11 海津

 会談が何の実りもないまま終わり、五鉱委員会の人々はまた別の方法を考えなければならなくなった。

 飛羊に乗って帰ってきたミゼアとシェムが隠しきれない程の怒りの表情を見せていたことで、大方の人々は二人がどんな扱いを受けたかを静かに察したし、二人が律儀にもウルバンの一言一句を伝えたことで、その怒りの熱は鉱人全体に波及した。

 数日後に開かれた会議では、ハターイーはもちろん、カミッロも同席した。ミゼアに乞われて、カミッロがこの世界の現状の説明を皆に向かって行う。多くの人にこの世界の現実を知ってもらった方が、何かうまい意見が出るかもしれない、とミゼアに進言したのはシェムだった。

「はじめまして、皆さん。ケタッドカウノのカミッロです。お目にかかれて光栄」

 カミッロは今日も全身真っ黒な出で立ちだった。まるで老婆のような癖のある声音と、芝居がかった口調も前回会った時と同じだ。

「いやー、しかし大変でしたね、皆さん。よく頑張って生きてらっしゃる。こういう方々のお手伝いをすることが私の使命。報道者冥利につきます」

 委員会のメンバーは、カミッロの胡散臭さに明らかに渋い顔になっていたが、事前にミゼアが伝えていた「ちょっと変わっている人だけど信頼できるから」という言葉を必死に思い起こして聞いていた。喋り方や仕草が妙ではあったが、カミッロの説明は分かりやすかった。


 この星――尭球――には、4つの圏があります。それぞれ、月糸、ヨグナガルド、ニューポート、涼車、ダカン。本当は5つあったが、数十年前にダカンが滅びて、今は4つの圏が残っている。話がややこしいから、これから尭球の圏のことは、それぞれ大月糸、大ヨグナガルド、大ニューポート、大涼車、大ダカンと呼称。おっと、決して鉱球の圏を馬鹿にしているわけじゃない、ただ単に規模の違いを大という一文字に込めただけです。気を悪く、しないで。

 鉱球では圏を治めるのは「女神」だったようだが、尭球では、圏の統治者は圏によって違う。

 例えば、大月糸を治めているのは代々王家。今の王は海棠王かいどうおうと呼ばれている女傑。大ヨグナガルドは、一企業が圏として独立している。何の企業かって? なんでもやるんだ、『ヨグナガルド』は。およそ「作る」という動詞がつくことなら、建物でも、食べ物でも、資材を採るところから最後の仕上げまで全部やる。大ニューポートは、この星で一番支持者の多い『グノス』という宗教によって統治されている。ここの教主がニューポートを治めてるってことです。ちなみに皆さんの今いるここ、ここは大ニューポートの土地です。ニューポートと涼車の境目に近い。見捨てられてはいますけどねぇ。あ、気を悪く、しないで。

 えーと……、どこまで話したっけ? あああとは涼車か、涼車は圏というか、複数の遊牧民族のゆるい集合体。明確な首長はおらず、族長会議で全てが決まる。大ダカンは滅びたから、もういいですよね? おっとダカンの方、気を悪く、しないで。

 さて、尭球が鉱球を「資源星」として利用し始めたのは、約500年ほど前のこと、そして資源を取り付くしてしまったのが300年ほど前のことです。その時期に『女神の庭計画』によって鉱球に植民が行われたと推測されるけれど、このことは尭球圏界連合最大のタブーでもあり、僕もよく知らない。

(ここでハターイー君は知っているんじゃないかねぇ、と突然カミッロはハターイーに話を振ったが、ハターイーはさぁね、と笑顔でそれをかわした)

 えー、尭球は鉱球の資源を取り尽くしたことで、再び自星の残り少ない資源を採掘しはじめたが、それも五圏の絶え間ない争い――この争いは宗教的なものであったり、資源のある土地をめぐるものであったり、要因は色々ある――によって、異常なハイペースで消費されてしまった。圏界連合は他の星から資源を買おうともしたが、尭球の位置が辺境であるために、天文学的な数字の輸送費を請求されてその道を断念。そこで現在検討されているらしい手段は、星ごと、別の星に移住する案。第五太陽系星帯連合――ああ、これはこの太陽系の星全てを司る組織――に、移住先を打診して、どうやら提示してもらったらしいことは確かだけれど、その後の動きの無さからして、おそらくかなり遠方の星なんだと思います。それに、たぶんこの案だと、どんなに大きい船を作っても、この星の人間全員はとても乗せられないだろうから、ここに残される人間が9割以上は出てくるだろう。……けれど、最近ではもう終末論に影響を受けた争乱や暴動がどこの圏でも頻発していてね……環境の劣化もこの通りだし、いやぁ、この星に未来は無いです。お先真っ暗とはまさにこのこと。……それを、あのお固いウルバン様は、女神様が救ってくれると思っているのさ。


