

 そのまま正面から来るのではなく、闇に紛れて横に回り込もうとしていた相手は、左の光球に真正面から当たりそうになってすぐさま飛びのいていた。


――来るか……


 アレンは警戒しながら銃口で狙いをつける。

 激発管は、1回でその力を使い果たして焼き切れてしまう。

 真空管の種類によっては連続して、あるいは複数回使用できるものもあるのだが、往々にして激しい効果を有する種類の真空管はそうではない。

 そして、ロータスの銃身に並んだ前3つは光を失っていた。

 使用済みのそれは、内部の回路が焼き切れてしまい、今は残った熱気を発するだけだ。


「……なるほど、戦い慣れているな」


 相手が再び言葉を発した。


「……さすがに命がかかってちゃ出し惜しみは無しだろ……そして、これでもう闇夜の不利は無しだ」


 そう言って、アレンは手探りで構えた小型の銃、アンクを頭上に向けて引き金を引いた。


「これは……」


 先ほどロータスから放ったものと似た光球が、だが頭上で静止し、そのままそこで光り続ける。


「夜に動くならこれぐらいの準備はあるだろ? 光の魔法の代わりの喚起管エヴォケータさ」


 アンクは単発だが、多種の真空管の効果を扱うことができる。

 もちろん激発管を使用して敵を攻撃することもできるが、威力は専用のものには及ばない。

 むしろ、今回のように明かりをともしたり、先ほどのチンピラ戦であったように引力管アトラクタを使用して敵の注意を引きつけたり、便利な魔法の効果をもたらすのに使われることが多い。

 あの戦いでアレンは、石に対して引力管を使用した。

 強い力で引っ張られ、アレンの方に転がっていった石は、しかしその勢いから、向こう側からアレンの方向に蹴り飛ばされたように見えた。

 そのため、チンピラたちはアレンのいる位置を誤解し、結果としてアレンは敵の背中を狙い撃つ余裕が生まれたのだ


「なるほど……明かりの魔法というわけか……豪勢なことだ」


 真空管は使われるようになってそれなりに長い。

 だから、著しく高価というわけではないが、それでも懐を気にせず使えるほど安くもない。


「ランプじゃ両手が開かないだろう? あんたみたいなのとやるならそれが勝負を決めたりするんだぜ」


 アレンの言葉に返答はなく、今や姿を見失うことのない相手はそのまま佇んでいる。

 それにしても明かりの下で見るこの敵の姿はやはり特異だ。血まみれの黒装束、明るいのでその光沢からなめらか動きを重視した生地だということがわかるが、わかったのはそれぐらい。やはり全身を包んだそのやせぎすの長身は、こうして構えていない時でも隙が無い。そして正体もやはり不明だ。


――しかも、一切魔法を使っていない。体術だけでこれっていうのはちょっと反則だぜ……


 ある事情から、アレンにとっては魔法使いや魔道銃使いはやりやすい相手なのだ。

 その意味では、この相手はアレンにとって最悪の相性といえる。


「最初から使っていれば良かったのでは?」

「いきなり明るくなって怖いおっさんが目の前に現れたらびっくりして小便ちびっちまうじゃねえか。奔走者なんかしちゃあいるが、これでも俺は十代半ばの純朴な少年なんだからな」

