3日目:仇の性質の概算(話し合い/ボツ場面)

 その後、談話室ではしばらくの間、実に不毛な論争が繰り広げられていた。


「君達の意向はよく分かった。それに関してはもう僕から何も言わない。覚悟の上だというのも分かったし、確かに君達にはあいつらに対抗するのに十分な理由もある。しかし、だ」


 言葉を切り、京也はかっと目を見開いた。


「だからってあんたを組織に連れて行かなきゃならん理由にはならないんだよこの乾燥ワカメが!」

「あーあーあー、もー煩いなぁ頭が固いんだよ頭が」


 めんどくさい、とでも言うように潤は右手の小指で耳を塞ぐ。その動作に苛ついて京也は「僕の頭が固いんじゃなくてあんたの頭が柔らかすぎるんだろうがよ乾燥ワカメ脳内までふやけてんのかいくらなんでも無茶苦茶だろう!」と叫んだが、やはり潤の耳に念仏だった。

 傍らのソファーには力尽きた春がぐったりとしている。既に春は潤との言い争いに競り負けた後であった。京也の気力もまた、そろそろ限界に達しようとしている。


「いいか長髪ナルシスト。心してよぉく聞け」


 潤は人差し指を立てて神妙な面持ちで言う。


「あいつらは私たちに手を出した。だから私はあいつらに報復したい。そしてまず戦うには敵を知ることが必要だ。だから敵の本拠地に探りに行く。

 この論理に一体何の破綻があるっていうんですか完璧じゃないですか潤さんすってきー!」

「はっはっはその単純思考が実に羨ましいお前実は人間じゃなくて人に変身したワカメか何かだろうきっとそうに違いない」

「そこはせめて動物を持ってこようよワカメじゃなくてさぁ!!」


 口を尖らせて潤はぶつぶつ文句を言っていたが、いちいちそれに対抗している気力もない京也である。彼は最後の望みを掛けて奈由と杏季の方に目を向ける。


「お二人もなんとか言ってやってください……」


 しかし京也の期待も空しく、奈由はただ無造作に首を横に振っただけだった。絶望の色を見せた京也に、奈由は淡々と告げる。


「正直言うと止めたいよ。でも、それで止まってくれる月谷潤だったら、とうの昔に駄目出しをしてる」

「……そうだね、一応やってはみたもののこのタラシは止まってくれそうにありませんね」


 背もたれに寄りかかりながら春も諦めた口調で天井を仰いだ。杏季は相変わらず無言だが、同調した様子で肯首している。


「一度決めたらノンストップの暴走列車が潤さんですからな!!」


 潤は胸を張るが、奈由は口元で笑ってため息を漏らした。


「それは、果たして良いのか悪いのか」

「良し悪し、だね」


 後ろで杏季がぼそりと呟き頷く。

 とうとう観念して京也は自分もソファーに座り込んだ。この三人がお手上げなのだ。新参の自分に止められるはずもない。

 京也は半ば破れかぶれになって潤へ尋ねた。


「えーっと、それで組織に入る理由はどうするつもりなんですか潤兄さんよ……」


 一応入るにはそれなりの理由がないと怪しまれるぞ、と付け加えて彼は二杯目の麦茶を飲んだ。随分前におかわりを注いでもらったのだが、潤とやんややんやと言い争っていたので些かぬるくなってしまっている。


「『月谷弟』が姉に喧嘩を売りたいからって理由でいいと思うよ」


 横から奈由が口を出した。やや遠慮がちな様子で京也は声を潜める。


「そんなに仲が悪いのかい? 月谷の兄弟って」

「仲が険悪って訳じゃないけど、冗談半分の喧嘩で家を半壊するやつらだよ、月谷兄弟は」


 しれっと言う奈由に潤が抗議の声を挙げた。


「ひ、ひどいなぁなっちゃんその言いようは!」

「私達が遊びに行った時に喧嘩になって暴れた挙句、私の持参したチョコを粉々にした恨みはあと十年は忘れない」

「すみませんでした!!!」


 結構前の出来事のはずなのだが、奈由の目はつい最近起こった出来事であるかのように吊り上っていた。食べ物の恨みは、特に奈由とチョコレート絡みのものは、心底恐ろしい。


 話を聞きながら春はぼんやりとソファーにもたれかかっていたが、廊下から聞こえた足音に顔を上げた。自分の部屋に一旦戻っていた琴美が帰ってきたのだ。

 談話室の扉が開き琴美が入ってくると、喜び勇んで潤は彼女の前に進み出る。琴美の手には目的の物が握られていた。


「これが抑制具『ジュール』。本来であれば理術性疾患の発症を抑えるものですが、応用して潤さんを男の姿のまま留めておく事が可能です」


 潤の目の前に琴美がそれを掲げる。一見するとただのビーズのブレスレットにしか見えない。デザインはごくシンプルで、赤を中心としたビーズが二重に連なり、アンティークゴールドの留め具が付いていた。赤とはいっても落ち着いた色なので、男女問わずに誰がしていても違和感はなさそうである。


