5日目:嘘吐姫と左腕(京也宅/一部改変)
夜分に鳴り響いたチャイムの音に、一体誰だろうと京也は訝しんで扉を開いた。ドアを開いてみれば、そこに立っていたのは先ほど皆と帰っていったはずの潤である。
「よう落武者、頼みがある」
「落ちてねぇし武者じゃねぇし人にモノを頼むときの態度じゃねぇなそれは」
京也は呆れと怪訝の入り混じった眼差しで文字通り潤を見下した。しかし彼女はまったく悪びれない様子で、遠慮なく玄関へと足を踏み入れる。
「まぁそう堅いこと言うなよ。ほんのちょっとでいいからさ」
そう言って潤は笑顔のまま自分の左手を京也の前にずいと突き出した。
「治して欲しいんだ」
言われて京也は彼女の腕に視線を落とす。一見は何の変哲もなかったが、よくよく見れば彼女の左腕は、小刻みに震えていた。
「……お前、これ」
「治して、欲しい」
毅然とした口調で、しかしどこか不安げな色を湛えた眼差しで、潤は再び京也に頼んだ。
+++++
「……いつからだ」
部屋の中へ潤を招き入れ、先日と同じように光の理術で左腕を治療しながら京也は尋ねる。胡坐をかいて大人しく手当てを受けながら、潤は何も気にしていないかのような軽い口調でもって答えた。
「気付いたのはついさっきだよ。普通の生活だと平気なんだ」
潤は京也へ先ほどの出来事を掻い摘んで説明した。一通り最後まで顛末を語った後で、潤はようやく腕の件について言及する。
「ベリーの風をどうにかしようと思って、水を呼び出そうとしたんだ。その時だよ、こうなったのは。補助装置で水を呼び出そうとした途端、冷たいもので貫かれたみたいな妙な痛みが腕にはしってさ。そんで痛いと同時に痺れるような感覚がして、上手く腕が動かせなくなった。ちょっとしたら痛みは引いたけど、痺れの方が治んなくて。
幸いあの時はばたばたしてたし、皆には気付かれてないと思うんだけど」
京也は最後の言葉に眉を寄せて顔を上げた。
「言わないつもりなのか?」
「この程度で心配かける必要ないだろ。言っとくけどな、このことを皆にバラしたら承知しねぇぞ」
潤は威勢よく京也を睨みつける。しばらく無表情でもって潤の顔をじっと見つめていたが、腕への術は止めないままでやがて京也は盛大にため息をついた。
「お前、もう補助装置は使うな」
「は? 何でだよ!」
「なんでじゃねぇ、分かってんだろ!」
潤に負けぬ勢いで言ってから、京也は険しい顔つきでまくし立てる。
「多分だがな、タイミングからして十中八九あんたのこれはビーとの戦いの後遺症だろうよ。何にせよ明日朝一で病院に行け。それで普通の病気や怪我じゃないようだったら補助装置はもう使うな。
僕は専門家じゃないから判断は下せないが、もしこの原因がビーにやられた所為で、かつ補助装置を使おうとしたことがきっかけでそれが発症したんだったらだ。その状態で補助装置を使うのが無謀で馬鹿のやる事だってことぐらいは分かる。
琴美ちゃんに言って専門の奴を紹介してもらえ。そして戦いには関知すんな。誰もあんたを責める奴なんかいないだろ。僕の術で和らげたって、あくまで僕のは応急措置だ。その場しのぎは出来ても今後酷使すればどうなるか分かったもんじゃない」
「わーってるよ。そのぐらい私にだって分かってる。けど、その程度で躊躇してたらいつまで経ってもビーに勝てないだろ」
「……あんた、まさか鍵を外すつもりなのか」
「おっと」
潤は慌てて自分で自分の口を塞ぐ。しかし相手にそれを完全に悟られている現在、その行為は意味を成さないどころかむしろ逆効果だった。
ひくりと唇を引きつらせ、京也は力任せに潤の頬を思いっきり引き伸ばす。
「てんめぇ一体どんだけ危険な綱渡りをすりゃあ気が済むんだそのたんびに周りに心配かけてんのをいい加減自覚しろよこの天然トラブルメーカーが!!」
「いひゃひゃひゃいひゃいいひゃい患者は優しく扱えって習わんかったのか!」
「生憎と僕は医者じゃないからな、ってかあんたといると悪い言葉遣いが移る、ああおぞましい」
ぱっと手を離し、渋面のまま京也は言い聞かせるような口調で告げた。
「僕が言える立場じゃないけどな。琴美ちゃんも言ってただろ、一般人たるみんなに鍵を外して欲しくはない。僕だって外すつもりなんかなかったんだ。
一度外したらもう引き返せない。お前はどうしてそこまでビーを倒すことにこだわるんだ」
右手で頬をさすりつつ、京也の言った事にはあえて触れないで潤は呟く。
「とりあえず病院には行く。んでこれが普通の怪我かなんかなら問題ないわけだろ」
