6日目:図書館観想(戦闘後/一部改変)

「我らがルークがもうすぐ到着する。チェックされるのは君の方だ」


 言った後で奈由は「あ、もうチェックはしたっけ」と独り言のようにぼそっと漏らした。何のことかと葵が首をひねった、それから僅かに遅れて。


「おいこらそこのお祭りヤローッ!!」


 聞き馴染みのあるハイテンションなハスキーボイスが響き渡った。

 と、同時に。


 街中の公園に、突如として小さな津波が出現した。


「補助装置を使ったとしてもさすがに限度があると思うんだ、俺は」

「すごく同感です」


 奈由は神妙に頷く。

 幸いにして津波は、未だに燻り続けている草のバリケードと壁に向いていたので、彼らがしたたか水を被ることはない。だがさほどその場所と離れているわけではないので、とばっちりで服は相当濡れてしまうだろう。

 一瞬の罪悪感を覚えた後に、葵と奈由はアルドを置いたまま安全な場所まで逃げた。


 二人がある程度の距離を取ったところで、津波が植物を覆う炎を飲み込む。一瞬にして鎮火したそれは水流により崩れ、植物の残骸は水に流された。

 逃げた先でも水のしぶきが僅かに足にかかったが、不快に感じるほどではない。取り残されたアルドはといえば、プールサイドで水遊びをした後のように全身濡れそぼっていた。

 津波が引いたのを見計らい、向こうから威勢よく駆けてくる人影がある。それはアルドの近くまでやってくるとぴたっとそこで立ち止まり、仁王立ちでもって叫んだ。


「貴っ様この潤さんのテリトリーを好き勝手に荒らしまくりやがって、しかもしかもしかもマイスイートラヴァーなっちゃんにぬわぁあぁにしてくれやがっちゃってんだこんちくしょう!!」


 確認せずとも十分すぎるくらい分かりきっていたが、津波が去った後に姿を現したその人物を一応よくよく確認し、やはり葵は脱力した。


「出たよ月谷!」

「うおぉうアオリン、お化けみたいに言うなよ!」


 思わず葵に言い返してから、潤は気を取り直してびしりと長い指をアルドに突きつけた。


「我らがなっちゃんに呼ばれて飛び出て潤さん登場! 覚悟しやがれ!!」


 お祭りヤローとはどういうことだと葵が言及しようとした矢先、すっと奈由が葵の脇を通り過ぎ潤の方へ進み出る。派手に口上を述べた潤の肩をとんとんと奈由は控えめにつついた。


「つっきーつっきー」

「ん、どうしたのなっちゃん大丈夫怪我してない? かわいそうにちっくしょういくらなっちゃんが可愛いからって手ぇだしやがって、でももうこの潤さんが来たからには心配後無用! あんなヤローぎったんぎたんにのめして色々と再起不能になる程度にまで完膚なきまでに」

「私が言ったこと覚えてる?」

「え、そりゃあもちろん、私の可愛いなっちゃんがビーの一味に狙われてピンチとなればたとえ火の中水の中森の中あの子のスカートの中」

「聞け」


 ぴしゃりと言われ潤は黙った。


「私、電話でつっきーに『アルドの術で公園に閉じ込められてるから、それを打破する手段を連れてきて』って言ったよね」

「そうですね!」

「時間がかかりそうだったらつっきーは先に来て公園近くに潜んでて、いざという時には『隠れて』公園の外から攻撃してねって言ったよね」

「……そうですね!」

「もしまだ全然カタがついていなくて、こっちがよほど劣勢だったら、その時は仕方が無いから公園に入って参戦してくださいって言ったよね」

「そうですね☆」

「この状況をみてどう思う?」

「……カタがついてますね!!!」


 爽やかな笑顔で潤は額の汗をぬぐった。


「ドンマイ私!!」

「あなたまで術中に取り込まれてどうするんですか」

「面目ないっす!」


 奈由の視線に射抜かれて潤はぎこちなく目を反らす。


「……だって。ちょっとでも使わないと、さ」


 もごもごと口の中で言い、潤は濁した。

 その後で、気を取り直したように彼女は人差し指を立てる。


「そっ、……そうだそうだ! いっこいい考えがあります奈由さん!」

「なんですか潤さん」


 冷たい声色で切り返されるが、潤は気後れせずにかっと白い歯をみせて笑う。くるりと体の向きを変えると、アルドを覆う茨の幹に右足をのせながら潤はアルドへ提案した。


「どうせカタがついてんならさ。交換条件ってことでいこうや。

 まず私らが公園の境界ギリギリの位置まで行って、そしたら合図するからそっちは公園の閉鎖を解く。んで安全にうちらが外に出られたらそっちを茨から解放するってことでどうよ。なかなか悪くない取引だと思うけど?

