第10話
「例えば明日、」
五十八回目。
「地球が滅亡するとしたら、どうする?」
「世界一周」
「お世話になった、」
「あっ!」
テンポよく続いた会話に、止めるタイミングを誤った。
そうだ、ループしてすぐにこの言葉から始まるのだ。もたもたしていたらすぐに会話は始まってしまう。
「どうしたの伊吹」
汐の答えを遮ることはできなかったが、千洋の答えは最後まで言う前に防ぐことができた。一つ目のたとえばあした、まで関わってくるのかはわからないが、言わない方がいいと考える以上、とにかく止めておいた方が得策だ。
しかし考えもなしに叫んだため、三人から向けられる視線に焦る。どうしよう。身体ごと後ずさるわけにもいかず、後ろに動いた手がスポーツバッグにぶつかった。
これだ。
「教科書とか忘れてきた!」
「はあ? なめてんの?」
「まだそんなに来てないし、取りに戻ろうか」
「あった方がいいしね」
全く、と呆れたような溜め息を吐いた汐がくるり、踵を返す。その後ろを清春と千洋も着いて行く。
取りに行った、その後。一体どう動けばいいのか、どう動くのが得策か。
清春に『たとえばあした』を言わせる隙を与えないよう、率先して喋りながら考えを巡らせた。
ずっと一緒にいるか。泊まれば出来るだろう、しかしループを話した『前回』とは違い、何か理由があるわけでもない。しかも明日は学校なわけで、それは親より汐や千洋がストップをかけてくるだろう。
とすると、ずっとばらばらに過ごすか。それはそれで本末転倒な気もするし、もし自分の目のないところで清春が誰かと『たとえばあした』の話を始めたらと考えると、それも不安だ。
ひとつ、守らなければならないのは、恐らく伊吹のいないところで清春と汐達二人を一緒にしないこと。
一緒にいれば防げる。頑張れば一日くらい、言わせないことは可能なはずだ。そしてここで頑張らなければ、どこで頑張ればいい。
伊吹がずっと清春と一緒にいればいい。離れる時は、四人ばらばらになるようにすればいい。
では、まずは目下、教科書を回収した後どうするべきか。
誰の家に集まるか、元々は伊吹の家に集まるはずだが、それだと解散するときに伊吹がいない状態で一緒になってしまう。一番避けておくべき状態、伊吹の家に集まるのはやめた方がいいだろう。
清春の家はどうだろうか。もしくは千洋の家。汐の家は伊吹の家から徒歩数秒の距離、伊吹の家に集まるのと大して変わらない。
清春の家なら、解散した後清春はいない。千洋の家でもいいかもしれないが、別れるまでの間が少しはあるわけで、とするのなら清春の家で集まるのが得策だろうか。
問題集とかもある、というのを理由にし、帰り際に清春の家に集まることを提案しようと決める。誰の家に集まるとかは大した問題ではないから、恐らくあっさり清春の家になるだろう。
そう決めたら、迷う理由はない。
「教科書なに持って帰るべき?」
「え、全部」
「え」
後期中間テストだから、期末より科目数は多くないものの少ないとは言えない。まして勉強嫌いの伊吹からしたら尚更だ。
嫌な顔を隠しもせずに晒した伊吹の頭を、汐がすぱんと思い切りよく叩く。頭を抱えて、伊吹は汐に抗議の視線を向けた。しかし持って帰っていない自分が悪いので抗議の声は上げられない。
清春と千洋が呆れたようにその様子に笑って、千洋はまあまあ、と汐を宥めにかかる。清春はというと、こちらは全く容赦がない。
「まあ、これに関しては擁護できないよね」
「まあまあ清春」
「っていう千洋も思ってるでしょ?」
「……ごめんね伊吹」
「味方がいない!」
味方なんているわけないでしょ、という冷静な汐の声に沈みかける。なんだかんだ言いつつ教えてくれるわけだから、文句はなにも言えない。
「とりあえず、今日やる科目と自分で勉強できるのひと科目は持って帰ろうね」
「英語数学は必須で。今日教えるから」
「……じゃあ英数日本史持って帰る」
いつだったかも三人を待ちながら日本史をやっていたな、と思い出した。何回目だったか、そんなことはもう覚えていないけれど。記憶は継続しているから勉強すれば、と思ったこともあったが、伊吹にそんな器用なことができるはずもなかった。
