第14話 ひとまず平静な旧市街
「うう、つれえ……」
いくらピチピチの16歳とはいえ、徹夜明けぐらいはがっつり眠りたいが、状況が許さない。具体的には、ナセルが許さない。
そんなわけで、昼過ぎには起き出し、アレンはねぐらを出る。
――この部屋も何とかしねえとなあ……術式は解析できてるんだが……
逆さ円塔である、アレンの住処だが、折れて真っ逆さまに地面に突き立ち、そのまま石積みが崩れることもないというのは、実は魔法の力が働いている。
住んでいるのがアレンであるからこそ気づけたのだが、彼はこの不格好な見た目を何とかする、という動機は無い。
――それで家賃が上がっちゃ本末転倒だしな……何とか今の値段で借りるためにも見た目は代えちゃいけねえ
旧市街が全て放棄された廃墟というわけではない。
中にはある程度整備され、住みかとして貸し出されている物件もある。
そして、旧市街管理局で仕事をもらうためには、そうした物件に居を構えている必要がある。
ある程度の信用が必要であることを考えれば理解できるのだが、実際的にも路上生活をしながら奔走者をするのは危ない。
条件を満たしている物件の中で、最安値に近いのがアレンの逆さ円塔だった。住むには適しているようには見えなかったが、一応雨を避けることができ、高所から落ちても無事だったという頑丈さから住居としての条件を満たしていると認定されたのだ。
家賃を上げる口実を作るわけにはいかないので、術式に働きかけて整備するにしても外からわからないようにしなければいけない。
差し当たっては雨漏りがましになるように……などと考えながらアレンは町を歩いていた。
午後で時間が中途半端なので、屋台で適当に食べ物を買い、歩きながら食べる。
星の広場までやって来た時に、ふと条件反射で上の方に視線が流れる。
――ああ、そうか
どこかからサシェが飛んでくるのではないかと警戒しての動作だったが、そういえば夜に彼女は負傷して運ばれていった。
――そういえば、預かっていた物があったな、いけねえ、やっぱり寝不足で頭が働いてねえな……
アレンは、荷物を取りに一度家に帰ることにした。
◇
「邪魔するぜ」
これでも、アレンは名前の知られた奔走者だ。
だから、少なくとも軍警第二部とはいえ、旧市街をうろついている連中に話が通らないことは無い。
そんなわけで、東門近くにあるバックウォッチャーの宿舎でも、門前払いを食らうことは無かった。
旧市街の城壁は、その上を人が歩いてすれ違うことができるぐらいの厚みがある。元が城跡だから当然なのだが、そこを普段の職場としているバックウォッチャーの建物は、城壁沿いに建てられていた。
おそらく、旧市街でも屈指のしっかりした構造の建物だ。
軍警第二部中枢のせめてもの温情なのだろうか、あるいは自分がここに飛ばされた時のことを危惧して地ならしをしたのかは分からないが、現実として立派な建物だった。
宿舎もしっかりした造りで、旧市街では珍しく3階建てになっている。そしてその一階に病室はあった。
「君は何だ?」
ここまではさしたる障害もなく病室にたどり着いたが、入ってからとげとげしい態度の人物に遭遇した。
「そいつがケガをした現場にいた奔走者だ。ただの見舞いだよ」
「貴様が……いや、失礼」
「それであんたは?」
見た感じ旧市街の住民という雰囲気ではない。
どう見ても新市街の雰囲気を感じるその細身の男は、ベッドのサシェの脇に座っていた。年のころは若いと思うが、短くした髪、細い目で鋭い雰囲気がする。
――軍人か? いや……ちょっと違うような……
「私はタッケン、トリス・タッケンという。エリントバル市庁舎で働いている。君がアレン・ヴァイスだな」
――中央の役人か……とんでもないエリート様だな……
他の国で言えば王宮、帝宮である。
国の中枢で働いている雲の上の超エリートで、間違っても旧市街で見かけるような人種ではない。
「奔走者アレン・ヴァイスだ。ところでケガ人はどんな様子だ?」
「今は薬で眠っている」
「ケガはどんな調子か知っているか?」
「傷は消毒して縫合したそうだ……跡は残ってしまうらしい」
アレンは手を握りしめていた。
