第5話
「例えば明日、」
五回目。屋上からの転落死。死んだのは、汐。
わざと忘れた教科書のみを取りに行く途中、汐が屋上に立つ人影を見つけた。柵の向こう側に一人ぽつんと立っていたその人を汐が見捨てられるはずもなかったが、走り出した汐を追いかけるのが一瞬遅れた。
いくら足が速いとはいえ、スタートダッシュに遅れたら間に合うものも間に合わない。躊躇ったのが命取りだった。
助けに行ったその先で、必死に言葉をかけて手を伸ばして、それでも結局助けることはできず柵の向こう側に吸い込まれていった生徒を見ているだけだった伊吹とは、違った。その手を最後まで追いかけて、伸ばした汐の手がその生徒の腕を掴んだのが分かっても、駆けつけたのは遅かった。
あと一歩で届かなかった手を嘲笑うかのように汐の身体は落ちていって、その先は。
搬送される前から、先生達の手によって胸骨圧迫とAEDの電気ショックが何度もされていたのを、伊吹だけが見ていた。清春は倒れた千洋に着いていて、いなかった。
心臓が止まっていたことは、明らかで。搬送先の病院で死亡が確認されてすぐ、伊吹はひとり病院を飛び出した。
目の前に広がる、赤を掻き消しながら。怪我ひとつない身体で、向かう目的地は一つしかない。
駆け込んだ神社、その前に座り込んで、伊吹はただただ祈る。
――――かみさま。もういちど、
「例えば明日、」
六回目。校内に入り込んだ不審者に刺され、失血死。死んだのは、清春と千洋。汐は重傷。伊吹ひとりだけが、掠り傷だった。
わざと忘れた教科書を回収して、昇降口に向かう途中。掃除も終わって、学校に残って勉強している生徒達は教室や図書室に残り、帰る人たちは帰った、穴の時間。
最初に遭遇した伊吹達を容赦なく襲ってきたのは若い男で、伊吹と清春が抗っても力が足りなかった。
搬送される前に学校で息を引き取った清春と、搬送後半日は頑張ったものの頑張り切れずに死んだ千洋。大量失血をしたせいで意識不明の汐。
千洋の死を確認すると、伊吹はまた病院を抜け出した。皮肉なことに、伊吹が負った怪我は少ないものだった。
道ももう覚えた。間違えることはない。
六回目となる道を通って、神社へと走る。泣きそうになるのを、必死で堪える。
千洋が死んだのは真夜中の一時過ぎ。流石にバレたら連れ戻される確率が高いと踏んで、そっと抜け出した病院。親からの連絡を無視して辿り着くのはひとつ。
着替えていない、三人の血で染まったままの格好のまま、伊吹は神社の中心に立った。
迷いなんて、いらない。
――――かみさま。もういちど、
「例えば明日、」
七回目。階段からの転落死。死んだのは清春。汐は重傷。
単純にロッカーに忘れ物を仕掛けただけではだめなのかもしれないと思った伊吹は、今度はしっかりと分かる教室に教科書を置いてきた。
場所は分かっているから、『四回目』とは違う。だから今度こそ、と思っていた。
四人で忘れ物を取りに行って、無事に回収した帰り道。階段を降りていた汐が、後ろ向きに歩いていたせいで足を踏み外した。汐を庇って一緒に落ちた清春は、床に頭を強く打ちつけていた。汐は清春に庇われつつも階段の角に頭を打ち、暫く入院することになった。
無事に回収できたことに安心して、盛り上がった会話に気を取られていた。伊吹が動くよりも先に清春が動いていて、気付いた時には遅かった。
運悪く、汐が踏み外した階段は一番上の段だった。
それでも数日は頑張った清春に、千洋はちゃんとその事実を受け止めていた。汐は酷く自分を責めて、けれど伊吹は清春が死ぬまでただ汐の傍にいただけで、言葉は掛けなかった。
清春の死亡宣告がされた後、清春の両親に泣きじゃくりながら誤っていた汐を横目に、伊吹は病院を飛び出した。
目指す先は、当然あの神社。
ひとりだけ助からないなんて、許さない。
――――かみさま。もういちど、
「例えば明日、」