つまり、ループを始めた当初と大して学力は変わっていない。覚えているとしたら、あの千洋の手書きの古文単語の一覧くらいのものだ。
英数日本史ならそこまで冊数は多くはないはず。いや、数学は問題集もあることを忘れていた。結局あまり変わらない気がしてきたので諦めることにする。
「あたし待ってるね」
「伊吹行ってら」
「なに一緒きてくんねーの?」
「だって教科書取りに行くだけでしょ?」
「そうだけど」
それは困る。あの言葉を清春が口にしてからそんなに時間は経っていない。もしかしたら、の可能性は低くないはずだ。
「一緒こいよ一人じゃ寂しいだろ」
「えー靴履き替えるのめんどくさいんだけど」
「靴下でいいじゃねーか」
なあ行こうぜ、と一人靴を脱いで廊下に立つ。バッグも置いていこうかと思ったが教科書を持ってくるのにそれは馬鹿だ。
じーっと三人を見つめていると、最初に溜め息を吐いたのは千洋。仕方ないよ行こう、と諦めを口にした千洋が伊吹と同じように靴を脱いで廊下へ上がってきた。それを見た残りの二人も、溜め息を吐きつつ上がってくる。
「今日の伊吹は甘えただね?」
「はぁ? ちげーし」
「はいはい、行くならちゃっちゃと行くよ!」
「ウィッス」
楽しそうに笑う千洋を躱し、汐の言葉に怒られないうちにと三人が着いてきているのを確認しながら教室へ向かう。
ちらほらと聞こえる話し声は、残って勉強している生徒かそれとも単に帰っていないだけか。そういえば『今日』、この時間に学校に来るのは初めてだなと思い出した。いつもは『明日』、残って足掻いていたから。
それも結局は違ったわけだけれど、無駄だったわけでも、意味がなかったわけでもないと、思いたい。一回一回のループ全てに、何かしらの意味があったと思いたい。
だって、意味もなく汐や清春や千洋を死なせていたなんて、無駄死にだったなんて、そんなの嫌だ。
机とロッカーから持って帰ると決めた教科書類をバッグに詰め、重くなったそれを肩にかける。先に歩き出していた汐と清春は少し先を歩いていて、律儀に待っていてくれた千洋と並んで昇降口に戻った。
「んで、今日は誰の家だっけ?」
「伊吹んち?」
「いや、清春んちがよくね?」
「まあどこでもいいし、じゃあ行こっか」
予想通り、この件に関してはあっさりと決まった。
先程のようなことがあったらと内心少しだけ心配していたが、特に反対がなくてよかった。
「じゃあ、千洋は英語よろしくね。俺数学教えるから」
「どっち先にする? 伊吹はどっちがいい?」
「うえー……数学?」
「おっけ、じゃあ俺先に教えるから千洋は先に勉強してて」
二人の間で交わされる会話にげんなりしつつ、これは逃げられないと腹を括る。ループについては解決したようなものだしここで言うわけにはいかないから、大人しく勉強するしかない。
いいことのはずなのだが素直に喜べないのはひとえに伊吹の勉強嫌いのせいである。
そうして清春と千洋に勉強を教わり、解散したのは六時過ぎ。清春の家のため目論見通り清春とはそこで解散となり、安心しながら千洋を家に送ると汐と二人で家に帰った。
家に着いて諸々の支度を終わらせ、椅子に座るとノートを広げる。いつも、ループする度に使っていたノート。ループするとまた最初から書き込まなければならなくなるから、いつもこのノートを使っていた。
もう終わったようなものだったが、落ち着かずに、ノートにペンを走らせた。『日課』と呼ぶにはおかしいけれど、伊吹の『日課』になっていて、書かなければという意識がある。何度もなんども書いた言葉を、頭ではなく手が覚えている。
そこに新しく、『前回』と『今回』を書き足してから、そっとシャープペンシルを置いた。
わからないのは、一つ目の『たとえばあした』。
二つ目の『たとえばあした』に関しては、言ってはいけないのだろうと、散々ループして『前回』を経験したから、なんとなくわかる。だが一つ目の『たとえばあした』は、正直なところどっちなのか判別がつかない。
ループする度、清春の一つ目の『たとえばあした』から始まるのだ。言わなければいいのなら、このセリフから始まることもないかもしれない。けれどこれが鍵だと気づかせるために、この言葉から始まっているのかもしれない。
