2 遠、授業を受ける
翌日から、早速女神科と女神技官科に分かれての授業が始まった。新入生100人のうち、女神科を志望したのはたったの18名だった。「負ける確率が高い競争に参加するのはプライドが許さないのかしら」と最上は技官科の講師達に愚痴をこぼしたが、自分の脅しが効きすぎたのだということには気づいていなかった。
指定された教室に集合した遠とミゼアも、随分人が少ないなと思いはしたものの、あまり気にはしなかった。周りの環境にいちいちたじろいでいるようでは女神になれるはずもないので、その意味では二人は既に関門を突破していると言えるのかもしれない。
「何やるんじゃろ、楽しみだね」
「あんなに女神科を嫌がってたのに、随分悠長なこと言うわね」
「やるって決めたんじゃもの、せっかくだから楽しまんと。寮の朝ご飯もおいしかったし」
すっかり打ち解けた二人が他愛無いお喋りをしていると、扉を勢い良くあけて、颯爽と最上が入ってきた。
「おはようございます」
「おはようございます!」
「18人か。少ないわね。この分だとすぐ一桁になっちゃいそう……まぁいいわ、早速だけど、制服と一緒に支給した手帖を出して。そこに時間割が書かれています」
めいめいが薄い手帖を鞄の中から取り出した。
「まずこれから女神システムについて一通りの講義をします。その後、5つのカテゴ
リーに分けて授業をします。5つとは、武術・美術・
「はい……」
「返事はしっかり! 授業は武術・美術・白術の日と、知術・黒術との日に分けて、交互に行います。黒術、白術は多大な天恩――天力とも言うけれど正式名称は天恩ですよ――を使うことになるので、疲労回復の意味で魔術を使う日と使わない日を交互にしてるの。あなた達はそもそもまだ『鍵』も外していませんからね。最初は相当疲れるはずよ。……まぁいいわ、始めます。しっかりついてきなさい」
全く愛想無くそこまで喋ると、最上は彼女なりの気合いの入れ方なのか、長い黒髪を頭の後ろでさっと縛り上げ、授業に入った。
月糸を含む五圏には、『女神候補』として産まれてくる少女達がいる。彼女達は皆一様に、砂時計を横に倒したような、三角を2つ繋げたような小さな「天印」が額にあるから、すぐに分かる。だがこの状態では彼女達は他の普通の人々と何も変わらない。変わる方法はたった1つで、それが女神養成所に入所することだった。養成所のシステムは各圏によって異なり、幼児からの一貫教育を行う圏もあれば、非常に厳しい選抜試験を課す圏もある。
月糸圏では養成所は、16~18歳が通う普通学校の一種とされており、額に印があり、あまり倍率の高く無い選抜試験に合格さえすれば、通うことができた。めでたく養成所に入所すると、「天恩」を封じ込めている、言わば『門』を『解錠』してもらうことができる。これにより、彼女達は自身が持つ天恩を使えるようになるが、その力の程度は人によって様々だ。なお、『解錠』の力を持つのは、女神養成所長、あるいは玉宮の武装神官長・聖癒神官長・書記神官長・近衛神官長の5名のみである。『解錠』された少女達は、養成所で学び、うち優秀な者のみが、最後の実地訓練に挑み、その最終関門でただ一人だけが、女神として認定される。その認定の際に、さらに強い天恩を封じ込めている門の鍵が『溶錠』される。
養成所を卒業した生徒達は、基本的に玉宮に勤めることになる。だが別の進路を選んだ者は、天恩を封じ込める『施錠』をされ、一般人と何ら変わらない生活を以後送ることになる。天恩の悪用を防ぐ為である。
女神は、圏を政治的・宗教的に統治する存在である。絶対君主と言って良い。女神を制限する法やシステムはなく、圏の行く末はどこまでも女神の肩にかかる。幸いにも月糸圏は、代々良い女神に恵まれ、裕福とは言い難くとも、なんとか大多数の人々が安定した暮らしを送ることができていた。だが、他の圏、特にダカンと涼車は現在深刻な問題を抱えていた。ダカンは女神の力ではいかんともしがたい過酷な暑さに悩まされている国で、ほぼ常態的に飢饉が発生していた。そのせいか、女神は他圏よりもさらに熱狂的な信仰の対象とされており、それは女神原理主義という排他的かつむやみに攻撃的な集団を生み出してしまった。一方涼車は、これも女神の力ではどうしようもない過酷な寒さに悩まされている国で、かつ代々の女神があまり民衆の指示を得られておらず、女神廃止論や、反女神主義テロリストまで生み出してしまった。ヨグナガルド、ニューポートにだって小さな問題は山積みである。そして、その問題を抱える他圏と月糸の間には、当然圏交上の問題がある。詳しくは知術の時間に扱うが、これを全て治めることは、大変な任務である。
