第12話送っていこうか?

 数十分後。

 薫たちの前には、絢爛な食事が並べられていた。

 渡さんの意見に従い、近所にあった中華料理店から出前を取ったのだ。


 八宝菜に餃子、エビチリ……エトセトラ。色とりどりの輝きが食卓に満ちていた。流石にこのクオリティは家庭では再現しきれまいと、外はサクッとしていて、本体に到達すると途端にじゅわっと肉汁の溢れてくる唐揚げが物語っていた。

 どの料理も食べる度に旨味が口の中に広がっていく。



「あぁ……今日を生きていて良かった」

「お兄ちゃん、それは大袈裟」

 と杏がたしなめるように言って、渡さんが微笑む。

「うふふ、こういう家なのね。ちょっと羨ましいかな」

「渡さんは?」


「どこにでもある平凡なものよ。私は一人っ子だから……きょうだいに、憧れていたの。カッコよくて、頼りがいのあるお兄さんとか、私に甘えてきたり、意地を張ってきたりする弟とか」

 杏は頬張っていた餃子を咀嚼してから言う。


「渡お姉ちゃん、現実はそんなにいいものじゃないよー。見てよコレ」

「コレって何だよ……」


 自分が優れた兄である、という過大評価をしているわけではないが、薫にだって自分が悪い兄ではないという自信くらいはある。悪事に手を染めているわけでもないし、学校だって真面目に通っている。

 何より、妹思いだ。

 やや過剰ではあるけれど。



 それにしても可愛い。いつも見ているけど飽きない。

 中学二年生、大人の色香というものが出てきて、子供のときとはまた違った良さが溢れだしてきている。ここに渡さんがいなかったら少し過剰なスキンシップを

「何か変なこと考えているでしょ」

 はい。


 思わず顔を綻ばせてしまったせいで、目ざとく見咎められる。

 それもご褒美です。



「こんな感じ。でも、渡お姉ちゃんの前では少し隠してる」

「これより凄いの!?」

 渡さんはちょっと興奮したように、両手を握りしめながら言った。

「うん。でも、普通の人を連れてきたときを考えると、ずっと隠してない方だよ。だから杏もこんなに安心して話せるのかな」


 基本的に杏は薫が家に連れてきた人とはいつもこんな調子だと思うのだが、やはり人によって反応がわずかに異なる。

 例えば、薫が心を開いていない――即ち、ロリコンやシスコンをさらけ出していない人――に対しては、やや硬い反応を見せる。

 客の応対に忙しくとも伝わってくることだ。



 杏はごくりとお茶代わりの炭酸飲料を嚥下してから、ぼそりと漏らした。

「瑞樹お兄ちゃんと同じくらい、心を開けるかな」

「瑞樹……? クラスの、関谷瑞樹くん?」

「そうだね、アイツにも僕は正体を曝しているね」

「仲がいいの?」

「幼馴染だからね」


 幼稚園からの付き合いなので、もう一二年になる。

 彼もかなりの変人であり、同時に杏とは良い仲である。瑞樹は大層な趣味人で、ゲームにも非常に詳しいのだ。

 都合のつくタイミングを計って同時にプレイすることが多いほど仲がいいため、兄としては妹に同世代ともっと交流を深めてほしいと常々思っているのだが、だからといって二人の心底楽しそうな顔を邪魔することはできないのだ。



 渡さんは首を傾げた。

「えっと、私、よく顔が思い出せないんだけど、どんな人だったかしら?」

 薫は間髪入れずに答える。


「美形」

 それから捕捉するように杏が言う。

「背が高くて、細い人だよ」

 二人の言葉を受けて、渡さんはどうにか瑞樹の顔を思い出せたようだった。

「うん、何となくでてきたわ」

「学校にも一緒に行ってるんだけどな、見たことないってことは渡さんとは時間が合わないのかもね」



「へえ、あなたたちが……うふふ」


 顔を紅潮させて、なんだか変な妄想をしているみたいだ。

 実際にしているのだろうけど。


 生憎彼女が期待しているような展開は、瑞樹との間にはない。

あのヘアサロンの店主とは一度危ないところまで連れ去られかけたことがあるのだけど、それは内緒にしておこう。それはそうと、個人情報漏えいで店主を一回叱っておかないと。


 客に行かんぞ、という文言が一番覿面に効くだろう。

 いや、何だかんだ言って安いし居心地がいいから、行ってしまうのだろうが。



 薫は最後のエビを白米と一緒に、良く噛んでから飲み込んだ。

「あ、母さんに残すの忘れてた」

 気付けば食事は三人でぺろりと平らげてしまっていた。

「まあいいや、あとでコンビニで何か買って来るよ」


「あ、もうこんな時間だ」

 渡さんが言って、時計を見る。

 気付けば、もう十時だった。


「えっ、もうこんな時間? 調子に乗ってゆっくりやりすぎたな。終電は?」

「ちょっと怪しいから、直接自転車で帰るわ」

「自転車で……ええと、四十分くらいか」


 自分より少し遅めのペースで計算を立てる。

 渡さんは頷いた。

「ええ、急ぐと三〇分くらいで着けるかも。雨も降っていないみたいだし」


 急いで薫は用意を始めた。

 すると杏が、とても意外そうな顔をしていたので「どうした?」と手早く皿を拭いて、「御馳走様でした」という手紙を添えながら訊ねる。

「お兄ちゃん、どうしたの? まるで二人、付き合ってるみたい」



 そういえば言っていなかったことを思い出す。

 突然腕が引っ張られ、何だと思うと渡さんが薫の腕に抱き着いていた。控えめな膨らみが薫にぶつかり、柔らかな刺激を与える。

「そうなの。実は、私たち、今日から付き合ってるの」

「ええ、そうなの! 杏知らなかったから……渡お姉ちゃん、失礼があったらごめんね」


 腕が解放される。

 顔が赤くなっていないだろうか。

 流石に妹の前であれは恥ずかしい。

「渡さん、荷物纏めた?」

「もう終わったわ。いつでも出れる」



 薫たちは玄関に出た。

ひとまず先に靴をつっかけ、外に出前の桶を出しておく。

 杏は渡さんの帰り際、頭を下げながら言った。


「ロリコンでシスコンでダメなお兄ちゃんだけど、よろしくお願いするね、渡お姉ちゃん!」

 ……ひどい。


 

 そして、薫は渡さんを送って帰った。

 この日の夜空は、とても美しくて。

 確証はできないけれど。

 きっと一生、忘れることはないだろう。

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