18 遠の奮闘

 3日間の短い旅を終えて帰ってきた遠は、この星の状況を少しでも良くしようと、早速自分なりに計画を立てようとした。だが思った程それは進まなかった――午後いっぱいは、毎日「仕事」に駆り出されることになったからである。

 最初、再び訳の分からぬまま着飾らされた遠は、また撮影があるのかと思っていた。だが、長く真っ白な廊下を歩き、いくつかのドアをくぐりながら、ウルバンは「女神として人々を癒しなさい」と遠に告げた。

「えっ?」

「これから圏界連合が適切に選び出した人々が、あなたの前に次々とやってきます。あなたは彼らの祈りを聞き、心を安寧に導いてやるのです」

「……お話すればいいんじゃね?」

「お話などする必要はありません。ただ黙ってあなたに捧げられる祈りを受けていればいいのです」

「でも……そんなんじゃ癒されないんじゃ……」

「あなたは女神でしょう? 女神らしく、美しく微笑んで、にこやかに頷いていれば相手も納得するはずです」

「し、しないしない! 何言っとんの!」

「私に口答えするのですか……いやそれよりも、努力しようのあることを早々に投げ出すとは、女神とはその程度のものでしたか」

「違う! わたしは投げ出したいんじゃない。別の方法でやりたいんじゃ。……わたしは機械、常に最も正しい判断をする果神なんじゃろ? だったら少しはわたしの言葉を聞いて!」

「開き直りとは醜いものですね。果神と言えども圏界連合の威光のもとではただの機械。あなたを使役する私の存在があって初めてあなたの判断は正しいのです。あなたの正しさより、私の正しさの方が勝るのですよ! それ以上その口を開くなら、容赦なくお前の仲間達を消す!」

「……!」

 遠は貝のように黙り込んだ。遠はごくたまに怒り心頭に発することがあると、固く黙るのだった。

「分かりましたね? さぁ、愚かな民達がお前を待っている。女神らしく、神々しさを感じさせるように入場しなさい」

 いつの間にか、目の前に大きな白い扉があった。繊細な紋様が彫り込まれ、風格を漂わせるその扉にウルバンが手をかけ、重たそうに扉を開ける。

(……ここは……)

 遠が一歩歩み出ると、そこにはだだっ広い、大広間が広がっていた。天井はとんでもなく高く、円形のドームになっているらしいことが瞬時に分かる。随分建物の奥にいたつもりだったが、無数の窓からは陽の光が柔らかく入り込んで、とても明るい空間だった。

 そして、その広間の最も遠くの壁に横に並ぶように、小さく人々の姿がある。どうやら、それが「圏界連合が適切に選び出した人々」のようだった。明らかに身なりがよく、恰幅の良い紳士もいれば、幼子を連れた母親もいれば、襤褸をまとったような状態の老人もいた。

(……。みんな、わたしに会いにきた……)

 遠と、彼らとの間には椅子があった。複雑な紋様の入った、石の椅子だ。ここに座るのか、と遠は合点した。

 しずしずと、遠は歩いた。女神養成所での、美術の授業を思い出しながら。

(ウルバンの言う通りにしてやりたくはないけれど……この人達にはちゃんと向き合わんと)

 女神、と期待されているならば、形だけでも女神らしくしよう、と思った。

 椅子に腰掛ける前に、人々に向かって遠は頭を下げようとして、思いとどまる。

(この人達に心から礼を尽くしたいけれど、最初から頭を下げる女神をどう思うじゃろうか……)

 分からなかった。女神らしさ、女神としての振る舞いが分からない。「女神」という肩書きがついた途端、自分の心をどう表現していいのか、分からなくなっていた。分からない、という感覚が久しぶりで、遠は戸惑った。困惑を抱えたまま、結局頭を下げずに、彼女なりに優雅な仕草で椅子に腰掛けた。たくさんの目が、遠の一挙手一投足を見つめているのを感じた。

 人々のところにはいつの間にかビエナがいて、その場の進行役を務めているようだった。

「果神である。皆、深く頭を垂れよ」

 慌てたように人々が叩頭する。

(ああ、そんな命令を出さないで、頭を下げないで……)