女神は、絶大な権力を認められているが、結婚も出産も、当然性交も許されない。それらの行為は全て直ちに『崩玉』につながる。よって女神は決して世襲が行われないことになっている。
女神は一代一代が必ず養成所の設ける最終関門をくぐりぬけることによって誕生する。その関門とは、五圏の中心にある『塔』に登り、頂きにある『
そのようなことを最上は厳しい口調で話し、生徒達がついてきているかを確かめるようにひと呼吸ついて、教室を見回した。
「何か質問のある者は? いない? じゃぁ、簡単な説明はこれくらいにして、早速武術の授業に入りましょう。道着は持ってきたわね。じゃぁここで着替えて、15分後に第二講堂に集合。理解しましたか?」
「はい」
最上がヒールの音を響かせながら出て行くと、教室は一気にざわついた。短い時間でも、最上と対峙しているのは皆緊張したのだ。だが息つく暇もなく、着替えなければならない。
「ねぇ、ミーちゃん」
「何?」
「昨日から言いたかったんだけどさ、ミーちゃんておっぱい大きくてきれいだよね」
「……」
「いいなぁ」
「遠は変な子ね。いいじゃない、遠は綺麗な顔立ちだし、体がすらりとしているからかっこいい男の子みたいに見えるわよ」
「そう? かっこいい?」
「たぶん……」
「ちょっとミーちゃん、そこはもっと自信を持って言ってくれてもいいのに」
道着は制服と違って体にぴったりと張り付くような素材でできていたので、体の線がくっきり分かる。ふと、遠はある少女に目を留めた。おっぱいが大きいから、ではなく、その少女の体つきが、明らかに他の少女達と違ったからだ。
(あの筋肉、すごい鍛えられている……ただ者じゃないが)
そして、その遠の読みは見事に当たった。
15分後に始まった武術は、簡単な準備運動から始まり、各種の体力測定へと進んだ。この季節にしては珍しく、陽射しが横っ面を殴りつけてくるような強さで、ひどく暑い。生徒達は閉口したが、一人、この悪いコンディションをものともせずに躍動する少女がいた。
「100メートル走タイム、トップはインファ」
「1000メートル走タイム、トップは同じくインファ」
「背面跳び、トップはインファ」
「投擲、トップはインファ」
すべての種目で1位は同一人物、遠が教室で見初めたインファという少女だったのだ。濃い小麦色の肌に、胡桃色の髪を肩で切りそろえた少女は、疲れなど知らぬ顔で活き活きと飛んだり跳ねたりしては、その度に「きゃほー!」などと声をあげて最上に叱られていた。
ミゼアは、この時点で大きな衝撃を受けていた。彼女は控えめに言っても、運動がかなり得意なつもりだった。だが自分よりぶっちぎりで秀でている少女が一人いる。さらに、自分と同等のレベルの少女も一人いた。遠だった。
遠は道具を使うようなものは4、5位の成績に沈んでいたが、シンプルに走ることが得意なようで、インファに次いで2位のタイムをたたき出していた。インファも遠が気になったようで、順番待ちをしていた遠とミゼアのところに走ってきた。
「ねぇ、君も速いねー! あたしと同じくらい走りが得意な子、珍しいよ! あたし、インファ。仲良くして!」
「わたしは遠じゃよ。イーちゃん、よろしくね」
「よろしくー。 隣の君もすごくレベルが高いね! あたし、こんなにレベルが高い子がいっぱいいるとは思わなかったー」
「わたくしはミゼア……よろしく」
「よろしく! あっあたし次、刀道だ。行ってくる!」
「やや、わたしも次棒術だ」
「遠はすぐぼーっとするんだから……」
そしてインファは刀道でも相手を圧倒し、続く柔術、魂術、棒術でもいかんなく力を発揮して、周囲を唖然とさせた。武術の成績だけで女神が決まるのであれば、インファは圧倒的にその座に近かった。
午前中いっぱいが武術に費やされ、遠が待望していた昼休みになった。30分しかない休みの間に、遠は鶏と豆のトマトカレー、山オクラと芋のカラアゲ、ライスは大盛り、オカヒジキのスープを食べた。ミゼアはキノコのサラダとパンのみで、同席したインファは鶏と豆のトマトカレーを3回おかわりした。
午後の美術の授業前、遠とインファは憂鬱だった。
「わたし絵描くの苦手なんじゃ……大丈夫かなぁ」
