第26話 アレンへの依頼

「怪しいな」


 空を見上げてアレンはつぶやく。

 この様子だと、昼か遅くても夕方ごろには天気が崩れそうだ。

 今の季節、基本的には西の空を見れば天気の推移がわかる。

 山の向こうに重そうな雲がひしめいているのが見える。

 あれが山を越えてきたら久しぶりの雨が降ると思われた。


「ひとまず、屋上化は延期するか……」


 上の階を屋上として使用できるように整備するのは、また今度の機会を考えて、今日のところは管理局に顔を出して仕事を見繕うことにした。

 昨日上がった部分の雨除けをしっかりセットし直して、アレンは家を出る。


「二輪車の引き取りもちょっと延期するか……」


 雨の跡のぬかるんだ道を、慣れないうちに走るのは避けたい。

 いずれ仕事で乗り回し、痛んでくるのだとしてもしょっぱなからコケてどろどろになるのは勘弁してほしいと考えたのだ。


「ああ、やってるな」


 いつもの通りに星の広場に足を踏み入れると、向こうの方でちょこちょこ動き回っている姿を見る。

 そしてアレンを認識し、その人物は近寄ってくる。

 復帰してからは以前と変わらず職務に邁進しているサシェだった。

 かつての違いは、首の傷を隠すためか常に布を巻いていることぐらいだった。


「最近は、あまり見ないですね」

「ああ、いろいろあってな……」

「それに全身を覆っていた不審者オーラもましになっているような……」

「オーラを見れるとか、インチキ占い師にでも転職したらどうだ?」

「そこでどうしてインチキが頭につくんですか? 普通の占い師でいいじゃないですか?」

「残念ながら、俺はインチキじゃない占い師に会ったことはないからな」


 魔法使いの名門出身のアレンでも、正しく力を持った占い、すなわち未来予知の魔法なんていうのが存在すると聞いたことはない。


「そうなんですか? 新市街の方にはよく当たる占い師がいると聞いたことがあるんですが……」

「まあ、インチキだな……本物だったら魔法協会が黙っていないだろう」

「なるほど、スカウトですか」


 傘下にない有力な魔法使いがいるという噂があったら、どこにでも魔法協会のエージェントが現れて、スカウトしていく。

 本物だったら、本部にそれなりの立場で招かれるので、在野の魔法使いにとっては一発大逆転の機会でもあり、喜んで応じるのが常だった。


「えらく素直に受け取ったな……魔法協会の事情とかに詳しいとは知らなかった」

「いえ、軍警でも似たような制度があるのです。優秀な人は本部にスカウトされるそうです」

「お前も狙ってるの?」

「そうなればありがたいんですが……」

「まあ、こっちから抜けたって話は聞かねえな。あの隊長だってそこそこ有能なはずなんだが……」

「あの方は、あえてこちらに残っているはずです」


 壁上デ見張ルモノバックウォッチャー隊長のローウェルは一人で隊を支えていると言われている。

 余り表に出てこないが、町の者が苦情を言いに行った時には必ず出迎えてくれるらしい。

 彼に対しての不満を聞いたことが無いのが、人柄を証明している。


「ところで、最近変わったことねえか?」

「そうですね……旧市街だと……ああ、エルフの人たちが移住してきましたよ」

「ああ、それは昨日会った。なんなら買い物もした」

「早いですね。さすがと言うべきか……」

「お前も、この広場だけじゃなくて周辺にも目を向けてみたらどうだ?」

「それをするのには現状人が足りないんですよね……」

「なら、頑張って出世して人を使えるようになれよ」

「そうですね……」

「頼りになる男がいるじゃねえか」

「げっ、まさか会ったんですか?」

「ああ、見舞いに行ったときにな」

「ずっとこっちでは秘密にしてたのに……」

「別に胸張って付き合えばいいじゃねえか」

「いろいろと面倒なんですよ」


 確かに、中央のエリートと旧市街の一兵士だと、面倒なことは多いだろうが、それはどちらかというと新市街側で起きる面倒だけなのかとも考えたアレンだった。

 実際には、旧市街の犯罪組織にその情報を握られると、サシェを人質にして脅迫される恐れがあるため、こちら側で知られる方が面倒なのだ。

 アレンがそのあたりに気付かなかったのは、いまいちバックウォッチャーと犯罪組織の力関係について詳しいところを把握していないからだ。

 それは、旧市街の一般市民、特に奔走者には隠されているが、残念ながら犯罪組織の方が圧倒的に力を持っており、ローウェル隊長は、部下や外の軍警の知り合い、あるいは奔走者をうまく使って、そのあたりの力関係を五分に戻そうと奮闘している最中だった。