 遠の心に悲しみが募る。

 ビエナが、どうやら一人ずつ声をかけたらしく、一人目が遠の前へと進み出てくる。威厳を保つように足音を立てて歩いてくる壮年の男性だ。男性は遠に向かって一礼し、両手を組んで祈るようなポーズをしたが、遠はどうにも自分が馬鹿にされているような気がしてならなかった。この男性は自分に祈りどころか、敬意すら持っておらず、ただ圏界連合の威光を示す為に選ばれた地位のある人なのだろう、と感じた。

(……やっぱり、話さんと……)

 話してはいけないのならば、遠にはもう一つの手段があった。<伝意>だ。

 だがその可能性に気付いたあと、遠は少し躊躇った。――あれ以来、天力を使うのは初めてだ。エネルギー放出系の黒術でなくとも、怖さがあった。いつの間にか自分が自分でないものになり、暴走する、恐怖。

(……いや、今思い出さない、思い出したくない。大丈夫、大丈夫じゃ、遠……)

 脳裏に過ったのは、『塔』に登る前にシェムと歩いた月糸の風景だった。夜道を照らす小さな星々、木々を優しく揺すって駆け抜けていく風、そして自分の手元で、自分とシェムの足元を照らしてくれた<灯花>。優しい、黒術だった。

『……目を、開けてください』

 遠は<伝意>を発動した。目の前の男性は驚いたようにびくりと体を震わせ、きょろきょろとあたりを見回した。

『わたしじゃ。今、あなたの目の前にいる』

 男性は幽霊でも見たかのような表情で遠を見た。額に、汗が浮いている。

『声を出さなくて大丈夫です。……あなたは、なぜここに来たのですか。わたしに、何か願うことがありますか?』

『……こんなことが、まさか。……神などと。どこかに仕掛けがあるのだろう、私は騙されないぞ!』

 遠は微笑んだ。

『あなたはとても賢いようじゃ。では、願うことはないのじゃね?』

『……いや、待ってくれ。ええい、よく分からぬならとりあえず願っておこう。……我が一族の発展と、私と妻の健康、それに……もしも圏界連合が本当にこの星を捨てるのであれば、我が一族に当然フネへの乗船権が与えられることを念のために祈っておこう……』

 何、それ、と遠は思った。とっさに<伝意>を切る。思ったままに何じゃそれは、と聞きたかったが、女神がそんなことを聞くわけにいかない。遠は堪えて再び<伝意>をかけた。

『手を、出してくれませんか。わたしの手の上に、重ねるのじゃ』

『こ、こうか?』

 遠は右手を差し出し、男の左手がそれに重ねられた。皺の重ねられた手が、汗ばんでいた。遠は一瞬考え込んでから、自分の奥からなんとか、言葉を引き出した。

『――あなたの魂に、いつも風が吹きますように』



 「……ていうのを、何人じゃったかな、30人くらいにやって……久しぶりに、ほんのちょっとだけど天力使ったから……」

 遠はベッドに横たわりながら、傍らに腰掛けているハターイーに向かって今日の出来事を説明した。

「それは、疲れただろうね?」

「うん、でも……天力どうこうって言うより、やっぱりわたし、……女神、向いてない……」

「どうして、そう思うの?」

「一人ひとりと……もっと話したいし、……あんなほんの少しの時間で、わたしができることってすごく中途半端で……自分をまがい物みたいに感じて、辛い……」

 ハターイーは少し驚いた顔をしたあと、なぜか微笑んだ。

「どうしたの、ハーちゃん」

「君が、弱音を吐くのは珍しいから。……言ってくれて、嬉しいな、って」

「あはは、変なハーちゃん。……明日も、明後日も、毎日やらなきゃいけないんじゃ。……頑張らないと」

「無理は……」

「無理はしてない。……みんなに比べたら、全然。ねぇ、行方不明のしーちゃんやイーちゃん、シナちゃんは全然、見つからんの?」

「うん、カミッロというジャーナリストに頼んで探してもらってるんだけど……たぶん、シナトとインファは一緒にいるんじゃないかと思うんだけどねぇ。……シナトは、……僕は、シナトとは理解し合えないと思っていたけど……でも心配だな」