「なんともないと言われたら? 理術の後遺症だったらどうする」
「…………」
「それでも使うつもりなんだろうなお前は」
非難の色を交えて京也は軽く潤を睨むが、当の彼女は視線を反らすばかりである。やがて京也は諦めたように天井を仰いだ。しばらく二人の間に沈黙が降りる。
「私は、鍵を外すよ」
長い沈黙の後に潤は宣言した。
「そんでもってビーの野郎をぶちのめす。……もしこの怪我のことを皆に言ったら、一応重々名目上仲間として認めているお前だって容赦しない」
手前勝手な主張をする潤を、複雑な面持ちで京也はじっと眺めた。容赦しないと言ったところで、既に鍵を外している京也と潤との実力の差は歴然である。その気になれば京也は潤の言うことを無視して強行することはいくらでも可能だった。
しかし彼は根負けしたように肩をすくめてみせる。
「……分かったよ」
諦めたような口ぶりで言って京也は小さく息を吐き出した。
「僕はこのことを皆に言わない。けど、一応重々名目上仲間として認めてもらっている僕の身から多少のアドバイスは言わせてくれ。
だったらせめて、左手には補助装置をつけるな。
もしこれが補助装置に影響されて痛みと麻痺を発症するってんなら、左腕に補助装置をはめなけりゃいい話だ。多分だけどな」
きょとんとして潤は首を傾げた。
「片手でも外せるのか?」
「葵も今は片手しかしてないはずだよ。最初は両手にするけど、ある程度慣れてきた後は片方に減らす。ずっと両腕にしてるよりは途中から片手にしたほうが、最終的に鍵を外すまでの時間が短縮できるらしい。ただし最初から片手だと時間はかかるし、他のメンバーよりは遠回りになるけどな。
それでも左手に補助装置を付けて強行するより効率はいいはずだ。補助装置を使うたびに痛みと麻痺に苛まれてたんじゃ、それだけでまともな訓練にならないだろ。だったら左なしで頑張った方が、腕のことを考えても鍵のことを考えてもよっぽど利口だ」
「そうだな、……そうだよな。確かにお前の言うとおりだ。若干腹立つけど頭いいなお前。うん、左には補助装置をするのは止めとく」
納得したように潤は頷く。それを見てようやく京也は安心したように表情を緩めた。その後でふと京也は思い出したように首を傾げる。
「……あれ、つーか葵はなんでベリ子と戦った時に補助装置を持ってたんだ」
チームCの面々であっても補助装置は勝手に持ち出し出来ないようになっており、普段彼らが持ち歩いていることはない。そして潤が持ってきた補助装置は四組なので、葵の分の補助装置はないはずだった。
「あぁ。こーちゃんがあっきーから没収した分のが回されたんじゃないのかな、いつの間にだか知らないけど渡してたんだろ」
「……なるほどね」
呟いて、京也は両手を挙げた。潤の腕へ放出されていた光は収束し、すっと手の平の中に消えていく。それを見届けて京也は満足気に微笑んだ。
「はい、治療終了、と」
「おう、サンキュ」
至極嬉しそうに潤は左手を上げる。もう震えは止まっていた。
(中略)
「月谷、一つだけ約束しろ」
颯爽と潤が去ろうとした帰り際、玄関先で京也は腕組みして言った。
「次にこういうことがあったら、隠さず即座に絶対僕へみせろ。応急処置でも何もしないよか遥かにマシだ。
月谷の条件を僕は守る。だからその代わりお前もこの程度の約束は守れ」
少し苦い表情で、しかしきちんと頷くと、潤は了承した、と言わんばかりにひらひらと両手を振った。
「わーったよ、約束する。でもまぁ大丈夫だ、きっともうこんなことはない!」
疑いの眼差しで潤を見遣り、京也は肩をすくめる。
「どうだかな。何にせよそれは守れよ。それともう一つ」
「一つだけじゃねーのかよ」
「うるさい黙って聞け、これは単なる忠告だ。
……やんごとなき理由があろうとも、だ。
一人暮らしの男の家に、夜に単身乗り込むってのはいくらお前でもどうかと思うぞ」
潤は一瞬虚をつかれた様に目を見開いた後で、快活ににかっと笑い、京也へびっと人差し指を突きつけてみせた。
「安心しろよ、不意打ちや闇討ちは潤さんの性じゃない。てめーを倒すときは正々堂々と正面から勝負を挑むから、こういう際には警戒態勢を緩めてくれて構わないぞ長髪ナルシスト」
勢いよく言い放ち、それじゃあ、と彼女はひらりと身を翻し夜の闇に消えていった。
「そーじゃねーだろうよバカが」
どこか釈然としない面持ちでぼやき、京也はやれやれと部屋の奥へ戻っていった。
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