第22話 受け継がれたもの(終)

「ああ、元気そうだな」


 アレンが寝かされていたのは、どこかの病室だった。

 旧市街のどこかではなく、どうもグレイウルフの駐屯地の中にあるらしい。

 が、グレイウルフの駐屯地、というのがそもそも一般人が知るところではなく、結果としてアレンもここがどこかわからなかった。


「ああ、今まで仕事か、ご苦労なこったな……」

「全くだ。だが、いつだって軍警なんてこんなものだな」


 最後に記憶にあるより、さらに老けた印象のあるナセルが現れたのは、アレンが目を覚ましてしばらく後のことだった。

 すでに治療によって両腕も脇腹も傷はふさがっていたが、まだ腕の勝手が効かない。

 食事として出たパンはちぎるのも面倒なのでかじりついて、スープは皿に口をつけてすすって平らげた。

 激しい動きをし、負傷をし、また時間が経っていることもあって空腹だったアレンには、食事をとらないという選択は無かったのだ。

 窓からの日差しは殺風景な部屋の中を照らしていたが、その角度が傾いていくことから今が夕方であることがわかる。

 さすがに1日以上寝ていたとは思えないから、あれは昨夜のことだったのだろう。

 とはいえ、深夜から朝昼と仕事を続けてこの時間ということは、訓練された軍人のナセルといえどもそろそろ休みたいことだろう。

 食べ終わった食器が乗ったテーブルに備え付けの椅子に座り、ぼーっとして食べ物が消化されるのを待っていたアレンの向かいに、腰を下ろす。


「俺の様子なんて見てないで寝たら?」

「この後休む。だが、直接見て状況説明をできるのは俺だけだからな……」

「律儀なこった……って、まさか口止めとかじゃねえだろうな?」

「それもある、一部には。テラーフォックスという名の部隊は軍になかったことになる」

「きったねえなあ、あいつらは無駄死にか?」

「それとは別にデシオルクは失脚した」

「それもトカゲのしっぽ切りだろ? 浮かばれねえなあ……」

「それがトカゲのしっぽ切りだからこそ、俺たちはまだ用心しなければいけない」

「クラインの言ったことを信じるのか?」

「……わからん、よく人柄を知っているお前から見てどうだ? あの博士はそういう嘘をつく御仁か?」


 アレンは過去の記憶を呼び出し、答える。


「それは無いな。自分の保身のために嘘をつくようには思えない。あの人は、自分の研究のことを除けば、基本的には善人だよ」

「やはりそうなるな……となるとこのまま姿をくらませたままということか……」

「結局、あれは人形だったのか?」


 アレンがずっと通っていたジャンク屋の小さな老人。

 ガレイが実はクラインだったことはアレン自身が見抜いたことだが、それが人形であったことは理解を超えていた。


「調べてもただの人形だ。動力もない。というか直立する強度すらない。あれが歩いてしゃべっていたのが、今思い出しても悪夢のように思えるよ」

「やっぱり技術は超絶しているな」

「そうだな。メイナード博士も同意見だ」

「メイ……? ああ、ミスルカか、そういえば彼女は?」

「私以上に忙しいようだ。声をかけるのもためらわれる」

「そうか……じゃあ謝りに行くのは後にした方がいいかな……」


 結局、せっかく回してもらった新型の試作品も壊してしまった。

 弁償しろといわれる可能性もあるし、一度贈り物を持ってご機嫌伺いに行ったほうがいいかもしれない。

 アレンは、もう一つ気になっていることを聞く。


「……で、どれぐらい生き残った?」

「……我が隊は3人死亡。後の者は時間はかかるだろうが復帰できるだろう。テラーフォックス……は元から存在しないことになったが、実質的にもすでに存在しない。奴らは全滅した」

