根を広げる奔走者~協定を巡る陰謀~

第23話 新たな日常

「おはよう」

「ああ……お、おはよう」


 そんなセリフを言われることも、自分が返すこともあるとは思わなかった。

 一年……いや、ほんの数か月前のアレンでは、考えられもしなかった。

 だが、今こんな状況になっている。


「今日は、仕事?」

「もちろん、もうすぐ出るわよ」

「そうかあ、じゃあ一緒に出るか?」

「うん、途中で朝ごはんも一緒に食べようよ」

「そうだな……」


 本当に、何でこんなことになっているのか?

 アレンは成り行きとはいえ、女性とこんなことになっているのが、いまだに自分で信じられないでいた。

 しかも、場所は彼女の家。

 今まで生活していた旧市街の廃墟とは違い、新市街のしっかりした集合住宅。

 かなり高収入であり、社会的信用もないと借りることができないような広い部屋。

 そこで彼女と一緒に目覚めたのが今のアレンの状況だ。


「シャワー浴びる?」

「うーん、どうせ今日も汚れるからなあ……」

「良いじゃない、一緒に浴びましょうよ」

「まあ、いいか」


 遠慮するほどのことではない。

 確かに、今までの生活だと身を清めるのさえ簡単では無く、いつも汗や砂にまみれて汚れていた。

 だけど、今となってはそんなわけにもいくまい。

 この部屋にはしっかり温水が出るシャワーが備え付けられているし、奔走者の知り合いで、最近新市街に活動場所を移したエメリーではないが、外面を良くすることは仕事にも良い影響を与えている。

 アレンは、裸のままベッドから起き上がり、彼女の後を追った。


「それじゃ、仕事頑張ってね」

「お互いにな」

「あ、そうだ、今日は来るの?」

「いや、ちょっと向こうでやることがあるから無理だな。明日なら大丈夫そうだ」

「そう……なら私も今日は泊まりで仕事しようかなあ」

「……ほどほどにしとけよ。またあの時みたいなのはごめんだぜ」

「あら? その時にムラっときて私を襲ったのは誰だったかしら?」

「蒸し返すなよ……それに、あれはどう考えてもお前が誘ったんだろうが」

「さあ、覚えはないわね。それに、あなた押しに弱そうだし……向こうで浮気なんかしたら容赦しないわよ」

「……勘弁してくれ、お前しかいないし……お前しか知らないよ、ミスルカ」

「あら? わたしもあなただけよ、アレン」


 そこでちょうど分かれ道に差し掛かったので、二人手を振って別の方向へ動き出した。

 明日にはまた会える。

 ともに忙しい仕事を持っている二人だけに、いつまでもベタベタ別れを長引かせることは無かった。


 アレンは、新しい生活が気に入っていた。

 かつては足を踏み入れることすら年に数回だった朝の新市街を歩きながら思う。

 こちらは新しいこともそうだが、現在も維持管理されているので道が良い。

 旧市街では大通り以外で動力車も馬車も見ることがないのにたいし、こちらはどの道でもそれらを見ることができる。

 移転の理由が手狭になったから、ということで市街自体も数倍の大きさがあり、まだ東や南に拡大している。北は海、西は旧市街なのでそちら方面への拡大はできない。

 今アレンが歩いているあたりは旧市街でも中心当たりだ。

 現在の中心、であるので市の重要施設はもっと北西の、新市街建設当初の中心地にあり、このあたりはかつて町外れだったはずの場所だ。

 当時は空間に余裕があったため、建物はそれぞれ大きめに作られている。

 それでも、当時の屋敷がさらに東や南に移転し、跡地が集合住宅に建て替わる工事がいたるところで行われている。

 ミスルカの住処はそんな真新しい集合住宅の一つだった。

 さすが、三大真空管企業の一つ、サークノードの主任研究員だけはある。


 石畳とはいえ、乾燥気味のエリントバルだと埃が立つことも多く、現在進行形で道に水が撒かれている。旧市街のがたがた道を歩くためのアレンのブーツでは、こうした道は向いておらず、足を滑らせないように注意しながら歩を進める。


――さて、先にあちらを見に行くか……


 恋人に会いに来るということは、心浮きたつことではあったが、それでも新市街の奥と旧市街のアレン自身の住処との往復に時間がかかることは確かだ。

 徒歩で片道一時間を超えるのだから、その時間を短縮できるような手段を考えるのは当然だった。

 普段の生活水準からするとほとんど金を使わないアレンは、それなりに貯金が多い。

 仕事で遠出することも考えて、二輪車を購入することを考えていた。

 道の状態からわかるように、旧市街で車両販売するような店は存在しない。

 リヤカーや荷車程度なら鍛冶屋で売っていることはあるが、ゴムのタイヤを履いたような動力車は使い物にならないのだ。

 そこで、こちらにいる今のうちに店を覗いてみようと考えていた。


――やっぱり、GMGだよなあ……


 社名に発動機Generatorとあるように、真空管機関はGMGが一歩進んでいる。大きな会社であることもあって、車体から含めた全GMG製の車両も存在し、かなり人気のようだった。

 一方で、発動機だけをGMGから購入し、車体を自前で作成するようなメーカーも存在し、そちらも様々な人気機種が存在していた。

 だが、アレンは恋人には悪いがGMG製品の愛用者だった。

 せっかくだからGMG謹製の機種がいいな、と思っている。


「やっぱりグレイホースかなあ」

「それなら、ちょうど在庫があります。即乗って帰ることもできますよ」


 やたら店員が愛想良いのは、やはり朝シャワーを浴びた清潔な姿だったことが影響しているのだろうか?

