第一章 空(から)の器

1 遠、入学する

「じゃ、行ってきます。……二人とも、元気で」

 月糸圏、第十層の西壁村で、一人の少女が住み慣れた家の扉を背に、一歩を踏み出した。まだ夜明け前、あたりは静かで仄暗い。

「あ、待ってえん、俺も一緒に行く」

 隣の家の扉から、遠と呼ばれた少女より少しばかり背の低い、浅黒い肌に濃い黄金色の髪をした少年が顔を出した。急いで靴を足につっかけ、既に歩き始めていた遠の横に並ぶ。

「やや、シェムはこの時間じゃ早いんじゃない」

「……別にいい」

「そうなん?」

「……だって遠は今日から帰ってこないんじゃろ、女神養成所の寮に入るって……」

「うん。寮ってさ、おいしいご飯出てくるんかな。心配じゃ」

「こっちはお前の心配してんのに飯の話……」

「え? なん?」

「なんでもねぇ」

 シェムはそれっきり黙った。元々少年は口数が少ない寡黙なタイプだったし、遠は遠で眠たかったので、二人はしばらく沈黙の中を歩くことになった。遠くから聞こえる、七頭鳥ななずとりのくぐもった鳴き声が、日の出が近いことをを告げている。

 太陽が登るにつれ、あたりの岩壁の色合いが徐々に、徐々に変わっていく。全てのものが隠から陽へと移ろって、朝になる。崖沿いの細い道から見る朝の風景は、大きなスープ釜のなかに黄金色の湯気がゆっくりと漂っているようで、美しい。靄のなかから覗く建物の屋根屋根はさながらスープに浮く具のようだ、と遠はいつも思っている。

 ――もう少し正確に表現すると、月糸圏は、すり鉢状の形をしている。月糸圏に限らず、他の4つの圏も全て同様の地形だ。下に向かって先細っていく、とてつもなく大きな円錐型の穴。人々はその穴に、巨大な梁を何層にも重ねて張り渡し、組み、その上に町を作り、生活している。遠とシェムの住居はたまたまその梁の上にはなく、穴の壁沿い、と言うよりはむしろ壁の中にある、いわゆる洞窟タイプのものだった。

 第十層は、円錐穴のかなり下の方に位置する階層だ。最も陽光に恵まれる第一層は月糸玉宮直営の巨大農場、第二層は今道女神のおわす玉宮とそれを囲む巨大な庭がある。遠の向かう女神養成所は第三層、シェムの向かう基礎学校は第五層と、だいぶ上の方まで登らないと行けない。階層をまたいで人々や物資を運ぶトラムは走っていたが、大変ゆっくり走る乗り物なので、体力に自信のある若者たちは大抵せっせと足を使ってこの広い月糸圏を行き来していた。

 上の層に登る階段は大抵各層の東西南北とその間、計8ヶ所にある。遠とシェムはやや苔むした北東側の石階段を軽快な足取りで登り、その頃になるとさすがに遠は目が覚めてきたのか、元気よく喋り始めた。