「理解し合えないって?」

「……僕がハターイーの名を代々継いできたように、シナトも初代シナトからずっと名を継いできているんだ。初代シナトは、テロリストだ」

「テロリスト!?」

「――『人工生命体・女神の製造を止めること』を目的としていたテロリストだ。軍事産業のために作為的に生み出された命は哀れであり、解放しなければならない、という題目を掲げて初代シナトは研究所自体吹っ飛ばしたんだ。……僕は、代々のシナトはその考えを引き継いでいると思っていたけれど、どうやら今のシナトは違うようだ。少なくとも、あいつは女神を殺そうなんて考えてなく、ただ自分の一族を代々あの『塔』に幽閉した尭球圏界連合への復讐しか考えてないようだった」

「……そっか。……え、あれ? もしかして、初代ハターイーと初代シナトは知り合い?」

「知り合いではないけれど、関係はあったよ。初代ハターイーは、初代シナトの鉱球流しを決定した会議にいたからね。確か、鉱球に流された時、初代ハターイーは23歳、その母アーリアは36歳、初代シナトは30歳手前だったと聞いている」

「アーリア様は13歳で子供を産んだんじゃね……」

「産むこと自体もものすごく揉めたらしいし、それはそれはひどい罵詈雑言を彼女は浴びたそうだよ。……ちなみに、これも伝えておくけれど……鉱球に流されたシナトは『塔』に幽閉、アーリアは多くの、ものすごく多くの苦難を越えて……5圏の統治の基礎を固めた後……最後は『塔』に向かい、そこで人生を終えたと聞いている。今のシナトは、初代シナトと、アーリアの子孫だ。初代ハターイーと、二代目シナトがアーリアを母とする異父兄弟、といったほうが早いかな」

「……そっか、ハーちゃんも、シナちゃんも、アーリア様の血を引き、魂を受け継いでいるんじゃね……」

「……分からない。僕は……僕は、とても、アーリアのようには。でも……シナトは、……あいつは、僕よりもずっと、アーリアに近い。一途で、真っ直ぐで、情に厚く、熱い。炎のように。僕は、思い上がっていて、虚栄心が強く、馬鹿で、優柔不断で、弱く、……」

「ねぇ。ハーちゃんは、風みたいじゃよ」

「え?」

「ハーちゃんは、風みたい……」

 遠は微笑んだ。そして同時に、シェムのことを考えていた。シェムは土みたい。温かくて、いつもそこにいてくれる。

(……でも、あんな、大人っぽくなってた。……わたしも、頑張らんと……) 



 翌日から午後は『聖癒』、それ以外の時間は遠はほとんどを遠は資料の読み込みと分析に費やした。

 どこから何が狂ってこの星は滅びようとしているのか? 問題は山ほどあったし、原因と見られる事象も山ほどあったが、遠はそれを一つ一つ選り分けて分類した。分類の仕方を迷いはしたものの、まず5圏ごとの問題をリストアップし、それらの原因を仮定し、その仮説をデータに基づいて丁寧に検証していった。

 その過程で、遠はビエナとユドンを通じて、ウルバンに『母艦』のアクセス権の拡大を要求した。

 それまで遠に与えられていたのは、圏界連合の一般職員と同じレベルのアクセス権だった。しかしこの権限では見ることのできない資料があまりにも多すぎ、必要が生じる度に律儀に申請を出し、特別に許可を出してもらっていたのだった。ウルバンはこういうことにはあまり渋ることなく、淡々と許可を出した。

 今回も、ウルバンは遠の要求を飲み、遠は『母艦』に詰まれているほぼ全ての資料へのアクセス権を獲得した。結果的に遠は、不在の事務局長、副事務局長ウルバン、書記官ビエナについで、No.4の権限を得たことになった。No.4までは四柱として、『母艦』への議決を上げ、またその承認・否認に参加することができる。とは言っても、承認・否認を行うことのできる小型端末は遠には与えられなかったから、ほとんど意味はなかった。

