第25話 東の事情

「姉弟でこっちに越して来たのか?」


 事情があるのかもしれない。

 何か向こうでトラブルに巻き込まれた、あるいはトラブルを起こして追い出された可能性もある。

 そんなことを考えたアレンは、特に理由を言わなくて済むように質問した。


「そうね、こっちでエルフの産物で商売しようと思って……」

「なんで新市街じゃないんだ? あっちだったら優遇とかあるだろう?」


 協定によって、エルフは各種優遇措置がエリントバル市国によって与えられているはずだ。

 協定――レシレテ協定と呼ばれるそれは、新市街を拡張するにあたって強引な手段を取りたくないという開国時の理念によってエルフとの間で結ばれたものだ。

 なお、その理念は一部現在まで残っており、エリントバルは『市国』を名乗って決して周辺の国に侵攻して領土を拡張しようとはしていない。

 あくまで商業的に国を大きくしていこうという方針であり、必要な食料は商売を通して得るというのが基本だ。

 ただそれでも、人が増えるにしたがって全く領域を拡大しないのは不可能だった。

 そこで新市街の拡張が必要になるのだが、あいにく北と西はふさがれており、東と南は森に遮られている。

 森の実質的支配者は奥に住んでいたエルフたちだ。

 そこで、彼らとの話し合いによって、エリントバルは市街に隣接する森を徐々に切り開き、同じペースで森を向こうに拡張する義務を負うことになった。

 それに伴いエルフが街に出てくる場合の若干の優遇措置があり、新市街への移住はしやすくなっている。

 それでも、わざわざ苦手な町中に出てくるエルフは少なく、さらに遠く住むのに環境のいいとはいえない旧市街では、ほぼ見ることはない。

 アレンの知る限りは真空管屋のソロンが唯一の旧市街在住のエルフだった。

 なお、『レシレテ』とはこの地域の古語で「ゆっくりと進む」という意味であり、これは森をゆっくりと移動させるという意味と、エリントバルとエルフの友好をゆっくりと進めていこうという二重の意味がかけられている。


「新市街はねえ……姉さんが嫌だって……」

「あんな人込みだらけの場所、気分が悪くなって一日だっていられないわ」

「こっちも大通りは結構ごみごみしてるけどな……」

「その辺は、僕が何とかします。姉さんは基本的に店から出ない方針で……」

「そんなんでやっていけるのか?」

「別に私は人嫌いじゃないよ。人込み嫌いなだけで……」


 ここは、元々それほど人通りの多い場所ではない。ガレイが店をやっていた時も、他の客に出くわしたのは数回しかないし、大通りからここまで歩いてくるのに一人にも出くわさないこともあった。

 そうだ……、とアレンは肝心なことを聞いてみた。


「ここって森の産物を売るんだよな? 木材とかあるか?」

「ありますよ。どんなのがいいですか? 柱? 板に加工したのもありますよ」

「ああ、ちょっと大きめの板が必要で……」



 マルクに相談に乗ってもらったことで、アレンは首尾よく必要な板を手に入れることができた。

 早速家に取り付けてみる。


「よし……」


 入り口として見た目は少々不格好ながらも、一応の機能はしている。

 鍵もかけることができ、中にグレイホースを入れても問題ないはずだ。


「あとは上か……」


 アレンは梯子を上って居間に上がる。

 そして天井の様子を確認する。

 普段は上に行く必要がないので、登って来た梯子を外して立てかけて上がる必要がある。

 微妙に高さが足りないので、今の雨除けを張るときには苦労した。

 そして、完全にふさぐこともできなかったので、雨が降るときには若干雨漏り、というか雨が吹き込んでいた。

 今回はもっと徹底的に対策するため、マルクの店から梯子に使える木材も購入してきた。

 リヤカーで運んでくれた彼には感謝したが、その分旧市街のあれこれを教えながら移動してきたので、最後には貸し借り無しということで別れた。

 作った梯子を既存のものと連結して、上階に出てみる。

 砂が積もり、一見すれば廃墟の崩れ落ちた建物なのだが、その奥に魔法の術式が潜んでいるのがアレンにはわかる。

 その意味で、いくら朽ちているように見えても構造上の不安は無く、意外に掃除すれば何かに使えるかもしれない。


「屋上……か」


 大通りの建物の屋上は、テントを立てて物置にしていたり、店の者が休憩していたりするのだが、すぐに店に並ぶ商店の荷物ではなく、アレンの私物を野ざらしにするわけにもいかない。


