第9話

「例えば明日、」

 五十七回目。

 清春の言葉と共に倒れかけた伊吹を、すんでのところで汐が支えた。

「伊吹!?」

「ちょっ、顔色悪すぎる!」

「なんで我慢してたの!?」

「っわり、続けて」

「なにバカなこと言ってんの伊吹んち行くよ!」

「いいから、」

 ぱん、と乾いた音がした。そろりそろり、伊吹が自分の頬に手を伸ばす。きっと伊吹を睨みつけた汐が、ばっかじゃないの、と乱暴に吐き捨てた。

「本当バカ、救いようのないバカ。あんたいつからあたしが一緒にいると思ってんのバカでしょ」

「汐、流石に言い過ぎ」

「本当のこと言ったら傷つくでしょ」

「清春!」

 ふらふらしながら立ち上がる伊吹を支えながら、汐が暴言を吐く。それを全面的に肯定するような清春の言葉を、千洋が窘めた。

 焦る気持ちをぐっと抑えつけて、伊吹は黙る。焦んな、焦ったら全部崩れる。貴重な一回を無駄にすることは、できない。だが、

「……続けろ」

 抑えつけたはずの言葉が口から零れ落ちて、伊吹は一人俯いた。

 言いたい言葉はそれじゃない。今ここで言うべきなのはきっと休むという言葉で、急かす言葉ではないのに。

 伊吹、と汐の低い声がする。怒らせたのはわかっていたし、きっと清春も千洋も怒っている。それでも口から飛び出すのは謝罪の言葉ではなく、寧ろこの状況を悪化させるもの。そして出てしまった言葉を撤回することは、もうできない。

「続けろっつってんだろ!」

「何言ってんの伊吹のバカ!」

「バカでいい! 清春が言わねえなら俺が言う! 例えば明日、世界が滅亡するとしたら、例えば明日、この中の誰かがいなくなったとしたら!」

「どうして、」

「清春、あってるの……?」

 ばっと顔を上げて叫んだ伊吹の言葉に、清春が息を呑む。恐る恐るといった様子で清春に問うた千洋は、清春が頷くのを見て目を見開いた。

 その中で。汐は一人、先程までの怒り具合を鎮め、何かに思い至ったように静かに伊吹を見据えていた。

「ここじゃ迷惑になるね。神社、行こう」

「でも汐っ」

「いや、汐の言う通りだよ、移動しよう。ここで話しててもどうにもなんないし」

 もうどうすればいいのか、わからない。

 汐に優しく手を引かれて、時々ふらっとする身体を必死で支える。ごまかせずに気づいた清春が汐と反対側の手と繋いだ。いつの間にか取られたバッグは、千洋が肩から下げている。

 気付かれたのかもしれないと思った。必死で隠してきたのに、ループしていることがばれたのかもしれないと。

 だって汐は経験しているのだ。それを『今回』の伊吹は聞いていないが、『二十九回目』の伊吹は聞いている。それを、忘れたわけではない。だからこそ言いたくないとずっと隠してきたから。

 神社に着くと、強制的に木の幹に寄りかかって座らせられた。その前に汐、両隣に清春と千洋がくる。逃げようのない布陣にどうすべきか悩み、口を噤んだままでいると、汐がそっと口を開いた。