 これなら問題ないっしょ、なっちゃん。うちらがこいつを捕まえたところで別に利益はないし、どーせ詳しいことは知らないか吐かないかだろうし、あの鬼畜と違って手荒なことはするつもりねーし、……いや既に手荒ですけどこれは正当防衛ってことで」

「そうだね、私はいいと思うけど」


 奈由はちらっと葵を一瞥する。彼も別にアルドをどうこうする気はなかったので、黙って首を縦に振った。


「……それだと、俺をこの状態のまま放置していく可能性が残る」


 掠れた声で久々にアルドが口を開いた。座っているとはいえ動くことの出来ないこの状態は苦しいに違いない。おまけに潤の津波のおかげで服も酷い有様になっていた。目だけは爛々と光っていたが、その眼差しの奥にもう戦意はみられない。

 なら、と潤は人差し指を立てる。


「じゃあこうしよう。

 位置についた時点で私らはこの外側の茨を解く。そしたら公園を開放しろ。そこから外に出られたことが確認できたら体に巻きついてる茨を解くよ。

 これなら仮に私らが裏切ったとしても、体に絡みついてるやつくらい最悪自分でなんとか出来るだろ?

 どちらにせよ私は京也、あのヴィオこと変態ナルシストに連絡を取ってある。あんたが『闇』なら、あいつの『光』でコレをなんとかできんだろ。遅かれ早かれ公園の閉鎖は解かれるんだ、だったら自分も容易に解放される可能性を使ったほうが利口じゃないですか?」


 少しの間考えて、アルドは不精不精といった風に静かに頷いた。

 奈由は一見無感動にみえる眼差しでアルドを見下ろす。そこに含有された感情が如何なるものなのか、細かい部分まで葵は窺い知ることは出来なかった。

 アルドはその視線を捉え、ほんの少しだけ哀しげに目を細めたように思えた。少なくとも、葵にはそう思えたのだ。



+++++



 アルドに提案したとおりに公園を抜け出て、三人は図書館の方へ戻ってきていた。葵も奈由も荷物を放置したままだったからである。

 素早く荷物を回収すると、三人はすぐに図書館を出た。出来るだけ遠くへ移動してしまうに越したことはない。戦いの直後である、杏季もいないのにすぐさまアルドが追ってくるとは思えなかったが、他のメンバーを招集しないとも限らない。


 約束どおり奈由は円満にアルドを解放した。三人が無事に外に出られたのを確認してからアルドが自由に動けるように体に絡んだ茨の拘束も解いたのだ。ただし向こうからもこちらからも相手の姿がほとんど見えなくなってからなので、肉眼ではっきりとは確認していない。だがおそらく問題は無いだろう。


「あれ。お前、片方しかしてねぇのか」


 歩きながら葵がふと潤の手に目をやり尋ねた。彼女の手には右にだけ補助装置がはめられている。潤は、あー、とはっきりしない声を漏らしてから、ぐっと右の拳を握りしめた。


「これは、あれだ! もう片方がなんか見つかんなかった!!」

「あほですか」


 奈由の呟きに潤はやんわりと苦笑する。戦いから補助装置をつけたままだった三人は、その会話を合図に手からそれを外してしまいこんだ。


「しっかし……すげぇな、お前」


 葵は奈由の方を向き、少々の苦笑いを浮かべる。


「俺は前々からずっと練習をしてたのに、アルド相手に防御もろくに出来なかった。でも草間は補助装置を使ったのは初めてだったってのに、あっという間にアルドを制圧した。……やっぱ、素質があるんだろうな」

「あのねアオリン、それは違うよ」


 即座に葵の言葉を否定して、奈由は真っ直ぐ葵を見つめた。


「私は体力じゃなく頭脳派なの。つっきーを呼び出しつつ、君とアルドの戦いを観察してたからどうすべきか冷静に考えることも出来た。それが出来たのはアオリンが時間をかせいでくれたからだよ。そもそも私がいたんじゃ、アオリンは防御に徹するほか無いでしょ。

 それにアオリンが不利だったのは、なまじ以前仲間だっただけに戦略が向こうにばれてた所為でしょ。私は何を出してくるか未知数で、向こうも少し慎重になった。だからちょっと無理矢理な手段でもさっさとケリをつけようとして、実際それが可能になったんだよ。