「まあ、風通しがいいから椅子でも持ち込んで休むのは良いかもな」


 周りの建物はせいぜいが二階建てで、元が見張り塔であるアレンの住処は一つの階層が高く作られている。

 そんなわけで、ここは周囲の建物より高く、見晴らしがよいし風も良く通る。

 すでに昼というよりは夕方になっており、海風がかすかに流れてくるのが感じられる。

 海から距離のある旧市街とはいえ、夜になると湿気を含んだ海風が吹いてくるのは知っていたが、こんな明るいうちからそれを感じ取れるのは、アレンには新鮮だった。

 かすかに子供たちの声が聞こえる。


――ああ、夕方の……


 真面目に声を合わせていても、声の特徴は隠せない。

 子供たちの祈りの声が教会の方から聞こえてくる。

 顔を出そうと思っていたが、もうこの時間だと教会にとっては迷惑になるだろう。


「だったら、酒でも飲みに行くか……」


 シア、だけではなく馴染みの連中の顔を見るのも楽しみだ。

 アレンは、家の改装はここまでにして外出することにした。


「使うとなると、いちいち連結したりするのが面倒だな……」


 屋上を使うことを考えると、梯子は専用のものを用意した方がいいだろう。

 アレンは、財布の中身を考えて、明日は管理局に預けてある金を引き出そう、と考えながら酒場に向かう。



「なんかおすすめある?」

「久しぶりじゃない。 ええと、今は春の野菜がいいわよ」

「肉は無いのかよ」

「ちょっとねえ、なんか今品薄なのよね。でもその分魚はたくさん取れたみたいだから、スープというかシチューみたいなものがあるわよ」

「じゃ、それで」

「飲み物は?」

「そろそろ麦酒でいいだろう。冷えたのを頼む」

「はーい」


 そういえば例の事件の直前、最初にグラードとあった次の日も魚がどうこう話していたのをアレンは思い出す。

 自分は内も外もだいぶと変わったけれども、この場所は変わらない。

 シアもあの事件前後は大変だっただろうが、以後はひとまず以前と変わりなくアレンには見える。


「はい、大盛りにしておいたよ」

「こんなに……」


 改めて確認するまでもないが、アレンは小柄だ。

 今年17になる若者とはいえ、こんなに山盛りにされても処理しきれない。

 大きなどんぶりになみなみと入った汁物、そして大きく山になったキャベツがはみ出している。


「これで麦酒も飲んだらそれだけで腹いっぱいじゃねえか」

「大丈夫、ほとんど野菜だから、大して重くはないよ」

「それって魚がほとんど入っていないってことだろ? ケチったのか?」

「心外な、このバランスがいいんだよ」

「って親父さんに言えって言われたのか?」

「実はそう」

「はいよ、お代だ」

「まいど」


 そして、アレンは冷めないうちに汁物に手を付ける。

 小麦粉か何かでとろみがついており、熱い。

 中にはキャベツだけではなくタマネギやその他の緑の野菜も入っており、ボリュームだけはあった。

 ああは言っていたが、そこの方を探ると魚の切り身がゴロゴロ入っており、その出汁が出ており味は良い。

 ただ、熱い。

 口の中をやけどしそうになるのを、冷えた麦酒で冷まし、食べ進める。

 これまでの経験上、魚が入っているので冷めると臭みが出ておいしくないので、何とか集中して片付ける。

 ほぼ腹いっぱいだ。

 落ち着いたので周囲の客にちょっかいをかけようかと顔を上げる。

 そして、これも奇妙に前の事件と符合するのだが、顔なじみの漁師が近くで酒を飲んでいるのが目に入る。


「おお、久しぶり。最近どうだ?」

「相変わらず……じゃねえな、最近は新市街の方にも立ち入ってる」

「へえ、出世したねえ、俺たちゃ相変わらず毎日魚取っての生活だからな」

「なんか変わったことねえか?」

「何で気にするんだ?」

「いや、二輪車買ったから、港の仕事とかありゃいいかなって思ってな」

「そいつは豪勢だな。何だったら俺にもちょっと分け前くれてもいいんだぜ」

「そのせいでほとんどすっからかんだよ。働かねえと飢え死にしちまう」


 そうは言いながらも、コインを出して漁師におごってやるアレン。

 地道な営業活動は奔走者にとっては大事なことだ。


「そうさなあ……ああ、そういえば最近船が少ねえな」

「沈んだか?」

「いや、沖に出れば居るんだが、港にいねえんだよな」

「ってことは、港を移動した?」