「あたしは、世界一周して、それで誰かがいなくなったとしたら助ける、かな」

「汐」

「ねえ伊吹」

 千洋が牽制するように汐を呼ぶ。それを気にせず汐は伊吹を呼ぶ。

 その声の優しさに、俯いていた伊吹はそっと顔を上げた。

「ループしてるんでしょ」

「え……」

「嗚呼、それなら納得がいくね」

 何も言わなかった。沈黙は何よりの肯定。ぎゅっと唇を結んだ伊吹の頭を、汐がぽんぽん、と撫でる。

「一人で頑張ったんだね。ごめんね、伊吹」

「謝んな、」

「うん。ありがとう」

「おまえ、らがっ」

 いつも、伊吹を置いて逝く。その度に、自分でもわからない心のどこかが欠けて行っていた。

 心を捨てると決めたって、まだ高校生の伊吹に、人より感受性の高い方の伊吹にできるはずがなかった。

 何度もなんども、幼馴染が目の前で死んでいくのだ。平常心でいられるわけがない。伊吹が壊れて行っていたのも、限界を迎えたのも、道理だった。

「伊吹、泣いて? お願い」

「我慢しないで」

「泣けない……」

 けれど。自分が泣けないことに気づいて、伊吹は愕然とした。

 泣きたくないわけではないし、泣けるならないておいたほうがいいことはわかっている。それなのに、涙が出てこない、泣くことができない。

 正面から汐に抱きつかれて、両脇からそれぞれ清春と千洋がしがみついてきた。勢いよく抱きつかれたため、背中を強く木の幹に打った。でも、そんなことどうでもよくなるくらいに、安心した。

 その体温に。ちゃんと三人がいる、事実に。

 首筋に、冷たい雫が落ちる。そろりそろり、腕を汐の背中に回せば、更に強く抱き締め返してくれる。

 いつだって、不安だった。

 ループを繰り返す度、目の前で誰かが死ぬ度。

 これで最後だったらどうしよう。これで助けられなかったらどうしよう。

 四人で、無事に。それはあくまで伊吹が決めたことであって、かみさまはどこまで付き合ってくれるのだろう、と。もし途中で見放されたりしたら、その時誰が助けられなかったとしたら、一体どうすればいいのだろう、と。

 ずっと、不安だったのだ。

「……っ、うー……」

「……汐、泣いてんの」

「な、いて、ない」

「ない、てるじゃん」

「そういう千洋も泣いてるから」

「清春だって涙声のくせに」

「だ、って」

 伊吹のせいだ、と清春に詰られた。どう返せばいいのかわからずに、伊吹は黙ったまま清春の言葉を待つ。

「伊吹、泣かないから」

「……だって」

「伊吹が泣かないなら、俺達が代わりに泣く」

「……俺だって泣きたいけど」

 泣けないから。

「伊吹のバカぁ」

「んでだよっ」

「泣けないからだよぉ」

「泣けなくなるまで何我慢してるのさ……っ」

「そ、れは」

 自分でも、ここまで壊れているなんて気付かなかったのだから、仕方ないのだけれど。

 ばか、伊吹のばか、と繰り返す千洋の言葉に反論することは、できなかった。甘んじて受け入れるしか、今の伊吹にはできなかった。

 それでも、譲れないものがある。

 余計なことを伝えて、不安にさせたくなかった。余計なことと言ったら恐らく三人は怒るのだろうけど、自分一人で背負い切れると思って、言わなかった。

 結局、『今回』を含めて何度か背負い切れなくなってしまっているのだが。それでも一度決めたことを撤回するつもりはないし、たとえこれで終わらなくても、次があると信じて祈って、また言わない『今日』を繰り返す。

 だが。

「……ありが、と」

 自分が泣けないというのは、案外苦しいことだと知った。元々泣きたいと思うことがないから泣いたことはほとんどないが、泣きたい時に泣けないのは酷く苦しいのだと。けれど三人が代わりに泣いてくれるから、傍にいてくれるから、きっと平常心で居られる。