どちらとも取れるような気がして、伊吹は内心で頭を抱えた。
少なくとも、『今回』は既に汐が口にしている。これで無事に『十一月二十七日午後三時五十分』を迎えられれば上々、ダメだとしたら今度こそ、次で終わらせる。考えるまでもなく、それしかない。
もう『今回』は始まってしまっているのだ。
今の伊吹にできることは、一つ目の『たとえばあした』は関係ないと、祈ること。そして『明日』、あの時刻までに清春に『たとえばあした』を言わせないこと。
「……寝るか」
考えていても、仕方がない。大人しく寝るのが一番だろう。
『今回』は、もう、なにもできることはないのだから。
翌日も、いつも通りに過ごした。
気をつければいいのは清春の『たとえばあした』のみ。それ以外は普通に過ごすしか、選択肢はない。
帰りに関して、特に手を加えることはしなかった。『一回目』と同じようなものだ。違うのは『たとえばあした』と、『昨日』の勉強会の場所。
「伊吹お待たせ」
「帰ろつか今日誰んち?」
「伊吹んちでいいんじゃん?」
「別にいいけど。じゃあ俺んちな」
「教科書持った?」
「ちゃんと持ちましたー!」
重くなったバッグを持ち上げてみせると、当たり前だというように汐が頷いた。その通りではあるのだが、伊吹が持って帰るのはこうしてテスト前に言われたときくらいのものである。
そうでなければバレーボールがバッグの中に入るはずがない。
三人に気づかれないように、腕に巻いた時計を確認した。
時刻は、午後三時四十三分。
『一回目』に通った道を、再び歩く。この道を通るのは二回目というわけではないが、『いつも』とはまた違うような気がして、なんとなく落ち着けない。
「あ、昨日渡したプリントやった? 伊吹」
「やったし! あってるかどうかは別として!」
「……まあ、やることに意義があるというか」
「復習のはずなんだけどね」
昨日清春に出された宿題を思い返し、自信を持って言い切る。二人に出された課題は基本的に学校の提出物よりしっかりやる。でないとテストで点数が取れないばかりか汐に怒られる。
話しながら、『一回目』と同じように自然と二列に分かれていた。
『今回』、前に伊吹と汐、後ろに清春と千洋。何かある確率の一番高い汐の隣に、たとえなにもできなかったとしてもいたかった。
時刻は、午後三時四十七分。
話していれば、時間はすぐに過ぎてしまう。時計を気にする伊吹に汐が怪訝そうな表情を向けてきたが、なんでもねーよと素っ気なく返した。
あと二分。さて、『今回』はどうでてくる。
「ねえ伊吹」
「あ?」
「ちょっとガラ悪い。じゃなくて、昨日から変だけど、なんかあったの?」
「そうか?」
幼馴染にはお見通しだったらしい。
けれどあと二分、いやそろそろあと一分か。それだけの時間で説明している余裕も、説明するつもりもないから、笑顔でその問いを躱す。
時刻は、午後三時四十八分。
じっと見つめてくる汐を、静かに見つめ返した。耳だけはしっかり働かせる。どうにか対処が出来るように。
時刻は、午後三時四十九分。
「伊吹汐っ!」
────まあそれも、無理だったわけだけれど。
『一回目』に突っ込んできた車は、後ろからだった。
『五十八回目』となる『今回』は、前から突っ込まれた。
伊吹と汐、二人とも轢かれたのに、危ない状態だったのは汐の方で、伊吹は右腕の骨折程度だった。打ち所の悪かった汐は、昏睡状態。このままだと植物状態になって何年も何十年も目を覚まさないかもしれないと、汐の母親が言っていた。
────いっそ、死んでしまった方が。
喉元まで出かかった言葉を、何度も飲み込んだ。言ってはならない。言ってはいけない。助かる望みはゼロではない。まだもしかしたら助かるかも、目を覚ましてくれるかもしれない。
清春と千洋が怪我をしなかったことだけが、せめてもの救い。死ぬことはなくても、覚えていることはなくても、痛い思いをする回数は、少ない方がいい。
右腕を固定するための処置を終え、伊吹は一般病棟の個室に入れられた汐の部屋にいた。
