20 ジヘルの告白

 最近、ジヘルは不在のことが多くなった。多い、と言っても2、3度ほどだが、今までジヘルがそんなことをしたことは、なかったのだ。

 豪雪地帯を避け、家畜を連れたまま移動を重ねて二人は少しだけ「山の中の里」とでも言うべき地域に来ていた。ジヘルによれば、遊牧民族が冬を過ごす為の空き家が並ぶ里なのだそうで、少なくともテントよりは丈夫そうな小さな木の家が、ぽつりぽつりと点在している、本当に小さな里だった。自分達以外に、人はいない。

 誰もいない、雪に覆われた里に椎椎を残し、一番冬に強い飛鹿とびじかを駆ってジヘルはどこかに出かける。すまなさそうな顔をするが、同時に例え椎椎が引き止めたとしても、決してその意志は覆らないであろうことは分かっていた。

 ジヘルの用事の内容は椎椎には分からなかったが、なんとなく、もうすぐジヘルと別れる時が来るのだ、というような微かな予感があった。

 

 4度目の不在からジヘルが帰ってきたのは、いつも通り静かに雪の降りしきる夕暮れのことだった。静寂の遠くに、飛鹿のわずかな羽ばたきの音を聞いたような気がして、椎椎は慌てて開いていた医学の本を閉じ、長靴に足を突っ込み、扉を開けて外に出た。

 一面の銀世界、本当に真っ白で自らの位置さえ見失いそうな雪野原に、丁度飛鹿は舞い降り、ジヘルを地面に降ろしたところだった。ジヘルがこちらを向いて、安堵のような表情と共に笑う。

「椎椎、何事もないか?」

「はい。おかえりなさい。ジヘルさんも、変わりないですか?」

「俺は大丈夫さ。さぁ、何か温かいものでも作るとするか。腹が減ってたまらん」

「私がやりますよ。……その背中のものは、もしかして」

「そうそう、少し食糧を買い込んできた。とは言っても、町にもあまり良いものはない……どこもかしこも汚染が進んで……」

 ジヘルの顔は曇ったが、椎椎の視線に気付くと陰りを振り払うように微笑み、荷の中からごそごそと食べ物を取り出した。

「なんとか手に入れた葉野菜に……鶏の肉もある。馬乳酒と交換で、甘い菓子も貰ったぞ」

「葉野菜、久しぶりで嬉しい。何作ろう」

 椎椎が料理をする間、ジヘルは温かい湯で濡らした布で自分の体を拭きながら、町の話をしてくれた。地上街の荒廃は空の街にまで十分に及び、いまや多くの人間が公然と統治者、そして圏界連合に呪詛の声を吐き、暴力を伴った大規模な抗議活動が頻繁に起きていると。

 その声は憂いを帯び、そして最後に「ここまでひどいとは……」と呟いた。珍しく、悄然としているように見えた。

 ジヘルにかける言葉が見当たらなくて、椎椎はただ窓の外を眺めた。窓から見える雪の勢いは強くなる一方だった。いつのまにか日が落ちて、真っ白だった世界は紺色に染まろうとしている。

 

 夕飯を食べ終わった後、ジヘルはついに、椎椎に話がある、と切り出した。

 椎椎は頷いた。

(こういう時が来ると思ってた……)

 ある程度覚悟していた。最初から分かっていたことなのだ。

 互いに毛布にくるまって、温かい火鉢に身を寄せ合う。外は吹雪だ。雪が吹きすさぶその音が耐えることなく続き、冷えきった体に火の熱が滲みる。

「椎椎。……君の、仲間達が君のことを心配している。特に、ミゼアさんは大変に心を痛めているそうだ」

「……ミゼアが、私を?」

 この話の切り出し方は少し予想と違った。ジヘルがミゼアの動向を知れる立場にいるとは思わなかったのだ。

「ああ。よく聞いてくれ。ミゼアさんと君の故郷の人々は、今、故郷の星に戻る準備を急ピッチで進めている。ある企業と協力し、宇宙を渡れる船も秘密裏に建造中だそうだ。ミゼアさんは、君ともう一人の友達が見つからず、非常に気落ちしているらしい」

「……」

 驚いた。椎椎は、まさか故郷に帰れるとは思っていなかったのだ。この星でなんとか生き延びていくしかないのだと思っていたのだが、ミゼアは故郷への帰還を実現しようとしている。

(帰れるの? ……涼車に?)

 そう思った瞬間、故郷の涼車の風景が眼前に蘇り、椎椎は身震いする程の喜びを感じた。青々とした草の波が果てしなく続き、優しい風の耐えることのない故郷、涼車。それが全て焼け落ちて消失いたとしても――、椎椎は涼車に帰りたかった。

「椎椎、船はあと1週間ほどで完成するそうだ。ミゼアさんはもちろん、皆の脱出だけではなく、果神・遠の救出も狙っている。……君は、ミゼアさん達のところに、帰るね?」

 椎椎は、頷いた。迷いはなかった。

「私は、ここで、十分休みました。受けた傷跡に蝕まれて自分全体が腐り落ちそうだったのに、この……この尭球の涼車の、空と植物と動物が、私を包み込むようにして治してくれました。……ジヘルさんも」

 椎椎は微笑んだ。

「だから、次は私が戦う時です」

 ジヘルはじっと椎椎を見つめ、そして、「もう1つ伝えることがあるんだ」と呟いた。

「……圏界連合は、この星を諦めたそうだ。科学者達の最新の研究結果では、この星の有毒ガスはますます強くなることが見込まれ、汚染はもはや止めようもないらしい。人の住める星ではなくなる、という結論のようだ。……それで、一部の人々だけ乗れる船を造って、遠い星に向かって脱出するんだと」

「そうですか……」

 椎椎の心に複雑な思いが去来した。人の星を滅ぼした奴らに天罰があたるのだという気持ちと、無辜の人々を見捨てて自分達だけ助かろうだなんて卑怯だという気持ちと、この山脈地帯の厳しくも優しい自然や動物たちが打ち捨てられるのだという気持ちと――。そして、椎椎はふと、ジヘルはどうするのだろう、と気付いた。ジヘルとの別れは覚悟していたが、彼を滅びようとしている世界に残すのは忍びないし、堪え難く悲しいことだった。

「……ジヘルさんも、私と一緒に来ませんか。みんな、きっと受け入れてくれると思います」

「椎椎は優しいな。でも、それはできない。俺は、決してこの星を見捨てはしないのだ」

「でも……死んでしまったら……」

 そう口にしつつ、椎椎は気付き始めていた。ジヘルは、死ぬことなど厭ってはいないのだ。何かを果たそうとしている、熱い感情がジヘルの声の奥にあることが感じられた。

「もしこの星に最期が来るとしても、最期を看取るのは俺だ。不肖の弟――いや、不肖の息子への贖罪の思いと、あいつを成長させるために敢えて身を引いていたが、だがあいつの所行の責任を取るのは俺だ」

「ジヘルさん……?」

「椎椎。正体も明かさない俺をよく信じてくれた。礼を言う――俺はジヘル、尭球圏界連合事務局長、この星の全ての責任を負う人間だ」

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