八回目。野球部の打ったライナーが側頭部を直撃したことによる脳挫傷。死んだのは、千洋。
『五回目』、『六回目』、『七回目』で校内もあまり安全ではないのかもしれないと気付いた伊吹は、校舎内ではなく校舎外、学校の敷地内にはいるという状況を作った。
清春と千洋が外のごみ捨て場に行っていたのは知っていた。汐と合流するなりその手を引っ張って外へ出て、二人と無事合流し、足止めをしていたところだった。
野球部が打ったライナーが飛んできて、千洋の側頭部を直撃した。ボールは、硬球だった。
部活動が始まる時間帯なのは分かっていたが、まさか、そんな事故があるなんて思わないだろう。それこそ『四回目』よりも注意されることは少ない、というより言われたことはない。
テスト期間なのに野球部が練習をしていたのは、自主練だということらしい。
その場では当然意識を失い、救急搬送をされたが目を覚ましてからの千洋は至って普通で、漸く終わる、と安心した矢先のことだった。急に倒れて意識を失った千洋の意識が戻ることは、なかった。
じわじわと脳の中で出血が広がっていたのだという。それがとうとう脳を圧迫して倒れたのだと。オペ室に運ばれた千洋が生きて出てくることは、なかった。
――――かみさま。もういちど、
「例えば明日、」
九回目。バイク対人による交通事故。死んだのは、汐。清春は軽い掠り傷、千洋は無事、伊吹は右腕の単純骨折だった。
グランド側は危ないと思って、反対側の昇降口の前辺りにいられるように時間を調整した。ここなら流石にボールが飛んでくることはない。
今度はそれが仇になる。
『午後三時四十九分』に校舎外かつ敷地内にいられるように会話を引き延ばしながらゆっくり歩いていた。話が盛り上がって、汐が後ろ歩きになっていた。校内に侵入してきていた郵便配達のバイクに、汐だけでなく伊吹も清春も千洋も気付くのが遅れた。
唯一気付いた伊吹が動いた時には、もう遅かった。
バイクに撥ねられた汐を受け止めようとして、伊吹も腕を骨折した。だが上手く受け止めきれずに、汐はアスファルトの地面に身体を強く打ちつけた。
バイクを避けるために千洋を庇った清春が掠り傷で済んだ。清春に庇われた千洋は、怪我ひとつなかった。
搬送先の病院で、汐は数時間だけ頑張った。心破裂だと、汐の母親が言っていたのを伊吹は聞いた。心臓が破裂してしまっていたのだと。だから、助からなかったのだと。
つくづく、自分の甘さが嫌になる。助けられない自分が嫌いになりそうだった、だからこそ。
――――かみさま。こんどこそ、
何回も何回も、『十一月二十七日午後三時四十九分』を繰り返し過ごした。
そうして誰かが死んでは神社へ行く。たとえ自分がどれだけ重い怪我を負っていようと、何とかして神社へ辿り着いて、そうして祈る。
また四人で。無事に、四人で。
それから十七回、学校で粘った。
転落事故だって一回じゃない。交通事故、ガス爆発、本棚の下敷き、照明の落下事故、殺人事件、火傷、ケンカの仲裁。
パターンとシチュエーションを変えて、かみさまは伊吹に何度もループをさせた。それでも諦めることなく、伊吹は誰かがいなくなるたびに神社へ向かう。
毎回毎回誰かが死んで、毎回毎回伊吹だけは確実に生き残る。
繰り返す度に誰かが目の前で命を落として、繰り返す度に伊吹は無力感を突きつけられる。たすけることのできない自分が一番悔しくて、たすからない誰かを見ているのは辛かった。
ただ、生きていてくれさえすればいいのに。それ以上は望んでいないのに、たったそれだけのことが、これ以上ないくらいに難しい。
だから伊吹はかみさまに祈る。何度もなんども祈る。もういちどと、今度こそ助けるから、と。
そうして何度でも、『十一月二十七日午後三時四十九分』を繰り返す。
「例えば明日、」
二十六回目。コンビニでの籠城強盗殺人。死んだのは、汐と清春。伊吹は腹部を撃たれ重傷。千洋は無事だった。