「……るさい」

 ぎゅうぎゅうと腕の力を強めてくる汐に、思わず苦笑した。

 一応悪いと思っている。何も言わずに一人で背負っていることを。そしてわかってほしい。どうして何も言わないのかを。

 それは伊吹の勝手な想いだから、言われたことは全部受け止める。

「伊吹のばか、……ありがと、」

 零された汐の呟きを拾う。うん、と応えると、肩に頭をぐりぐりと押し付けられる。

 それが精一杯の文句で精一杯の感謝だと、分かっていた。

 だから諦めない。繰り返す。信じて、祈って、何度だって挑戦する。

 神社に、殺しきれていない汐と千洋の嗚咽が響く。ちらっと視線を上げれば清春と目が合って、優しく笑われた。

 もう少しだけ、このままでいたい。

 自分の状況なんて忘れて。三人の存在を感じていたくて。

 漸く伊吹から離れた汐が伊吹と視線を合わせてきて、首を傾げると横から清春の声がした。

「訊きたいことがあるんだけど」

「……なんだよ?」

「伊吹は、汐がループしたことあるの知ってたの?」

 そのことか、と思って頷いた。聞いたのは確か、『二十九回目』。

 誰から、と重ねて問うた清春に、汐からと端的に答える。清春も千洋も寝落ちた部屋。起きていたのは伊吹と汐の二人。小さな声でそれを話してくれた汐の表情は見ていない。

「……伊吹は、何回繰り返してるの?」

 次は清春ではなく汐からの質問。すいっと視線を前に戻し、じっとこちらを見つめてくる瞳を見つめ返すした。

「えーと……五十回は超えたから、確か五十七回目だな、これが」

「五十七!?」

「おう。中々、助けられなくて……悪い」

「なんで謝るの」

「伊吹が謝らなきゃいけない理由なんてないよね?」

 そう言われると、なにも返せない。

 伊吹が汐達の立場だとしたら、同じことを言うだろう。だから汐達の言いたいことはよくわかっている。

「伊吹はさ、私達のために頑張ってくれてるんだから。寧ろ謝らなきゃいけないの、私達の方だろうし」

「伊吹は謝るの禁止ね」

「別に千洋達が悪いわけでもねーよ。悪いのは、……なんだろうな」

 かみさまだって、ループをさせてくれている。何度もなんども懲りずに挑戦する伊吹を、繰り返しループさせてくれている。

 悪いのが誰かなんて、考えたことなかった。そしてきっと、誰も悪くないのだろう。

 かみさまは少しだけ意地悪だけどな、と思いながら謝罪禁止令を出した千洋に頷いた。

「って、そうじゃなくて。そんなに何度もループってできるものなの?」

「分かんねえけど、させてくれてるからいいのかと思ってた」

「……あたしは、一回だけだったから、分からないけど。伊吹にペナルティとかは、ないの?」

 汐の言葉に、清春と千洋が動きを止めた。ペナルティ。考えたこともなかった伊吹は、ぐっと眉を顰める。

「確かに、あってもおかしくないというか、あって当然というか……」

「三人も、助けようとしてるんだもんね。何かしらあったっておかしくないのかも……」

「分かんねーけど、ないと思う」

 だって、助ける為には、『鍵』が必要なのだ。

 それだけで十分なペナルティ。簡単に助けられはしない、運命をねじ曲げることはできないという、かみさまからの通達。

 それでも、この後に及んでペナルティがあるというのか。果たしてそれは、いつ受けることになるのか。

 せめて四人で無事に『十一月二十七日午後三時五十分』を迎えた後であれ、と願う。現段階で、ペナルティがあるのかどうかはわからない。情報がなかったから、考えたことすらなかったという方が正しい。

 『今回』は恐らく、無理だ。次回以降調べてみようと決めて、汐と視線が合うと質問を投げられた。

「どうしてないと思うの?」

「それは……なんとなく?」

 鍵のことを言うつもりはなかった。ループに関して、している事実は伝えても詳しい情報を教えるつもりはない。だから、言わない。濁すと決めている。

 そもそも今回ループをしていることを話していること自体が不本意な結果にあるのだ。倒れかけるという失態を犯してしまったわけだから仕方ないし、不本意ではあるが別に後悔しているわけでは、ない。

 それだけ苦しかったということだから、むしろここで息抜きができてよかったと、そう思う。

 助かったとしても、自分一人が背負いすぎて壊れてしまっていたら意味がない。伊吹一人で背負うことは構わないのだが、背負いすぎて壊れたとしたら、三人は確実に、それぞれ自分を責める。それを避けたいから、たまにはこうして息抜きをすることも必要なのかもしれない。

