第11話 彼女の部屋で酒池肉林②

 ティアラの奇行に、ただ目を点にすることしかできない俺達。


 ティアラはそんな俺達を置き去りにして、アレクの胸の間に顔を埋めたまま、今度はふにふにと両手でアレクの胸を揉み始めた。


「ひ、姫様!?」

「アレクの胸、きもちいい……。マシュマロみたい……」

「えぇと、その――」


 俺は、羨ましくなんてない。羨ましくなんてないぞ。そもそも俺が興味あるのはティアラの体だけなんだ。アレクの体には興味がない。興味はないが――。

 それでも凝視してしまうのはなぜだろう……。


 ていうか俺、新たな扉を開いてしまうかもしれない。鼻血出そうなんですけど。


 ティアラはひとしきりアレクの胸を揉み回した後おもむろに立ち上がり、今度はフラフラとタニヤの前に移動する。


「タニヤ……」

「は、はい姫様。って、やあっ!?」


 ティアラは先ほどのアレク同様、今度はタニヤの胸の間に顔を埋め、またしてもふにふにと揉み始めた。


 だ、だから俺、別に羨ましくなんてないんだからねっ!


 ……ん? ちょっと待て。

 アレク、タニヤときてるってことは、次は俺!? 俺の番きちゃう!?

 ついにティアラをこの手で抱き締める時がきちゃう!?


 よし。俺は構わないぞ。いつでも俺の胸に飛び込んで来いティアラ。

 そして俺のたくましい大きょう筋をもみもみしちゃいなヨ!

 俺の鍛えられた上腕二等筋で、強く優しく抱き締めてあげるからッ!


 今か今かと待ち構えているそんな俺に、タニヤが困惑した顔を向けてきていた。


「ちょっと。見てないで何とかしてよ!?」

「いや、そんなこと言われても……」


 不用意に引き剥がすようなことをしたら、俺の番が回ってこなさそうだし。

 何せ相手は酔っ払いだ。心変わりしてしまいそうな行動は避けておきたい。

 全てはティアラをこの手で抱き締めるためにッ!


 しかし突然、そこで俺は閃いた。……閃いてしまった。

 タニヤから引き剥がすどさくさに紛れて、ティアラのを触っちゃう、という究極の手を――!


 よくやった俺の脳。天才か。自分の頭の冴え具合が怖いわ。

 えぇ、俺はそういうことで頭がイッパイの年頃の男ですとも。好きな子の体に触れたいですとも。


 もし……。もし、これを実行した暁には――。


『やんっ! どこを触ってるの、マティウス……』

『ご、ごめん! 今のはその、わざとじゃないんだ!(わざとだけど)』

『ふえぇ……もうお嫁にいけないよぅ。責任、とってくれる……よね?』

『もちろんですッ! よし、結婚しよう。ティアラの年齢が足りないけど今すぐしよう。むしろすっ飛ばしてここで初夜をすませちゃおうッ!』


 てな展開に!?

 おおぅ、素晴らしすぎるな。素晴らしすぎる未来予想図に、体の一部が熱くなりかけております。


 よっしゃ、いくよ! いっちゃうよ俺! ラッキースケベは自らの手で起こしてナンボの時代だよな!


 いざ行かんとティアラに向かって一歩近付いた直後――いきなり俺の後頭部に激痛が!


 次の瞬間、俺は気付いたら絨毯と熱い接吻を果たしてしまっていた。

 目の前に小さな星が瞬いています隊長! 隊長って誰!?


 そんな混乱する頭でもわかったことが一つだけ。

 アレクが俺を殴った、ということだ。


 俺はがばりと身を起こし、すかさずアレクに向けて犬歯を剥き出しにする。


「何でいきなり殴んだよ!?」

「生理的嫌悪感から」

ひどっ!」


 俺の心に会心の一撃! 言葉のナイフえぐい! 無表情で言われるとさらに威力倍増!


「もう少し補足をすると、姫様に近付くお前の手の動きがこう……。わきわきといやらしい動きをしていたものだから」

「痴漢撃退ご苦労様です」


 タニヤはキリッと真面目な顔を作り、アレクに対してビシリと敬礼した。

 痴漢とは心外な。俺はただ……。


 あ、あれ? やっぱりこれって痴漢なのか?

 そこで俺は腕を組み、自分がしようとしていたことを冷静に分析してみることにした。


 …………うん。

 どう考えても痴漢だな!

 言い訳できませんっ! 本当にすみませんでしたあッ!