事故を聞いて飛んできた父親も母親も、汐を千洋に任せて着いていてくれた清春も、伊吹が汐の部屋に行くことに、なにも言わなかった。怪我自体は命に関わるような重要なものではなく、入院もしなくて済む。残っているのは、汐のそばにいたいがため。それを分かっている伊吹の両親は、面会時間を過ぎると伊吹を置いて家に帰って行った。
汐の部屋に残ったのは、伊吹達三人だけだった。
「……しお」
汐は一体、どうなってしまうのだろう。
たすけることができたのか、それともたすけられていないのか。
判断ができない。どちらともつかない。言ってしまえば、中途半端な状態。
いっそ、と続けてしまいそうになる言葉を必死で打ち消す。どちらがいいのかなんて判別はつけられない。きっとつけるものではない。
────死んで、ループしてたすけるのと。このまま植物状態になってしまうかもしれないのを見ているのと。
ループ自体は、もうここまでくれば何度やっても構わないし、あと一歩のところまで来ているから、もう一度をしても良かったのに。
汐は、まだ、生きている。
その事実を、素直に喜ぶことのできない自分が、嫌いになりそうで仕方なかった。
「どう、なっちゃうのかな……」
ぽつり、と落とした千洋の言葉が部屋に響いた。
いつかのように、人工呼吸器やら輸血のパックやら人工心肺みたいなものがあるわけではない、汐の姿。ただ口元につけられた酸素マスクと、腕から伸びる点滴のチューブ、そして頭に巻かれた包帯だけが、汐が辛うじて怪我人であるということを伝えてくる。
それがなければ、本当にただ寝ているだけのような。まるで今にも起き出してきそうな。
手術はしているが、伊吹自身は処置を受けていたため、詳しいことは聞いていない。知っているのは頭を怪我していたことと、目を覚ます可能性が限りなく低いということ。
自由な方の左手で、そっと、汐の手に触れる。汐の顔を見ることができずに俯いた。普通に温かい体温にぐっと唇を噛み締めると、小さく聞こえた嗚咽に少しだけ頭をもたげる。
「っ、ごめっ、」
「いいから。大丈夫だよ、千洋」
堪え切れなくなった千洋のもの。清春が宥めてくれているのを感じて、そのまま意識は汐に戻す。
────もし、植物状態のままだとしたら。
ループはできないのだろうか。いや、できないだろう。あれはきっと亡くなった人をたすけるためのもので、たとえ意識がなかったとしても生きている人には、使うことができない。
このまま生きていくしかないのだろうか。汐をたすけることは、もう叶わないのだろうか。
四人で、無事に。
伊吹が望んだ未来は、これなのだろうか。誰かが死なない未来なら、それでよかっただろうか。
いや、違う。
四人で、無事に。その真意は、四人で一緒に、いつも通りの日常を。
けれど、今の伊吹にはなにもできない。汐が目を覚ますのを祈るか、もしくは、────その先は言葉にしてはいけないことだ。
人のいのち、というものの捉え方が、自分の中で変わっている。それを自覚しつつ、だがこの件に関しては、もうどうしようもできない気もする。
ループは、『この件に関して』のみ。
無意識にそのつもりでいた。でもそれをきちんと守れるのだろうか。そしてまだ終わっていない『今回』を、どうすればいいのだろうか。
流石に、自分の手で、ループする機会を作るのは────つまり、直接的なことを言うのなら汐を殺すのは。それはまだできないと思った自分に安心と、同時に『まだ』という言葉に恐怖を覚える。
どうにかなってしまいそうな自分が、酷く怖い。
こんなところにループの弊害があるなんて、思ってもみなかった。ループの弊害は、何度もなんども目の当たりにする『死』に、参ってしまうことくらいだと。
言ってしまえばこれもその一つで、あながち間違いではないのかもしれないけれど。
きっと、自分ではどうしようもできない。この考えを簡単に元に戻すことなんて、伊吹一人にはきっと無理な話。
三人なら。汐と清春と千洋なら。
ふと、『前回』、清春と千洋とした約束を思い出した。
────ちゃんと、四人で無事に、『十一月二十七日午後三時五十分』を迎えられたら、俺達に話して。ひとりで背負わないで、俺達にも背負わせて。
────いっぱい泣いて、いっぱい笑って、それで、また明日、しよう?