「まあ……いいんだけどさ。でもさ、今の伊吹、危ういから信用できない」

「それには同意するかな。でも別に、伊吹を否定するわけじゃないから」

 心配故の言葉だと、知っている。

 だから、その言葉をひとつ頷くことで受け入れた。詳しいことを話すつもりがないことは変わらないが、不安を与えないためにしていることがかえって不安に思わせていたりしたら、意味がない。

「まあ、ペナルティは後でいいんじゃない?」

「何で?」

「だって、あるとしても多分終わった後でしょ? だとしたら、俺達無事ってことじゃん。伊吹のフォローできるし、問題なくない?」

 清春の言に、伊吹は目を瞬かせた。終わった後ということには同意するが、三人がフォローできるというところまでは頭が回らなかったし、何より────その、四人で無事に、の未来を、無条件に信頼してくれている清春が嬉しかった。

 だが、いまいちぱっとしない顔をする千洋は、何か懸念がある様子。目線で伊吹が促すと、少し躊躇いながら口を開いた。

「その、かみさま、がよほど酷くなければね」

「それは多分大丈夫。汐がループして伊吹助けた時、なんかペナルティってあったの?」

「……特に、は」

「確かに汐は一人だけで、伊吹は俺達三人って違いはあるけど、正直素直に助けられてないこと自体が既に一種のペナルティだと俺は思うんだよね。それで汐は一回だけで助けられてるのに、ペナルティはなかったんでしょ。まあ、願望も入ってるんだけどさ、だから、ループしてる間のペナルティはないと思うし、そもそもペナルティ自体ないんじゃないかな、って」

 それもそうかもしれない、と少し安心したように千洋が頷いた。汐もそうだね、と清春に同意している。

「……めちゃくちゃ納得したんだけど清春やっぱ頭いいな」

「伊吹にばかり負担かけられないからね。俺が出来ることはやるよ」

「考察しかしてないけどね」

「煩いな汐! 安心したくせに!」

「そうだよ安心したよ悪うござんしたー!」

「二人とも落ち着こうか」

「ふっ、」

 堪えたはずの笑いは、しかし堪えきれずに溢れ出た。そのままくつくつと笑い出す伊吹につられて、汐と清春も笑い出す。千洋は一人困り顔だ。

 久しぶりに、心から笑えた気がした。泣くことはできなかったけれど、笑うことはまだできるんだと思って安心した。

 やっぱり好きだ。この場所が、三人と一緒に過ごす時間が、好きだ。

 また頑張れる。今回は、頑張った伊吹へのご褒美。

「今日、どうしようか」

「勉強する?」

「正直しなくてもいいんじゃないかなって」

「遊ぼうぜ」

「……明日から頑張ればいいよね」

「だよね」

 よっしゃ、とバッグからバレーボールを出して立ち上がった。呆れたような顔をしながら笑う三人も立ち上がって広がる。四人でするバレーは酷く久方ぶりな気がして、少しだけ息が詰まった。


 その日の夜、お泊り会しよう、という汐の言葉により、珍しく四人が伊吹の家に集まった。

 いつもは男女で二人ずつに分かれるのだが、言い出しっぺの汐とそして千洋がそれを良しとしなかった。曰く、清春だけずるい、とか。

 そこで、一応汐の家も近いから着替えもある、という理由により伊吹の家でお泊まり会が開かれたのである。

 明日はまた一日学校はサボるつもりだった。伊吹は泣いていないため分からないが、他の三人は泣いたせいで目が腫れている。伊吹の母親は何か感じ取った様子で、連絡はしておくね、と言ってくれた。