 ごめんよティアラ……。純粋で無垢なお前を汚そうとしていたとは、何て俺は馬鹿なんだ。どうか許してくれ……。


 深い後悔の念に耐え切れず、心の中で彼女に懺悔する俺。


 しかしティアラはそんな俺達のやり取りなど全く聞こえていませんでした、といった様子で、タニヤの胸の中で穏やかな寝息を立てていた。


「あら……」

「寝てしまわれたか」


 まぁ無理もないか。初めてのアルコールならこんなもんだろう。むしろティアラがアルコールに強かったら何か嫌だ。


 タニヤはスースーと寝息を立て続けるティアラの頭を、微笑しながら優しく撫で始めた。


 くそ、タニヤ。お前の無駄にデカイ胸が邪魔だ。せっかくのティアラの寝顔が良く見えない!

 俺は何とかしてティアラの寝顔を見れないかと様々な角度に体を捩らせてみるが、そんなことをしても当然見えるはずもなく。


 くっ――!? こんな機会は滅多にないというのに!

 だがタニヤに要求しても「姫様が起きてしまうじゃない」と冷たい眼差しを返されるだけで終わるのは目に見えている。


 ギリギリと歯軋りをしたい衝動を懸命に押さえていると、そこで不意にティアラが小さな声を発した。


「お母……様……」


 その彼女の寝言は、やましいことでいっぱいだった俺の頭を冷静にさせるには、充分すぎるものだった。


「姫様……」


 タニヤはティアラの頭を撫で続けながら、ポツリと続ける。


「姫様のお母様――お后様は、姫様が赤ん坊の頃に病気で亡くなられたそうなの……」


 母親がいないことは知っていたが、そうだったのか……。

 タニヤの口から告げられた真実に、俺の心にさざ波が立つ。さっきのティアラの奇行は、もしかして母親の温もりを求めてのものだったのか?


 アレクは無言のまま二人の前に歩み寄ると、ティアラの小さな身体をそっと抱きかかえた。


「寝台へお連れする」


 俺もタニヤもアレクの提案に、ただ無言で頷いたのだった。






 アレクとタニヤがテーブルを片付けている間、俺は寝室でティアラの様子を見張っていた。


 本来なら小躍りしながら彼女の寝顔を観察するところだが、先ほどのタニヤの言葉が引っ掛かっていた俺は、そんな浮かれた気分になれないでいた。


「ふ……ん……」


 少し色っぽい声を漏らしながら寝返りをうつティアラ。俺は彼女の体からずれてしまった薄い毛布をかけ直す。

 ティアラはまだ夢の中にいるらしく、起きる気配は感じられない。


 母親、か……。

 ティアラの穏やかな寝顔をぼんやりと眺めながら、心に浮かんだその単語に思いを馳せる。


 ティアラも、母親の愛情を知らずに育ったんだな……。

 まさか彼女とこんな共通点があるなんて思ってもいなかった。

 もっとも、俺の方が性質たちが悪いけど。


 刹那、心の奥底にしまい込んでいた思い出したくもない日々が、次々と頭に浮かんできた。


 テーブルに置かれているだけの、一日分にしては到底足りない僅かな食料。


 あの男に騙された、あの男と同じ目をこちらに向けるな、お前なんか不幸になれば良いと、毎日のように呪詛じゅそに似た言葉を俺に吐き続ける母親。


 外に出れば貧民街の奴らには開発区の奴だと罵られ、開発区の奴らには貧民街に近い場所の奴だと忌み嫌われ。


 ただ黒い感情のみが湧き上がっていた毎日。

 それを近くの森の魔獣を倒すことで昇華していた。


 決して楽しいとは言えなかった日々――。


 次々と過去の断片的な映像が脳内で再生され、その度に胸に嫌なものが広がっていく。


 ……ダメだ。

 何か吐き気がしてきた。気持ち悪い――。


 俺はたまらずティアラのベッドの端に顔をうずめる。

 しかしその直後、俺の首筋にキンと冷たい何かが当てられた。


「冷たっ!?」


 思わず顔を上げ振り返ると、そこには水入りのグラスを持ったタニヤが若干呆れた顔で佇んでいた。


 こんなに近くにいたのにその気配に気付かなかったとは――。

 俺は相当参っていたということか。


「飲んでもいないのに酔ったの? それとも、姫様のベッドの匂いを嗅いでいたの?」

「嗅いでねーし!」


「本当に?」

「嘘です……。ちょっと嗅ぎました……」


 ごちそうさまでした。甘くて良い香りでした。早速今晩役立ちそうです。


 タニヤは小さく溜め息を吐くと、無言のまま俺にそのグラスを渡してきた。


 俺は渡されたグラスの中の水を一気に飲み干した。

 あれほど感じていた吐き気が、嘘のように引いていく。


「何だか元気なさそうだったから気になったのだけれど……。その様子じゃ大丈夫みたいね」

「……すまない」


 まさかこの金髪侍女に感謝する日がくるとは、思ってもいなかった……。

 空になったグラスを俺から受け取りつつ、タニヤは小さな笑みを浮かべる。


「何のことだかさっぱり? それより姫様に何か変わりはあった?」

「いや、特に。寝顔が可愛いだけだな」


「ふーん。ちゅーしていないでしょうね?」

「してねーよ!」


「冗談だって。君にそんな度胸なさそうだしねー?」

「…………」


 いや、俺はやる時はやる男だぞ?

