第6話ロリコンと腐女子

 翌日。

 薫は呼び出しに応じた。


 部活動が終わった直後なのでまだ息が上がっている。首元にタオルをかけ、運動で出てきた汗を吸い込ませる。


 体育館やグラウンドがある場所から、一般教養棟の大講義室までは非常に距離がある。疲れ切った薫にとってはそれすらも重労働だったが、しかしあれに応じない訳にもいくまい。結果として、ふらふらとよろめきながら足を動かすのだった。



 見慣れた紺のブレザー。

 リボンで留められた長い三つ編み。

 背筋はぴんと伸びていて、壁に寄りかかっている。

 間違いなく、眞辺渡さんで間違いなかった。


 眞辺さんは薫の姿を確認すると姿勢を正す。それから唇を引き結ぶと、上目遣いに薫のことを見てきた。小柄な者同士であるが故に、珍しく薫が、自分の方が高い目線で見えるのだ。

 そのことにちょっとだけ感動して、薫は青息吐息のまま、

「で、要件って何?」

 と訊ねた。


 眞辺さんのくちびるが震えた。

「ねえ、わたしと付き合ってくれない?」

「へ?」


 薫は素っ頓狂な声を上げた。

 彼女の性癖を知ってしまっていたせいだ。

 まさかこういうコトを言って来るとは余計に思いもよらなかった。


 頬がかあっと暑くなってきて、汗で冷えてきた体が再び火照りだした。あたふたと手を動かし、どうにかこの状況を理解しようと生唾を飲み込む。



「付き合う、って、男女交際だよね。あの」

「うん、その通り」

「ちょっと待って、一体全体どうしてそうなるの」

 薫には眞辺さんの真意が分からなかった。

「あら、付き合いたくないの?」

「いやそういうわけじゃないんだ」

「じゃあどういうわけ?」

「どうして、僕なの?」

「…………」



 出来るだけ言葉を選んでから、薫は言った。

が良いんじゃないの?」

 言ってから、しまった、と思った。

 余計に皮肉めいてしまったかもしれない。


 昨日の宣言通りに、眞辺さんが「腐女子」なら。本当に好きなのは薫なんかじゃなくて、もっと違うもののはずだ。個人の好みにわざわざ薫が介入する余地はない。

 つまり、本来ならば告白されるべき立場ではない。

 なのに。


「私は、別に。三次元を捨てているわけじゃないよ」

 そんな気持ちは、分からないでもない。

 どこかしんみりとした雰囲気。

 それが次の一言で、一気にぶち壊された。


「ホモ、好きだから!」


「尚更どうして僕なんだよ!」

「だけど、同時にキミみたいな小っちゃい子も好きなんだよね」

 薫は「失礼な……」と呟いた。

 幼くみられることは良くあることだし、嫌いなことでもある。


「それに、キミもそうなんじゃないの?」

「確かに僕はロリコンだけど……」

「それなら、私じゃダメなの? 結構花江くん好みじゃないの?」

 難しくて痛いところを突いてくる。



 眞辺さんの誕生日は知らないけど、一五歳か、あるいは一六歳であることに間違いはあるまい。年齢としては考えるまでもなくアウトである。この年齢が許容範囲ならば、最早そいつはロリコンではない。

 でも外見は?


 見た目だけの話をするなら、十分に合格だ。

 大人になるにつれて失くしていくはずのものを、未だに持っているようなあどけない表情。一五〇センチにも届かない小柄な体。何より、自分よりも小さいのがたまらない。


 外見に見合った可愛らしい仕草。

 容姿端麗。

 品行方正。

 成績優秀。


 どこをとっても素晴らしい。

 裏を返せば、年齢を見ないならば――完璧なのだ。



 人間はいつまでも幼女であるわけではない。時間を経ることに成長していく。幼稚園児だとしても、十五年も経てば成熟した、立派な大人の体になる。

 ロリコンはいつまでも同じ人を見ることはできないのだ。いつか自分の好みではなくなってしまうから。

 更に、幼女は薫の思いに答えてくれるわけではない。期待に応えてくれるのは妄想の世界だけ。現実だと警察のお世話になるのがオチである。


 でも、今の眞辺さんならどうだろうか。

 薫のことを理解してくれる。思いに応えてくれる。

 長くは持たないだろうが、その姿はまさに理想だ。

 考えをまとめると、あれほど迷っていた答えも、自然と決まっていた。

「……よろしくお願いします!」

「うん、よろしい」


 薫は精一杯の笑顔で、眞辺さんと握手を交わした。

 小さいはずの自分の手よりも更に華奢な手が重なる。ひんやりと冷たかった。

 付き合うことになると途端デオドラントのことが気になってきた。


「ぼ、僕汗臭くない……?」

 一応制汗スプレーは使っているが……。

 服の胸元を引っ張り、匂いを嗅ぎながら訊ねる。

 もし不快だったら凄く嫌だ。

 付き合うのだ。なるべく嫌な思いはさせたくない。



 薫は緊張していた。誰かと交際するのは初めてのことだった。

「大丈夫よ。もし臭かったとしても気にしない」

 眞辺さんはにかっと微笑んだ。

 そして、薫を手招きして校舎の外へと連れ出す。



 外はすっかりと夜気を帯びていて、月明かりが綺麗だった。

 青白い月光が眞辺さんの幼女めいた顔に照り付けて、幻想的な雰囲気を醸成していた。


「じゃあ、上辺だけじゃなくて肝心な話をしようか」

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