「たまにシェムの学校にも遊びにいくから、淋しがらんでいいんじゃよ」

「……! 俺がいつ淋しいって言ったんじゃ」

「やや、淋しくないん?」

「別に……」

「そうなん。じゃぁ遊びにはいかんよ。せっかく魔法を覚えて、飛べるところを見せようと思ったんに」

「えっ、それは見たいが。キラキラ光るんじゃろ、俺一回見たことある、玉宮の神官が魔法使ってるところ。どういう仕組みなんじゃろうアレ、解析したいなぁ」

「でもわたし、ちゃんと魔法使えるようになるじゃろか、一応おでこに天印てんいんはあるから、普通学校じゃなくて女神養成所に行くことにしたけど」

「別に女神を目指す訳じゃないんじゃろ。今道女神は即位したばっかだから女神科もないって聞いたけんな」

「もちろん、女神なんて目指さんよー。手に職つけられればいいんじゃもの。例え女神科があったとしたって、わたしは女神技官科に行くよ」

「じゃぁ遠は3年後に卒業したら玉宮勤めになる可能性が高いんか。俺は3年後はまだ17か……早く追いつきたいな……」

「何に?」

「別になんでもねぇが。それよりちょっと急がないと遠は遅れるんじゃない」

「やや、ほんとじゃ。駆け足!」

「おう。……なぁ、遠も、下層訛り直した方がいいがよ? お嬢さん達に馬鹿にされるが」

「馬鹿にされるんはなーん気にならんけど、話が通じんのは困るなぁ……頑張ってみるー」

二人は巨大すり鉢の壁に沿って作られた階段を、上へ上へと登っていく。月糸名物の強風に煽られ、髪が目に入る! などと笑いながら二人は走った。次第に晴れてゆく靄のなかから、ひっくり返したおもちゃ箱のような町並みが現れる。建物を避けるようにして曲がりくねる道、空間を斜めに横切って走るトラムの路線、複雑に入り組んだ路地、鮮やかな色の文字や絵が踊る無数の看板や提灯、血管のようにはいめぐる配管、建物に覆いかぶさるようにして生える木々、生活水を汲むための球形の水瓶池、陽のあたりにくい地域に並べられた人工空板フェイクスカイ、そういったものがまるで誰かが必死に押し込めたかのように、ひどい密度で並んでいる。だがこの混沌とした風景は層全てを埋め尽くしているわけではない。円錐穴の中心に当たる部分には、採光を確保する為に何も建造物を作ってはいけないことになっているため、むき出しの梁にツタ植物が絡まるだけの光景になっているのだった。

「第三層の景色はどんなんじゃろ! 楽しみじゃ。あと寮のご飯も……」

「息を切らしながら飯の話をするんじゃねぇが……じゃないよ」

毎日見ても全く飽きない朝の風景を眼下に、そして頭上に見ながら走っていると、いつの間にかシェムの通う基礎学校のある第五層に到着していた。

「じゃね、シェム、いってらっしゃい」

「おう。……遠も、頑張れよ。遠なら、どこでだって、大丈夫じゃよ」

「うん。じゃぁねー!」

 シェムは、少し歩いてから振り返り、走り去る遠の後ろ姿を見送った。短い黒髪が風に跳ね、飾り気の無いショートパンツから出たすらりとした足が伸びやかに地面を蹴るのを目に焼きつけ、彼は愛用の赤い工具箱を片手に、学校へと向かった。


一方、第三層に着いた遠は、今まで訪れたことのある層との雰囲気の違いに愕然としていた。第三層は女神養成所の他にも玉宮に付属する機関の建物が立ち並ぶため、他の層よりだいぶ整然としていて、遠の感覚で言えば『スカスカしていた』。石畳で舗装された道も幅が広く、すっきりとしている。

(ややや、びっくりじゃ、こんな風になってるんかー。建物がなんだか四角い……)

ズリ落ちてきた背中のリュックをよいしょっと背負い直し、遠は辺りを見回しながら歩みを進めた。空間に余裕があるおかげか、植物の量は他の層より明らかに多く、それは良いことだと遠は思った。何より陽の光の量が違う。人工空板の灯りもそれはそれで好きだったが、やはり本物の陽の光がたっぷりと射している環境は魅力的だった。

家に送られてきた案内に書かれている通り、青色の時計塔を目指して歩いていくと、次第に周りに少女達の姿が増えてきた。黒の制服を着ているのは2、3年生、私服でどこか不安げな顔をしているのが遠と同じ、基礎学校を卒業したばかりの新入生たちだろう。

(女の子ばっかり、みんなかわいいがー。にやにやしちゃう)

少女たちは皆、巨大な石門に吸い込まれるように入っていく。石門は濃淡様々な青いタイルでできていて、その美しさに、遠はしばらくタイルを眺めたり撫でたりしていたが、門番らしき男性に不審の目を投げられていることに気づき、慌てて校内に歩みを進めた。校舎の外壁も門と同じく美しい青色をしており、黄金色に縁取られた縦長の窓が規則正しく並んでいる。その窓に嵌められているのは全て硝子で、遠が今まで見た建物の中で最もきらびやかと言っても全く過言ではなかった。

(土壁や砂壁の建物とはえらい違いじゃな。えーと、まずは事務所で入所手続き、制服等必要物資を受け取って、寮に行って入寮手続きをして、お昼前に入所式か……)