 部屋に静寂が訪れた。誰も、それほどこの星の状況が悪いとは思っていなかったのだ。外から……下から見る限り、空に浮く都市は目を見張る程に壮麗、荘厳で、輝いているように見えるのに……それなのに、この星は滅びに瀕していると言う。

「そんなに酷い状況を、あのお嬢ちゃん一人に押し付けて解決させようって、ウルバンて男は正気なのか? おい!」

 トーが憤って声を荒げたが、まさにその場にいる全員がそう思っていた。

「いや、僕もそう思うけれどもね。――事務局長はまともそうな方だったのに、行方不明だし」

「事務局長?」

「ああ、ほら、ウルバンは自分でも副事務局長、て言ってたでしょ。いるんです、副じゃない事務局長。ウルバンとは、お母さんが腹違いの兄なんだけどね。ジヘル様と言って、実直そうな人で人気があったけれど、数年前から行方不明」

「そうなのか……」

 複雑な表情の皆を尻目に、ミゼアはつまり、と呟いた。

「それなら、……わたくし達も、この星に長くいても未来はない、ということね?」

「そうですね、残念」

「では、遠を取り返して、その上、この星から逃げ出さなければいけないということ……」

 ミゼアは愕然として、短くなった髪を掻きむしりたいような衝動に駆られた。我慢して、唇を噛む。

「私達は当然、その、他の星に移住することになっても、フネには乗せてもらえないだろうしな……」

 秀桓の言葉に皆が俯く。

「カミッロさん、その、デカいフネは、誰が作ってんすか?」

 六連が場違いにほがらかな声で聞いた。スレイニットが、そんなこと今はどうでもいいじゃないですか、と六連を睨む。

「ガダハだね。ニューポートに次ぐ巨大企業、扱っているのは主にロボティクス分野。そこが受注しているという話。というか、圏界連合とガダハは確実に癒着していますね」

 その時、ふとミゼアの脳裏に何かが過った。

「ねぇ……ガダハ以外に、そういうフネを作れる企業はないのかしら?」

「おや、あなたは良いところに目つけますね。でも、残念ながら無い。ガダハは全ての同業企業を飲み込むように買収し、あるいは潰しました。今、フネを作っているのはあそこだけ。気を悪く、しないで」

「……全ての同業企業を飲み込むように……」

 ミゼアはその部分を復唱した。その、意味を。秀桓が言う。

「そりゃ、恨みを買っているだろうなぁ」

「……そう、恨みを買っている。……カミッロさん、ガダハに買収されたり潰された企業の内、特に酷い扱いを受けた会社などはないのかしら?」

「ありますねぇ。そうですね、有名なところだと、キーヨウは……」

「キーヨウ?」

「キーヨウは月糸……大月糸の企業で、数百年の長い歴史を持つ技術会社です。非常に高いチームワークと技術力を誇っていました。しかしまぁ色々とうまく行かずにどんどん小さくなったところを、ガダハに貰い受けられた。だけど、貰い受けられたキーヨウのメンバー達は、ガダハという巨大な企業の中で、分散配置された。いきなり分散させられたら、キーヨウは自分達の技術を保つことができない。その上、キーヨウの一人一人から技術を吸い取ったガダハは、用済みとばかりにそのメンバーを解雇。……こうして、キーヨウは旨味だけ吸い取られて、瓦解した。……社員の恨みは、相当なものだと聞いたねぇ」