確かに突っ込んできたのはサシェの勝手だ。
そのことに関してはアレンに責任があるわけではない。
だが、今回の一件でアレンは当事者の一人だ。
本格的に知ったのはことが終わってからだが、だからといって責任から逃れられるわけではない。
今回のことは、アレンと、連中と、せいぜいグレイウルフの内で解決するべきものだった。そこに無関係な人が紛れ込み、たとえ軍警の隊員だったとしても跡に残るケガをさせたのはアレン自身がふがいないからだ。
「そうか……ところでタッケンさんはサシェとどんな関係だ?」
「恋人だ」
「えっ……」
――サシェは俺より年下だよな……こいつはどう見てもそれより10は上だ。しかも軍警の下っ端と中央のエリート、どういう接点が……
「そうか……すまない、俺が巻き込んだ」
アレンは、そんなことはした覚えもないのだが、その場で深く頭を下げた。
口の悪い探索者で、手も早いことで知られるアレンではあるが、この場でトリスが殴りかかっていたしても、おとなしく殴られていただろう。
だが……
「いや……仕事が仕事だから、そのあたりは覚悟している。だが、この件にはこれ以上彼女を巻き込まないでもらいたい」
「……わかった。約束する」
――知っているのか、いくら中枢とはいえ……だがどこまで……?
正直、アレンとしてはこの話は自分たち以外は軍警の一部ぐらいにしか本質が知られていないのではないかと考えていた。
事はクラインの消息や、彼の作り出したものにも関わる以上は、市の中枢が興味を持つだろうことは納得できる。新市街から昨日のように第二部を出してきているのはその表れだろう。
だが、そのクラインの作り出したものがあんなものだと知っているとは思えない。そうであれば、少なくとも第三部の連中がそのままということはあり得ない。
「……そうだ、これを……」
アレンは背負っていたサシェのハングライダーと銃をトリスに渡す。
トリスは、銃に刻まれたナイフの跡を見て顔をしかめる。
「悪いな、そっちの方は俺が借りて受けちまった。弁償が必要なら言ってくれ……と伝えておいてもらえるか?」
「承知した」
「なら、俺は退散するぜ。目が覚めたらよろしく言っといてくれな」
「わかった、わざわざのお見舞い、感謝する」
アレンは頭を下げて、部屋を出た。
◇
――そうか、あいつにも男がいたんだな……いや、別に、俺には関係ねえし……
「おう、お前も恋人の見舞いか?」
大声が廊下の向こうから聞こえてくる。
慌てて走り寄って胸倉をつかむ。
「おい、何するんだ⁉」
「本物が来てるからそんなたわごとを垂れるな」
「本物?」
相手は昨日サシェを運んでくれた第二部の隊員だった。
「俺も今日初めて会ったけど、サシェの恋人がいるんだ」
「あー、なんだ、お前の恋敵?」
「なんでそうなるんだよ! 俺はあいつと何もない」
「体張って守ったのに?」
「それぐらい知り合いだったら誰でもするだろう」
「誰でもってのは言い過ぎだと思うけどな。どんな奴だ? 俺が行っても大丈夫か?」
「それは分からねえな。なんせ中央のエリート様らしいからな」
「はあー、そりゃ大変だな……あんたも」
「何でそうなる? いい加減そのピンク色の頭の中身を何とかしろ」
「まあ、悪い奴でもなさそうだから、追い返されるとかは無いと思う」
「そうか……そういえば名乗ってなかったな、新市街の治安隊北西第8隊隊長のニコラス・ラガードだ」
「ああ、俺は……」
「知ってるよ。異名の数々もな」
「できればその異名のうちで『大小高低』の入るやつは忘れてくれると助かる」
「『小低』だけだろ?」
「ノーコメント」
「じゃあ、俺は一度顔を見てくるよ。気を落とすなよ、アレン」
「だから違うだろ」
面倒そうなやつと知り合いになってしまった、とアレンは思った。
――そもそも俺に色恋なんて……
いや、もし今回の一件の過程で寿命の問題が解決するなら、そうした方面に目を向けることもできるのだろうか? アレンは歩きながら考える。
――それでも、一族の不始末の問題があるしな……そんなことを考えている暇なんてない
だがもし、それさえも解決できたなら?