最初の事務所手続きを滞りなく終え、入寮手続きに臨んだ遠だったが、ようやくここで、そもそも『寮』というものの仕組みを理解していないことに気づいた。

「門限は8時、って、えっ門限って何じゃ……何ですか……?」

「このルールっていうのは全部守らなきゃいけないんの……いけないんですか?」

「守らないとどうなるん? やや、罰金!? 無理無理、うちお金無いもの!!」

「あっ、もしかしてこれわたしが色々質問してるから後ろ並んじゃってるの? ごめん、ごめんね! ちょっと待って、あと1個質問があるの」

「このルームメイトっていうのは? あっなるほどー、2人一緒の部屋なんね」

「もう大丈夫じゃ……です……すみませんご迷惑おかけして……」

 遠は彼女の後ろに並ぶ人々に平身低頭で謝りつつ、寮の事務所を慌てて離れた。遠の部屋は寮の4階の角の401号室らしく、ぴかぴかに磨かれた木の手すりを特に意味もなく触ってみたりしつつ(それは随分ツルツルとした感触だった)、遠は階段を登り、部屋に向かった。見つけた「401」の文字の横には、既に「遠」の文字、そしてその横には「ミゼア」と書かれていた。

(ミーちゃんか。かわいい名前じゃ)

「こんにちはー……?」

声をかけつつ扉を開けると、そこには真っ白な肌を露にした少女がいた。焦った様子で遠に目をやった彼女は一言、「着替え中なんですけど……。ノックくらいしてくださらない?」と批難がましい声をあげた。

「やや、ごめんね。はじめまして」

遠は後ろ手で急いで扉を閉めつつも、少女から視線を離せなかった。遠も背が高い方だったが、この少女は遠よりもさらに背が高く、しかもとても女性らしい体つきをしていた。肌の色は透き通るように白く、薄いプラチナ色の長い髪の毛が背中で波打ち、彫りの深い目元は長い睫毛で縁取られて、瞳は菫色、全体的に神々しい雰囲気すら纏っていた。

「わたし、遠って言うんじゃよ。よろしくね、ミーちゃん」

「……わたくしはミゼアですわ。よろしく」

初対面で突然ミーちゃんと呼ばれたミゼアは、やや眉をひそめて返事をした。

「ミーちゃんは……ミーちゃんはすごく綺麗じゃね! 見た目も……声も……もうなんか既に女神様みたい」

「それはどうもありがとう」

ミゼアは美しく微笑んだ。

「や、あまり嬉し……嬉しくなかった? ごめんね。えーと、わたしも着替えなきゃ。制服って今ミーちゃんが着た黒いやつじゃよね。意外と地味なんじゃね」

勝手に話して勝手に着替え始めた遠を、ミゼアは少しの驚きとともに眺めた。

(……わたくしの完璧な微笑みが、嬉しくなさそうに、見えたの……?)

この時、ミゼアはようやく遠に興味を持った。最初の挨拶ではただの空気の読めない田舎者かと思ったが、少しは気にかけるべきところがある、と感じたのだ。

 遠は遠で、今までに見たこともないような美少女と同室になって単純にわくわくしていた。ショートパンツとタンクトップを脱ぎ、肌触りの良い黒のワンピースのような物に着替え、青い腰帯を巻き、黒いブーツを履いて、部屋についていた長い鏡の前に立って見ると、なかなか様になっているように思えた。

「この制服、魔法使いみたいじゃね。この丸いぼんぼんの縁取りが無ければ全身真っ黒じゃもの」

「ええ、そうね。……あなた、時々……結構訛るけど、どこの出身なの?」

「訛りね、今一所懸命直そうとしてるんじゃ。みんなこれじゃ分かってくれんもんなぁ」遠は頭をかきながら言った。「わたしは、第十層の西壁村生まれ、育ちじゃよ。ミーちゃんは?」

「わたくしは第六層よ」

「六かー。北のモロロ通りにある冷果やさん、よく行ったよ! 月瓜のアイスクリン、おいしいよね」

「ええ、そうね……。ねぇ、部屋の分け方、どうする? わたくしがこっちの窓側でもいい?」

「全然かまわんよ。他に何か、気にした方がいいことある? 守ってほしいルールとか」

「特に思いあたらないけど……気になることがあったら、言うわ。遠も言って。変に我慢するのは肌によくないわ」

「肌? そうなんじゃ。ミーちゃんは面白いこと知ってるんじゃね」

 遠がほがらかに笑ったので、つられてミゼアも少し笑った。

「やや、ミーちゃん今の顔かわいいね。美少女が笑うと天使みたいじゃねぇ」

「あなた、真顔で、ずいぶん恥ずかしいことを言うのね……」

「そう?」

「……まぁいいわ。そろそろ、入所式よ。一緒に行きましょ」

「うん!」


 入所式の行われる第一講堂には、続々と新入生が集まってきた。皆、漏れなく額に天印があり、そして当然女性だ。遠は皆とても可愛くて美しいと思ったが、ミゼアの神々しい美少女っぷりはその中でも群を抜いていると認識せざるをえなかった。