 四人で騒ぎながら夕飯を食べ、順々に風呂に入る。布団は伊吹の部屋に敷き詰めて、四人でひとつの部屋。

 伊吹と清春は遠慮したのだが、仲間外れは嫌だと言って汐と千洋がきかなかった。二人がいいのなら、と伊吹達も折れるしかない。

「どうやって寝るの?」

「好きなとこ寝ろよ」

「私ここでいいや」

「あたしこっちー」

「じゃあ俺ここに寝る」

「俺どこに寝るんだよ」

「え、二人で寝よ?」

「おかしい」

 全員の風呂が終わり、各自早い者勝ちで寝る場所を決めていく。伊吹は自分のベッドだが、他の三人は布団だ。誰が一番伊吹に近いか、という問題らしい。

 結局伊吹の足元に千洋、伊吹の隣に汐、その隣に清春、となった。ベッドに二人で寝る案は却下させてもらった。大の男が二人並んでベッドに寝るなんて色々と問題がある。

 四人でそれぞれ布団に入り、電気を消すとすぐに寝息が聞こえてきた。疲れていたようだ。確かにあれだけ泣いて笑って、疲れない方が珍しいと思う。

 寝息が聞こえてきてからたっぷり一時間。一人起きていた伊吹は、枕の下に突っ込んでおいたノートとペンを引っ張り出した。

 三人が起きてしまわないように電気は点けず、スマホの画面の明かりで照らす。体勢は厳しいが、情報の整理とそして、────覚悟を。決めておかなければならない。

 ずっと、全員がふたつの『例えば明日』を口にしてきた。けれど、今回は違う。

 汐だけが、その答えを口にした。自分が言ったかどうかは、正直覚えていない。だが清春と千洋の二人がいっていないことはわかる。

 きっと、二人は助からない。

 また繰り返す。『今日』を、『明日』を、また繰り返すことになる。

 大丈夫、息抜きはした。これから頑張るだけだ。頑張りきれなくなったら、また息抜きすればいい。

「……悪い」

 謝罪を口にしてから、そういえば謝罪禁止令が出ていたことを思い出す。一回くらい許してほしい。

 これ以上はもう謝らないから。口に出すことは、しないから。

心の中でずっと響いているものは、きっと助けるまで止むことはないと思うけれど。


 翌日、学校をサボった伊吹達は例に漏れず神社へと来ていた。

 勉強をするつもりはなかったし、汐達も気にしていないようだった。そもそもこの状況で勉強しても身につくとは思わなかったし、三人も思っているのだろう。しかも、誰が死ぬかはわからない。

 伊吹だって予想に過ぎない。恐らく、清春と千洋。だが実際にそうなのか、違うのかは神のみぞ知る、だ。

 ふと、脳裏を一つの可能性が過る。

 もし、鍵なんてないのだとしたら。全てがかみさまの好きなように動かされていたとしたら。

 本当に自分は、三人をたすけることができるのか、と。

 何度挑戦してもダメだとしても、それを超える回数挑戦してやると決めているけれど。それでも時折唐突に過る不安には、どうしようもできなくなる。

「伊吹」

 木の幹に背を預け、座っていた伊吹はいつの間にか俯いていたらしい。呼ばれた名前に顔を上げると、目の前には汐。隣にそそくさと腰を下ろすのを、ぼんやりと眺めていた。

「伊吹はさ、どうしてループしたの?」

「────え?」

「否定するわけじゃないし、あたしが同じ立場でも同じことすると思うけど。でも、伊吹はどうしてここまで頑張ってくれてるというか、頑張ってるのかなって」

 俺も聴きたいかな、と清春が乗った。少し離れたところに立っていた清春が、その場にすとんとしゃがみ込む。何も言わずに聴く姿勢になった千洋は既に座っていて、伊吹はふと口を噤んだ。