 遠はユドンから「遠様、研究者みたいですね」と呆れられ、ビエナからは「恐れながら、女神というよりは学者だし、圏界連合の誰よりも優秀ですから、うちで働きませんか……」と呆れ顔をされた。だが呆れ顔に隠された優しさと愛情が、遠は心から嬉しかった。

 5圏の問題のうち、資源枯渇問題や人為的な原因に依らない環境問題はどうしようもなかった。代替手段はあるのかもしれないが、その検討は十分圏界連合の研究者やヨグナガルド傘下の研究者達がやっているはずで、それらの進捗状況も知りたかったが、ひとまず優先順位を下げた。

 遠が目をつけたのは各圏の内外で起きている社会問題だった。例えばヨグナガルドは貧富の差の激しさが大きな問題で、貧しさに喘ぐ人々の間では圏首脳部への不満が募り、武力衝突を含むデモが度々発生していた。その上、終末論を唱えるリーダーを中心とした新興宗教も蔓延り始めていた。それに対して、ヨグナガルド首脳部はあまり的を得ない、そして僅かな対策ばかりを打ち出していた。ヨグナガルドの意思決定機関は、ヨグナガルドという企業連合の各社のトップから成っており、そしてその社同士の利益が相反するため、まともに物事が決まらないのだった。誰にも大きなダメージを与えない、無難な策ばかりが乱発された。その上、意思決定機関の最高責任者――ヨグナガルドのCEOは、圏界連合が指名した候補を、圏の議会が承認する、という形で決定されており、つまりは圏界連合が行政権の一部を担っているのだった。それが余計に混乱を招いているように遠には思えた。

 ニューポートと涼車の間には小さな武力衝突が多かった。これはニューポートが自圏民と見なす、グノスを信仰する人々が住む地域が、飛び石のように涼車の地に残されている為だった。だがそれも、そもそもニューポートと涼車の圏境線を決めたのは圏界連合であって、かつやはりどちらの圏の首長も、圏界連合の指名候補を議会が承認する形で選ばれていた。この形式は、良く言えば圏界連合が各圏の利益を調整し、調和を計るためのものであり、悪く言えば牛耳るためのものとも言えた。

 さらに、首長を圏界連合が実質的に選出するようになるのと同時に、各圏の税制を圏界連合が統括するようになっていた。圏は経済政策を奪われた、と言える。

 なんにせよ、一つ確実に言えることは、何もうまく行っていないことだった。調和を計るどころか、どんどん悪化している。

 遠はこの圏界連合が指名した首長候補達に注目したが、彼らは有効な政策を実行できない、決断できない上に、争乱の沈静化のためにか、いずれも言論の自由を制限する方向の法案を実行していた。

(これじゃ、良くなりようがない……)

 遠は深くため息をついた。他にも山ほど問題はあって、どれもやはり圏界連合の介入が自体を硬直、悪化させていた。

(……これだけ、科学技術が発展して、魔法のように便利な世界なのに。どうして、人は変わらないんじゃろう……)

 だが、思い悩んでいても仕方が無い。遠は、一度データ検証を中断した。最初は、各圏の首長に会いにいく……話をする。そう考えたのだ。だが、その考えはすぐにウルバンに却下された。

「彼らと話などして何になるでしょう。――あなたは、どうすれば良いか、私に言えばいいのです。そしたら私がそれを検証したうえで実行する」

「……」

「ただ、数日後にどうせ彼ら……圏首長が集まる会議があります。そこにあなたを同席させてやってもいい。神のお披露目、というわけです。それに――彼らが望むなら、あなたの体を彼らに与えてやってもいい。元々はそれを目的として作られた機械なんですから――」