「それよ。そのキーヨウという会社の人達になんとか近づいて、協力をお願い、できないかしら。……わたくし達のために、フネを作ってもらうわけには……」

 ミゼアは話しながら、自分はなんと卑怯なことを言っているのかと思って、段々声が小さくなった。

「……ごめんなさい、随分と厚かましい提案をしてしまった……」

 だが委員会のメンバーはミゼアに同意した。

「この際、厚かましさなど気にはしていられないわよ、ミゼア」

 強い声を上げたのはルォイエだ。

「いい案だと思います」と、スレイニット。横で秀桓も頷く。

「厚かましくても仕方ない。私達はこのまま何もしなければ、確実に死ぬんだ。厚かましさは承知で、話をし、必要とあれば頭を下げてみよう」

 ミゼアはカミッロを見た。カミッロは何故か丸眼鏡を外し、シャツの袖でレンズを拭っていた。

「……どう思いますか?」

「うーん、どうなるかは分からないけど、キーヨウの人間にとりあえず連絡を取ってみましょうか?」

 カミッロの、あまりにも軽い物言いに、ミゼアは驚いた。

「そんなに簡単にできることなんですか? ……あと、なんで、そんなに良くしてくださるんですか?」

「簡単じゃないけどねぇ。面白そうなことと、自分の欲のためなら、僕はなんでもしますから」

 そう言ってカミッロは、手に持った丸眼鏡を笑顔で振った。



 ミゼアとシェムとカミッロは、もう1時間も、月糸の空の街の片隅で、待ちぼうけをくらっていた。

 ――その、少し前。ケタッドカウノ社が手配してくれた飛獣は、足の速い飛猫とびねこだった。ミゼアの目にはその非常に大きく、しかししなやかな胴体を持つ動物はとても『猫』には見えなかったが、左右に動かす尻尾は紛れもなく猫で、にゃああと鳴く声もきちんと猫だった。飛猫は鉱人地区からたちまち空に駆け上がり、一路東へと風を切って飛びに飛び、走りに走った。この間、圏界連合本部に訪れたときよりも遥かに長い時間、長い距離を飛んだから、ミゼアは飛猫の背から空の街の大体の輪郭を眺めることができた。

 カミッロの話では、圏界連合直轄都市を中心に、その北東が涼車、北西がニューポート、南西がヨグナガルド、南がダカン、東が月糸、と考えれば良いとのことで、今飛猫は、涼車周りで月糸に向かうルートをとっているのだった。直轄都市の上を飛行するのは許可がいるから迂回する、ということだ。

 (空の街と一言で言っても、圏が違えば随分勝手が違うんだわ……)

 例えば、涼車の空にはあまり街が無かった。カミッロによれば、涼車では首都のあたりしか浮いていない、とのことだった。

 そのかわり、大空を遮るように、見たこともないほど高い山々が連なっている。峰は鋭く切り立ち、今は夏だと言うのにたっぷりと雪を冠していた。そんな地形を初めて見たミゼアとシェムは、寒さに震えながらも思わず歓声をあげた。大きな鳥の群れが悠々と飛んで山を越えていくのも、素晴らしい光景だった。

 月糸に入ると、浮いている街は増えたが、その様相は直轄都市やニューポートの街とは随分異なっていた。直轄都市やニューポートは都市は全体的に白っぽく、つるりとした無機質な材質でできていた。だが月糸は建物の一つひとつが色鮮やかだった。それに、直轄都市やニューポートは、巨大な街全体が空に浮き、建物同士、道同士が複雑に繋がり合っているように見えたが、月糸では小さな小島が無数に浮き、そのそれぞれに建物が乗っかっている、という具合だった。

(少し、鉱球の月糸に似ている……。月糸ほど猥雑で、無秩序ではないけれど雰囲気が似ているわ)

 不規則に浮いている小島群の間を縫って飛ぶために飛猫が減速したので、ミゼアはさらにつぶさにその様子を観察することができた。

 建物はどうやら木材や石でできており、どれも美しい細工彫りが施されている。ところどころにはめられているのは陶器のタイルだろうか。建物の軒先にはそれぞれに意趣を凝らした旗や提灯、あるいは銅などで作られた看板などが吊るされていた。

  

 今回もシェムを同行させたのは、面談の相手が技術会社の社長だったからだ。専門的な話が出てきたら、理解できそうなのはシェムしかいない。

 ……だが、指定された喫茶屋――それは小さな島に建っている18階建ての建物で、彼らはまるで人気の無い最上階に案内された――で待って既に1時間がたった。カミッロが奢ってくれた鮮やかな色をした果実のジュースもとうに飲み干してしまった。仕方はなしに、相手の社長はどんな方なの、とミゼアはカミッロに雑談を持ちかけた。

「変人です」

 カミッロの答は明確だった。だがそう答えたカミッロも相当変わっていると思うけど……とミゼアは言いかけて黙った。

「ミゼア、あなたは今『あなただって変人じゃない』て思いましたね? でもね、僕なんか彼に比べたら全くの凡人。キーヨウの社長は、変人で、しかも天才です」

「……マッドサイエンティストみたいな……?」

「否。そういう感じじゃない。うーんとね、ああ、子供って言ったら良いかな。子供のまま、大人になった人。面白いねぇ」

「ふーん……」

「僕も一つ聞いていいかな。ハターイー君は、何者?」

「わたくし、何も知らないのよ……わたくしが聞きたいくらいよ」

「知っていることを、言ってみて」

「……果神を、誕生させないようにしていた……。あと、わたくし達のことはなんでも知っているようだった。そして、ウルバンに……『何代目の尭巾か』と聞かれていて……だからウルバンの仲間なのかと思ったけれど、そう装っているだけで本当はわたくし達の見方、のような……」

