第10話妹を紹介します。
「と、とにかく、早く家に行きましょう」
半ば強引に話題を切り替え、渡さんは薫の手を取ってすたすたと歩き出した。エスコートするはずの側が簡単にとって変わられる。何だか面白おかしかった。
薫の家は、どこにでもあるような一軒家だ。父は早くに亡くなっているため色々苦労してきたが、銀行勤めの母親が東奔西走何のその、とばかりに働きまわっているからかお金には比較的余裕がある。
ちなみに母は薫たちのために頑張っているのもあるだろうが、単に仕事が好きだから、という理由の方が成分的に大きい。
仕事大好き女性なのだ。
理由は、知らない。だけど昔からそうだったと記憶している。
「ちょっと遅かったかな……」
端末を見ると、時刻は八時少し手前くらいだった。
「きっと大丈夫よ。妹さんだって怒ってないわ」
「その言い方だと何だかうちの知らなくていいことも知ってそうで怖いんだけど……」
「知らないはずよ、きっと」
「希望的観測だね。ちなみに望み薄といったところかな」
「ええ、結構いろいろ教えて貰ったもの」
取り敢えず、目線を駆使して溜まった不満を解放してから、薫は玄関の扉を開ける。
掃除は定期的にやっているので、埃が積もっていたり足の踏み場もないほど散らかっていたりといった、人を通すことができないような心配はなかった。
「へえ……。ここが薫くんのおうちなのね……」
あまりにも感慨深げに渡さんがいうので、薫はちょっぴり皮肉を言ってみたくなった。
「あれ、中には入ったことないんだ」
「流石にそれは私もしないわ」
「いま入ったことあるって言ってたら不法侵入で警察に報告しようかと思っていたよ」
「それは残念。生憎私はここに入るのは初めてだし、それにいまは大切なお客様よ。自分で言うのはアレだけど」
「本当だね」
上がり框で靴を脱いだ渡さんに、僕はそっとスリッパを差し出す。
体格が小さいひとが使うことを前提とした上で薫が厳選した、ゴシック調のスリッパだった。黒の下地にひらひらの白いレースが得も言われぬ可愛らしさを放っている。スリッパを履いた姿はとても良く似合っていて、写真に収めたくなった。
「ただいまー」
「お邪魔します……」
リビングに向かって声を出すと、数秒遅れて小さな返答がかえってきた。
「おかえり、にーに……あれ、お客さん?」
そう言って居間と玄関との間に取り付けられた仕切り代わりの暖簾をくぐって、特徴的な柄のヘアピンを頭につけた、黒髪のショートカットの少女が現れた。
季節は暑苦しい夏だというのに、冬に使うような、ゆとりのあるサイズのスウェットを着ている。体は比較的すらりとしている細身で薫とよく似ていた。身長は高くも低くもないくらい。
薫と同じくらいの高さだ。
運動が得意そうな印象と、家になるべく居たいというインドア風の印象が両方同時に取れる、変わった風貌だった。
手には「ドクターペッパー」という炭酸の缶ジュースが握られている。
人によって反応は異なるが、甘美か、あるいは激烈な味のするジュースだ。
少女はそれをぐぴりと一口含むと、渡さんに向かって会釈をする。
「どうも、妹の
淀みのない名乗りに、渡さんもやや困惑していたようだが、やがて本来の調子を取り戻すと、良く透る声で答える。
「お兄さんのクラスメイトの、眞辺渡と申します」
高校生らしい、杏とは年齢差を感じさせる大人びた態度だった。
薫は渡さんを手招きする。
「どうぞ、上がって」
「ありがとう」
礼をしながら渡さんはリビングに入る。
「えっ?」
そして、顔をしかめた。
それはそうだろう。
リビングは、杏の趣味が一目で分かるようになっているのだから。
例えば、端っこ――窓辺にはデスクトップパソコンがある。部品を選んで買ってきて作った自作品である。このために杏はこつこつと費用を貯めに貯め、結果総額数十万円もかかったが、それに見合うだけのハイスペック品だ。
ちなみにモニターだけでも三台あるが、それぞれ違う画面が表示されていた。一つは昔ながらの対戦格闘ゲーム。一つはロードレース。一つはシューティング。
杏は椅子に座ると、三台分のマウスとキーボードを同時に器用に操り始めた。
「妹さん、ゲーム好きなのね」
「ちょっと好きすぎるんだけどね……」
電力消費量さえ考えなければ、良い妹である。
薫もそんな杏のことは嫌いではないし、むしろ大好きだ。愛してる。
「お兄ちゃん、ご飯作って。杏お腹すいた」
「そうだね、渡さんも食べてく?」
我が家の様子に、ポカンと口を開けたままの渡さんだった。
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