アレンには答えが見つからなかった。
――それにしても、サシェだけは無いだろ……ちんちくりんだし、胸以外のどこも女らしくない。性格も含めて……
アレンに突っかかってくる女性、というのはシアとサシェだけだった。
――よく考えると俺って女っ気無いな……マリア、シア、サシェ、後は奔走者の連中ぐらいか……ああ、あとあのミスルカか……
その中で、自分の立場や故郷のことを除けば、気兼ねないのは確かにサシェだけだっただろう。そういう意味では貴重な存在だったかもしれない。
――だからどうだ、ってことはないがね
アレンがぶらぶら歩いていると、遠くに見知った顔が見えた。
「ああ、アレン」
向こうも気が付いて駆け寄ってくる。大きなカバンを持ったシアだった。
「店は? 中休みか?」
「そう、親父さんが腰をやっちゃって、だからしばらく昼営業は無し」
「おいおい、夜は大丈夫なのか?」
「それは這ってでも店に出るって言ってるわ」
「大丈夫かよ……なんか重い物でも持ったのか?」
「それがね……最近武装だからって急に棒術を練習し始めてね……」
「年を考えろよ……慣れねえことするからだ」
「本当にそうよね……あ、でも昔酔っ払いを棒でたたき出したことがあるって言ってたから経験あるんじゃない?」
「そんなのは経験とは言わねえよ……まあ、安静にさせとけ、ところで、これから教会か?」
「うん、そうだよ」
――そんなら、一緒に行くか?
言ってしまいそうになり、そして結局言葉は出なかった。
シアと別れ、アレンは一人住処へと足を向ける。
夕方まで少しでも休息しておこうと考えたからだ。
今日は何か変だ、とアレンは自分でも気づいていたからだ。
それは何が原因か?
彼自身は明確に認識していなかったが、夜に自分の秘密を打ち明けたのが原因だった。
成り行き上仕方がないことではあった。
黒づくめの連中の一件に加わるために、ナセルを納得させないといけなかったからだ。
そのことはうまくいったとはいえ、あれから二年以上、エリントバルに来てからは誰にも明かしたことのない秘密を自ら明かしたことは、アレン自身の心に石垣のように積みあがった重しを開放してしまった。
体に埋め込まれた真空管、限られている寿命、そして彼自身の一族が世界の敵として故郷を滅ぼしてしまったこと……
それらの全てではなかったが、体の秘密を明かしたこと、その後も思ったほど騒がれなかったこと。
また魔法、真空管技術の知識が豊富で、彼のおかれた状況を正確に理解してくれるミスルカという存在も大きい。
理解者、というのはいつ、どんな状況でも人の心の助けになる。
たとえどんな絶望的な状況であっても、いや、そういう状況だからこそ、たとえ直接的な助けは得られなくとも分かってくれる人というのは重要だ。
アレンは、そこまで自分で理解してはいなかったが、それでも今の自分が普通の心理状態でないこと、また、やたら色恋のことが頭に浮かんでしまうことに対して、「危険だ」と感じ取っていた。
それは、あるいは二年間という期間を一人で裏路地を駆け回り、多くの窮地を乗り切っていた奔走者としての勘、だったかもしれない。
だが、今回はその勘は裏目に出た。
「なんだ?」
急にどこからか騒ぎの余波が波のように今いる裏通りまで届いてきた。
物理的な波、ではない。
だが、事件が起こった時に周囲の人間が反応し、逃げ、それを見た者が同様に現場から離れ、そして逃げているものに状況を確かめようとする緊迫した問いかけが起こり、そしてそれらが広がり、波のように周囲に伝播していくのだ。
「こっちは……くそっ」
アレンは波の発生源と思われる方向に走る。
必死に走る。
時たますれ違う人をかき分け、がれきを蹴飛ばして、道端に落ちてしまっている誰かの洗濯物を踏みつけ、足を動かす。
その方向が――教会のあたりだったから……
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