 だからこれは、いわばコンビネーションの勝利だね」

「……コンビネーション」


 葵は少し面食らってぼんやりと反芻する。奈由は口角をあげて頷いた。


「そ。どっちか片方がいなかったら多分結果は悪かったよ」

「そうそう、あとはそれから潤さんの活躍!」

「しましたか?」

「なっちゃん酷い!」


 大仰に潤は頭を抱える。事実じゃん、とやはり冷たく奈由があしらい、ひどいー! と潤が泣き言を吐いた。いつもの二人のやり取りを見て、思わず葵もふっと表情を緩める。


「……というか、あおりんってどういうことだよ」

「葵くんだからアオリン、だそうです」


 奈由が潤を指し示す。潤は得意げにピースを葵へ突きつけた。


「あおりん……」


 複雑そうな表情で、しかし諦めたように葵はその単語を吐き出す。おそらく、どう訂正しようとこの二人には定着してしまうのだろう。アオリンが。


「……ていうか、そうだ、そうだよアオリンこと染沢葵クン?」


 思い出したように低い声で呟くと、潤は急に立ち止まり、がしりと葵の両肩を力任せにつかんだ。驚いて葵は目を見開く。

 潤はやや唇を引きつらせた笑顔で、重々しく葵に語りかけた。


「どーしてマイスイートなっちゃんと二人で一緒に仲良くこの辺をぷらぷらしてたのか、お兄さんによーく事細かに説明してみようか葵クン……?」


 葵は、援護を呼ぶ際に奈由の言った意味をようやく理解した。


「あぁ、なるほど。『あの状況』では、味方だけどな」

「ね。でも背に腹は変えられないでしょ」

「そうだな、その判断は正しいな。コレは一応話せば分かってくれるだろうし」

「よく分からないけど潤さんが心行くまで納得するように事情をスミからスミまで説明し尽くしてくれないと貴様の頭から冷水ぶっ掛けた上でぎったんぎたんにのめしちゃうゾッ☆」

「あんたも大概怖ェよ」


 葵はきっとこれから面倒くさくなるだろう応酬にため息をついて。

 しかしどこか楽しそうに、自然と零れてきた笑みをその顔に浮かべた。



+++++



 ぱら、と紙のめくれる音がする。それは目の前の人物が手にした資料をめくったものではなく、机においてある本が風で自然とめくれた音であった。ワイトはそれにつられて開かれた窓の外を何気なく見遣る。

 風が涼しい。

 今は晴れているが、どことなく空模様は怪しかった。夕立が来るのかもしれない。


「――ベリーからの報告もアルドからの報告も共通している。となると残念ながらこれはやはり事実なのでしょう、『グレンは白原杏季側に寝返った』」


 その言葉を聞き、無言でワイトはビーに視線を戻した。チームCの本拠地たるビル、その閲覧室にいたのはビーとワイトの二人だけである。机の上には数三の問題集とルーズリーフとが無造作に広げられていた。


「貴方はグレンと共に向こうへは行かなかったのですか?」


 予想された問いかけに、ワイトは手にしたシャープペンをくるくると弄びながら答える。


「だってあっちに行っても俺には何のメリットもないし」

「メリット、ですか。メリットも何も、あなたはそこまで自分の目的に対し彼ほどの執着はないように思えたのですがね。最初にあなたがここに来たとき、ワイトはグレンがいたからこちらに来た感がありましたけど?」

「俺、白原杏季嫌いだもん」


 ワイトはビーの問いかけに淀みなく答えた。その口調には一片の迷いもない。

 きっぱりとしたワイトの言葉に、ビーはうっすらと微笑を浮かべてみせた。


「分かりやすくていいですね。僕は好きですよ。

 下手な理屈を並べ立てられるより、余程安心できる」


 ビーは資料に刻まれた文字と、手元に広げた手帳の日付をちらと眺め、さして興味なさ気に耳を傾けるワイトへ顔を向ける。


「先日の実験で、白原杏季は確かに僕らの求める人材に適合しうる存在であると確認できました。しかしまだ白原杏季は僕らの求める段階に達していないと思われます。

 だから、僕たちでそれを底上げしてやらなくてはいけない。

 火事場の馬鹿力、という言葉がありますが。一言で言えば狙いはそれです。我々が彼女を攻撃し窮地に追い込むことで、白原杏季の潜在能力を引き出す」

「ふうん」


 回していたシャープペンをぴたりと止め、ワイトは顔を上げた。指を立てる代わりにワイトは手にしたシャープペンを軽く掲げてみせる。


「要するにさ。白原杏季を苛め抜いてくればいいわけだな?」

「物分りがよくて、助かります」


 ビーはいい加減ワイトも使い慣れたであろう補助装置を彼に差し出した。ワイトは空いた方の手でビーからそれを受け取る。片方だけの補助装置を軽く握り締めて、代わりに愛用のシャープペンを机にかたりと置いた。


「それが一番やりやすいのは俺だろうしね」


 手馴れた様子でワイトは補助装置を左手にはめる。

 荷物はそのままに席を立ち、部屋を出ようと扉に手をかけたところでワイトはにわかに立ち止まった。


「あのさ、ビー」

「なんですか」

「徹底的に、やっていいんだよな」

「躊躇する理由が、どこにあります?」

「了解」


 言い残して、ワイトは扉を開け放った。

 夏の夕方、夜気を僅かに孕んだ風が閲覧室に吹き込む。一瞬その風に目を細めてから、ワイトは静かに左手を握り締めて部屋を後にした。

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