「皆ミーちゃんを見てるが……見てるよ」

「そうね」ミゼアはさも当然、という顔で返事をした。「でもわたくしだけじゃないわ。あなただって目立っているわよ」

「へ? わたしも?」

「だって背が高いし、顔立ちだって綺麗だもの。そういうこと、言われたことないの?」

「なーん……全くない」

「なーんって何……?」

「否定的な意味での『全然』みたいな意味、かな……」

 小声でお喋りをしているうちに、入所式開始のアナウンスがあり、講堂のざわめきはぴたりと止んだ。着飾った主賓達の入場が行われ、月糸玉宮のお偉方が粛々と席につく。次に養成所長の初老の女性が壇上に立ち、通り一遍の祝福の辞を述べた。ここまでは新入生たちの想定の範囲内のことしか起きなかった。が、次に起こったことは、多くの生徒の頭に疑問符を浮かべさせた。遠も例外ではなかった。

 養成所の講師らしき人々は、壇上後方に堂々とかかっていた、ハレの場を祝うための臙脂色の校旗を、下げたのだ。代わりに掲げられたのは、黒地に白抜きで校章が入った、不幸が起きた時のための校旗だった。生徒達が、小さくざわめく。

 だがスクリーンの前に、玉宮の武装神官・聖癒神官のうち、女神の側近中の側近と呼ばれる近衛神官の制服を身につけた女性が颯爽と歩み出てきたので、生徒達はピンと姿勢を正した。よく見れば、胸元の徽章で、近衛神官どころかその頂点を極める近衛神官長であることが分かる。長い黒髪をさっそうとなびかせ、古風な眼鏡をかけた、細身だが威厳のある女性だ。

「私は月糸玉宮・近衛神官長の最上もがみです。正確に言えば『だった』と、過去形でなければなりませんが」

 そう言って彼女は生徒達の顔を見渡した。

「皆惚けた顔をしているわね。そのような頭の回り方ではとても女神になどなれないわよ」

 生徒達は再びざわついた。ここにいる少女達の中で、女神になれる者はいないはずだ。女神科だって今年は開講されない。まさかの、想定外のことがなければ。

「そろそろ速報が流れるはず。玉宮放送をつけましょう」

 スイッチを入れた直後はノイズしか流れてこなかった玉宮放送だが、数秒後、その「まさか」のことが告げられた。

『月糸圏のすべての圏民にお知らせいたします。月糸圏第九代女神・翠羊陛下におかせられましては、本日日の出と共に、月糸玉宮にて、御崩玉あらせられました。繰り返します。月糸圏第九代女神・翠羊様におかせられましては、月糸玉宮にて、御崩玉あらせられました。翠羊陛下、御崩玉でございます』  

その場は少女達の悲鳴ともなんともつかない声で騒然とした。

「翠羊様が……!?」「まだ御登玉から3年なのに!?」「なんで!? ご病気?」「まさか……」「ちょっと、しっ……」

放送の音声が切られ、最上と名乗った近衛神官長が声を上げる。

「静かになさい! ここからが主題ですからよく聞いて。この未曾有の事態、当然この養成所にも大きく関係します。当初の予定では、あなた方の代には女神技官科のみ設置する予定でしたが、急遽、女神科も開講することと玉宮は決定いたしました。また、可及的速やかに次代女神を選定するため、通常3年をかけて行う教育を、すっとばし……いえ、圧縮して、1年間の予定で行います!」最上は両の手の平を勢い良く机の上に叩きつけた。「私はこのために近衛神官長を休職しました。女神科は、私が直々に主任講師として厳しく指導にあたります。ここまで、理解しましたか?」

 少女達は最初口をあんぐり開けて聞いていたが、各自話を飲み込むと、無言でこくこくと首を縦に振った。

「何ですか、その子供じみた振る舞い。理解しましたかと聞いているのよ? 返事は?」

「は、はい!」

「よろしい。この後、女神科に進みたい者と技官科に進みたい者の希望をとります。前代未聞の緊急時につき、学費は同額、基礎学校時の成績も問いません。ですが、女神科は厳しいですよ。女神に向かないと判断したら、即時、容赦なく脱落させます。他に質問があれば個別に受け付けます。希望届けの提出は日没まで、入学手続きをした事務室まで。明日から早速科を分けての授業を行います。理解しましたか?」