「見た限りではただのブレスレットにしか見えないと思いますが、効果は保証つきなので安心してください」


 そう言って琴美は潤に、保証書と共に抑制具ジュールを手渡した。


「保証書まであるのかよ!」

「一応、医療機器ですから」


 琴美から受け取り、潤はしげしげとそれを眺めた。潤の好きな色は青だったので、内心「出来れば赤よりは青の方がいいなぁ」などと思っていたのだが、こんな時に贅沢も言っていられない。潤の好みは琴美も承知しているはずなので、その色のものしか持っていなかったのだろう。いくら琴美といえど、使うかも分からないのに複数のものを持っているとは考えにくかった。琴美は別に理術性疾患ではないのだ。

 しかし、見れば見るほどそれはただの装飾品にしか見えない。きっと何も言わずに渡されたとしたら、効果には気付かないままだろう。


「だからこそ、奴らにも気付かれませんよ。もしジュールが何たるかの知識を持つ人間が向こうにいたとしても、これがそうだとは思わないでしょう。普通はもっとそれらしい、いかにも医療機器っていうデザインをしていますから。これは特注品なんです」


 潤の思惑を琴美が読み取ったかのように言う。特注品、というフレーズにはもはや誰も言及しない。聞かずともその答えは分かっていた。聞いたとて返ってくる返答は同じだろう。


 つまり、琴美が護衛者だから。


「そんで、これをどうやって使うの?」

「簡単ですよ。要するにこれは内外の影響に関わらず姿を『そのまま』にしておくものなんです。潤さんが理術性疾患を発症して男の姿になったときにそれを付ければ、外さない限りはずっと男の姿のままでいられます。

 ただし男の姿になり続けているということは、普段の使用用途と違って普通の状態に戻すのを抑制している、つまり体に負担を掛けて無理をさせている状態です。長時間の使用は控えてください。長くても二十四時間以上は出来れば装着しないでくださいね」

「オッケーだって、そんなに一日中いるわけじゃないしさ。そこはノープロブレムっ!」


 気楽に請け負うと、潤は早速、とばかりに手を掲げた。琴美はすかさず離れて部屋の奥に退散する。代わりに興味深々な奈由と杏季が立ち上がって潤の周りに集まる。


「いいのかい、春ちゃん」


 潤の側に行こうとソファーを立ち上がった春に、頬杖を付いた京也が話しかけた。彼の言わんとすることを察した春は、苦笑いを浮かべながら答える。


「多分、仮定の話だけどね。

 結構長い付き合いだから分かるんだけどさ。もし月谷に都合よく双子の弟がいなかったり、こーちゃんがこれを持っていなくて変装する手段が何もなかったとしても、強制的に月谷はあいつらのところに乗り込んでいたと思うんだ。私らが言うのを振り切って、君の後を尾行してでもね。

