4日目:虚偽の海に沈む佳日(戦闘後/ボツ場面&一部改変)

「ねぇ、月谷潤さん」


 月谷潤は答えない。

 ビーは床に座り込み、天井を見上げながら言った。


「僕は、貴女を氷の中に閉じ込めてしまう事も可能なんですよ」


 氷の中に閉じ込めてしまえばそれは解けない限りずっと永遠に姿を保つことができる。

 素晴らしいと思いませんか?

 だから僕はわざわざ『氷』になったんです。

 だってそうでしょう、水は流れるじゃないですか。

 とめどなく居場所を変えて流れ続ける。循環する。巡り続ける。

 それはそれで美しいと人は言いますが、

 でも僕はあまり好きじゃないんです。

 僕は、確固としたものが欲しかったんです。

 そして今も。

 変わらない平穏な世界が僕は欲しいんです。


 しかし。

 まさか、あの厚さの氷を破られるとは思っていませんでした。

 だってそうでしょう。普通に考えたら破れるはずがない。

 全く、予想外だ。

 貴女は、予想外過ぎる。



「ねぇ、月谷潤さん」


 月谷潤は、答えない。


「僕に楯突いた代償は、大きいですよ」


 ああでも十分それは、分かってもらえたでしょうか。

 分かってもらえなかったとしたら、僕はもっと動かないといけない。

 けれど流石に人道的にどうかと思うのでこれ以上僕はもう何もしません。

 ……散々叩きのめしておいて、既に非人道的だって?