助けて、くれる。三人が、汐と清春と千洋が、今度は伊吹を助けてくれる。
だから今は、汐が助かることを祈って。もし、無理だとしたら、また繰り返そう。
たとえ次で終わらなくとも、何度だって。たすけるまで、たすかるまで、何度だって。
繰り返すと、決めているのだから。
汐の状態に何の変化もないまま、二週間が過ぎた。
ここまで長いのは、初めてのことだ。大抵はすぐ、長くても三日程度で、たすからないことははっきりしていた。
だから、分からないことがある。
二週間の間に、また神社について調べ直しをした。けれど、出てくる情報は変わらない。あれ以上の情報は期待できず、伊吹は時間があれば神社にいた。
危惧していることが、ある。
ループしている間に、他の誰かがまたループを始めてしまったら、どうなるのだろうということだ。
この神社の存在を知っている人は、最早少ない。伊吹達がこの神社を見つけてから十年近く、この場所で自分たち以外の誰かと会ったことはない。だが、それだけでループはしていないと断言はできないのだ。
伊吹達がこの神社に来ていない間、誰かがここを訪れて、ループをしていないなんて。
ループをしていたと、分かる手段は存在しない。
知っているのは本人のみ。本人が誰かに話す以外に、ループの事実が表に出ることはない。しかも、普通はループしたことなんて話さないだろう、全く関わりのない人には。
伊吹が危惧しているのは、ループが重なってできない場合、他の誰かがループを開始してしまうことによって伊吹のループが終わってしまうこと。
汐が助かるかは、まだ分からない。寧ろ、植物状態になる可能性が更に高まったと、医者に言われたばかり。
だから清春と千洋には汐についていてくれるように頼み、伊吹自身は神社で時間をつぶしていた。誰か、が来た時に対処できるように。
清春達は、伊吹がここに来ていることを知っている。汐のことを頼む時に、ここに来ることは言ってあった。ただここに来る理由は言っていない。もしかしたら、察しているのかもしれないけれど。
まだ固定はしてあるものの、それも明日には外せる、と言われていた。だからそのついでに、約一週間振りくらいに汐に会いに行く。ここのところそのせいで、会いにすら行っていなかったのだ。
今のところ、誰かが来る気配はなかった。それもそうだ、この場所を知る人の方が少ない上、この言い伝えを知っているのはほぼ年配者。子供や孫などのいのちを祈らない限り、ここに来る人は恐らくいない。
というのも、断言はできないからこうしてここに来る。そうしてくるともしれない人を待つ。
来ないのが、一番なのだけれど。
ここに来るということは、大切な誰かを、亡くしたということだから。
────なあ、かみさま。
いつまで待ってくれるのだろう。一定期間空くと、もうループできないなんてルール、あるのだろうか。
────かみさま。
きっと、そうじゃないと、祈るしかできない。
十二月ももう半ば頃。日没はとうに過ぎた、午後六時半。
そろそろ帰らなければ、心配される。そうでなくとも、心配も迷惑もかけまくっているのだから。
神社の前の、『前回』伊吹達が足を踏み外して落ちた階段。そこに座っていた伊吹は、右腕を庇いながら立ち上がった。────その時。
「あ、」
前方から聞こえた声に、ぱっと顔を上げた。そういえば、いつもより明るい気が、なんとなくした。
人がいる。
「……誰ですか。どうして、ここに」
スマホの懐中電灯を起動させ、前を照らす。その人物も懐中電灯を持っていたようで、そのせいで明るく感じたのかと、今更ながらに思った。
「俺は」
こつこつと、足音がする。顔が見覚えのない顔を懐中電灯が照らし、お互いをぎりぎり視認できる位置で、その人は足を止めた。
若い男性。伊吹よりは年上、恐らく社会人だろう。酷く疲れて見える顔のせいで、もしかしたら実際はもう少し若いのかもしれない。
伊吹も男性も、何も言わずにその場に突っ立ったまま。伊吹には、なんとなくその用事がわかった。
一緒だ。来ない方がいいと思った、それがきっと、当たり。
「……『言い伝え』」
そっと言葉を口にすると、男性ははっとしたような顔をした。正解なのだろう。だとしたら、この先を行かせることは、『今回』はできない。
「俺も、同じなので。でもまだ終わってない。きっとまた、繰り返す。だから、待ってくれませんか」
「……君は」
そこで止まった言葉を待つ。無茶を言っていることは、わかっている。覚悟がなければ、ここを遊び場にしていた伊吹とは違ってわざわざ足を向けることはないだろうから。
静かに男性を見据えると、唇をぎゅっと噛み締めて伊吹を見つめてきた。懐中電灯を持っていない方の手は強く強く握られていて、血が滲んでいるのではないかと思う程。
「君も、して、」