 だから、擬態できる分だけマシと思うことにする」


 それだけ言うと、春もまた三人に加わりいつものような馬鹿騒ぎを始めた。



「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


 四人が盛り上がっている隙に、琴美が京也の側に寄ってきた。潤たちに気をとられていた京也は驚いて振り向く。


「組織に誰か理術性疾患の人間はいますか。知っている限りで構わないのですが」


 少し考えてから、京也は控えめに答えた。


「誰も疾患のことは喋ろうとしないから正確なことは言えないかな。憶測だけど、多分、数人はいるんじゃないかと思うよ」

「そうですか。では、組織の活動で理術性疾患が発動するような場面に出くわすことはありますか」

「ほとんど皆無、だといっていいと思う。あいつらといえど理術を使う機会があるのは外で活動する時ぐらいだし、その時だって逆流は滅多に起こらない。

 もし何らかのきっかけでジュールが壊れたとしても、当分のところ月谷は僕と組んで行動することになると思うから、気付かれる可能性も低いとは思う」


 二番目の質問は淀みなく返答する。京也の言葉を聞くと、琴美は少しほっとしたように表情を緩めた。


「そうですか。ならばいいんです。

 いえね。ジュールは付けている本人は勿論、場合によっては周りにいる人間にも効いてしまうことがあるのですよ。聖精晶石と同様に。

 もし他に理術性疾患の人間がいた場合、何故逆流が起こったのに発症しないのかと訝しがられてしまう可能性があると思ったからです」

「なるほど、そりゃあいい」


 京也の返答に琴美が首を傾げた。京也はちらりと四人組のほうを見やってから、やや抑えた声色でぽつりと告げる。


「言いそびれたけどね。……少なくとも一人、組織の人間に理術性疾患の持ち主はいるよ。それが僕なんだけどね」


 意外そうな面持ちで琴美は京也を仰ぎ見て、一人彼女は納得した。

 人々は普段あまり理術を使わない。なので理術性疾患を発症する事も少なければ、同時に発症者でない者が疾患の発症を目撃することも少なかった。

 潤は理術をよく使うし、比較的過敏に反応してしまうため発症することも多い。なのでこの場のメンバーは潤の疾患に慣れているが、世間一般の目は決してそうではない。


 多くの人間は初めて理術性疾患の発症を目撃したとき、非常に驚きをみせる。そして時には、嫌悪の感情含め、奇異の目を向けられることもままあった。

 潤は疾患について学校でも隠してはいないし、いたって堂々と振舞っているが、理術性疾患そのものは差別の対象となることも少なくないのだ。


 彼女の疾患発症を目撃した際に京也は例にもれず動揺していた。しかし京也のそれは、理術性疾患を目の当たりにした事ではなく、患者が自らわざわざ人前で疾患を引き起こした、という事への動揺だったのである。彼からしてみれば、平然と人に明かしてしまう潤の行動にこそ驚いたのだろう。

 京也は目線を潤へ向け、抑えた声色のまま続けた。


「さっき琴美ちゃんが部屋に戻っていた時に、僕は月谷へ『組織に入るもっともらしい理由を考えろ』と言ったんだけどね、僕が組織にもぐりこんだのはそれが建前さ。

 『理術性疾患の原因を突き止め、出来ることなら疾患を治したい』。

 そして僕がこの理由ですんなり入れたって事は、他にも同じ目的を持っている人間がいる可能性が高い。そもそも理術について関心を持つなんて、それによって被害を被っている人間だと考えたほうが自然だろうしな。純粋に知的好奇心やら学問的側面から理術の研究をしたいなら、非合法な手段なんて使わないで、然るべき大学にいって公認されている研究所にでも行けばいいんだ」


「その通りですね。……理術によって受ける不利益、それは理術性疾患である可能性が極めて高い。普通の人ならば」


 そこまで言って琴美は考え込んだ。黙り込んだ琴美の隣で、小さく京也は息を吐き出す。その目はやはり潤に向けられたままであった。

 やがて琴美は無言のまま顔をあげると、不意に呟いた。


「私の事を薄情だとお思いですか?」


 一瞬何のことか分かりかねて、その後で理解した京也は困ったように頬をかいた。


「そこまでは思ってないけど、ね」


 琴美が言っているのは、わざわざ危険を冒そうとしている潤の後押しをする真似をした、その事についてだ。琴美がジュールのことを言い出さなければ、彼女はもしかしたら組織への潜入を諦めていたかもしれないのだ。

 内心を曖昧にぼかしながら、京也は慎重に言う。


「何故、そうするのかが分からない。あいつを組織に行かせたところで手に入る情報なんかたかが知れてる。月谷がちょっと首を突っ込んだくらいで手に入る情報なら僕が既に持ってるんだ。メリットよりデメリットの方がよっぽども大きい。

 僕の勝手な思い込みかもしれないけど、琴美ちゃんは決してそういう無駄なことに時間を割きたがるタイプには見えないから」


 琴美は微笑んで、「素敵な評価を頂けているようで幸いです」と手を組み合わせてから、その手を離し指を立てつつ説明した。


「そうですね。潤さんが組織に潜入するのを支援するのには三つ理由があります。

 まず一つには、春さんと同じです。ここで止めてもきっとあの人は行きます。ならば万全とは言えないまでも、極力安全な手段を講じておきたい。自分がその方法を知っているなら手助けしない手はないでしょう。

 もう一つは、客観的なデータではなく、彼女らの視点から見た主観的な情報を知りたいからです」

「主観的?」


 頷いて、琴美は四人のほうを眺めた。


「潤さんにとって、そして彼女たちにとってはそれが重要なんですよ。

 知りたいのは無機質なデータじゃない。組織の人間の人柄とか、何故そんな事をするのかとか、生身の感触が知りたい。……それに尽きると思います。

 報復だの仕返しだの散々な言いようですが、心の奥底では、『きっとあいつらも何か深いやむをえない理由があってやってるに違いない』と思っているに違いないんです。

 本当にあそこには私たちの『敵』しかいないのか、それとも完全に『敵』というわけではないのか。それを見定めるために潤さんは組織と接触したがっている。

 そしてもし誰かを敵でないとみなしたならば、彼女はきっと敵対行動は止めてこちらに引き込もうとするでしょう。あなたみたいにね」


 自分の事を言われ、京也は言葉に詰まる。彼女らとは会ったばかりであるが、琴美の言うことには不思議と納得ができる。

 琴美の憶測に止まらず、きっとそれは事実だと思えた。なにせ、現に自分が紛れもない証人となっているのである。ついさっき危害を加えようとした張本人であるにもかかわらず、京也は彼女らに受け入れられているのだ。