「そうか……」


 彼らは確かに多くの犠牲者を出したが、その思考は狂気でも悪意でもない。と、アレンは思う。

 実際には彼らと立場が異なるが、同じ立場に置かれたアレンが同じことをしない保証はない。

 そんな彼らは、最後デシオルク准将への復讐を望んだが、それは間接的に失脚という形で実現している。

 その先の、恐らくエリントバルの深い闇に彼らが対抗していたかどうかは想像しかできないが、恐らくやっていただろう。

 平穏な日々に戻る隊員もいたかもしれないが、何人かは最後までやりきるだろう。その程度にはアレンも連中のことが理解できている。


「なあ……」

「やめておけ。その先は我らの仕事だ。一奔走者が踏み込むには危険すぎるだろう。腕力が通じる相手とは限らないのだぞ?」

「まあ、そうだな……まだ俺は力が弱い」


 弱い。

 エリントバルの闇を相手にするにも、弟を倒して故郷を開放するのにも……

 だから、


――もっと強くならねえとな……


 アレンは、改めて決意する。

 与えられたのは一時しのぎの短い寿命ではなかった。

 人一人には過ぎた力とすら言える。

 それは、今後やらなければならないことに対して助けになるだろう。

 だが決定打にはならない。

 彼の最終目標、ついでにエリントバルの闇を砕くこと。

 それらの目標の為には、アレン自身が力を蓄えないといけない。


 クラインから贈られたもの。

 テラーフォックスから受け継ぐと、アレン自身が定めたもの。


 考えてみればアレンが人から何かを受け継ぐというのは初めてだ。

 自分がこのまますぐ消えてしまうと思っていた。

 何も受け継がず。何も後に残さない。

 人の思いや目標、血筋や国、そして家族。

 そうしたものから外れた位置にいたアレンは、この時初めてそういう繋がりの中に組み込まれることになった。

 それは、人間として、人々のつながりの中で生きていくという決意でもあり、人間として、愛し、愛され、憎しみ、憎まれることを許容するということでもあった。

 アレンの中で何が起こっているのかは知る由もなかったが、確かに何かが変化したのを感じ、ナセルは声をかけるのをためらった。


「それはそれとして、俺はもう帰っていいのか?」

「……あ、ああ、体に問題が無ければ戻ってもらって構わない。荷物は分かる限りは集めてある」


 ナセルは部屋の隅に固めてあるアレンの荷物、該当を示す。


「そうか、じゃあ俺は失礼するよ。治療と食事、ありがとうな」

「ふむ、また何か頼むことがあるかもしれんから、その時は頼む」

「それは……報酬次第だな」


 ニヤッと笑みを見せて、アレンは荷物を回収し、病室を出る。


――そういえば、結局この場所はどこか聞くの忘れてるな


 だが、日差しで方向は分かるし、外に出ればどのあたりかわかるだろう。それだけを聞きに帰るのも気が引けたので、アレンはそのまま歩を進める。

 結局グレイウルフの駐屯地は、他の軍警第一部の駐屯地の一部だったことがわかり、特に迷うわけではなくアレンは旧市街に足を踏み入れた。

 どこに向かうべきか考える。


――せっかく東門近くなのだからサシェの顔でも……


 いや、それはあの男の顔がちらつく。

 仕事に復帰したら嫌でも見ることになるのだから、今はいいか、とアレンは結論付ける。


――食事は……やめておこう


 まだ体に栄養が足りていないにせよ、そんなに一気には食べられない。まだ成長期だとはいえ、アレンは体が小さいこともあって決して大食いではない。


――ミスルカはまだこちら側にいるだろうか?


 だが、せっかくのロータスⅡを壊した言い訳とお詫びの品をどうしよう、ということに気付く。面倒になってアレンは考えるのをやめ、ついでにミスルカに会いに行くというプランもやめた。