「あたしも苦手、ていうか眠いんだけど、サボっていいかな?」
「ちょっと、あなた達って馬鹿……じゃない、無知なのね。シラバスを読まなかったの? 美術って、その美術じゃないわよ」ミゼアが呆れた、という表情で口を挟んだ。
「へゃ?」
「その気の抜けた相槌を聞くとわたくしまで体の力が抜けるようだわ……。いい、絵を描くんじゃないわよ。女神が絵を描けたって意味ないでしょう……美術は……」
ミゼアが説明してやろうと口火を切ったとき、鐘が鳴り、最上が教室に入ってきた。生徒一同、慌てて席につく。
「まさかこの中に、美術が基礎学校と同じ美術だと思っている生徒はいないでしょうけれど、……いないわよね? ざっと概要を説明します。美術は、『いかに自分を美しく見せるか』というコンセプトの授業です。女神たるもの、当然美しくなければなりません。美しく、優雅で威厳ある立ち振る舞いを身につけていただきます。……そこ! インファ! 起きなさい!」
最上は全く躊躇いない動作で白墨をインファの額に投げつけ、教室の一番後ろの席に座っていたインファは「あぃた……」と言いながら顔を上げた。
遠もようやく理解した。要は、美術とは、玉宮におけるマナーや身だしなみ、立ち振る舞い、各種教養の授業なのだった。さらに、配布された教科書の中には、殿方を誘惑する方法やら、誘いを断る方法など、これは学校で学ぶことなのだろうかと思うようなことすら書かれていた。
「絵を描くのより苦手だ……」
遠はげっそりしながら目の前の鏡を見、鏡の中に写る自分の顔を見た。化粧を教わっているのだが、どう考えても元の顔の方がましな出来栄えだった。かたやミゼアは大方の予想通り大変化粧映えして、ますます美しく、本当に女神のように見える。教室にいるどの生徒も明らかに華々しく麗しくなっており、それを見ている分には心が浮き立ったが、自分のなさけない顔は見たくなかった。
しかも、化粧が始まる前に着せられた正装のドレスがうっとおしくてしかたない。これくらいかな、と結んだ腰紐は、最上によってさらにきつく縛り上げられ、遠は「これでは囚人として縛られているのと大差ないではないですか」と抵抗したが、「この方が可憐に見えるのです」の一点張りで押し切られた。
次にはその着飾った姿のまま、歩き方、挨拶の仕方を叩き込まれた。
「皆さん、言うまでもなく挨拶は非常に大事です。挨拶ができない者など玉宮の門の内には一歩もはいれませんよ」
「挨拶も、身だしなみも、立ち振る舞いも、すべて相手への思いやりです。あなたを尊重していますよ、という心です。ただの型と侮らず、心の表現として取り組みなさい。『あなたを尊重している』と言葉を尽くさずとも、たった一瞬の表現で、それを伝えることができるのです。社交においても外交においても、非常に重要なことですよ。理解しましたか?」
(……ふーん)
最上のこの言葉は、堅苦しさに辟易しかけていた遠の心を少しだけ動かした。ミゼアの動きが完璧なことは言うまでもなく、野生の獣のようだったインファですら、高貴な淑女に見える。「ごきげんよう」も、相手への優しさだと思えば、気取った言葉には思えなくなった。
(うう、向いてないけど、がんばるが……)
そう決意した遠だったが、授業が「舞踏の基礎」に進んではもう何が何やらだった。幾重にも重なったレースの裾が足にもつれ、邪魔なことこの上ない。一度派手に転んで、クラス中の失笑を買い、そんなことは気にしない性質の遠も、さすがに皆とのレベルの違いをひしひしと感じて苦笑いするしかなかった。
「大丈夫ですか?」
ドレスについた埃を払っていた遠に、かわいらしい声がかけられた。
「大丈夫、ありがとう……ええと」
「マイベリです。よろしく、お願いしますっ」
小首をかしげて微笑んだ小柄な少女は、艶のある飴色の髪を肩までの長さで複雑に編み上げ、そして大変豊かなバストを持っていた。
「マーちゃん、舞踏得意なんじゃね。見てたよ」
「えっ、やだぁ、そんな風に言われたらベリ恥ずかしいですっ」
マイベリは顔を赤くして下を向いた。
「遠様はきっとこういうドレスもお似合いですけど、もっと……かっこいい男性用の礼服の方がお似合いなのに……」
「うん? 何なに、聞こえんかった」
「あっ、なんでもないんです……あの、良かったら、ベリ、遠さんに舞踏、教えてあげられますよ? 寮に帰ってからでもよければ……」
「本当!? 優しいんじゃね、ありがとう!」
マイベリは再び顔を赤くした。