「でもなあ、今の港より安いところはねえはずなんだがなあ」

「ジルさんのところだっけ?」

「実際にはライラさんだけどな、ジル親分は港で見たことねえなあ」


 ジルベルト親分の娘、ライラが旧港の西に新たな港を開いた話はアレンの耳にも入っている。

 そして、停泊料が安いために人気になっているという話も知っている。


「あれかな? 元の旧港の方が値下げしたんじゃねえか?」

「ああ、それかもなあ……でもあっちは停泊料以外にも……その、いろいろあるからなあ」


 アレンもその身をもって知っているが、元々の旧港を支配している犯罪組織はかなり乱暴だ。

 もしかすると、自主的に移ったのではなく、何らかの脅しがあっても不思議ではない。


「まあ、なんかあったら言ってくれ。あ……もちろん管理局は通してな」

「ああ、またなんかわかったら教えてやるよ。麦酒ありがとうな」


 その他の常連とも話をして、結局それなりに長居したアレンは結局閉店まで居た。

 そして、せっかくだから、とシアを教会に送っていくことになる。


「ねえ、その後恋人さんとはうまくいっているの?」

「ああ、まあまあいい感じだ」


 こんな話をシアとするとは予想していなかった。

 だいたいが、ミスルカを旧市街に連れてきたことなどない。

 どこからその話をシアが知ったのかとアレンは気になったが、それを聞く前にシアが種明かしをしてくれた。


「エメリーさんから聞いたよ。新市街で二人で歩いてたって」

「あの女がお前の店に来たのかよ……外面重視のあの女が……」


 エメリーは新市街で仕事を受けるようになって、できるだけ態度や外見に気を付けている奔走者仲間だ。

 昼にせよ夜にせよ、古の栄光亭で食事をするようには思えなかった。


「用事があって管理局に行ったときに会ったのよ」

「それならわかるか……あいつにもしばらく会ってねえな」


 今旧市街に出入りしているなら明日出くわすかもしれない。

 アレンは、彼女に新市街のことを聞きたいとも思っていたので、心にとどめておく。


「あーあ、私も恋人探そうかな……」

「よりどりみどりじゃねえの?」


 シアは、これでも人気者だ。

 古の栄光亭がそれなりに繁盛しているのも彼女の存在があるからだとアレンは思っていた。

 その気になれば、だれでも付き合えるだろう。


「ふふっ、おっさんは嫌」

「若いのもいるだろう?」

「収入が少ないのも困る。教会が続けられなくなるし……」

「そうか……となると、店やってるようなやつかな……」

「そういうのもいろいろ面倒じゃない? 店のしがらみとかあるし……」


 旧市街は一見独立している店でも、背後に何らかの犯罪組織がある場合も多い。

 そこで若い店主なんていうのは、たいていどこかのひも付きだ。


「奔走者はどうだ?」

「ああ、でもみんなカツカツじゃないの?」

「うん……そうだな」


 奔走者の中でも一部稼いでいる者はいるが、たいていは食い詰めている。

 特に若いうちに高収入になるのはほぼおらず、それを目指して命を落とすものも多い。


「せっかくの第一候補がすでに取られちゃったから……あとは難しいのよね」

「第一候補……ってまさか俺? お前、俺に惚れてたの?」

「惚れて……っていうか、まあ、悪くはないかなって……収入とかありそうだし、教会のみんなに優しくしてくれてるし……」

「そうか……」


 ごめん、と言うのも違うだろう。

 ありがとう、も違う。

 確かに気安くやり取りできる間柄だったが、アレン自身の問題もあって、そんなことは夢にも思わなかった。

 そして、マリアの言葉。


――シアには決して言わないでください


 アレンの事情を話すこともできない。

 ということは、秘密を抱えている状態で、よりシアと仲良くするなんてありえなかった。

 すでに裸を見られて、秘密も知られているミスルカとは、元魔法使いとしても、現真空管技術に明るい者同士としても気が合った。

 いまこうなっているのは自然なことだとアレンは思っている。


「まあ、まだ私も若いし、何とでもなるわよ」

「そうだな、がんばれ」

「そっちもね、捨てられた泣きアレンを慰めるなんてのは無しにしてね」

「ぬかせ」


 ちょうど教会の前に着き、そんな言葉で別れることになった。

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