――となると……しょうがねえな……


 いずれ……

 いずれ……

 そうやって先延ばしにしていた事ではあった。

 だけど、もうこれ以上延期すると、それこそ一生打ち明けることはないだろう。

 アレンにとっても覚悟がいることだったが、タイミングとしてはこれ以上はない……と心に言い聞かせて、足を進める。


「あら?」

「終わったよ」

「そう、それは良かった」


 聖堂から足を踏み入れるとちょうどマリアの姿があった。

 前にアレンが空けた穴は木の板を中と外に打ち付けてふさがれていて、見た目は良くなかったが壁の役目を果たしていた。

 普段から日中は開けっ放しにしているとはいえ、夜に戸締りできないのは物騒だ。それに乾燥気味のエリントバルでは砂埃も立つので掃除の手間が増える。

 壁の穴は優先的に防がれるべきものだった。


「それでな……俺、マリアに言わないといけないことがあるんだ」

「はい、何でしょう? 懺悔ならそちらの小部屋を使いますが……」

「いや、懺悔……いや、懺悔かもしれねえが、ちょっと違うな。聞いてくれ、俺はマリアの出身地を知っているんだ」

「まあ? そうなんですか? 公開していないんですが……」


 聖女の出身地は一般には宣伝されたりはしない。

 故郷に帰ることはできず、一生をイムトラス聖教に所属して生活する。そして、出身地の国や貴族が教会で権力を持つことを防ぐために、故郷への肩入れは厳禁とされている。


「それは、俺の出身地も同じだからだ……それだけじゃねえ、俺の名前は、本当の名前はアレイノス・デウル・アルブリーバ。領主の長男……だった」


 本来、魔法使いの階位を上げるためには研究が必須である。

 だが、デウルのみは通常の探究の果てにあるわけではない。

 何らかの形で隔絶していないとその称号は与えられないのだ。

 あまりにも特殊かつ属人的な魔法を発動し、余人には不可能は力を得ることができた魔法の達人。

 あるいは、生まれながらに隔絶した力を持ち、比類なき力を発揮することが期待される名門の秘蔵っ子。

 アレンがデウルと名に冠することは、驚きを持って受け止められたが、一族の中では当然、と思う者が大多数だった。

 そうではなかった少数の中に、彼自身の弟クリストフがいた。

 クリストフは一族最強の叔父、グズマンに師事し、師と二人で発動した禁呪により、悪の権化のような存在になってしまった。

 それにより、美しい自然に囲まれたアルブリーブ領は、地獄と化したのだが、アレンは使用人の手によって何とか逃げ延びることができた。

 それから二年、ここには罪人の兄である元領主の嫡男がいる。

 そして、戻ることを禁じられているとはいえ家族を殺された聖女がいる。


「なるほど……ええ、話には聞いたことがあります。確か体が弱いと……」

「そうだな、厄介な体質のせいで、昔は外に出ることもできなかった。まあ、今は御覧の通りだが……それより……アルブリーブ家を、いや、俺を憎んでいるだろう?」

「どうしてですか? 悪いのは『魔王』クリストフではないのでしょうか?」

「あいつが、妙な具合にこじらせて禁呪に手を出したのは兄の俺に対する反発心が原因だ。そういう意味で、魔王の誕生は俺の責任だ」


 マリアは沈黙した。

 アレンは言い切った。

 言い切ってしまった。

 正直なところ、アレンにはマリアがどう反応するか予想がつかなかった。

 故郷を、家族を奪われた少女として憎しみを向けられるのか、あるいは聖女として、慈悲の心を持って許すのか……

 都合の良い解釈はできなかった。

 それに、たとえマリアは許してもシアは許さないだろう。

 彼女は聖女ではないのだ。


「責任を感じておられる?」

「……ああ、だから必ず故郷を開放する。俺の命を懸けて誓う」

「……わかりました。ならば、一つお願いが……」

「何を?」

「このことを、妹には黙っていてください」

「それは……いいのか?」

「ええ、私は大丈夫ですが、彼女は憎しみに囚われてしまうでしょう。それも、全く正当ではない憎しみです。それは良くありません。彼女の為にも……」

「そうか……」

「それに、私自身としては、聖女であるということを抜きにしても、アレンを責める気にはなりません。恨み、妬み、憎しみ……負の感情はそれを抱いたものに罪はあれど、その対象が責任を感じる筋合いではないでしょう? 恨まれないで生きることなど、人間としての生き方とは思えません」

「そうかな? そうか……そうかもな」

「ですから、これからも今まで通り、私にも、シアにも、接してくださいね? 子供たちに優しくしてくれたのにもそういう事情からかもしれませんが、本当に感謝しているのです。少なくともあなたは憎まれるだけの人でいいはずありません。ちゃんと皆に好かれ……時には憎しみを向けられることもあるでしょうが、ちゃんと人の中で生きている普通の人です」


 普通の人、人の中で生きる……アレンは決意したことと似ている。

 奇妙な符合に、いささか戸惑いながらも、アレンはマリアに礼を言った。


「……ありがとう。これからも、よろしくな」

「ええ、こちらこそ」


 二人は笑いあった。

 ふと視線を感じて聖堂横の窓を見ると、そこから覗き込む多くの目。孤児の子供たちだった。


「……出身地が一緒とか言ってたよね?」

「ほら、あれだよ、共通点をとっかかりにして口説いてんだよ」

「そうか、故郷が一緒だったら結婚したらそっちに移住できるもんね」

「やだなあ、僕たち残されるのかなあ……」

「そうなったら私たちも一緒に連れて行ってもらいましょうよ。ちょうど、エリントバルって暑くて嫌だったのよ」

「でも、二人の故郷がここより涼しいかわからないじゃん」

「それに、シアねーちゃんどうすんの? どう見てもアレンのこと好きだよね?」

「しょうがないなあ、シア姉ちゃんは僕が結婚するよ」

「お前が? 無理だって、姉ちゃんはデブは嫌いだよ。酒場の太った客がうざいって言ってたもん」


 こそこそ話をしていたところに、アレンが背後から近寄る。


「こらっ、お前ら何を覗いてる?」

「アレンの一世一代の告白。笑い合ってたし、マリア姉ちゃんは受けたんでしょ? 結婚いつ?」

「ばか、そんなんじゃねえ」

「えー、怪しーい」

「そうだ、シアねーちゃんもアレンが嫁にしろよ」

「それっていいの? 貴族とかじゃないよね?」

「ばか、貴族なんてエリントバルにいるかよ」

「じゃあ事実婚ってやつで……」

「どこからそんな言葉聞いてきた、このガキども。っていうか、そんな色恋の話じゃねえよ、くだらないこと言ってないで、そろそろお祈りの時間じゃねえのか?」


 時刻は夕刻。

 朝夕の祈りは、孤児の子供たちの義務の一つだった。


「ちぇっ、ごまかしやがった」

「あとでシアねーちゃんにも告げ口してやろーぜ」

「祈りの時にマリア姉ちゃんにも聞こうぜ」

「やめろよ、怒られるよ」


 子供たちはしぶしぶ聖堂の中に入っていく。

 一人残されたアレンは、ため息をついて肩を落とす。

 だが、その心はしぐさとは裏腹に軽かった。

 完全に許してもらえたわけじゃないだろうが、少なくとも今までの関係は続けていけそうだ。

 夕日がアレンの横顔を照らし出す。

 汗に汚れ、埃や砂が付いて、到底きれいな顔とはいえなかったが、その表情はかつてより幾分穏やかなものであった。


{一部 終)

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