壊れたもの(3)


 母の言う通り、部屋の中は外観に見合うことなく綺麗だった。

 玄関を入ってちょっとした廊下があるのだが、すぐ右手には洗面所やトイレ、風呂などの水回りスペース。

 廊下の先には扉が二つ並んでいて、右の扉はキッチン。左の扉は、リビングに。二つの部屋は中で繋がっていた。

 その二つの扉の前、左手側は六畳ほどの洋室だ。


 さらに、キッチンとリビングの奥は襖で仕切られている。中もどうやら六畳ほどの部屋で、各部屋和室になっていた。


 リビングは、東側に面していて昼間は西日同様太陽の光がさんさんと降り注ぐに違いないだろう。


 そんな中、由美子と真子は各部屋を物色するように見回した。

 母は私たちより先に各部屋を見回せば、リビングのソファに腰を下ろし、テレビリモコンを手にして電源のボタンを押した。夕方のニュースが静かにBGMの役割を果たす。



「はいきたー! ウチここー!」


 洋室に居た真子が興奮した様子でリビングに戻ってきた。一人称をウチ呼ばわりするのは、田舎あるあるかもしれないが、社会人になって一年。”私”と自分のことを呼べるように気をつけなさいと進路指導されても、どうやら長年染みついた癖は抜けないみたいだ。職場では気をつけているようだが、プライベートで真子が”私”と使っているところを、母も由美子もまだ一度も聞いたことがない。


 そんな真子が、なぜ興奮気味にやってきたかというと、


「ウチ絶対洋室! ベッド持ってるから、譲れない! 絶対洋室だかんねー、決まり!」

「うるさい。聞こえてるんだから、そんな大声出すんじゃないよ」


 このテンションに付いていけないのは、先程気を張ったせいかそれとも、歳の差のせいか……。リビングに続いている和室に居た由美子の背後で、真子の眼は輝いていた。


「ねえ、いい? ウチ、洋室でいいよね?」

「嫌だっていったら?」

「無理。もうウチの部屋だから」

「拒否権ないじゃん……」


 そういって由美子は溜息を吐くが、一応だ。

 今更部屋にこだわりは持ってないし、今まで和室で生活していた者にとっては、やはり畳の上に布団を敷いて寝るというのは心地がいいものだ。日本人の特権ではなかろうか。


「お姉ちゃんは、この部屋でいいんじゃない? 朝は太陽の光ですっきり目覚められるじゃん」

「それはアンタの部屋だって同じで……」


 そこまで言いかけたとき、由美子の視界の中、真子の背後をが横切る。

 赤いそれは、つい先ほど玄関からみたものを連想させた。


 ボールは音もなく軽やかに左から右へと、この部屋とリビングを仕切るふすまの間を転がる。テレビを見ている母の目の前を横切るが、母は気づいていないようだ。その先は直ぐベランダにつながっている。にも関わらず、まるで窓ガラスに吸い込まれるように迷いなく転がっていく。もちろん、跳ね返って来ることもなかった。