「よくそれだけの知識で彼を信用しようと思いましたねぇ」

「……信じられる、人が欲しかったの。一人でも。もし裏切られるんだとしても、切羽詰まっている今を表面的にでも助けてくれる人が欲しかった。……それに、遠が、遠が信じていたようだったから」

「ふぅん」

「カミッロさんは、何を知っているの?」

 だが、その時店の重い木の扉がものすごい勢いで開き、壁にぶつかって酷い騒音を立てたので3人は椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。

「おーい、どうよ、元気ー?」

 扉から現れ、品の無い足音をドカドカと立ててこちらに近づいてきた長身の男は、まるで寝起きかと思う程の櫛の通らなさそうな黒髪に人のよさそうな笑顔、だがその目だけは強烈にぎらぎらと輝いている。臙脂色のくたびれたズボンに、こちらもくたびれた白いシャツをまるで脱ぎかけかと思う程ボタンを外してひっかけており、重たそうな布製の鞄を肩に担いでいた。よく見ると、髪の一束は少女が身につけるようなピンクのボンボンのついたゴムで結ばれている。

 ――名乗らずとも、明らかにこの男がキーヨウの社長だった。

 男は遅れたことを詫びもせず、椅子を引いてカミッロの横に座り込む。大きな布製の鞄は無造作に床に投げられて、重く鈍い音を立てた。

「あ、美人がいる。で、今日は、なんだっけ?」

「初めまして。ケタッドカウノのカミッロです。お目にかかれて、光栄。」

「わ、わたくしは……わたくしは鉱人代表のミゼアと言います。こっちは技術士のシェム。」

「技術士!!」

 突然男は叫んで机を拳で叩いた。男以外の三名は、口を半開きにして男を見た。

「君は、出来る技術士? うちで働く?」

 シェムはあまりの展開に、普段なかなか見せることのない困惑した表情を浮かべていた。

「あ……う……」

 ミゼアは見かねて口を挟んだ。

「あの、まずはこちらのお話をしていいでしょうか?」

「あ、うん。いいよいいよ」

 だが男はまるでミゼアの方を見ず、自分の前髪を上目遣いで必死に引っ張っていた。

(……遠に出会って以来、次から次へと変人ばかりが現れる気がするわ……)

 だがこの男は、鉱人達にとって最後の命綱と言って良いほどの人間なのだ。今度は、放り投げて帰るわけにはいかない。

「わ、わたくし達は、鉱球という小さな星に住んでいたのですが……」

「あ、その辺ね、たぶん俺知ってるから、説明しなくていいよ」

 え、とミゼアは首を傾げた。

「カミッロさんから聞いていらっしゃいましたか?」

「いんや。えっとね、まぁいいや、君ら、たぶん俺に何かしてほしいことがあるんだよね? 何してほしい?」

 男はまだ前髪をひねったり伸ばしたりしている。ミゼアは呆れつつも、だが腹を据えた。

「わたくし達、鉱球に帰りたいんです。あなたに、そのフネを作っていただきたいんです」

「なんで帰りたいの?」

「えっ……」

「なんで帰りたいの? もう、全部燃えちゃったんでしょ?」

 ミゼアが絶句したところで、男は突然立ち上がり、髪の毛をいじりながら通路をうろうろと歩き回り始めた。必然的にミゼアは首を左に後ろに回したり前に戻したりしながら話すことになった。

「それはやっぱり、わたくし達の母星ですし、この星にも未来が無いと聞いていますから……圏界連合がわたくし達を他の星へ移住する人々の中に入れてくれるとも思えないですし」

「ふーん。まぁ俺たちも乗せてもらえないと思うけど、そういう人達のことはともかく、自分達は逃げたい、と」

 ミゼアは息を呑んだ。そうだ、今自分が言っているのはそういうことなのだ。誰かを見捨てて、踏み台にして、だけれども、どうにかして生きたいということなのだ。

「……はい……」

「認めるんだね。うん、別に俺怒ってるわけじゃないし、それが悪いとも全く思ってないから。自分の行動がどういう意味を持つのか、認識できているか聞いてみただけ」

 男の言葉が棘のように胸に刺さり、ミゼアは恥じ入って俯いた。認識できて、いなかった。今気づいただけ。

「あとー、死体がごろごろしていて地獄絵図みたいなところに戻ってでも、そこでやり直したいの? どうやってやり直すの?」

「……やり直したい、と思っています。でも……具体的にどうしたらいいかは、まだ……。な、何かお知恵をお借りできますか?」

「あはははは! わっかりませーん、見たこともない星のこと聞かれてもー!」

「……で、でも、……わたくし達、地獄絵図は承知ですが、そこで生きたいんです。この星にいたって、地獄と変わりはしません。……方策の無いことは一重にわたくしの無能によるものですが、本来のわたくし達の首長は今、圏界連合に囚われている遠です。遠は……遠を取り戻しさえすれば、きっと何か良い方法を……」