 まだやったことはないけど……。


「ま、せっかく姫様の見張りを君に指名してあげたんだから、もうちょっとだけ堪能しておきなさいよね~」


 タニヤはそう言うと俺に背を向け、ひらひらと手を振りながら片付けに戻って行ってしまった。


 まさかとは思っていたがあいつ、俺を片付けの係に指名しなかったのは、俺のためだったのか……。


 一日に二回もタニヤに感謝する羽目になろうとは。

 明日は雹か雪でも降るのではなかろうか。


 そんなことを考えつつ、俺はタニヤの助言通りこの時間を目一杯堪能することにした。


 やっぱり可愛いな、ティアラ。

 長い睫毛、小さい鼻、柔らかそうな唇――。

 全てが奇跡のバランスを保っている――ように俺には見える。


 ついさっきまで重苦しい気分になっていたのに、彼女を見るだけでそんな過去の出来事など、もうどうでも良く思えてしまった。


 恋って不思議なもんだな。痛くてたまらない時もあれば、こうやって穏やかな気持ちになれる時もあって――。この感情を俺に与えてくれて、本当にありがとう……。


 心の中で彼女にちょっと恥ずかしい感謝の弁を述べた俺の口元は、気付いたら勝手に緩んでいた。






「み、みんな。本当にごめんなさい……」


 昼過ぎにようやく目を覚ましたティアラは、開口一番俺達に対して謝罪の言葉を吐きつつ頭を下げた。

 自分の失態が許せないのか、見ていて可哀相になってしまうほどその顔は真っ赤だ。


「いや。俺があんな場所に酒を置いたりしたのがいけなかった。ごめんな」

「そうね。姫様は悪くないわね」

「そもそもお前らが不真面目なのが悪いんだろーが!? 何で俺だけ謝ってんの!? むしろお前らが謝れ!」


 後ろから平然と言い放つタニヤに、たまらず俺は拳を握りながら勢い良く振り返る。


「姫様すみませんでした」

「申し訳ございません、姫様」

「…………」


 そう素直に俺の言うことを聞かれると、それはそれで気持ち悪いというか……。

 あぁもう、何か調子狂う。


「ううん。私こそ、その……。ふ、二人に変なことを……その……」


 どうやらティアラは酔った時のことを覚えているらしい。既に赤かった顔がさらに濃さを増した。

 このまま顔から火が出てしまうのではなかろうかと、ちょっと心配になってしまうほどだ。


「いえ、大丈夫です姫様。気持ち良かったですので」

「そうね。姫様の手付きは絶妙だったわよね」

「お前ら自重しろおおぉぉッ!?」


 二人してさらりと問題発言をかますな!


 だが正直に言う。ちょっと羨ましい。

 俺だって本当はティアラにもみもみされて気持ち良くなりたかった! どこをとは言わないがな!


 って、羞恥の限界を超えたティアラの全身から煙が出始めている! 火災発生! 火災発生! 直ちに消火活動を! 何か水の換わりになる一言を!?


「こ、今度は俺がティアラのを揉んでやるからンッ!?」


 目にも止まらぬ速さで繰り出されたアレクの上段蹴りが俺の顔面に炸裂!

 痛い! スゲー痛い! 超絶痛い!


 痛さのあまり俺はゴロゴロと床を転げ回る。


 そんな俺を、アレクとタニヤが赤い顔をしたまま見下ろしてきていた。

 しかしティアラと違うのは、それが照れからくる赤さではない、ということだ。


 何ということでしょう。消火活動は失敗し、延焼してしまった模様です! どう見てもこれは怒りの表情!


「マティウス君。今のはもちろん冗談よねぇ?」

「じょ、冗談です。ジョークです。戯言です」

「だが一つ教えてやろう。世の中には言って良い冗談とそうではない冗談があるということを」


 俺はアレクの無表情が今ほど怖いと思ったことはなかった。

 そんな恐怖で震える俺の視界の端で、ティアラは両腕で胸を隠すようにして縮こまり、涙目になってプルプルと震えていた。


 あぁ、産まれ立ての小鹿みたいに震えるティアラも可愛いなぁ……。



 その後俺がどんな目に遭ったのかは、あえて割愛させてくれ――。

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