 そんな事情について説明するわけにはいかず、サシェは「いろいろ」と言葉を濁したのだ。


「ところで……傷は大丈夫か?」

「ああ、なんともありませんよ、ほら」


 と、サシェは布をずらして首を見せてくれる。

 やはり跡は残っているのを見てアレンはちょっと眉を顰める。


「……すまねえな」

「気にすることはないですよ。名誉の負傷です」


 さっきサシェが事情を濁したのと同様に、アレンの側も例の事件について詳しく話すわけにはいかない。

 だから口をついて出たのは率直な謝罪の言葉だった。


「だがな、借りになったのは確かだ。何か手伝えることがあったら言ってくれ」

「そうですね……じゃあ、出て行かないでください」

「出ていく?」

「なんか、最近あまり見ないから新市街にでも行ってるのかなって。向こうに完全に移っちゃう人もいるけど、こっちにも面倒なことは多いんですから……」

「そうだな、まあ変わらず家はこっちだし、拠点を移すつもりはないぜ」


 それは本心だった。

 ミスルカとの生活はあっても、向こうに転がり込もうという気は今のところない。

 故郷を開放するために遠征はしても、結局アレンはこの町に戻ってくるだろう。

 なんだかんだ言っても、アレンはこの旧市街が気に入っているのだ。


「ならよかったです」

「ああ、それぐらいお安い御用だ」


 アレンは、努めて明るい調子で返した。



 管理局の中は、相変わらず混んでいる。

 だが、混んでいることは悪いことではない。

 本当に町がざわついているときは、休憩所でたむろしている待機勢が少ないのが普通だし、そうでないということは町は平穏ということだ。


「ああ、アレンさん、よかった。ちょうど頼みたい仕事があったんですよ」


 遠くから職員に声をかけられる。

 アレンが近づいていくと、その職員は嬉しそうに話をつづけた。


「外の任務なんですが、アレンさんぐらいじゃないとちょっと死人が出そうで……」

「穏やかじゃねえな。魔獣か?」

「ええ、そうです。ちょっとここのところ活発らしくて、狩人が何人もやられているそうなんですよ」

「それでか……」


 肉が高いとかいう話をつい昨日聞いたところだった。


「でも、そんな調子だったら軍警が出張るんじゃねえの?」

「それも検討されているらしいんですがね。なにせこっちまでは情報が回ってこないので……」


 軍警の左遷先がバックウォッチャーとすると、市庁舎の左遷先は旧市街管理局だ。

 情報が遅れるのも仕方がないところである。


「で、いつから?」

「うちから2つチームを出す予定なんですが、1つはすでに出ています。ですが、もう一つがちょっと戦力的に薄くて……」

「だれ?」

「アーノルドさんとメラードさん、あとはラディさんです」

「嘘だろ? どう見ても荒野向けのメンツじゃねえだろ?」

「それが、装備を一新したとのことで……」

「使いこなせてるかわからねえじゃねえか……」


 確かに荒野は装備が第一だ。

 だけど、専門の連中は装備に対する習熟や魔獣の知識などがずば抜けている。

 装備だけではいささか不安なのは確かだ。


「そのあたりも、アレンさんにサポートしていただければ……と」

「俺も最近は荒野装備は使ってねえしなあ……」


 名をはせているアレンは、実のところ外での仕事もそれなりにこなしている。

 前回の事件では全く旧市街内だったので持ち出す暇がなかった大型装備も、アレンは所持していたが、最近まで冬だったので、しばらく使っていない。


「まあ、何とかするよ。明日出発でいいか?」

「ええ、ありがとうございます。期間は3日間で、最終日に向こうに出ている職員に報告してもらって終了という手筈にしておきます」


――はあ、せっかく今日はゆっくりできると思ったのに……いや……


「あっ……と、預けている金を下ろしてもらえるか?」

「はい、承ります」