 何のために、どうして、ループしているのか。

 四人で笑い合う日常を過ごしたいから、というのが理由だ。しかしどうして四人で笑いあう日常を求めているのか。

 自分自身に問いかける。

 そうして出した答えは、きっと酷く独善的で、また三人の願いでもあるのだろうということを、伊吹はわかっていた。

「一緒にいたいから」

 ただ、それだけなのだ。

 一緒にいたい。離れたくない。四人で、ずっとずっと一緒にいたい。

 望んでいるのは、ただそれだけ。

 四人で、無事に。その真意は、ただ一緒に過ごしていたいがための、伊吹の我儘。

 きっとそれでいい。たとえ汐が、清春が、千洋が同じ立場だとしても、三人とも伊吹と同じことを思って、同じようにループをするだろう。何かしらの形で、きっとかみさまが。

「そっか」

 汐も、同じ。相槌も打たずに静かに聴く清春も千洋も同じ。

 お互いがお互いを大切に想っていることなど、四人の中では口にせずとも分かっていることだ。

 沈黙。

 嫌いではない沈黙。心地よいそれ。

 けれど、今は沈黙ではなくて。

「なあ、遊ぼうぜ」

 静かにしていると考えてしまうから。それならいっそ何も考えられないくらいに、遊んで、騒いで、疲れてしまいたい。

「いいよ、何する?」

「ばれ、」

「バレーは最後ね。何にしようか」

「鬼ごっことか?」

「めちゃくちゃ久しぶりだな」

「しかも四人……」

「いいじゃんしようぜ!」

 最初はグー、と問答無用で声をかけると、咄嗟に反応した三人も手を出す。グーが三人、チョキが一人。見事に一人負けした伊吹が鬼だ。

 最初の鬼は伊吹。その後、鬼を交代して何回か普通の鬼ごっこをし、他にも氷鬼、色鬼、隠れ鬼、かくれんぼ、神社前の階段を使ったグリコなどなど、ひたすら遊んで遊んで。

 最後に伊吹が持ってきたバレーボールを持ち出してくると、呆れたように笑いつつも汐達は間隔をとって広がった。

「疲れたからあまり回さないで……」

「そこまで配慮できる自信はない」

「伊吹手加減してね?」

「えー……あっはい」

 へたり込みそうになりながら構える千洋に、汐も息を切らしながら言う。清春の釘に反論しようとすると汐に睨まれたため口を噤んだ。恐らくこの判断は正しい。

 仕方なく下打ちの山なりサーブを上げると、ボールの落下地点に入り込んだ清春がアンダーでボールを上げた。千洋がとって、伊吹に戻ってくるから、それを汐に回した。

 わあわあと騒ぎながら、パスを繋げていく。なんだかんだ落ちることのないボールは、また誰かの手によって上げられる。

だから、油断した。

 調子に乗った伊吹が、強めにスパイクを打った。受け損ねた汐が、あっと声を上げて後ろに転がっていくボールを追いかけて走る。ボールは階段の方へと転がり、てんてんと落ちていくのを見て伊吹も走り出した。

 階段の下、その先は少ししたら道路がある。車通りは多くはないが、飛ばしてくる車は多い。交通事故に気をつけなければ、

「伊吹時間!」

 え、と思った時には、もう遅かった。

 階段から足を滑らせて落ちていく汐に、手を伸ばしてももう届かない。

「汐……っ!」

 伊吹、と汐の口が動くのが見えた、次の瞬間。

「伊吹ぃっ!」

 まるで足を踏み外したような、浮遊感を感じて。

「いやああああ」

 千洋の悲鳴を聞き取った刹那、伊吹の意識はシャットアウトした。


 名前を呼ばれている気がした。

「……伊吹」

 完全に拾った聞き慣れた声に、伊吹はぱっと飛び起きた。

 頭に走った激痛に、片手で側頭部を押さえながら蹲る。包帯が巻いてあるらしい頭は、階段を落ちた際にぶつけたのだろう。伊吹の馬鹿、と隣から聞こえた泣きそうな声に、ごめん、と小さく落とした。

 汐が足を滑らせたのを見た直後。伊吹自身も階段を踏み外し、そのまま転落したところまでは、覚えている。

「……っ、しお、は」

 階段から転落した汐を見たのが最後、自分が落ちているときは直ぐに意識を失ってしまったらしく、汐の姿を見ていなかった。そして今が何日の何時なのか、それすらもよくわからない。