「あー……でも、お姉ちゃんちょっとこの部屋はやめた方がいいかも」

「どうして?」


 真子が畳の上を歩き出すと軋む音。畳のとある一点を見つめて、動きが止まった。

 ボールを目で追っていた由美子も隣に立ち、畳を見つめる。


「げっ」


 部屋の真ん中、畳縁たたみべりに、赤黒いシミが付いていた。


「でも、血では……ないと、思うよ?」

「あー……」


 部屋はここだけでは無い。この部屋西側の襖を開ければキッチンと繋がった和室があるのだが、押入れがあるせいかなかなか気が乗らないのだ。


「まあ、あまり気にしないでおく。カーペット敷くし」

「なら、あの部屋はウチので決定ね!」


 「ベッドを置いてー、キャビネットはー」と、家具の配置に胸を躍らせている真子は、母の隣に腰を下ろした。


「で。いつからここに入って……っ」


 振り向き刹那、母の足元にが置いてあり、由美子は息を飲み込んだ。


 心が、跳ねたのだ。



「え? なによ」

「……そのボール、なに?」

「ボール?」


『次のニュースです。本日、十一月××日は、作家の――――さんが亡くなって二十年』


「……え、」


 薄い液晶から流れるニュースに由美子が、足元にあると言われるボールに視線を落とす母が、反応する。

 そして母が素早く、手にしていたリモコンでテレビの電源を落としたのだ。



―― ぶつん


 画面が真っ暗になり、そこに映るのは由美子の顔。


「え、え? なんで消しちゃうの?」

「ボールなんて見当たらないわよ」

「は? いや、赤いボールが……」


 話をらされ心なしか冷たくなる母の言葉に、由美子はまた母の足元を見るが、先程まであったボールはそこにはなかった。


「いやいや、あったって!」

「変なこと言わないの。ほら、部屋の中確認したならそろそろ帰るわよ」

「てか、ニュース!」

「帰るの」


 静かに声を張る母に、由美子は頷くしかなかった。

 立ち上がれば、後ろ髪をひかれながらも真子と共に玄関を目指す。


 気になることは、たくさんある。

 母の態度もそうだが、いきなり現れる赤いボール。あれは、この家の玄関が開いたときに私が見たものだろうか。暗い部屋の中を転がっていたのだろうか。

 だとしたら、


 そして、和室の部屋の血痕。いや、まだ血痕と決まったわけではないが、他の理由で付けられたシミだとも決まった訳では無い。


 それらが由美子の心をざわつかせる。


「荷物はちょくちょく運んで、来週からこの部屋で暮らせたら良いんじゃない?」


 靴を履く母の背中を眺めれば、遠く感じるその背中。

 自分はこの部屋でやっていけるのだろうか。隣の真子は母の問いに笑顔で頷いていた。


「うん、そうする!」

「家に帰ったら、鍵渡すからね」

「はーい!」


 玄関扉を開ける母に続いて、由美子たちも靴を履く。




「あ。おばちゃんだ!」


 元気よく発せられた”おばちゃん”という言葉。誰が誰に発したか分からない言葉に顔を上げると、玄関の目の前に男の子がいた。おばちゃんとは、母のことか。二人は、顔見知りなのだろうか。


「あら、カズくん。こんばんは」

「こんばんはー」


 カズくんと呼ばれた少年と目が合った。


「おばちゃん、この人たち誰?」

「私の娘たちよ。来週からここに住むから、よろしくね」

「わ! 可愛いね、カズくん?」

「そうだよ。お姉ちゃんは?」

「ウチは、真子だよ」

「真子ちゃんかー。そっちのお姉ちゃんは?」


 由美子を見つめる幼い視線に、微笑む。


「私は、由美子っていうの」

「じゃあ、ちょっとお母さん管理人さんに電話してくるわね。カズくん、またね」


 戸締りよろしく、と渡された鍵を預かり由美子は頷く。母に頭を撫でられた少年も、「またねー!」と手を振れば、階段を降りていく母の後ろ姿を見送りながら由美子は改めて少年に自分の名を伝えた。立ち上がり、履き途中の靴の爪先を数回地面で軽く突く。


「私は、由美子。カズくん、よろしくね」


 靴を履いて、再び少年と目の高さを合わせて握手を求めれば、少年はこころよく手を握り返してくれたのだ。


「由美子ちゃん、よろしく」

「カズくんはどこのお部屋の子かな」

「おれは、ここだよ」


 指さすのは、お向かいさんの家の扉だった。


「わあ、近いね!」


 真子の言葉の語尾が弾む。


「毎日遊び来てもいい?」

「毎日? うーん、お姉ちゃんたち平日はお仕事してるし、カズくんも学校あるでしょ?」

「じゃあ、休みの日!」

「休みの日なら、いいけど……お姉ちゃんたちと遊んで、つまらなくならない?」

「ううん、とは遊ばないよ?」

「え?」


 三人、目を合わせる。この子は何を言っているのだろうか。



「ねえ、の名前は、なんていうの?」


「え……?」


 聞き返す真子の声が、震えた。

 振り向くが誰も居ない。それが普通なのだ。当たり前だ。だって、この部屋には私たち以外誰もいるはずが無い。

 まるで、固形物を飲みこんでしまったかのように、食道を滑る唾が角を持ち、刺さるのだ。





「なーんちゃって! 男の子なんている訳無いじゃん、驚いた?」

「なっ、う、嘘?! 驚かさないでよ!」

「……っ」


 どうやら、なかなかのやんちゃっ子のようだ。凍りついた雰囲気に、少年の笑い声が響く。


 しかし、由美子だけは笑えないでいた。

 部屋の中で見た赤いボール。持ち主など気にしてはいなかったが、の可能性は無くは無い。息を飲み込めば、背中を流れる汗が、体を冷やした。秋なのに、熱い。冷えるどころか、汗が流れるその線がだんだんと火照っていく。背後の部屋に意識をしてしまえば、居ない何かが現れてしまいそうで、由美子は首を振ったのだ。


 考えすぎだ。大丈夫、そんなものは居ない。人をからかってはいけないと、注意してやらねば。


「こら。カズくん、あんまりお姉さんたちをからかうとーー」

「カズ、居るの?」


 向かいの家のトビラが開けば、中から30代前半の女性が顔を覗かせる。


「あ、お母さん!」

「何してるのよ。早く帰って来なさいって言ったわよね?」


 どうやら母親のようだ。子を見下ろす視線が由美子たちに気づいて、こちらへと移動する。


「あ……」


 言葉を落としたのは、少年の母親だった。

 目が合うと、途端に目をそらす。そのあからさまな態度に真子が由美子の隣で首を傾げていた。


「はじめまして。これからお世話になりまーー」

「カズ、ほら早く入りなさい」


 こちらの挨拶も聞かずに、母親は少年の手を掴めば、ガチャンと音を立てて扉を閉めた。一体どうしたのか分からないが拒否をされたように、扉の音が胸にのしかかる。


「は? なんだあのババア」

「真子、そういうこと言わないの」

「挨拶してるのにムシかよ」

「だから、思っても口にしたらダメ。もしかしたら、私たちがカズくんのこといじめているように見えたのかも……」


 改めて挨拶に行こうと、扉に付けられた表札〈日向〉の名前を心の中で復唱する。


 由美子たちは、母から渡された鍵で

扉を閉めれば、階段を降り駐車場へと向かった。



 新しい生活が、始まるのだ。

 気が乗らなくても、始まってしまうのだ。



 

 











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