「それじゃ……」


 普段管理局で扱うことのないほどの大金であり、ちょっとした騒ぎになったが、アレンは金を下ろして袋にしまった。


「すごい額ですね。気を付けてくださいよ」

「ああ、この足で二輪車を引き取りに行くつもりだ。荒野に出るならあった方がいいだろう?」

「それはそうでしょうが、乗ったことあるんですか?」


 旧市街のみならず、新市街でも町を出ない者が二輪車に乗ることはあまりない。

 その代わり新市街では自転車はそれなりに使われており、この管理局職員も乗ることはできるが、最初は苦労した覚えがある。

 旧市街を走り回っていたアレンがいきなりで二輪車を乗りこなせるとは思えなかった。


「自転車には乗ったことがあるから大丈夫……のはずだ。ってことで、明日は東門集合でいいかな?」

「ええ、問題ありません。時間は……」


 その集合時間なら問題なかろう。

 アレンは、今夜はミスルカと過ごせそうだとわかって、自然と気分が浮き立っていた。今なら多少の無礼なガキが突っかかってきても許してしまいそうだ。

 だが、窓口で大金を受け取り、注目されたアレンのことを、当然そういう未熟者も「あれは誰だ?」と近くに質問するので、トップ奔走者のアレンであることは周知され、実際にはトラブルなくアレンは管理局を出ることができた。

 まだ日は高い。

 今から歩いて新市街に行くのも苦ではないだろう。


――一度家に寄って……ああ、武器を持ち出すのは明日でいいか……


天気が崩れるのが予想されるし、大きな武器を歩いて持ち歩くのは避けたい。

明日二輪車で取りに帰ることを考えると、今日はそのまま新市街に向かった方がいいだろう。


――結局雨の中を新品で走り回ることになったな……


 常にピカピカに磨くわけにもいかないし、それはいいか……とアレンはあきらめるのだった。



「ということで、二輪車引き取って来た。下に置かせてもらってるぜ」

「……まあいいけど、それより3日間も荒野なの? 初めての二輪車で……大丈夫?」

「ああ、何とか乗りこなせそうだ。それに、そろそろ本腰入れて仕事しねえとな」

「お金なんて私が……」

「おっと、俺はヒモになる気はないぜ。ちゃんとそれぞれが自立すること。最初に確認したよな?」

「そりゃそうだけど……」


 そこでミスルカはグラスから葡萄酒を一口。

 頭を使う仕事からか、彼女はやたら甘いものを好む。

 この葡萄酒も元々甘いものに果汁を混ぜている。

 アレンはあまり好まないが、お付き合いということで同じものを飲んでいる。彼のグラスには果汁は入っていないが、そのままでは酒精が強い。


「そうかあ、確かに肉は高くなってるわね」

「新市街でもそうなのか……」


 今回は秘密など何もない、増えて困っている魔獣を間引くだけの仕事だ。

 守秘義務について何も言われなかったので、アレンは仕事の内容をミスルカにも明かしていた。

 魔獣は体の組成としては通常の動物と大して変わりは無い。

 生き物が生きているときは精力素スファラを帯びるが、死ねば単なる肉の塊だ。精力素過剰ザルスファラである魔獣もそれは同じで、死ねば単なるタンパク質と脂肪の塊だ。

 そんなわけで、魔獣退治には死骸を引き取る業者が同行するのが常で、大掛かりなそれが行われた時には市中に肉が出回り、一時的に値が下がるのが普通だった。

 魔獣退治がされた後は通常の動物を狩人が狩ることもできるので、値段は落ち着くだろう。


「というわけで、次来るのは4日後かな」

「結構開くわね」

「なら、忘れないように今日は楽しもうぜ」

「ふふっ、そうね……」


 アレンから誘うのは実は珍しい。

 珍しいことをしたアレンの顔が赤かったのは、果たして酔いだけだったろうか?

 そして二人は楽しんだ。

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