「ウルバン様!」

 血相を変えて叫んだのはユドンだった。

「なんてことを……なんてことをおっしゃるのです!」

「お前は黙ってろ!」

 ウルバンが怒鳴り返した。ユドンに対する時だけ、彼は躊躇いなく普段の丁寧で理知的な装いをかなぐり捨てるのだった。

「いいえ……いいえ! そればかりは!」

「うるさい! 黙れ!」

「ユーちゃん、大丈夫……ありがとう、ありがとうね」

 遠はユドンの体をそっと抱きしめた。ユドンは両の拳を握りしめ、その体は強張り、怒りに震えていた。その優しさが心から嬉しい。

 体を、という意味は遠にももちろん理解できたが、正直に言ってあまり想像がつかなかったし、嫌悪感すら湧いて来なかった。神として扱われること、神として人々にかりそめの癒しを与えなければいけないことの方が、よほど屈辱的で、魂を踏みにじられている感覚だった。

「だめ……遠様、だめです。諦めないで……」

 ユドンは泣いていた。

「五月蝿い女だ、こんなことでいちいちヒステリーを起こして。まだ決まった話でもない。それほどの価値がこの機械の体にあるとも分からないしな……」

「ウルバン様……」

 ユドンは絶望的な顔で、主人の上に視線を彷徨わせていた。遠は無言で、呆然としたままのユドンを引っ張って、部屋から出た。後ろでウルバンが大きなため息をついているのが聞こえたが、気にせず自室までユドンを引きずっていき、ソファに腰掛けさせた。いつもユドンがしてくれるようにお茶を淹れ、ユドンに渡す。

「ユーちゃん。ありがとう、本当に」

「……遠様……遠様こそ……」

 ユドンは震える手でお茶を飲み、ひと呼吸おいてからカップを横に置いて、そしてわっと泣き出した。

「違うんです……遠様にあんなひどいこと……最初はそれに怒りました、でも……違う、途中で気持ちは……どこまでこの人は哀れなのだろう、どこまでこの人は非道なのだろう……どうして、私は、こんな人を、好きなんだろう、って……」

 遠は泣きじゃくるユドンの背中に手を回した。ユドンは遠の胸に顔を埋め、遠の胸に温かい水たまりを作った。

「こんなに絶望するのに、あの人の残虐な行為に、あの人の氷のような心に、何度も絶望するのに、嫌いになれない……離れられない……私は、あの人と同罪です。遠様の故郷を、滅ぼした……」

 遠はユドンの頭をそっと撫で続けた。数分後、興奮しきって、泣き疲れたユドンは、遠の胸で子供のように眠っていた。遠はその涙の跡を、そっと自分の服の裾で拭った。

(綺麗な寝顔……ユーちゃんこそ、女神様みたい。こんなに……こんなに苦しくても、人を愛せるなんて)

 それは遠の知らない感情で、少し羨ましかった。いつか自分も、こんな風に誰かを愛するだろうか。

 遠はユドンの髪を撫でながら呟いた。

「……ね、ユーちゃん。わたしも、自分の罪と一生一緒にいなければならない……でも、生きようと思ってるんじゃ。前に前に歩いて、償えることが、もしもあるのなら。死んだら、償いすらも、できないから……」



 ウルバンの予告していた通り、その一週間後に圏界連合の定期サミットが行われた。これは年に一度行われる、圏界連合と4圏の要人が集まる重要な会議だった。

 遠はその場に同席を許され――といっても会議に口を挟むことは許されず、ただ後方のとってつけたような観覧席に座らされただけだったが――彼らの話を聞くことはできた。最初はそのような場に臨席することに少し興奮していた遠だったが、話を聞けば聞く程どんどん心身に重しを乗せられたような気分になってきた。

 彼らは極悪非道な人間ではなかった、ただ普通の人間だった――自らの価値観でしか物事を捉えられず、自らの身を無意識に守り、数ある選択肢の中から最も無難そうな道を選択する。多数の人々にとって無難な道は、精々現状維持程度の効力しかなく、それが全てを悪化させてきたのだ。

 もちろん遠も、一つの政策を実行すれば、必ず「その政策に救われる者」「その政策に救われない者」が生まれることは分かっていた。だがそれを承知で、なるべく多くの人々に良い未来が訪れるように、色々な方法で線を引くのが政治というものではないのか。上に立つものはその覚悟を持っているべきではないのか――。今この場にいる人々は、誰もその覚悟を持っているようには見えなかった。