「遠? ああ、果神のことねー。遠ちゃんも大変だね、やたらと頼られちゃって」

 ミゼアは唇を噛んだ。分かっている。自分の無能さも、全ての希望を遠に託す身勝手さ、浅ましさも。

「俺、遠ちゃんはともかく、君のことあんまり面白いと思えないなー。まぁでも、いいよ」

「え……」

「いいよ、君らのためにフネ作るよ」

 男はようやく通路を右往左往するのを止め、元の席にどっかりと座り込んだ。そのまま手を伸ばして、シェムの飲んでいたソーダ水を飲みはじめる。

「な、なぜですか。わたくし達、それにお支払いする対価もないのですが、よいのでしょうか」

「対価はね。俺たち、キーヨウの社員も全員乗せて鉱球に戻ること。それだけ」

「……はぁ、ええと……ええと……」

 あまりにもあっさり進む話に、そろそろミゼアはついていけなくなってきていた。

「やー、でも、女神がちゃんと、200年? 300年かな? 生きていてくれて、俺はすごい嬉しいなー」

「……?」

「キーヨウは女神開発の一部を担った会社だもん」

 これにはカミッロもシェムも、思わず驚きの声を漏らした。

「そ、そうだったんですか!?」

「そうそーう。途中で、手を引いたけれどね」

「それには何か理由が?」

「……アーリアが生まれたから。造られたとは思えない、とーんでもなくヤバい人格と個性、天賦の才能の持ち主。ふわーあ……あああ……でね、あと、俺があんたらに協力する理由、一応言っておくけど。誤解のないように」

 男は途中で突然大きな欠伸を挟み、しかもその後は話が変わっていた。

「面白そうだからー。無から人の営みを造り上げるのはとんでもなく面白そうだから。あと、今不遇な状況に置かれていて腐りかけているうちの社員達を、そこで働かせてやりたいから」

「はい……」

「君らが尭球圏界連合に持っている恨みとか、そりゃぁただ事じゃねぇだろうなとは思うけど、俺はそこに安易に感情移入はできねーの。他にもあの連合を恨んでる奴、酷い目にあっている奴はいっぱいいるんだから、君らの立場にだけなって共感してらんない」

「分かります」

 ミゼアは頷いた。男の言うことはもっともだった。

「じゃぁ、また来週、二人で同じ時刻にここに来て。それまでに何か考えとくから。ああ腹減った、ねー、俺今日朝飯何食べたんだっけ、ハムカツ?」

「ありがとうございます……!」

 一筋の、希望の光が射したと、そう思った。深く叩頭して、礼を言う。男の後半の台詞は意識的に聞き流した。

「じゃぁまたー、あ、あと技術士の子はさ、来週までに俺んとこで働くか決めといて」

「え、あ、はい」

「ま、待って!」

 ミゼアはあることを思い出して叫んだ。男の、名前を聞いていない。

「あの、あなたのお名前は?」

「海津・かいづ・さい。――キーヨウの全力を尽くす」



 飛猫に乗っての帰り道、3人の話題は海津のことで持ち切りだった。喋りたいがために、飛猫の飛行速度を落とさせたほどだった。

 カミッロの言う通り、子供のまま大人になったような人だった、と珍しくシェムは嬉しそうに言った。

「無礼だけれども、なんとも言い難い魅力のある人だったわね」

 色々辛辣なことも言われたような気がするけれど、嫌いにはなれない。遠と同じように、今まで決して出会ったことのないタイプの人間だった。

 そういえば、とミゼアは言葉を続けた。

「あの方、海津采、と名乗っていたけれど、『海津采』で名前じゃないわよね?」

「どういう……ああ、ええと、……君達の星には、第一姓と第二姓は無い……んだよね。」

 よく分からない、という表情を浮かべたミゼアに、カミッロは丁寧に説明をした。

「海津、がたぶん第一姓で、采は名だと思うな。第二姓もあるんだろうけど、長くなるから名乗ってないんだろうね。僕の名前は正確に言うと、ベルニ・リー・カミッロ。ベルニが第一姓で、リーが第二姓。第一姓は父の第一姓から引き継いで、第二姓は母の第一姓から引き継いでる。カミッロ、が名。僕はヨグナガルド出身だからこれだけだけど、涼車や月糸ではこの他にも『氏』とか『字』とかもある」

