2.見ず知らずの邂逅

3日目:雪の助長(冒頭/ボツ場面)

「カチカチだ」


 今までのビーとの会話とはひどくギャップのある間の抜けた台詞を聞いて、グレンは一気に力が抜けた。


「お前な……」


 自分の前髪をつまんでじっと観察しているワイトに向かって、グレンはため息混じりに呟く。ワイトは口を尖らせて言い返した。


「なんだよ。アオは寒くないっていうのかよ、あんな目に遭って。そりゃ、そもそも集中砲火浴びたのは俺だし、お前は髪が短いからまだいいけど、俺みたいに髪が長めだと大変なんだぞ」

「ここじゃコード-ネーム……まあ、いいか」


 盛大に息を吐き出しながら、グレンはワイトの座る石段の隣に腰掛ける。グレンとワイトとは二人でビーのところに行ったのだが、ワイトは早々に部屋から逃げ出し、外でグレンを待っていたのだ。

 建物の外だと日陰とはいえやはり暑い。しかしあの後で、ビーがいる建物の中に居続ける気にはなれなかった。


「ヴィオだったらきっと、もっと大変なことになるぜ。つららだよつらら」


 ワイトの言葉に、一瞬その光景を想像してみて吹き出しそうになってから、「けど」とグレンは頬杖を付いた。


「あいつは、そんな目にあってないだろ」

「だろうな。なんだかなぁ、行動はほとんど一緒だったのにさ。俺だって立派に任務を遂行してたのには変わりないのに」


 手をついて体を後ろに反らせながら、ワイトは上を見上げる。ビルの隙間から見える頭上には、どこまでも澄み切った快晴の青空が広がっていた。

 あのなあ、と呆れた口調でグレンはワイトを眺める。


「その任務中に大事な手袋なくした挙句、白原杏季と一緒に猫で戯れてたのは一体どこのどいつだ」

「あれは不可抗力だ」

「違ぇだろ不可抗力なめんな」


 がばりと体勢を元に戻すと、ワイトは至極真面目な表情と口調でもって言った。


「一応言っておくが、俺の好みはオードリー・ヘップバーンだ」

「……オードリーって、お前」

「まあ、半分冗談で半分本当だけどな」

「どっちだよ」

「どっちもだよ」


 別にそう言う意味で言ったんじゃねぇのに、とぼやくグレンの横で、不意にワイトは顔を曇らせた。


「……できるかよ。あんなのに、攻撃」


 また空を見上げながらワイトは話を続ける。


「『古』は『音』への耐性の問題があるからって、見くびってたのは認める。けど見くびるも何も、アレは相当弱いぜ。むしろいつも通りの力を出さなくて良かった気さえする。なんか大ごとになりそうでさ。

 抵抗しないどころかあの場で逃避をするような人間に追い打ちをかけて何が楽しいんだ」


 最後の一言はグレンではない誰かに向けて発せられた台詞だった。無言で同意しながら、グレンは考え込んむ。


「でも分からねぇ。例えば昨日の四人の中で、一番弱いのは誰だと思う?」

「……どこからどう考えても、あの白原杏季だろうな」


 一応逡巡はしながらもきっぱりとワイトは返答した。グレンは頷く。


「だろうな。古は珍しい属性だが、生き物を呼び出してどうなるよ。そりゃライオンやら虎やら猛獣を呼びだしゃ戦力にはなるだろうが、それをやってどうする。

 なんだってあいつはここに来て、急に古に固執してるんだ」


 先ほどのビーとのやりとりを思い出し、グレンはあからさまに渋い表情をしながら呻るように続けた。


「白原杏季は、まだ候補から除外しねぇそうだ。それどころか、ビーは白原杏季こそがかなり濃厚なんじゃないかと考えてる。

 ついでに周りの他の三人の情報もご丁寧に調べ上げて俺に開示していった徹底ぶりだ」

「異様に仕事早ぇなあいつ」

「全くだ。尋常じゃねぇよ。本当に、あいつは何をしようとしてるんだ。

 一体、白原杏季に何をさせようってんだ……?」


 神妙な面持ちで呟いたグレンの隣でワイトもまた真顔になった。


「……そうか。確かに、あいつが適合者じゃないって確定した訳じゃないけどさ。

 おかしいとは思ったんだ。俺は話を聞いた限りじゃ、古の適合者を探すのより、聖精晶石の方がよっぽど大事なんじゃないかって思ってた。だってそうだろ、晶石があれば誰だって強い理術を使えるんだ。いくらでも利用できそうじゃんか。

 けど目の前で晶石を手に入れられなかったのに、そっちは別にどうでもいいような扱いで、ビーは古の、白原の獲得に躍起になってる。何だか知らないけど、ビーにとっちゃ聖精晶石よりも古の方が遥かに重要ってことだよな。