 遠は何度も口を挟みそうになり、その度に自らを律した。彼らには最も良い方法で、それでは駄目だ、ということを伝えなければならない。

 だが休憩後に出た話題は、遠をさらに愕然とさせた。

「フネの建設の進捗はどうなんだ」

「極めて順調です。あと半年と少しで完成するでしょう」

「漏れていないんだろうな」

「もちろんです。確実に漏れません、現場も、請け負っている連中さえ目的を知りませんから」

「最終的に何人乗れることになったんだ。」

「一千万人です。フネは5艦に分けます」

「もっと少なくていいんじゃないか。あまり密度が高くても不快だろう」

「しかし新天地での肉体労働に従事する為の人間がかなり必要になりますから……。それに要人の方のフネは十分ゆとりをもって作られていますから、ご安心を」

(これ……何を言っているの……)

 遠の耳を、男性達の低い声が通り抜けていく。何を言っているの、と思いつつ、先日『聖癒』で話を聞いた男性も、そのようなことを言っていたではないか……と思い出した。――導き出せる答えはは一つしかなかった。

 彼らは、この汚染された星を脱出して、どこか別の星に移住しようとしている――。

 遠が得た知識では、確か尭球の人口は1億8千万人程度だったはずだ。さっき彼らは一千万人、と言っていた。1/18……。

 正気なのか、という思いと、正気なのだろう、という思いが両方一度に去来した。ウルバンは、炎を使い、故郷を滅ぼした。正気でないことをやってしまう人なのだ。

 愕然としながら遠は自分の左手を、右手でぎゅっと掴んだ。そうでもしていないと怒りで気が遠のいていきそうだったのだ。

(なんで……どうしてこんな判断をできるようになってしまうんじゃろ……どこかでネジが外れたんか……それとも何か、……色んな経験の積み重ねがこうしてしまったんか……)

 だが今はウルバンや、それをとりまく圏界連合の要人達の過去に思いを馳せている場合ではなかった。きちんと情報を飲み込まなければならない。

「ただ一つ問題なのは、ガダハの奴らが追加予算を要求していることです。当初の予定より費用が嵩んでいるようで」

「こちらも追加注文をしているし仕方がないだろう。ここで狭量なところを見せて手抜き工事でもされたら困る。金なら出す」

「承りました、そのように」

 ガダハという名前は知っていた。ロボティクス分野を主としている、ニューポートに次ぐ巨大企業だったはずだ。

(確かミーちゃん達がフネ作りを頼んでいるのはキーヨウ……ガダハより規模は比べ物にならないほど小さいけれど、高度な技術を持つ集団……だったはずじゃ)

(……こんな、一部の人だけ逃げるなんていう計画は防がんと……でもそれに取り組んでいたら、他の、この星を良い方向に向かわせる案を立てている余裕はない……)

(どうしたら……)

 考え抜いて、結局遠は最初に思ったように、各圏の首長達と話そうとした。それを実行しようとしたたのは夕食――この世界に貧困があるとは信じられぬ程盛大に催された晩餐会の時だったが、遠はがっちりと守人達に囲まれた高い席から、一歩も出ることはできなかった。女神は、人に干渉しない――機械がしないように。その一言だけ残して、ウルバンは去った。

(……それなら、もう……仕方がない……)

 月糸の女神養成所の美術の授業で習ったことを活かすことになろうとは、微塵たりとも考えていなかった。

 遠はユドンに指示されてそばに控えていたまだ年若い世話係に言って、トイレに立った。彼女に、化粧直しをしたいことも伝え、簡単な道具を持ってきてもらう。

 ほんの少しだけ衣服を崩し、頬に赤みをもう少し差し、唇の紅も薄い桃色から、もう少し派手な色にした。ついでに香煙も浴びる。

(……こんなんで、本当にうまくいくんかな……)

 席に戻った遠は、圏首長のうち、一番力がありそうに見えたニューポートの代表、つまりグノスの神皇に目をつけた。この男性は50代半ばで、太っていて、謙虚な言葉を選んでいたが態度からその尊大さがにじみ出ていた。だが頭は悪いわけではなく、むしろ切れ者に見えた。遠が彼を選んだのは、その尊大さ故に他ならない。そう、自分を、閨に寄越せとウルバンに向かって要求するような、尊大さ――。

 遠はさりげなく彼を見つめ、目が合うように祈った。ほどなくして神皇はどこか落ち着かないような様子を見せ、そして遠の視線に気付いた。こちらを向く。

 遠は微笑んで頭を少しだけ下げた。なるべく「艶」が出るように微笑んだつもりだったが、美術の成績はひどいものだったから、たぶんうまくできていない。

(お願い、ちょっとでも色気が出てますように……!)