「何の為にそんな複雑な制度があるの?」

「うーん、今はそうでもないけど、昔は『血筋』とか『家』みたいなものが重視されていたからかねぇ」

「血筋……」

 その概念は、鉱球にはなかったような気がする。住まう層の高低による身分の上下のようなものはあったけれども、とミゼアが呟くと、カミッロは頷いた。

「どこの世界だってそんなもの。人間は、自分と他者の間に優劣をつけることで得ている満足感って相当大きいですからねぇ」

 ミゼアは黙して、足元に延々と広がる薄雲の野原に目をやった。

(ウルバンに『人でないもの』『バイオロイド』と吐き捨てられる度に、息が止まるほど腹が立った。でも、それはわたくし自身が無意識に『人でないもの』を『人』と区別し、劣っているものと見なしているから、なのかもしれない。……他人になんと言われようと、自分が自分である挟持があれば、侮辱されたとは思わないのかもしれない……)

 飛猫は再びあの巨大な山脈を越えようとしており、ぐんぐんと高度を上げていく。尭球の技術で作られた防寒マントは、鉱球のものとは比較にならないほど温かかったが、やはり高度が上がれば寒くなることには変わりなく、手が震えた。

 晩夏の午後の日差しは尭球と同じように物寂しげで、息を吐く度に色褪せていくように思えた。

(遠に、会いたい……)

 

 

 一週間後、同じように飛猫を駆って月糸に向かい、海津に会った三人だったが、その一週間の間に鉱球の人々の中で大きな諍いがあり、特にミゼアはいつもにも増して疲れきっていた。

 諍いの源は、「本当に鉱球に帰るのか」と一人が疑問を呈したところから始まった。そもそも『フネをキーヨウに作って貰って、鉱球に帰ろう』ということに決まった会議に出ていたのは委員会のメンバーだけで、その後、秀桓が鉱人全員にカミッロの話と委員会の決定の方向性も伝えてはいたものの、全員がそれに同意したわけではなかったのだ。

 一人が声を上げたことをきっかけに、次々とそれに賛同する声が続いた。

「本当にそんなに簡単に鉱球に戻れるのか」

「星と星との間を渡る間に死ぬんじゃないか。そこで死なずとも、またウルバンが鉱球にやってきて私達を殺そうとするんじゃないか」

「鉱球の惨たらしさを正視できる自信がない、あそこに戻るくらいならここで一生を終えた方がマシかもしれない」

 その声一つひとつに、ミゼアは言葉を尽くして丁寧に答えた。

「このままこの星にいても、きっといつか後悔する。勇気を出してあの星でやり直しましょう」

 だが、

「帰る人は帰ればいいじゃない。私は残る……この子はここで生まれたんだもの」

 と言う若い母親には、ミゼアは何と言葉をかけていいか分からなかった。

 思わずミゼアは秀桓とルォイエに、二手に分かれるという選択肢についてどう思うかを尋ねた。

「こんなに少ない人間しかいないのに、二手に分かれては、そのあと集団として種を維持していけるか分からないわよ」

「言い方は悪いが、今は一人ひとりが大事な資源だ。分かれない方がいいだろう」

 そうよね、とミゼアは頷いた。だが、それはつまり賛同しない人々の心を踏みにじって、無理矢理フネに乗せることになる。

 ――そんなことがあって、海津を待つミゼアはため息ばかりをついていた。



「よー。どうどうどうー?」

 大きな足音が近づいてきて、ミゼアははっと顔をあげた。

「あ……こんにちは」

「せっかく来てくれたとこ、悪いんだけど、今日俺この後予定あるからすぐ行くね」

 それでしたらちゃんと時間厳守でいらっしゃればいいのに……と言う言葉をミゼアは飲み込んだ。常識の通じる相手ではないのだ。

「あの、今日は今後の方向性についてお話させていただきたく……」

「えーもう、『させていただきます』とか言うなよ、無駄に遜るな。リーダーだろ? そうやって無意識に遜ってね、自分はあなたより下だから容赦してくれっていう心根が人を貧しくするんだよ」

 突然の海津の言葉にミゼアは絶句した。さすがにむっとしてつい言い返した。

「ただ敬意を表した言葉を使っているだけです、言葉尻を捉えてああだこうだ言うのは少し度量が小さいのじゃありませんか?」

 海津はあーっはっは、と豪快に笑った。

「美人はむくれても美人だね。その調子その調子。はっはっは」

 ミゼアは馬鹿にされた気がしてますますむくれたが、海津はそれを一切気にせず話し出した。

「えーっと、なんだっけ。そうだ、まずポッドを飛ばす。偵察用の」

「……ポッド?」

「フネの小さい版みたいなものさ。丸っこくてかわいいよ」

「……それを、どこに?」

「君達の星。ほらー、だって俺、向こうの星がどんな状態なのか俺全然分かんないんだもん。それなのにフネ作って、移住して、色々不都合あると困るじゃん?」

「なるほど……」

「とりあえずそれを飛ばすかな。もちろん無人のやつね。これはうちが前からいくつか持ってるやつだから、すぐに打ち上げられる。天候を見て……でも3日後くらいには打ち上げられるはず。つーか、それ以降になるとこの星、磁気嵐と台風の季節になっちゃうから、さっさと飛ばしちゃいたい」

