第1話 団地
壊れたもの(1)
2014年、秋。
松木家は、次女・
母が若い頃世話になっていたのだろう。娘たちに卒業式や成人式が訪れるたびに、各ショッピングモールの中にあるレンタル着物店のハガキたちの中に埋もれながらも、「いつも御贔屓に、有難う御座います」の定型文を添えて届くのである。
長女・
老舗の信頼と安心を背負った店の表は全面が窓ガラスになっており、豪華な柄の着物を身にまとったマネキンが道なりに並んでいる。入口から店内の中に入れば、正面奥には色とりどりの着物が掛けられているのだ。花柄に、蝶。手毬。それは見るものすべての目を奪う。
ほう、と溜め息。由美子はピンク生地の小柄な花たちが刺繍された着物の前で立ち止まれば、その着物の虜になっていた。
「気に入られました?」
店員に声を掛けられてもなお、由美子の視線は離れない。というのも、由美子は多趣味であり、その中に 和 や 柄 も含まれている。ただずっと眺めているのが好きなのだ。多趣味である故、広く浅い知識しかないが、本当ならこのまま誰にも邪魔をされずに眺めていたい。
「妹さんに、どうですか」
「いや、妹には可愛すぎて、なんか……」
「ちょっと、お姉ちゃん! それどういう意味?」
離れたところで父と着物を選んでいた妹の真子が、由美子の発言に眉を寄せて駆け寄ってきた。
「そのままの意味だけど? そうだな、真子には……ん、これとか」
そういって、畳まれて絨毯床に置かれた着物をひと撫でする。紫の生地に散りばめられた花たちは艶やかに真子の瞳に映る。
少し大人すぎたか、と思いながらも由美子は自信あり気に腕を組んだ。
「まあっ。大人っぽいんじゃない?」
「真子、自分の着たい着物を選びなさい」
背後の両親の言葉は、耳に入っているのかいないのか。
そんな松木家を見て、店員は微笑んだ。
「皆さんで妹さんの着物選びだなんて、仲が良いんですね」
「え? い、いや、そうなのかな……仲、良いのかな」
肯定できないのは、心当たりがあるからだ。
目を逸らす父に、苦笑を浮かべる母と由美子。
皮一枚でしか繋がってない。いや、家族という括りの中に、ただいるだけだ。母や真子はどう思っているのか分からないが、由美子の心は、店員の言葉にチリチリと小さな悲鳴をあげていた。
そんなよそよそしい状況を知らない、多分今一番幸福であろう真子は、立ち上がれば
「これにする!」
と、元気な声で答えたのだ。
「え、マジ?」
「うん、マジ!」
「だって、お姉ちゃんが選んでくれた着物だもん!」
*
「――んっ!」
『近年増え続けている熟年離婚ですが、○○さんのお宅は大丈夫ですか?』
『いやいや直球すぎるでしょ! 先日、報道されたばかりで離婚秒読みとか期待してるの?』
「――ちゃん!!」
『熟年離婚の増加理由の一つに、”子供が成長して手がかからなくなった”という意見があります』
『おい、振っときながら無視かよ!』
「お姉ちゃん!」
「っ……ぁ、な……に?」
耳元で出された大きな声に呼ばれて3度目。由美子は大きく肩を揺らして居眠りから目を覚ました。熟睡していたのだろう、声が枯れている。
「なにじゃないよね、何回も呼んだのに」
「うん、ごめん」
居間にあるソファの上で目が覚めたが、未だに現状を理解できていない由美子に、妹の真子は盛大な溜息を吐いた。
「寝てた」
懐かしい夢を見た。
ちょうど1年前の秋の頃だ。家族で真子の成人式の着物を選びに行った日のことだ。
『まあ、これからは反省してカミさんと仲良く暮らしていきますわ!』
テレビ番組のニュース枠。最近不倫騒動で世間を騒がせたタレントの声が、静かな平屋内に響く。
今朝のテレビ番組でも叩かれていたというのにこの明るさはどこから来るのだろうか。いや、明るさではない。空元気だろうか。場の雰囲気を上げようとして空回りしている。周りのキャスターたちは引いていた。
この番組を子守歌にして寝たせいであんな夢を見たのだと、由美子は近くにあるリモコンを手に取り、テレビの電源を落とした。
「……はあ、馬鹿馬鹿しい」
「アイツはまたするね。そんな匂いがプンプンする」
「確かに。子ども、まだ保育園くらいだっけ? あんな親で可哀……ううん、やめよう」
可哀想に。そこまで言いかけて、由美子は言葉を飲み込んだ。
離婚が悪い訳では無い。だからと言って、両親が悪いわけでもない。そりゃあ、各家庭様々な事情がある。
しかし、あのタレントのように、自分の欲望を抑えきれない不埒さを肯定するわけでもない。
ふいに、由美子の脳裏に両親の顔が浮かんだ。
”子供が成長して手がかからなくなった”
両親が離婚したのも、増加理由と言われていたソレだ。
社会人の由美子と六つほど年の離れた真子は、親から見れば自分のことは自分で出来るお金のかからない……一人でもやっていける子供になったのだ。
「……」
由美子のとある胸のつっかえは、取れないままでいた。
「で、何の用?」
「ああ!」
思い出したように高音をあげれば、妹の真子は隣に腰を下ろした。
「お姉ちゃんは、どっちについていくの?」