「じゃ、じゃぁまた夜……ベリは411号だけど、遠様は?」
「わたしは401。近いから、すぐ会えるね」
「う、うん……」
遠には、どうしていちいちマイベリが顔を赤くするのか分からなかったが、かわいいので良しとした。そして美術の授業は、遠が1つも舞踏のステップを習得しないまま終了した。
次は白術で、ここで初めて天恩の蓋が「解錠」されることになっている。生徒たちは期待に胸を弾ませていた。
「美術ではさんざんだったみたいじゃない、遠」
通常の制服に着替えて自席に戻ってきたミゼアが少しだけ微笑みを口元に浮かべて、遠をからかう。
「みんながすごいんじゃもの……でも大丈夫、養成所にはできないことを学びに来たんだから」
「前向きなのね。あ、最上先生がいらっしゃったわよ」
最上は簡単に聖術の概要を説明した。
「天恩には2つの活かし方があります。それが黒術と、白術です。黒・白と名はついているけれども、この言葉にあまり引っ張られないように。簡単に言えば、黒術は自分の天恩を何らかの形で放出する術、白術は相手が持つ力――天恩がない一般の方でも生命力という力は持っています――に、天恩で干渉する術です。自分一人で動かす力と、相手と二人で動かす力と言い換えてもかまいません。相手との相性がある分、白術ではあまり派手な力は動かしにくいですが、実際には医術との併用で大きな効力を発揮することが多く、女神にとっても、女神に仕える神官達にとっても、大切な術です」
「さて、今日は白術の時間ですが、具体的な白術の講義はいたしません。天恩の蓋だけ解錠して終わりです。解錠後は体調を崩す者も多いですから」
これは、慣れない環境と緊張で疲弊しきっていた生徒たちにとっては朗報だった。
解錠は、一度に複数人に行うことはできない。一人ずつ順番を待つことになった。必然的にトップバッターの生徒に注目が集まる。椎椎、という名前の小柄な生徒は、遠が見る限りあまり表情を表に出さない、ミゼアに近いタイプだった。だがミゼアのような神秘性というよりは、静寂さと寡黙さを、その銀色の髪の毛と薄い水色の瞳に湛えていた。
最上の前に直立して目を閉じた椎椎に、最上が右手をかざす。羽音のような小さな音で何かを呟き続けると、その右手の中にじんわりと光が産まれた。見守る生徒たちは声をあげそうになって、互いに目配せして息を飲み込む。
濃い緑色の光は瞬く間に強くなり、次第に巨大な鍵の形をとった。最上はその鍵を、そっと椎椎の体の鳩尾のあたりに差し込むような動作をし、同時に呪文を詠唱し続ける。何と言っているのかは生徒たちは分からなかったが、まるで小声で歌うような旋律だった。
光の鍵は静かに椎椎の中に潜り込み、最上がその鍵を、下から上に回すような動作をしたその時、椎椎の体から一瞬、淡い水色の光が放たれた。椎椎は一瞬ガクリと後ろに倒れ込みそうになり、だがなんとか踏ん張ったようだ。最上の目を開けていいわよ、の声とともに目を開けた。
「どこか痛い?」
「いいえ……少し、だるい感じがしますが……」
「それくらいなら明日には治ると思うわ。皆さん、よく見ると少し椎椎さんの体が光を帯びているのが分かりますね。えーと、水色かしら。この光は、解錠に伴って溢れ出してきた天恩の力です。個人差はありますが数分から数時間で収まり、通常、天恩を使用していないときにこのような光を帯びることはありません。なお、この光の色は一人一人違いますが、違いによる天力の差はありませんから何色でも騒がぬこと。なぜ違いがあるのかも分かっていません。さぁ、次の人、前に出なさい。終わった人から寮に帰って休んでいいわよ」
遠は自分の天恩の色が何色なのか、ワクワクしながら順番を待った。先に終えたインファは橙色、マイベリは桃色、ミゼアは紫色だった。
(なんか……なんとなくみんな納得できる感じの色じゃな……)
遠の番になった。最上の目の前に立って、目を閉じる。緑色の鍵の熱が静かに体内に入ってきて、体の奥のほうがじんわりと熱くなるような感触があり、直後、その熱い塊が爆発するような衝撃波を体内に感じ、遠は後ろに倒れ込みそうになった。が、なんとか体勢を整える。目を開けて、早速自分の胴体を眺めると、どうやら自分の天恩の色は青のようだった。
「わー、綺麗。夏の空みたいじゃ」
光っている腕を意味もなく目の前にかざしてみる。
無邪気に喜ぶ遠の前で、最上は少し焦っていた。
(まさか、解錠、失敗したかしら……?)