 海津は初めて会ったとき同様、通路を行ったり来たりしながら話した。

「君達の星の様子、君達も見たいだろ? だから、俺らがポッドから受信する映像、そっちでも見れるようにするわ。あと、こっちのチームが映像解析するのも、聞いてて。ちゃんと回線繋げるから。そこの技術士の子が」

「え、お、俺?」

「大丈夫だって。今教えるから。機材も全部持ってきたし」

「待って、お、俺質問が……そのポッドって、打ち上げるときに圏界連合にバレたりとか、しないんか……ですか」

「さすが! いいねぇ、そういうのいいねぇ。ポッドくらいの大きさなら、バレないようにコートを被せられる。コートの仕組み知りたい? ええとね……」

 海津は巨大な鞄の前にかがみ込み、中からミゼアの目には何だかさっぱりわからない無機質な道具類をぽいぽいと無造作に放り出し、ミゼアとカミッロのことはそっちのけでシェムに向かって話し出した。

 ミゼアはぽかんとしてその一連の動作を見ていた。驚きは、ゆるゆるとやってくる。

(……技術があると、行動範囲が、いいえ未来の選択肢が広がるんだわ……)

 海津は熱い口調でシェムに機材の使い方を教え込み、シェムもその熱量に答えようと必死で手を動かし、矢継ぎ早に質問を浴びせている。会話の内容はミゼアにはさっぱり分からなかったが、疲れていた心から何かがじんわりと滲み出るように温かく潤い、ミゼアは心の中でそっと静かに、頭を下げた。



 その数日後、ミゼアはなんとか機材の準備を整えたらしいシェムと、ハターイー、カミッロ、他全ての鉱人達と共に、鉱人地区建物内で、海津の飛ばすポッドが映像を送ってくるのを待っていた。委員会の人間だけで見れば良いのでは、と言ったのはスレイニットだったが、ミゼアは強く鉱人全員で映像を見ることを主張したのだった。

 実はシェムはポッドの打ち上げも見に行きたい、と控えめに主張していたのだが、どうやら発射台は月糸の、この間行った喫茶店よりもさらに先で、飛獣の足を以ても行き来することは難しそうだったので、断念した。

「写真、貰ったんじゃ」

 シェムは嬉しそうに、ミゼアに1枚の紙を渡した。最初ただの濃紺の色紙に見えたそれはよく見ると、無数の星々の煌めく群青色の夜空に向かって、一本の細い鉄橋のようなものが突き出ている構図だった。

「この橋みたいなものが、発射台?」

「そうみたいじゃ。発射台は1ヶ所しかなくて、大月糸と大涼車だったところの間くらいの位置にあるんじゃて」

 発射台がこんなに簡素なものだとは思っていなかったミゼアは驚くと同時に、その美しさに息を呑んだ。まるで青い宇宙に飛び出していく道のよう、これはシェムが喜ぶのもよく分かった。

「科学技術が発達すればするほど、見た目はシンプルになるんじゃ」

「綺麗ね……」

 ミゼアの感想に満足したのか、シェムは機材の方に再び近寄っていって、ごそごそとその脇のあたりに手を突っ込んだり、画面をいじったりしていた。

 丁度その時、シェムのいるあたりの空間の一点から生えるようにして映像が出現し、鉱人たちはどよめいた。なんだあれは、という声がさざ波のように広がる。そんなものを誰も見たことがなかったのだ。

 そしてそこに映されたものはさらに鉱人達を困惑させた。写ったのは、あまり清潔で無さそうな黒髪になぜかピンクのボンボンゴムをつけた男だったのである。

『あー、聞こえてるよね?』

 聞こえてます、とシェムが興奮を抑えきれていない声で答える。

『よしよーし、こっちも準備できた。えーと、あ、これなんかいっぱい人見てるんだっけ? どうもー、キーヨウの海津采でーす。えーとね、めんどくさいから簡単に言うと、今もうポッドは鉱球のー、重力に引っ張られて軌道に乗ったところ。実はね、別に尭球からでも鉱球は観測できるんだけど、なんせ近いからさぁ。でもやっぱもっと近づいた方が色々見えるしね。あ、もう行けるよ、シェム』