「ほう、俺も普段は笑顔の素敵な好青年として知られているのだがな……」


 こんな目つきの怖い好青年がいるわけないだろう。


「どこがだよ……それより、時間稼ぎのつもりなら無駄だぜ。こいつはたっぷり一時間は光ったままだからな」

「うむ、そうか、ならば……」

「なあ、おっさん……誰にも言わねえから、このまま見逃してくれるって手はねえかな?」


 これに対して相手はすぐに返答した。


「だめだ、お前を信用するしないの問題ではなく、俺がここにいること、このようなことをしていると誰かに知られることはまずいのだ……」

「そうかよっ」


 アレンは先制で引き金を引いた。残り2発。


「甘い」


 黒ずくめの相手はアレンの攻撃を余裕で躱し、再び接近してくる。


――ちっ、『百発百中』の名が泣くぜ……

「ふんっ」


 ゆったりした服は、こうして光の下で見るとその効果がよくわかる。

 まっすぐ突き出された突きが、アレンの予想を超えて伸びてくるのだ。

 元々長身で手が長いこともあるが、アレンが十分間に合うと思ったタイミングで回避してもぎりぎりだ。


――やべぇ、もうちょっとで『心臓』一突きにされるところだったぜ


 そのまま接近戦になる。こうなるとアレンは不利だ。

 いや、アレンだけではないだろう。現代の対人戦で接近戦が得意な者は少ない。

 そもそも、魔道銃が万能過ぎる。

 対人の強さは、いかにうまく魔道銃を使いこなすかにかかっている……はずだった。

 次々と繰り出される黒ずくめの攻撃、それをアレンは奔走者の経験から来る予測と体裁きで、紙一重で躱したり受けたりしている状態だ。

 それでも、何発かの攻撃はかすり、アレンの服や外套は徐々にぼろぼろになっていく。

 体のあちこちが傷ついているのがアレン自身にもわかる。血も流れているだろう。今の状態では汗と区別がつかないが……


「危ねっ」


 油断していると突きや手刀だけではなく蹴りも飛んでくる。

 アレンは回し蹴りを左手で受ける。手甲をつけていなければ折れていただろう。それほど強烈な衝撃がアレンを襲う。

 体勢が崩れたところに続けて手刀の一撃。

 アレンはそれをロータスではじく。ガラスが砕ける音が聞こえ、真空管がいくつか割れる。

 アレンは額から汗が頬を流れ落ちていくのを感じた。血か、汗か、あるいは冷や汗の類かもしれない。


「まずい」


 幸い光は消えていないのでまだ撃っていない真空管は無事だ。そう判断して、即撃ち返す。

 2つの光球は、しかし至近距離にもかかわらず当たらない。

 この体裁きは異常だ。

 噂に聞くアサシンとはこういうものなのかもしれない。アレンはまだ出会ったことのないそれを連想した。


「ならば!」


 アレンは奥の手を出すことに決めた。

 左手で、探り当てていたそれの引き金を、アレンは引き絞る。

 連射切り替えスイッチを全自動にセットされていたアークメイジから、連続して光球がばらまかれる。

 あのチンピラから回収したもので、当然ここで使ってしまえばその分の真空管代を弁償しなくてはいけない。

 だが背に腹は代えられない。

 突然の5連射に、だが相手は慌てる様子無く、距離をとった。

 その隙にアレンはロータスを捨て、右手にももう一丁のアークメイジを構える。

 アークメイジがその連射を可能にしている秘密は、弾倉を本体から分離していることだ。火薬式の銃と違い、魔法の力さえ伝達すればいいのだから、本体に弾倉は必要無い。魔法力を伝えるケーブルさえあれば、弾倉を腰にでも吊っておけば良いのだ。

 だが、さすがに二丁拳銃と気取るにはいささか無理がある。肩掛けと腰帯でアレンの体に固定された袋から、左右のアークメイジにそれぞれケーブルが伸びているが、絡まってしまっていてとれる体勢が制限されている。

 だが……


「なるほど、この火力では少し不利か……」

「なあ、本当に言わないから、ここで引いてくれねえか?」


 黒ずくめは、アレンのその言葉に、こんどはしばし考える様子を見せた。

 あたりは沈黙が支配し、ただ灯りの魔法が照らす光が輝いているのが、一種異様な雰囲気だった。


「ふむ、まあ俺一人なら……活動時間も補うことができたわけだから……」


 低くつぶやくその声はアレンには聞こえない。

 やがて、男はアレンをにらみながらこう答えた。


「よかろう。だがこれ以上俺たちに関わらぬことだ」

「はいはい、わかってますよ。これからは夜には家に鍵をかけてぶるぶる震えて過ごすことにするよ。夜中にトイレに行けなくなったら責任取って……っておっさんに出てこられたらその場でちびりそうだな……」


 やや調子が戻ってきたのか、アレンの軽口も復活する。


「では再び出会わぬことを祈る……」


 その言葉をアレンが認識した時には、どうやったのか相手の姿はすでに消えていた。

 アレンは、そのまましばらくあたりを警戒し続け、ようやく両手を下ろす。


「はあ……とんでもねえ奴だった」


 死の危険を感じたのは久しぶりだった。

 そのまま座り込みたいアレンだったが、やることはたくさん残っている。

 とりあえず足下に転がっているロータスを回収する。


「ちぇっ、傷だらけだ」


 それだけならいいが、球のソケットに歪みが生じているかもしれない。誘導魔法陣も無事かわからない。

 この分では一回整備に出さなくてはいけないだろう。

 アレンは、半ば本気で「無くしたことにしてアークメイジを1丁ぐらいパクっておくか」と考えるのだった。

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