「清春、千洋」

 顔を上げて二人に問う。何も言わない清春と唐突に泣き出した千洋に、嗚呼助からなかったのかと、不意に現実を悟った。

 大丈夫、また繰り返すことくらい、わかっていた。だから今が何日の何時だろうと、構わない。また繰り返せばいいのだから。また繰り返すのだから。

 けれど。

 一つだけ、わかったことがある。これで、四人で無事にの未来を、漸く過ごせるようになる。

 ────たとえばあした、この答えを、口にしてはならない。

 ずっと、言わなければならないと思っていた。だから、答えを口にした汐が助かると思っていた。

 けれど、違った。

 助かると思っていた汐は助からず、助からないと思っていた清春と千洋は助かった。

 鍵がここにあることは、恐らく間違っていないはず。とするなら、答えはひとつ。

 逆だった────たとえばあした、の答えを、言ってはいけなかったのだ。

 痛む頭を押さえながら、清春と千洋のいるベッドサイドの反対から降りようとする。神社に、行かなければならない。汐を、たすけなければ。

 鍵は、もう、わかったも同然だ。

 ずっと一緒にいて、言わせなければいい。もしくはずっとばらばらで、会うことがなければいい。

 だから。だから、早く。

「だめ伊吹っ!」

 汐に腕を掴まれて、清春に半ば強制的にベッドに戻された。

「なんで? 行かなきゃいけねーのに、」

「俺達も行く」

「……は?」

「私もっ」

 思いもよらなかった言葉に、思考が止まりかける。行動は完全に止まった。

 一緒に、行く?

「……俺ひとりでいい」

「だって、伊吹だけに負担なんてかけられないよ」

「じゃあどうして俺が寝てる間に行かなかったんだよ?」

 飛び出した言葉は、自分でも驚くほど冷たいものだった。

 小さく息を呑んだ千洋が口を噤む。厳しい顔をした清春が、伊吹、と名前を呼ぶ。

 零れ落ちた言葉は撤回できない。けれど零れ落ちた言葉だからこそ本心だとも思えて、撤回する気にもなれない。傷ついた顔をする千洋をフォローすることもできない。弁解の言葉を口にすることも、できない。

「ねえ、伊吹」

 張り詰める空気の中、清春だけが繰り返し伊吹の名前を呼んだ。伊吹と千洋の視線が清春に向けられる。

「────ごめんね」

「なん、で」

「追い詰めちゃってごめん。任せきりにしてごめん。ひとりに背負わせちゃって、ごめん。本当はもっと最初の、何度もループする前に、気づいて、俺達がフォローするべきだったのに」