「次で。終わらせる、つもりです。まだ、助かるかどうかわからないけど、でも。だから、お願いします。絶対に、この日までには解決するって、約束するから」
「……分かった。わかったから、泣きそうな顔をしないで」
そう零して泣きそうな顔をした男性が、ゆっくりと伊吹に歩み寄ってくる。そのまま階段に腰を下ろした彼に、伊吹は戸惑ってから同じように腰を下ろした。
もう冷たくなってしまった、階段。何を思ってここに留まっているのか、男性は懐中電灯を置くと両手を合わせて祈るような姿勢をとった。
「嫁がね、死んだんだ」
唐突な、告白。驚いて息を呑むと、その音に気付いた男性が小さく笑いをみせる。
「事故でね。どうしてもたすけたいんだ。ここのことは、ずっと昔、ばあちゃんから聞いてたから、思い出して」
「……それで、ここに」
「そう。……君は?」
顔を上げない男性は、そう静かに問いかけてきた。答えるかどうか悩んで、男性も言ってくれたから答えなければと思う。別に言わなければならない義務はないのに、それを抜きにしてもなんとなく答える気になったのはどうしてだろう。
「俺は、……幼馴染の、三人を、たすけたくて。どうしても大切で、どうしても諦めたくなくて、だから必死になって頑張って、でも何度もなんどもたすけられずに目の前で死んでいって」
止まらなくなった口に、うっすらとその理由を悟った。
誰かに、なんの関係もない第三者に、とりあえず聴いてほしいのかもしれない。ひたすら誰かに話したかったのかもしれない。
たすけようとしてもたすけられなかった今までを、それでも諦めきれなかった想いを、どうしても捨てることのできなかった四人での未来を、誰かに。
「次で、終わらせる。終わらせたい。じゃないと、俺が、わけわかんなくなりそうで、それが怖くて」
「……頑張ってるんだね」
優しい声に、涙腺が決壊した、気がした。
ぽたぽたと流れ落ちる涙を拭ってくれる人はいない。男性はきっと伊吹が泣いていることをわかっていて、それでも放置してくれている。
それが今の伊吹にはありがたく、『またちゃんと』泣けるようになっていることにも安心して、声を上げずに静かに泣いた。
そうして、伊吹が落ち着いた頃に顔を上げた男性は、隣の伊吹の肩を軽く叩くと、ずっとその場に立ち上がった。
「約束だ」
こくり、と頷く。それを見た男性が頭を軽く撫でてきた。
「頑張れ。きっと、君ならできる。だから────待ってるよ、君のループが終わるのを、祈ってる」
ありがとう、と呟いた声は、男性に届いただろうか。
そのまま帰ってしまった彼の背が消えるのを待ってから、伊吹は漸く帰路に着いた。
それからまた、二週間後。
『伊吹、汐が……っ』
もしかしたら他にも来るかもしれないという考えが捨てきれず、伊吹は神社に通うのをやめていなかったところに。
清春から、一本の電話が入った。
容態が急変したのだという。肺炎を併発したらしく、もうダメかもしれない、と。
通話を切ると、タクシーを拾うことなど頭にない伊吹は病院までひたすら走った。間に合え。せめて、最期くらい。これが最後ではないとしても、ここのところ会えていなかったから。
ついにとか、やっとループできるとか、そんなことを考えている余裕はなかった。何度見ても慣れない死が、また目前に迫っている。たすけられるかもしれないと期待したいのちが、消えようとしている。
がらっと扉を開けて飛び込んだ病室の中、泣いている千洋とその肩を抱く清春、少し離れたところで同じようにして泣いている汐の両親と沈痛な表情を浮かべる医師や看護師。
さっと顔色を変えた伊吹に、清春が気づいて名前を呼んだ。汐、と小さく名前を漏らすと、千洋が涙声のまま必死に言葉を紡ぐ。
「まだ、生きてるよ、伊吹」
「もう、いいよね、って」
続けた清春が、汐の両親に視線を向けた。それで悟る。延命治療を拒否したのだ。
ゆっくりと汐のベッドに近寄って、そのすぐそばで跪く。投げ出された手に触れると、まだ十分に温かい。その手をぎゅっと両手で握りしめ、額に祈るように手を合わせた。
「しお、」
きっと、中途半端に『たとえばあした』を言ったから。
だからこんなに長くなったのだろう。その分苦しい思いをさせた。
「────たすけるから」
小さく呟いた言葉は、きっと誰にも届いていない。
死亡宣告を聞いてすぐに病院を飛び出した伊吹は、また神社に逆戻りをした。
────かみさま。
これが、最後の挑戦だ。
今度はしくじらない。ループした瞬間に、叫べばいいんだろう。教科書を取りに行くと言えばいいのだろう。
それさえできたら、あとは『今回』と同じだ。
────かみさま、
だから、お願い。次で最後にするから、あともう一回。
────たのむよ、かみさま。
もう一度だけ、ループをさせてくれ。
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