(それでも)


 口には出さず、京也は眼差しだけ僅かに険しくする。


(ビーだけは、……無理だろうな)


 何かを思い返し、京也は悟られぬ程度に唇を噛み締めた。

 京也の様子を知ってか知らずか、琴美はそのまま続ける。


「そして三つ目はですね」


 三本目の指を立て、琴美は薄く微笑んだ。


「私はさっき杏季さんの意向に従うといいましたが、仮に杏季さんの意向に従わなかった場合……私の感情は限りなく潤さんに近いんです」


 回りくどい言い方に京也はふと違和感を覚える。琴美は笑みを浮かべたまま、立てた指を戻して拳を握った。


「杏季さんに手を出したあいつらに報復したいのは、私も同じなんですよ。立場上それは決して許されませんが、護衛者でなければ私自らが組織へ殴りこみたいくらいなんです。

 彼女らと違い、実を言うと私は杏季さんに手を出した人間は容赦なく問答無用で叩きのめしたいんですよ。海より深く山より高いやんごとなき事情があろうと、理由はともかく杏季さんに手を出した事実は事実なのですから。……貴方も含めてね。

 だからこそ私は、潤さんの意見に賛同したいんです」


 隣で何もいえないでいる京也に、琴美は彼を安心させるかのようににっこりと微笑んでみせた。


「安心してください。個人的な感情はともかく、杏季さんが認めた以上、私は貴方に危害を加えませんから」


 しかし、それはどうにも逆効果だったようである。京也の背筋には冷たい汗が流れた。

 本能的に京也は、決して琴美には歯向かってはいけないと悟った。これは別に鋼と霊とで相性が悪いから、という理由に止まらない。


 仮に相性が逆で、京也の方が琴美の優位に立てたとしても、二度と彼は琴美に立ち向かいたくはないと思った。彼女と対峙するのが敵としてではなく味方としてであって心底よかったと感じ、京也はそっと唾を飲み込む。


「ところで、もしよければ貴方にもジュールを差し上げましょうか? 決して安くはないので、私たち全員にお茶でも奢ってくれるなら考えても構わないですよ。手持ちがないので数日後にはなりますが」


 まだ戦慄は収まらないままだったが、京也はこっそり拳を握り、肌に痛いほど爪を食い込ませ無理矢理気を取り直した。平然とした素振りを心がけながら京也は笑って答える。


「遠慮しておくよ。自然系統と違って人為系統の僕は逆流現象も起こりにくい、そこまで困ってはいないからね」


 そうですか、と少しばかり残念そうに琴美は頷く。その後で一瞬潤の方へ視線を向けてから、琴美は品定めするような眼差しで京也を覗き込んだ。


「貴方はいいのですか? 疾患を治す、その目的を放棄して私たちに組してしまって」

「そんなことどうだっていいさ」


 京也はさらりと言う。


「元々、そういうものだって思って生きてきたんだ。疾患があっても普通に過ごしていれば何の問題もない。今更治ったところでラッキーと思いこそすれ、血眼で治そうとまでは思わないさ。まして誰かに迷惑をかけてまで、理屈っぽく言うなら誰かの不利益の上に成り立っているなら尚更ね」


 整然と答えた彼の解答に満足した様子で琴美は「なるほどね」と微笑んだ。


「失礼な事を申し上げますが。私はたった今、貴方の事をぼちぼちながらに信頼しましたよ、雨森京也さん」


 まだ自分は試されていたのか、と再度狼狽してから、京也は「それはよかった」と力なく微笑む。一対一で琴美に向かっているのは非常に恐ろしい。

 しかし今となっては、仮に渋々だとしても琴美に認めてもらえたわけであり、それは幸いと言えるのであろう。逆に考えれば、不用意に寮を訪れたあの時はなんて恐ろしい事をしていたのだろうかと寒気が走る。


「というわけで今から貴方は私の中で味方カテゴリに認定されました。安心してくださいね」

「味方、光栄で涙が出るよ。

 ……一体、今まではどこのカテゴリだったんだい」


 恐る恐る京也が尋ねると、


「そうですね。強いて言うならば」


 やや考え込んで、数秒の間をおいてから彼女は答えた。


「杏季さんを傷つけた当初は『抹殺対象』、寮に来てからは『有象無象』、味方となる申し出をしてからは『捨て駒』、でしょうか」

「……なるほど、ね」


 相当恐ろしいカテゴリの遍歴があった事を知った今、琴美から味方宣言してもらえたとはいえ、手放しに安心することは出来ない京也だった。

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