学校でも無理だと見切りをつけて、こうなったら手段なんて選んでいられず、清春と千洋に掃除をサボらせて、伊吹達はいつも寄るコンビニにいた。そこに覆面を被った男が三人入ってきて、籠城が始まった。
幼子を人質にとった犯人に噛みついた汐が最初に撃たれた。手当はさせてくれなかった。事件解決する間際、無理だと悟った犯人がまず手当たり次第に男性を撃っていった。伊吹は運が良かった。清春は、運が悪かった。千洋が撃たれる前に、事件は解決した。
怪我人が多かったせいで、トリアージが行われた。伊吹と清春は最初の方に優先的に運ばれた。千洋は怪我はなかったものの全員検査はするため、最後に無事だった人たちとまとめて運ばれた。
一番最初に撃たれて手当てもさせてもらえなかった汐は、失血が酷過ぎて助からないと見切りを付けられていた。最早病院には死亡確認のために運ばれたようなものだったらしい。
手術を受けて目を覚ますと、清春はもういなかった。ベッドサイドには泣き腫らした目で眠る千洋がいた。
千洋を起こさないように慎重にベッドから起き上がると、ずきずきと痛む傷跡を押さえながら病院を抜け出した。
――――かみさま。もういちど、
「例えば明日、」
二十七回目。川への転落による溺死。死んだのは千洋、助けようとした清春が重体だった。
更に学校を出る時間を早くし、コンビニでもさっさと用を済ませて出てすぐの、川沿いの道。
交通事故には十二分に注意して、工事現場がないかも気にしていた。不審人物がいないかにも気を配って、それでも路肩から足を踏み外した千洋に、伊吹は手を伸ばすことができなかった。
川に落ちた千洋を追って、清春も川に飛び込んだ。それを止めるための手も、間に合うことはなかった。
周りに注意をし過ぎて、自分達への注意が疎かになっていた。
隣で汐が消防に電話していた。川に落ちた千洋はすぐに視界から消えていなくなっていた。あとを追って飛び込んだ清春の姿も、すぐに視認することはできなくなった。
あと数日で十二月となる、冷たくなった川。清春が助けられたのは翌日の昼過ぎのこと。その翌日、事故から二日後。千洋は大分距離の離れた隣町の川岸に打ち上げられていた。もう、助からなかった。
知らせを受けた時、清春は寝ていた。冷たい水が体温を奪いに奪って低体温に陥り、衰弱しているのだと言っていた。
汐は、千洋のところに行こうとは言わなかった。伊吹も何も言わずに、清春の病室を抜け出した。
――――かみさま。もういちど、
「例えば明日、」
二十八回目。猪に突進され、アスファルトの道路に頭を強打したことによる脳内出血。死んだのは、汐と千洋。伊吹は左手の指を何本か噛み千切られ、清春は右腕を噛まれた。
早めの時間に出て、更に田舎道。唐突に出て来た猪に咄嗟に反応できるわけがなかった。
猪が出てもおかしくないのは知っていた。道路標識の動物注意の看板には猪が描かれていたし、市の立て看板も猪の注意喚起をするものが幾つかあった。けれど正直なところ自然を相手にすることになるとは、思っていなかった。
そして、それがいけなかった。
背中に突撃された千洋が衝撃で前を歩いていた汐を巻き込んで道路に倒れた。それに気付いた時にはもう遅く、伊吹は猪に指を噛まれていた。
痛いのと、突然のことに心がついて行かず、清春に襲い掛かる猪を止めないととか警察や消防にでも電話しようとか、そういう考えは起きなかった。
騒ぎを聞きつけた近所の人に助けられて、伊吹達は病院に運ばれた。半日粘った汐が息を引き取った。それから一日後、同じ時間に千洋も死んだ。
全てを疑ってかからなければならないと思った。だろう、ではたすからない。かもしれない、で考えていかないと、たすけることはできない。
――――かみさま。もういちど、
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