 シェムは躊躇いなく手元の小さな板のようなものを指で何かなぞるような動作をした。すると今海津が映っている円形の映像の横にもう1つ、何もない空間から生えるようにして真っ暗な映像が出てきた。再び人々はどよめく。

「シェムも黒術が使えるようになったみたいだな! 女神か!?」

 トーの大声に人々は笑い、シェムはまるで表情を変えずに黒い映像を見つめた。どことなく靄がかかったように見えていたそこにやがて、何かの像が結ばれる。自然と人々のざわめきも静寂へと収束していった。

 画面の真ん中に、丸いものが現れる。上部は濃い紅色、そこから漸次的に濃い青色に移り、全体には白い花網レースのような模様が入っている。

「宝石みたい!」

 と幼い少女が嬉しそうに叫んだが、まさにその通り、闇に浮かぶ玉の如き美しさに、人々は息を飲んだ。

『これが、君らの星、鉱球だよ』

 海津の言葉に、人々の中からため息が漏れる。すすり泣く声すら響き、静かな感動がその場を支配した。

『綺麗だよねー。もうちょっと近づくよーん』

 (よーん、って……)

 感動に同意してくれるのは有り難いけれど、もう少し場を空気を読めないものかしら、とミゼアは眉を顰めたが、例によってこの男にとっては通常運転なのであきらめるしかないのだ。

 映像はどうやら拡大されて行き、紅に見えたものが大地であることが分かってきた。

「あ、あれは、あの穴、もしかして!」

 六連が耐えきれないと言った様子で叫ぶ。

「五圏だ……!」

「私の、私の故郷だわ、涼車よ!」

「ニューポートも見える!」

「月糸だ!」

「見ろ、あれはダカンだ!! 熱い穴だ!」

「ヨグナガルド……!」

「俺たちの星だ!!! 俺たちの圏だ!!!」

 鉱人達の喜びの声が溢れ、中には抱き合い、拳を突き上げるものすらいた。

『あのさ、喜んでるところ悪いんだけど。もう一つ君らに伝えたいことがあるの。さっきさ、星、赤かったり青かったりしたじゃん? あの青いところはね、海だよ』

 人々は海津が何を言いたいのかわからずに、きょとんとした。

「海って……水がたくさんあるっていう?」

「塩水って教科書に書いてあったわ!」

 子供達は海津に慣れたのか、積極的に声を出す。

『ああ、それだよ。あのね、何が言いたいかっていうと。今まで君らの住んできた五圏は、鉱球のほんの、ほんの一部なんだよ。あの巨大な穴から出ることなんて、考えたこともなかったでしょー? いや外が風が強いのは知ってるよ。でも、君らの星は広い。……あの穴に拘ってもいいけど、拘らなくたって、たぶん暮らしを築くことはできる。特に海があるのは大きい』

 ミゼアは立ち上がった。

「暮らせるのね、鉱球で。……土を耕し、海から水と塩を引き、……わたくし達、生きていくことができるのね」

『念のためこの後、赤い土と、青い海の成分を調査するためポッドを着水させる。でも、たぶん大丈夫じゃないかな。勘だけどねー。あ、あとたぶんフネもね、なんとかできる目処がたった。新しいフネを作るのは時間がかかるから、老いて廃船になったヤツを再利用する。もちろん、圏界連合には極秘裏に、だよー』

「皆さん、聞きましたね」

 ミゼアはそのまま人々の前に歩み出る。ここが、勝負所だと分かっていた。

「見ましたね、赤と青の美しい星を。わたくし達の故郷を。圏は滅びても、土と水と風は変わらず在る。……帰りましょう。そして生きましょう。鉱球の命を紡いでいきましょう!」

 人々からわあっ、と賛同の声が上がった。弾けた歓声は鳴り止まない。

 ミゼアはよし、と心の中で小さく呟いた。――これで、『全員で鉱球に帰る』という意志は揺るがなくなった。

 ふと隣に気配を感じて横を向くと、秀桓がいた。

「よくやったね」

 秀桓がミゼアを見下ろして微笑む。ええ、とミゼアは答えた。

「でも、これから……まだこれからです。長い道程が待っている」

「そうだね。……だがあなたはその道に続く門を自分の手で開いたんだ。誇りに思っていいと思うよ」

 ありがとう、とミゼアは微笑んだ。人々の歓声の輪のなか、すっかり歌い手として人気を博すようになったマイベリが勇ましい歌を可愛らしい声で歌っている。次第に人々がそれに唱和し、最後はマイベリの声はすっかり掻き消され、野太い合唱とその反響が、朗々と空間を満たし、建物を揺るがし続けた。

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