身を乗り出し覗き込んでくる真子は、今でいうゆとり世代の賜物で、もともと頭が弱いのかそれとも年が離れている為いろいろ甘やかしてしまったせいなのか、少し融通の利かない子に育ってしまった。
いや、失礼。ゆとり世代、真子だけではない由美子もギリギリその賜物だった。
「……うるさい、声でかい」
「うるさくないし! お母さんが、お父さんについていくなら家まで送っていくって言ってるよ」
縁側から外を眺めると、車に乗った母と目が合う。
「どうするんだ」 なんて口パクで訴えて。
どうするもなにも、こうして母に付いてこれからお世話になる祖母の家にまで来たんだ。
父のところに行くなんてそんなこと……。
「知らん」
「お姉ちゃんはお母さんに付くのね」
「……お前は?」
「ウチもお母さん。お父さん苦手だし無口だし一緒にいたらカビそう。キノコ生えてくるかも」
「そう……」
「あっ、じゃあお母さんに伝えてくるね!」
両親が離婚したというのに真子は寂しくはないのか。家から飛び出せば、広い庭の中にある母の車に駆け寄り、由美子がここに残るのを伝えているのだろう。緊張していたのか母の顔が綻んだ感じがここから見て取れる。
「お前は、お母さんについてきてほしいな」
先日、母から言われた言葉だ。
由美子だけでいいのか、真子は父に付いていくと思っているのか。二日前の晩、母の控えめなお願いが、頭の中今日何度目かのリフレインをする。
お願いされなくとも、母についていくしかない。理由は分からないが、父にとって由美子は、”要らない子”であった。
そんな子を、たとえ独り身になってしまった父が暖かく迎えてくれると思うだろうか。もともと無口で何を考えているのか理解できない性格だが、父は由美子を一度も正面から見たことは無い。
学生の頃、由美子が様々な賞を取っても褒めず、一度非行に走った時でさえ、心配もせず叱りはしなかった。
……ただ、会話はしたことはある。会話と言えるか分からないけど、テレビを観て笑っている由美子に「呑気なもんだな」と、一言。
その一言の理由が知りたくて、問うてみたけど父は何も答えなかった。その言葉のみが、今でも由美子の心の中にこびり付いている。
しかし、妹の真子は父に好かれていたのだろう。由美子には無関心な父も、真子には優しく接していた。テストで良い点数を取れば褒めてもらえ、反抗期で家の物に八つ当たりをすれば叱ってもらえ、友達と遊び呆けて帰りが遅かった時は心配され、そんな真子が由美子は羨ましかった。
どうして、自分には妹のように接してくれないのか。
自分が、姉という立場だからなのか。
真子が、妹という立場だからなのか。
そんな疑問を持ちながらも、家族という輪が、壊れてしまうことだけがなんだか寂しくて、
「大丈夫。お嫁に行ったと考えたら気は楽になるでしょう」
「もうそんな年頃だからね」
と、母の言葉に自分の気持ちに鍵をかけた。
笑ってしまうくらい、由美子はマザコンかもしれない。
と同時に、一人になってしまう父のーー妹にはあんなことを言われても本人は多分気づいていないがーー寂しそうな表情が浮かんだ。
「(ああっ私は、もうっ……!!)」
「お姉ちゃんっ!」
物思いに沈んでいると、外に居たはずの真子の大きな声に由美子の肩が跳ねた。
「あは、驚いてるー!」
「……なんだよ、うるさいな」
「あのねっ、お母さんが叔母さん家からは遠いからアパート借りてくれたって!」
「アパート? なにが遠いのよ……あんたはいつも主語が抜けてるの。ちゃんと説明しなさいよ」
「だーかーらー! 駅っ、駅から叔母さん家までは遠いから、駅の近くにアパート借りてくれたんだってー!」
「……なんだ」
一言呟けば、由美子の胸に黒い靄≪もや≫が掛かる。
「お姉ちゃん?」
ソファから立ち上がり、外に出て母の車の元へ。
車の扉を開け中に入れば、室内から真子が首を傾げてこちらを見ている。
「……結局は、私たちも邪魔ということなの。ついて来なければよかった?」
「違うのよ、お姉ちゃん。あの子にも言ったけど叔母さん家から駅までは遠いから……だってそうでしょう、お姉ちゃん車持ってないじゃない。仕事行くの、駅が近い方が便利でしょ?」
「でも、バスは出てる。お金ならもう自分で用意できるし……あ、もしかしてお母さんも一緒に? 三人で暮らすの?」
「お姉ちゃんと真子、二人だけ。お母さん、叔母さん家からの方が職場に近いから」
母に付いてきたというのに、すぐさま真子と一緒に放り出されるなんて、由美子は全く考えてもいなかった。
確かに、駅が近い方が便利だ。周りを畑に囲まれた祖母宅は、最寄り駅までは車で20分はかかる。地元で仕事をしていない由美子の交通手段は、電車。その電車に乗るのも、車を持っていない由美子は毎朝母か真子に車を出してもらうことになるのだ。
だったら、由美子たちは別に母に付いてこなくても良かったんじゃないのか……。
母も、自分のことが嫌いなのではないか……。付いてきてほしいと言ったのは、父に嫌われている由美子を安心させるための一時的な慰めか。
「アパート、直ぐに入居できるわよ」
「下見に行く?」 との母の言葉に、由美子は頷いた。
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