「謝んな」

 謝られたら、まるで、今していることが間違っているかのような、

「俺達のせいだよね。そんな目、するようになったのってきっと。もう伊吹にだけ背負わせるなんてしないから、だから俺達も」

「うるさい!」

 ぎゅっと両手でシーツを握り締めて叫ぶ。しん、と静まり返る病室。俯いているせいで二人の表情は見えない。それで、いい。

「謝んな、俺の頑張りが、間違ってたみたいに言うなよ……大丈夫だから、あともう少しだから、大丈夫だから、俺ひとりで、いく」

 何のために、ずっとずっと隠してきたと思ってる。

 こんな思いをするのは自分だけでいい。汐や清春や千洋にまで背負わせたくない。大丈夫あと少しだから、まだやれる。頑張れる。

「伊吹」

 今度は千洋の声。泣きそうに震える声はけれど泣いてはおらず、ぎゅっと握り締めた拳に千洋の手が触れた。

「怯えてごめんね。何もできなくてごめんね。伊吹いっぱい頑張ってるのに、私何も気づけなくて、たすけられてばっかりで、ごめんね」

「たすけられてなんて、ねーし」

「ううん、伊吹は十分たすけてくれてる、頑張ってくれてる。だからね、たまには、力抜いていいんだよ。泣いて、いいんだよ。ねえ伊吹」

「泣け、ねえし」

 ぱたり。ぱた、ぱた。

 重ねられた千洋の手の上に、誰のものかわからない雫が落ちた。ひゅっと短く息を吸って、くっと喉の奥で止める。溢れ出しそうになる声に、深呼吸を何度か繰り返して。

 自分が泣けていることに、漸く気付いた。

「伊吹、伊吹。間違ってないよ、否定なんてしてないよ。ありがとう、ありがとう、でもね、ひとりで抱え込みすぎなんだってばぁ……」

 頭上から、湿った声が落ちてくる。首筋に冷たいものが当たって、つ、と首を伝って下に落ちる。

 千洋が泣いていた。自分で精一杯で気にしている余裕なんてなかったけれど、この声は明らかに千洋のもので、手に触れたままの体温は千洋で、時折漏れ聞こえる嗚咽も千洋のものだった。

 背中に、新たな体温が触れる。薄い入院着越しに冷たさを覚えて、声は聞こえないながらに清春だと察する。泣くなよ、という声は声にならない。ただただ込み上げてくる何かを、吐き出すことしかできない。

 ────かみさま。

 あと、少しで、きっと辿り着ける。そのあと果たして、どうなってしまうのか。無事に、四人で過ごす毎日に戻れるのだろうか。

 ────かみさま、

「おれ、」

「っなに、」

「やっぱ、ひとりで、いく」

 なんで、と声を上げようとした千洋を、目線で制した。ふつり、口を閉じた千洋が伊吹を見つめる。いつの間にか泣き止んでいた清春は、口を開いた伊吹を最初から見つめていた。

 あと少し。あと少しで、たすけられる。

 そこに、清春と千洋が入ったら。どうなるかなんて、予想もつかない。

「ここまできて、不確定要素はいらない」

 ざっくりと傷つけられたような顔。その中に諦めたような笑いを見つけて、嗚呼気づかれているな、と悟る。清春も、同様。きっと最初から全て分かっている清春は、表情一つ変えない。

 伊吹の本心に。こちら側に巻き込みたくないという思いに。

 気付いた上で、拒絶が返ってくると分かって、一緒に行くと言ったのだろう。

 確かに、ここにきての不確定要素は怖い。けれどそれを上回るくらい、清春達が一緒に行くと言ってくれたことは嬉しい。それは認める。だが更にその上を行くのが、こちら側に来て欲しくないという、思いで願いで祈りだ。

 これだけは、譲らない。譲れない。そしてそれを、清春も千洋も感じている。

「じゃあ、約束してよ」

 座って下から伊吹を見上げた清春が、顔の前で小指を立てた。

「ちゃんと、四人で無事に、『十一月二十七日午後三時五十分』を迎えられたら、俺達に話して。ひとりで背負わないで、俺達にも背負わせて」

「私、からも。いっぱい泣いて、いっぱい笑って、それで、また明日、しよう?」

 こくりと頷いて、差し出された二つの小指と自分の小指を絡めた。

 たった二つの約束があるだけで、また頑張れるのだということを。

 二人は知らない。それでいい。自分だけわかっていれば、それで。

「約束、する」

 ちゃんとたすけて、という約束をしないのは、無条件かつ無意識の信頼の証。

 ゴールは見えている。あとは、伊吹のすべきことをするだけ。

 だめだったら、その時に考えればいい。とにかくこの思いつきを、試してみる価値は十分にある。

 二人に協力してもらって、病院を抜け出した。背格好のあまり変わらない清春と服を交換して、お金を渡されてタクシーに押し込まれる。辿り着いた神社は伊吹達の転落事故のせいか立ち入り禁止のテープが張られていて、裏から回って境内に入ると本殿を見上げた。

 ────なあ、かみさま。

「あと少し、」

 この考えが間違っていないことを。あと一回終わることを。

 祈って、いる。

 ────かみさま、

 だからあと少しだけ、付き合ってほしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る