 何にせよもう、穏便に事を済まそうとする手はなくなったって訳だ。おそらくもうこれからは、俺たち以外の誰かが白原杏季を狙うだろうな」


 ワイトの言葉にグレンは黙ったまま、俯き加減で唇を噛んだ。ワイトはその様子を見やり、グレンの背中を叩く。


「ま、ビーが何を企んでるかは知らねーけどさ。俺たちは俺たちだろ。可能な限りで、上手いこと立ち回るしかない。

 そんなに心配すんなよ、所詮は高校生の集まりなんだからさ。アオが懸念するほど大層なことはやらねーと思うぜ」


 一瞬何か言おうと考えたグレンだったが、やがて思い直し、脱力した表情で笑んだ。


「そうだな。……ユウ」


 脳内に渦巻くもやもやを全部吹き飛ばすようにして、グレンは頭を振って立ち上がる。雲一つない青空を見上げながら、彼は思い切り伸びをした。



+++++



 静かな部屋に音楽が鳴り響いたのは、ちょうど春が物理の問題を解き終えてベッドに寝転がった時だった。流れているのは聞き慣れたお気に入りの着メロである。相手が潤か奈由か杏季の三人の時だけ、この曲が流れるように設定してあった。しばらく流れ続けているところからみると、どうやらメールではなく電話のようである。

 春は寝転がったそのままの体勢で机に腕をのばし携帯電話を手に取った。ディスプレイには杏季の名が表示されている。


「もしもし?」


 春が電話に出ると、通話口の向こう側から杏季の甲高い声が聞こえてきた。


『もしもし、はったんですか?』

「はいはい、はったんです」


 答えながら春はごろりと体の向きを変え天井の方を向く。


「どうしたんだいあっきー」


 杏季は春の質問には直接答えず、いつもより少々早口で言った。 


『はったんって、今日は実家にいるんだよね? 今、暇?』


 春はちらりと窓の外に目をやった。空はまだ徹底的に青空である。今のうちから猛暑の戸外へ出る覚悟をしながら春は答えた。  


「うん、勉強する以外は暇っていやぁ暇だけど」

『ちょっと、良かったらこっちに来てくれないかな?』

「あっきー今どこにいるの?」


 しばらく無言になってから、杏季はぽつりと言う。


『……道』

「いや道は全国各地にいっぱいあるから!」

『よく分かんないけど、ここからしばらく走れば、はったんの家の近くの見知った所に出そうな感じの道!』

「大丈夫なのかよ!」

『きっと大丈夫。うん、成せばなる。成さねばならぬ何事も。成らぬは人の成さぬなりけりなり! 何とかなる!』


 耳に届く杏季の言葉は、心ここに非ずといった様子であり、その声はいつもより更に高い。違和感を感じた春は杏季に尋ねた。


「何かあったの?」


 電話の向こうは一瞬沈黙で包まれる。

 そして、杏季は妙に抑えた声で言った。


『助けて下さい』

「……は?」

『なんか、私、追われてます』

「……はぁあ!?」


 春はベッドからがばりと飛び起きた。


「ちょ、ちょっと待ってあっきーどういうこと!?」

『どうもこうものrun away、get away、escape!

 あてんしょんぷりーず! あてんしょんぷりーず! きゃっちあんどりりーす!』


 堰を切ったように、混乱した杏季がハイテンションに喋りはじめる。英語の発音は異様に流暢である。彼女は半ば笑いながら、春に説明らしきものをした。


『何があったのかというと私も何があったのか分からないんですが、現状としてはそのままそっくり文字通り、追われて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!

 背後からは理術の嵐! まさに修羅! そして現在進行形!』


 ベッドから飛び降りると、春は携帯を片手にバックをひっつかんで部屋を出、階段を下りながら杏季に呼びかけた。


「分かった、今行く! だからそれまで頑張って!」

『あ、あははははははははは』

「待ってあっきー落ち着いて! ちょっと大丈夫?」

『駄目! 主に駄目! もっぱら駄目!

 ていうか追われてることが問題じゃないんだよう!

 何でか男の子に追われてることがこの世の終わりなんだよはったん!

 やだもう世の中怖い! あたしもう寮から一生出ずにそこに巣食って生きる! 寮の守り主になってウーパールーパーと一緒に幼生のまま座敷童に進化する!』

「色々駄目だ!」


 春は携帯電話を強く握りしめて杏季に向かって叫んだ。


「行くから! すぐに行く! だから落ち着いて、気を確かに持ってあっきー!」

『もう足が凍傷にかかりそうなんだ。もうダメだパトラッシュ』

「今は夏だ!」

『あ、今近くの地面に火炎弾が当たりました。どうやら彼らはとりさん達を丸焼きにして食べたいようです。チキンじゃないのにね』

「あーっきーっ!」


 春の叫び声にようやく素に戻ると、杏季は泣きそうな声で言った。


『はったーん……』


 見えないと分かりつつも、頷きながら春は杏季に言い聞かせる。


「大丈夫。すぐに行く。もう少しの辛抱だから!」


 杏季からの電話を切った後に思い立って、春は電話帳を呼び出し潤に電話をかけた。潤が出た途端、春は急いでまくし立てる。


「おい起きろタラシ! あっきーが大変だ!」

『いや流石に起きてるから! ていうか開口一番タラシって、その言い草はなんだ貴様』

「いいから聞け! 何かマジでまずいことになってる!」


 言いながら春は自転車に飛び乗り、片手運転でもって走り出した。

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