遠の時だけ、解錠をした瞬間に、最上にも強い衝撃波が伝わってきたのである。そんなことは初めてだった。
(……馬鹿みたいに元気そうだから、大丈夫だと思うけど……明日の黒術の授業で少し様子を見ましょう)
「最上先生」
遠に声をかけられ、最上はびくっとした。
「なにかしら?」
「あの……翠羊様のこと、心からお悔やみ申し上げます」
遠は深々と頭を下げ、そして青い光を纏ったまま、教室を去った。
全く予想もしなかった遠の言葉に、最上は呆然と立ち尽くした。
(……まさか、気遣ってくれたの? 私のことを? ……近衛神官長は女神の最も側に使える役職と知っていたから?)
(あの子は、一体……)
掴みどころのない少女だ、と最上は思った。やはり少し目をかけないと正当な評価が出来なさそうだ、とも。
その夜、ミゼアは食欲がないと言って食堂には行かず、部屋に残った。解錠の余波のようだった。
遠は食堂で事情を話し、自分の分のチキンソテーと月瓜草のサラダ、ヨーグルト、ミゼア用に鶏粥を貰って、お盆に乗せて自室まで運んだ。階段を登っていると、上からミゼアの声がした。
(ミーちゃん、お風呂にでも行くところかな)
だが、ふと遠はミゼアの声に違和感を感じて足を止めた。端的に言えば、普段遠にかける声ではなく、他者を拒絶する声だったのだ。
「わたくし、お風呂に行くところなの。お誘いいただいて有り難いけれど、今日は夕食は取らないわ」
「まぁ、残念。じゃぁ明日は?」
「明日のことなんて分からないけれど、遠と食べるわ、きっと」
「ねぇ、ミゼアさんって六層ご出身なのになぜ十層の方と仲良くしてらっしゃるの?」「同室だから? おかわいそうに」「わたしたちと仲良くしましょうよ」
次にミゼアの声がするまで、少しだけ間があいた。
「……人の交友関係に口をはさむとは、よほどお暇なのかしら? それともずいぶんと下衆い精神をお持ちなのかしら。あなた方は永遠に女神の座はおろか、真の友人さえ得ることができないでしょう。さあ、今すぐ私の目の前から消え去って頂戴」
風呂から上がって、部屋に戻ってきたミゼアを、冷めた鶏粥が待っていた。ミゼアは目を丸くした。
「ちょっと、遠。気を使わなくていいのに……」
「やや、使ってないが……ないよ? 自分の分は先食べちゃったもの。あ、でもヨーグルトだけ残しておいたんよ、一緒に食べよ」
「でも……」
「ちょっと食べないと、明日辛いよ。黒術の授業は体力使うって最上先生言ってたし」
「……分かったわ」
2人がもぐもぐと食べ物を頬張っていると、部屋の扉がノックされた。
『あの……あの、マイベリですけど……』
「やや、しまった」
遠が転がるように走って扉を開けた。
「ごめん! 練習のことすっかり忘れてた」
「あ、いいんです、違うんです。ベリ、ちょっと具合が悪くて……熱っぽいの。練習、今日は厳しいなって言いにきたんです。ごめんなさい、ベリから言い出したのに」
「いいんじゃよ、気にしないで。やっぱり解錠が辛かった?」
「うん、そうみたい……」
「かわいそうに、ゆっくり部屋で休むんじゃよ。また明日ね」
扉を閉めた数秒後、マイベリと入れ替わるようにやってきたのは、今度はインファだった。
「やっほー! お邪魔してもいい? 同室の椎椎も一緒なんだけど」
「いいわよ、好きになさいな。……あなたは随分元気そうね……」
「イーちゃん、お風呂あがり? しーちゃんは、髪の毛、綺麗だねぇ」
椎椎は極めて小さな声でありがとう、と言った。こうして4人は消灯まで、交流を深めることとなった。当然と言っても良い流れで、話題は崩玉した翠羊女神のことになる。