 食って掛かってきたのは貴女でしょう。

 それに僕は、もっとずっと前に、手を引くつもりだったのに。



「ねぇ、月谷潤さん。なんで、諦めなかったんですか」


 潤は答えない。

 貴女が悪いんですよ、とビーは諦めたようにため息をついた。


 貴女は本当に馬鹿ですね。

 貴女は僕に馬鹿といいましたが、それは大きな間違いです。

 僕が馬鹿なら、貴女は救いようのない大馬鹿者だ。


 正直なところ、僕は貴女の事をさして重要だと考えていませんでした。

 言ってしまえば、貴女達の中で一番、大したことのない人物と見做していました。


 白原杏季が重要なのは言うまでもなく、その護衛者さんもまた言わずもがな。

 草間奈由は、別の観点から非常に興味深い部分があった。

 畠中春には、聖精晶石がある。飲み込んではいますが、それが本当なら、……本当は由々しき事態だ。

 しかし貴女には、これといって惹かれる部分がなかった。

 威勢のいい白原杏季の友人、この程度の認識だったのですよ。


 でも。

 それを、貴女は覆した。

 正直。

 本気で、立ち向かうことになるとは、思いませんでした。

 勝負としては貴女の負けですが。

 結果としては、僕の負けです。



「ねぇ、月谷潤さん」


 月谷は。

 潤は、答えない。



「どうして……そんなに、似ているんですか」



 彼は、僅かに苦悶の表情を浮かべて顔を手で覆った。


 有用な人材だとか、適合する人材だとか、実力差だとか相性差だとか、理屈とか建前とか目的とか筋書とか。

 そういった御託では語れないんです。

 不思議なんです。

 不可思議なんです。

 何が貴女を動かすのか。

 何が、僕と違うのか。

 僕は意味が分からない。 

 理解することが出来ない。


 僕は貴女を理解すれば、少しは分かるのでしょうか。

 不条理なこの世界も。

 それに甘んじている人々も。

 その裏側にいる奴らも。

 あいつが、頑なに首を振らなかった理由も。


 けれど貴女は貴女だから、きっと歩み寄ることなど、理解することなどできない。


 だから、僕に貴女は分からないままです。

 だから、僕は何にも分からないままです。

 それでいいんですよ。迷いはいらない。

 僕は僕が思っている方法で、全てを変えてみせます。

 その後なら、貴女を理解することが出来るでしょうか。


 心底、僕は貴女が分からない。

 けれど僕は貴女のような人間がどんなことに傷つくのか知っています。

 貴女と似た様な、……そういう人間を知っていますから。

 ですからそれはなんとなく分かるんです。

 一つは、自分以外の大切なものが傷つけられること。

 もう一つは、自分が弱っているところを不用意に見せてしまうこと。

 そして、もう一つは。

 ……だから僕がしたことは、きっと、貴女を傷つけたことになるのでしょうね。

 心外、ですけれど。

 でももう所詮、終わったことは、詮無いこと、ですね。

 覆水は盆に還らないのですから。

 ですが、僕は。


「……いずれ、還してみせます」


 力ない声で、彼は呟く。


「貴女は、……誰なんですか」


 ビーのその問いに。

 答えは、無い。



+++++



 がちゃん、と勢いのいい音がして、地下室の扉が開く。息を切らして立っていたのは、先ほど戻ったばかりの京也だった。


「何、してんだよ。……あんた」

「あぁ、ようやくの到着ですか。お帰りなさい、ヴィオ」

「何やってんだよ、お前!」


 再度、京也はビーへ問いかける。無意識のうちに彼は件の刀を呼び出していた。左手にその鞘の硬さを感じ、力任せに握り締める。

 がらんとした地下室の練習場。その中心には、物憂げな表情で座り込んでいるビー、そして傍らに力尽きた様子で倒れ込んでいる潤がいた。

 京也の方へゆるゆると視線を向け、何を分かり切ったことを、とでもいうような素振りでビーは気だるげに答える。


「何って……、御覧の通り、侵入者に制裁を加えていただけですが」

「そうじゃない、あんたはさっきなんて言った? 僕が白原杏季を連れて来さえすれば、月谷は無事に帰すって約束だっただろうが!」

「一片たりとも傷つけず、などとは僕は言っていませんよ。ただ『無事に解放する』と言ったまでのこと。まぁ、無事という定義の差異により見解の違いはあるかもしれませんが。彼女はちゃんと、『無事に生きて』います。

 それに大体、僕がいい加減攻撃を止めようとしたのにそれでも食いかかってきたのは彼女の方です。僕だってこんなに力を浪費するつもりはなかった」


 緩慢な仕草でビーは立ち上がった。膝を押さえて中腰の姿勢で、隣に倒れている潤をじっと見下ろす。その後でまたゆっくりと背筋を伸ばしてから、ビーはいつも以上に事務的で平坦な口調でもって告げた。


「ベリーから聞いているかと思いますが、今日の夕方には白原杏季を解放します。その時になったら連絡致しますので、彼女を連れ帰ってください。別にその際にこちらの方で攻撃は仕掛けませんからご安心を。ヴィオが僕らと関ることになるのはそれで最後ですね。

 あなたを失うことになってしまったのは非常に残念です。僕らにとって非常に有用な人材でした。ですがこうなってしまった以上、仕方ありませんね」


 京也の横をすり抜け、ビーは出口へ歩いていく。京也はビーに斬りかかりたい衝動に駆られたが、感情の高ぶりを抑え込み刀を持つ手に意識を集中させて必死に耐えた。もしここで自分が何かすれば、それこそ潤と杏季がどうなるか分かったものではない。具現化した刀は彼の心情を理解したかのようにかちゃりと静かな音を立てた。


「彼女のことをお願いしますね。寝て起きればいつものように威勢の良い彼女に戻ると思いますから。もっとも、起きるまでに多少の時間はかかるかもしれませんが」

「ビー」


 立ち去ろうとするビーを呼び止め、険しい表情のまま京也は問いかけた。


「お前は、こんなことまでして一体何がしたいんだ。月谷や杏季ちゃんを、無関係の奴らを巻き込んで傷つけてまで、お前の願いは叶えたいものなのか」

「……無関係、ね」


 ビーは振り向き、疲れ切ったその表情を取り繕おうともせずに諦めたような口調で告げる。


「貴方には分からないでしょう。僕に貴方達の事が理解できないのと同じように、貴方に僕が理解できるとは思わない。理解してもらおうとも思わない。元々人と人とは相容れぬ生き物です」


 一瞬の間をおいて、ビーはぽつりと付け加えた。


「ただ、一つだけ。世間一般の目線からして、僕の感覚が少しばかり歪んでいるということ位は承知しているつもりです。……これで、満足ですか?」

「自覚しているなら、何故それを改めない」

「それこそ愚問ですよ、ヴィオ。

 そう思っているなら、僕がこういった行動をとっているはずがないじゃありませんか。僕は僕の思うがままにやります。誰かから指図を受けるつもりはないし改めるつもりもない、そもそも根底からして僕が歪んだ原因は」


 そこまで言って不意に黙り込むと、ビーは再びヴィオに背を向けた。


「……彼女のこと、よろしくお願いします」


 独り言のように呟いて、ビーはそのまま部屋を後にする。

 地下室には京也と眠っている潤だけが残された。

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