 こんなことを願うことになるとは人生は不思議なものだと、喧噪の中、遠はどこか人ごとのように思った。そして、数時間後、遠の期待は報われた。ウルバンから、ビエナを通して、神皇の部屋に行くようにと告げられたのである。

 ビエナは、何のことだかよく分かっていないようだった。だが遠には分かっていた。

(あの人に抱かれにいくことになるんじゃ。でも、なんとかソレを避けて、話をしないと……)

 こうでもしなければ、神皇と2人きりになどなれそうになかったのだから、仕方がない。もし話をした見返りとしてやはり体を要求されるのであれば、仕方が無い、と遠は腹を括っていた。

(ユーちゃんが知ったら悲しむじゃろうな、ユーちゃん、ごめんね……でもいいんじゃ、わたしの貞操なんてそんなに大事じゃないから……)

 遠は昼間とは違う世話係の少年に手を引かれ、神皇の部屋にしずしずと長い廊下を移動した。途中で地下の細い廊下に入る。おそらく秘密の地下道なのだろう。だがその装飾などから察するに、向かう先の部屋は、直轄都市でも最も豪奢な酒店の最上階にあるようだった。

 少年に導かれて、遠は重たい木の扉をくぐり、神皇の前に姿を現す。

「おお、遠様。よく来られた、最後の女神よ――そう言いたいところだが、わしはグノスの神皇ゆえ、我が唯一の神以外の神は認められぬ。それにわしはそなたの秘密を知っているぞ――わしの何代か前の神皇が、そなたの祖先アーリアを抱いたのだ――そなたは神ではない。ただの機械だ。人の手によって造られたという、存在それ自体が罪である生き物だ……だからわしが罪を祓ってやろうと呼んだのだ。分かるな?」

「はい」

 そういう理論になるのか、と思いながら遠は慎ましやかに、だがきっぱりと返事をした。

「神皇様、……その前に、わたしとお話をしてくださいませんか?」

「話? なんの話だ?」

「神皇様の好きなお話でいいのです……神についてですとか、普段神皇様が説法をされているような内容でも」

「なぜそんなことを聞く? それにわしは別に神の話など好きではない」

「……そうなのですか」

「ああ、そうだ。愚かな民は皆わしに期待するが、わしはただの人間だし、聖職者になったのも少々人の心に訴えるのが上手く、立ち回るのが上手かったからだ。ただ、神は信じているぞ。それだけだ」

「……神皇様は謙虚でいらっしゃるのですね。……では、神はなぜ、この星のこのような状況を救ってくださらないのだと思いますか?」

「さぁ、なぜだろうな。祈りが足りないのかもしれん。あるいは、果てしなく愚かな民に愛想を尽かしているのかもしれん」

「神皇様はなぜそんなに……そんな風に割り切っていらっしゃるのですか。この星で苦しむ民の声は気にならないのですか、本当に彼らを捨ててこの星を出るのですか」

「ああ、そなた、それが聞きたかったのか。……お前のような若い者には想像もつかんだろう。もう、わしは疲れた。これでも若い頃は必死に戦ってきたつもりだった、圏界連合と、そして民衆と。でももう、どうにもならん。最低限のラインを守っていくことしか、わしにはできん」

「そんな……長が諦めたら、民はどうなるのじゃ」

 思わず遠は普段の喋り方に戻った。

「民はなぁ、馬鹿なんだ。あいつらはすぐに感情的になって、隣の圏と小競り合いをするやら、自圏の誰かを激しく糾弾するやらだ。情報を正しく理解する力も無い。……なぁ、わしはもう疲れたんだ。日々の戦いに敗れ続け、聖職者だから心を許す家族もいない。なぁ、諦めては駄目か? 女神よ」