「はい!」

「そう。なら最後に1つだけ。……女神は子をもたない。だが女神は『未来』の母である。そなたたちの手が未来を紡ぐものと覚悟せよ。以上!」

 最上が壇を降りると、講堂は一気に少女達の興奮に満ちたお喋りで満たされた。ほとんどが互いに知らない者同士のはずだったが、あまりの事態に、あれこれ話さずにはいられなかったのである。突然の女神の崩玉、新しい進路の可能性……。だがそんな中、遠は全く違うことを言い出した。

「ミーちゃん、ご飯食べにいこう。食堂ってどこじゃろ、わたしこれを一番楽しみにしてたんよ」

「ちょっと、今の話聞いてたの……他に話すことないの?」

「やや、ちゃんと聞いてたよ。翠羊様亡くなったの、残念じゃねぇ。とてもお綺麗で、優しそうじゃったんに。でも、本日日の出前じゃなくて、きっと結構前にお亡くなりになったんじゃねぇ」

「……なんでそう思ったの?」

「今朝の御崩玉でこんなにすぐ色々な手はずが整っているわけないもの。きっと女神不在時の方針をしっかり固めるまで発表できなかったんじゃね」

「……その通りね。それで遠は、当然女神科に行くのよね?」

「やや、わたしは技官科に行くよ。女神になるつもりなんて、全くないもの」

「そうなの!?」

初めてミゼアが感情を派手に表現し、まん丸の目を見開いて遠を見つめた。

「ちょっと、なんで?」

「そんなに驚くことなん? だって女神になりたいだなんて全く思ったことないもん……わたしはまぁ手に職つけられればいいかなって、この養成所に来たんじゃよ」

「でも、……うーん、もったいないわよ。あなた、馬鹿じゃなさそうだもの」

「ミーちゃんは女神科に行くの?」

「もちろん。そういう使命だもの」

「使命?」

「あ、いえ、せっかくのチャンスを活かすのはある程度の能力に恵まれた者にとっては義務、という意味よ。わたくしは女神科に行く。せっかくだもの」

「ミーちゃんはきっと女神になれるよ。頑張ってね。さぁ、ご飯を食べにいこ」

「いやいや、話を終わらせないでよ。ねぇ、遠も女神科に一緒に行きましょうよ。お願い」

「いやいや、絶対行かない。ね、どうしてそんなに言うん?」

 遠は困惑した。ミゼアはあまり誰かとつるみたがるようには見えず、どちらかというと一匹狼でクールにやっていくタイプかと見込んでいたのだった。

「うーん、えーと、それは……心細いもの」そう言うミゼアの表情はあまり心細そうには見えなかった。「それに、そう、女神科に行った方が、女神になれなくたって色々将来的に有利よ。重要なポジションにつけるし、出世できるわよ」

「出世なんて別に……」

「でも、きっとご家族や村の人は喜ぶわよ。十層出身なら、きっと玉宮で出世する人はなかなか珍しいだろうから、もし遠が出世したらみんな鼻高々よ」

「……」

 ミゼアのこの言葉は遠の心を少し動かした。ご家族、はともかくとして、お世話になった村の人や、シェムが喜んでくれるだろうか。自分が玉宮で次代の女神……それはもしかしたらミゼアかもしれない……を支えつつ、月糸圏をより豊かに導く大事な仕事をしていたら、誇りに思ってくれるだろうか。

 遠の心が揺れたのを、ミゼアは敏感に察知した。

「ねぇ。みんなのために、一緒に女神科に行きましょうよ。お願い」

「……わかった。女神科にするが……するよ。うーん、頑張らないといかんなぁ」

「やった! ありがとう、遠。さっきの最上先生、スパルタそうだったけど、一緒に頑張りましょう!」

ミゼアは微笑んで、遠の手を握りしめた。ミゼアが喜んでいるし、まぁいいか、と遠は思った。元々、切り替えが早い性格なのだった。

「そうと決まったらご飯、ご飯。おなか減ったね! どこかからいい臭いがしてくる!」

(遠の人生ではご飯が一番大事なのかしら……掴みどころのない子だわ……)

 こうして二人は女神科の門を叩くことになったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る