 いつも旧市街を走り回っているときの古ぼけた外套は春の訪れとともに、新市街に赴く際には脱いできている。

 今着ている服も、ミスルカと新市街で買ったもので、アレンが旧市街の奔走者ごろつきであることは、一見してわからない。

 実は、アレンはずっと二輪車に興味があった。

 足でこぐ自転車は、体が治った後の体力づくりで「乗ってみたい」と希望してそれなりに練習したからバランスをとるのは大丈夫だろう。

 小さいころからベッドに縛られた生活で、風を感じて自由にいろいろなところに行くというのは夢だった。

 当時は、まだ筋力も弱く、すぐ苦しくなる状態だったが、部分的にも自由を感じられたことは、とても良い思い出として今もアレンの中に残っている。

 感慨に浸っていたアレンの耳に、ちょっとした諍いの声が入って来た。


「なんで、エレインの製品がないのよ!」

「いや、そもそもエレインは発動機のラインナップが……」

「あるわよ」

「互換品だけどな……」


 気弱そうな店員を気の毒に思って、つい、アレンは口を挟んでしまった。


「なによあんた。店員?」

「いや、ただの客だ」


 アレンに噛みついてきた女は、気が強そうなウェーブヘアの女性だ。

 身長は普通だが、胸がとても大きい。

 不思議なことに、何か気になる容姿をしていた。


――そういう意味じゃねえけどな……


 「そういう意味=女として気になる」ではないのだ。

 このやたらエレイン推しの女性に対して、アレンはガレイ、つまりクライン仕込みの知識を披露する。


「エレインは総合真空管企業で、それこそどんなタイプでも存在する。この辺は他の二社に比べて明確に優れている。なんせ一社の製品だけで世の中のどんな真空管機関も銃も動かすことができるからな。だけどその分、他の会社の得意分野では一歩譲ることが多い。特に会社名に『発動機』なんて入れてるGMGには、発動機エンジン分野ではかなわないさ」


 実際に、往復管サイクラの新製品はGMGが作ることが多い。

 もちろんすぐにエレインが後追いで互換品を出すので、しばらく待てばエレイン製品でそろえることもできるだろう。だが……


「特に、真空管ならともかく、真空管を使う発動機本体では、どうしても明確に差があるな」


 女は、反論せずに聞いていた。

 さすがに怒鳴ったのはやり過ぎだと思ったのか、様子も大分と落ち着いてきたようだ。


「ま、例えばグレイホースだって、替えの真空管にEM91508136を入れて悪いはずはねえからな。それに、いくらエレインだって タイヤとか作ってねえだろ?」


 恐ろしいのは、GMGは傘下にタイヤを作るメーカーも持っていることだ。

 やはり、こうした車両の分野では圧倒的な強さを誇っている。


「あなた……相当なマニア?」

「よせやい。仕事柄真空管のことに関しては詳しくなっちまったんだ。職業病だよ……」

「ふうん、そうなんだ……」

「落ち着いてもらって助かるぜ……なあ、俺はこのグレイホースにする。色は選べるか?」


 アレンは店員に在庫を尋ねる。


「ええ、この白の他にグレイと黒、後は赤が在庫にございます。それ以外だと注文になりますね」

「そうか……普段汚れることを考えると……名前にも合ってるし、グレイでお願いしようかな」

「はい、では奥に……」


 そして、商談をし、オプションをいろいろ吟味した。

 場合によっては荒野や旧市街でも乗ることを考えてタイヤをオフロード仕様に、そして泥除けやキャリア、いざというときの予備真空管など合わせて、かなりの金額になった。

 アレンの貯金をほとんど使い果たすことになり、懐が寂しくなったが、それはまた稼げばいいことだ。

 オプションが多いので後日渡しになるが、手付を払って戻ると、まだ店の中にはさっきの女がいて、店員に質問していた。


「……じゃあ、私はこれを買うわ。この白がいいの」


 確かに、真っ白なグレイホースは彼女の白っぽい髪色に似合うだろう。

 アレンはそんなことを考えた。


「……ええ、請求書は会社に回してもらえるかしら。あ、これ名刺よ……そうね、今日乗って帰れないのは残念だけど、通勤用だから会社が払わないといけないのよ……」


 なんと、彼女は二輪車を買ってもらえる会社に所属しているようだ。なんて羨ましい、とアレンは心の中で思った。

 が、そんなことは彼女の次のひとことでぶっ飛んだ。


「大丈夫、話は通ってるわ。もし何かあったら第一研究所のクラインって言えば取り次いでもらえるから……日中は居るから私が出向くわ」


 クライン……

 その名、やたらのエレイン推し、そしてアレンにとって引っかかっていた容姿。

 間違いない。

 彼女はリーズ・クラインだ。

 先の事件で行方をくらませたままのアレンの恩人、エドムンド・クラインの一人娘。

 そして、父のライバルたるケルヒン・ガードレッグに師事して研究を続けるエレイン・マギトロニカの主任研究員。

 さらに、アレンの恋人であるミスルカ・メイナードと並び称えられる若き天才、『新双頭』のもう一人であった。

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