 神皇は遠の体を引き寄せ、そしてぽんと力を入れてベッドの上に倒した。遠は何も言葉を続けられないでいた。

(ああ、話せば分かると思ったのはわたしがあさはかじゃった……話せば分かってしまうのはわたしの方じゃ。……誰も悪人じゃない。皆一所懸命やってきて……それを……わたしがどう言えば……)

 狼狽えながら遠は必死に言葉を探した。

「神皇様、あなたの苦しみの片鱗は、少しは理解できると思う。でもあなたを信じている民が、たくさんいるではないか――彼らは馬鹿なのではない、これが人間というものなのじゃ。彼らを見捨てるのか……?」

 話しながら、だが遠は神皇の瞳に浮かぶ苦渋を認めていた。

「言うな……頼む、女神よ。少しだけ、現実から目を背けさせてくれ……でないとわしは、もっと酷い道に足を踏み入れてしまいそうだ……」

 神皇の体がのしかかってきて、遠の体を薄衣の上から震える手で撫ではじめた。その瞬間に、遠は気付いてしまった。やっぱり駄目だ、……ひどく気持ち悪くて、怖い。どうしよう、と遠は思った。ここで怖い、って叫んでいいのだろうか、でもそんなわけにはいかない。もう自分が始めてしまったことだ、最後まで貫かないと……でも怖く、声すらも出なかった。

 その瞬間、恐怖で目をぎゅっと閉じようとしていた遠の視界が、強い桃色の光で満ちあふれた。

「……<白昼夢デイドリーミング>」

 ほっとする優しい声音が、確かに聞こえた。

「……ハーちゃん……!」

 神皇の体の動きは止まっていた。遠も使える、幻覚を見せる魔法だ。

「……遠! よかった、間に合った……!」

 ハターイーは遠を神皇の体の下から引きずり出し、力一杯抱きしめた。

「遠のお馬鹿さん! こんな危険なやり方は駄目だよ!」

「……ごめんなさい……」

「自分を大切にしてくれ……頼むから、ね」

「うん。……してる、つもりなんじゃけど。時々、間違えちゃうようじゃ」

 遠はハターイーの胸に顔を押し付けたままの体勢でもごもごと喋った。ハターイーの心臓の音が、遠の体の中に響いてくる。

「とにかく、ここから移動するんだ。彼のことは大丈夫だ、都合の良い夢を見ているだけだし、数日後には忘れるようになっている」

「うん……」

 遠はハターイーに<葉隠れハイド>をかけてもらい、彼もろともそっと部屋を抜け出し、元の地下道ではなく堂々と正面玄関から移動した。

 道中、遠はずっと神皇のことを考えていた。皆に讃えられ、崇められるニューポート・グノスの長は、普通の人間だった。普通の、それなりに長い時間を生きてきた人間。

(説得なんて、できんかった……こんな風に判断していては駄目だなんて、あんなに諦めきっている人にどう言えばよいんじゃ……)

 自分の甘さを痛感する。会う人会う人の人生に共振していては、それこそ何も進まない。それは、まさに各圏の首長達が陥っている底なし沼ではなかったか――。

(わたし、もっと腹を括らんと、誰も幸せにできない……)


 ハターイーは遠が眠りにつくまでここにいると、がんとして譲らなかった。

「ハーちゃん、今まで思いつかなかったのが不思議なんじゃけど、わたしミーちゃん達に手紙を書きたい。渡してくれる?」

「ああ、もちろんだよ。なぜ僕もその考えに至らなかったんだろうな」

「本当は<伝意>も使えるとは思うんだけど、でもあんまりたくさん天力を使うと、ウルバンというか、『母艦』にバレそうじゃから……」

「そうだね、そう思うよ。……遠が書き終わるまで、待ってる」

「ごめんね、すぐ書くね」


 書き終わった手紙をハターイーに渡したのは明け方になった。ようやく少しだけ安堵して、遠は目を閉じた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る