「絶対、アレ、しちゃったんだよ。でもさ、あたしよく分かんないんだけど、女神になってからアレしちゃまずいのは分かるけど、女神になる前はどうなんだろ。つまり、今とか」
「駄目に決まってるじゃない」
ミゼアが呆れた声を出した。
「先生にバレなくたって、最終関門の女神判定の時にはバレるわよ」
「どうやって? 股に何かつっこむわけ?」
「知らないわよ、だって翠羊様だって股に何かつっこんで何かが判明したから崩玉したわけじゃないでしょ。そんなことしなくたって判定されちゃうのよ」
「えー、そんなの……一生処女なんてなんかダサくない?」
「あなた、何を言うの……今の発言、最上先生にバレたら即放校処分よ、きっと」
「でも」
小さな声がした。椎椎だった。
「でも、翠羊様だって本望だったんじゃない……? 月糸10万の民より大事な人ができたってことだから……」
「それで何が本望なわけ?」
「それだけ大事な人と、愛し合って、死ねるなら嬉しかったのかも……」
「えー、あたしよくわかんないー」
「椎椎は、もしかして好きな人がいるんじゃない?」
椎椎とインファのやりとりに、遠が口を挟んだ。
「えっ……なぜ……」
椎椎の無表情な顔にほんのり朱がさした。
「あっなにー椎椎、そうなの!? 早くいいなよ!」
インファが椎椎の小さな背をどついて、椎椎は思い切りむせた。
「ち、ちが……違わないから、頼む、誰にも言わないで。こんなことバレたら、放所処分になってしまう……」
「誰にも言わないわよ。それで、相手はどんな方なの?」
ミゼアが聞いた。
「え、えっと、ええと……10歳歳上で……優しくて……でも、でも」
椎椎は悲しそうな顔をした。
「その人、私が女神になるのを応援してくれて……。私の片思いなのだ」
「椎椎! お前かわいいのに、相手の男は見る目のないやつだな! あたしがそいつの金玉取ってやろう!」
「インファ、そんなもの取るもんじゃなくってよ……」
「あはは! イーちゃんかっこいー! わたしも一緒にやる!」
「遠! 馬鹿言わないの! ああもうきんた……こんなに酷い言葉は初めて口にしたわ! とにかくそんなもの取る女神なんて聞いたことなくってよ!」
金玉はさて置き、一同は椎椎を慰めた。養成所の授業を受けているうちにきっと気が紛れて、忘れられるわよ、と。椎椎はよほどこの話をできたことが嬉しかったのか、次々と思い人の素敵なところ、例えば優しいから野生の動物にも好かれるとか、大人なのに人参が嫌いだとか、椎椎以外の3人にとってはどうでもいい情報を延々と話しだしたため、結局その夜は椎椎の恋話を聞いてお開きとなった。
インファと椎椎が去り、遠が慌てて風呂に入ってきて、部屋の灯りを消したあと。
「ねぇ、ミーちゃんさっき、お風呂行くとき、かっこよかったよ」
遠は声をひそめて、ミゼアに話しかけた。ミゼアは一瞬何のことかと思いをめぐらし、闇の中で顔をしかめ、そして赤くなった。
「ちょっと……聞いてたの? 盗み聞きは下衆くってよ、もう……にやにやしないで!」
「にやにやしてるの、見えないでしょ?」
「なんとなく分かるのよ!」
「ふふ、だってミーちゃん、『遠はぼーっとしない!』ってばかり言うのになんだかんだでわたしのこと好きなんじゃなと思って嬉しいんだもん」
「は、は、恥ずかしいこと言わないでよ! もう! わたくしは寝るわ!」
こうして養成所2日目の夜は、少女達の仲を少しだけ深めつつ、更けていった。
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